違う違う そうじゃない!

平 遊

仕方のない奴め

「弁財天様は急用が入ったため、明日のお約束は中止願う、とのことです」


 弁財天の使いの者が毘沙門天の元を訪れ主からの言伝を伝えたのは、大晦日の夜。

 年末年始は七福神にとっては大繁忙期。けれども昨今の人間たちの『働き方改革』に倣い、交代で休みを取ることに決めた。話し合いの結果、元日は毘沙門天と弁財天が休みを取る日となった。他の七福神たちが、毘沙門天と弁財天の仲を配慮してくれたためだ。2人が恋仲にあるのは、周知の事実だった。


 内心、毘沙門天は酷くがっかりした。

 だが、そんなことはおくびにも出さず、弁財天の使いの者に言った。


「そうか……ならば仕方あるまいな。承知したと伝えてくれ」


 その時、視界の片隅を何かが掠めた。天邪鬼だ。近頃の天邪鬼には改心の傾向が著しいため、毘沙門天は天邪鬼に自由にする時間を与える事も多くしていた。だが今はもう夜も遅い時間。


「なにをしておるのだ、まったく」


小さくため息を吐くと、毘沙門天はその姿を大股で追いかけはじめた。



 そして迎えた元日。


「あやつ、どこに行きおった……」


 毘沙門天は、少し目を離した隙に見えなくなってしまった天邪鬼の姿を探し、社を出た。

 社の中も外も参道さえも、多くの人間たちで溢れかえっている。皆、初詣に来た参拝者達だ。残念ながら、社の主は本日不在であるのだが、人間たちにわかる訳が無い。

 多少の罪悪感に胸を痛めながらも、今日はせっかくの休日。

 人の姿を取り、毘沙門天は人間たちに紛れて辺りを散策することにした。


 参道には多くの出店が並び、人間たちは皆楽しそうに笑っている。


「皆、良い新年を迎えたのだな。今年もまた、精を出すのだぞ」


 すれ違う人間たちに、ほんの僅かばかりではあるが力を分け与えながら歩いていた毘沙門天の目が、ふと脇道に佇む女の姿を捉えた。


「サラ……?」


 弁財天は、またの名をサラスヴァティという。毘沙門天は職務以外で弁財天と接するときは、サラと呼んでいる。


「シュー!」


 サラと呼ばれた女が顔を上げ、毘沙門天の姿を見つけて声を上げた。

 毘沙門天は、またの名をヴァイシュラヴァナという。弁財天は職務以外で毘沙門天と接するときは、シューと呼んでいるのだ。


「会いたかった……!」


 そう言って駆け寄り、弁財天は身を投げ出すようにして毘沙門天に抱きついてきた。毘沙門天は慌ててその体を抱きとめる。


「急用が入ったのではなかったのか?」

「シューを驚かせたかったのじゃ。サプライズ、とやらじゃ」


 ほんのりと頬を染め、毘沙門天の腕の中で恥ずかしそうに微笑む弁財天。だが、その纏う装束に毘沙門天は違和感を覚えた。

 弁財天の装束には、邪鬼を祓い福を招く鮮やかな緋色があしらわれている。だが、今毘沙門天の腕の中にいる弁財天の装束には、その特徴的な緋色が見当たらない。


「サラ、いつもと装束が異なるようだが」

「せっかくの休日ではないか。人に紛れてシューと楽しみたいと思ったのじゃ」


 そう言いながら、弁財天が毘沙門天の胸に頬を寄せた時だった。


「シュー……?」


 聞こえてきたのは、戸惑いを含んだ弁財天の声。その声の主がいると思われるのは、毘沙門天の後ろ。


「ん?」


 胸の中の弁財天を抱きしめたまま、毘沙門天は不思議に思って後ろを振り向く。すると、そこにいたのは人の形を取りながらも、鮮やかな緋色のコートを纏った弁財天。


「急用とは、そのおなごとのあいびきであったのか、毘沙門天」


 毘沙門天の腕の中に女の姿を見つけた弁財天の美しい眉が、みるみる内に吊り上がる。


「えっ? サラ? えっ? ……まさかっ!?」


 突き飛ばすように胸の中の女を引き剥がすも、時すでに遅し。


「この……浮気者っ!」


 バチン!


 強烈な平手打ちを毘沙門天に食らわせると、弁財天は足音も荒く人混みの中に紛れて消えてしまった。


「正月早々痴話喧嘩かよ」

「やだー、痛そうあのほっぺ」

「自業自得じゃね?」

「てか、ニ股? ちょっとイケオジだからって、ひっどーい!」


 立ち尽くす毘沙門天を見ながら、人間たちがクスクスと笑っている。中にはスマホで写真や動画を撮っている者さえいる。

 我に返った毘沙門天は、怒りに震えながら、まだ地に伏せたままの女を睨みつけた。


「邪鬼よ、よくも我を騙しおったな」


 よくよく目を凝らしてみれば、弁財天の姿の中に、天邪鬼の姿が透けて見えた。普段であれば見抜けぬことなど無い毘沙門天であったが、休日であることの気の緩みと、一度は諦めた弁財天との逢瀬への喜びとで、真実を見抜く目が曇ってしまっていたようだ。


「騙してないです、私は弁財天です」

「うるさい! 社に戻るぞ! お前には仕置きが必要だ!」

「きゃー! おやめくだされ、堪忍してくださいませ」


 弁財天の姿のままの天邪鬼の手を強引に掴み、毘沙門天は社に向かって歩き出す。


「痛い、痛い! お離しくださいませ」

「うるさい、黙れ!」


 すると、周囲の人間たちがざわつきはじめた。


「やだあれ、デートDVじゃない?」

「どうしよ、警察呼んだほうがいいかな」


 毘沙門天はハッとした。

 毘沙門天も弁財天に扮した天邪鬼も人の形を取っているため、その姿が人間たちの目に写ってしまうのだ。


「邪鬼よ、いい加減姿を戻さないか!」

「別にいいけど、人間たちの間で騒ぎになっても、オイラ知らないよー」

「……ちっ」


 弁財天の顔でニヤニヤと笑う天邪鬼の言うことにも一理ある。人間の目に写る姿のまま、数多の人の前で姿を消したり変えたりすれば、それを目撃した人間たちの間では騒ぎになってしまうだろう。


「来い、邪鬼!」

「痛い痛い! お助けを!」

「少しは黙らぬか!」


 意を決して、毘沙門天は天邪鬼の手を引き、人の間を縫って社へと急いだ。


「やだ、あの女の人かわいそう」

「誰か警察呼べよ!」


 などという人間たちの言葉に、『違う違う! そうではないのだ!』と、心の中で叫びながら。



「毘沙門天様! 天邪鬼さん!」


 社に戻った毘沙門天と天邪鬼を今や遅しと待っていたのは、おみくじの精のクミだった。


「クミではないか。このようなところで何をしておるのだ?」


 ようやく人の形を解き、本来の姿へと戻った毘沙門天が、同じく本来の姿へと戻った天邪鬼の首根っこを捕まえながら、訝しげな顔でクミを見る。

 すると、クミは泣き出しそうな顔で毘沙門天に頭を下げた。


「ごめんなさい、毘沙門天様」

「余計なことすんな、クミっ!」

「黙れ、邪鬼」


 暴れる天邪鬼を制し、毘沙門天はクミに先を促す。


「天邪鬼さんが毘沙門天様と弁財天様の逢瀬の邪魔をしてしまったのは、私のせいなんです」

「なに?」

「今日は1日毘沙門天様はお休みで弁財天様との逢瀬をお楽しみになると知ってから、天邪鬼さんがとても寂しそうで……天邪鬼さんは何にでも姿を変えられると聞いたので、それなら弁財天様の姿になって、少しだけ毘沙門天様に会いに行って驚かせてみたらどうかなって。それで、天邪鬼さんに波長の近い人間を見つけて、その人間に付いて行けば少しなら社の外に出られるよって、教えてあげたんです」

「オイラ別に全然寂しくなんかなかったぞっ! こんな奴、ずっと弁財天と一緒にどこにでも行ってしまえばよかったんだっ!」

「だから毘沙門天様、天邪鬼さんを怒らないでください!」

「そうだ! オイラを怒るな! クミが変なこと言うからだっ! 全部クミのせいだからなっ! オイラ全然悪くねぇしっ!」

「なるほどな」


 天邪鬼の心はいつでも、その言葉の裏側にある

 あごに片手を当て、毘沙門天は目を閉じて暫し考えた。そして、フッと笑いを漏らして目を開けると、毘沙門天は言った。


「クミよ、そなたはそなたの職務に戻るがよい」

「はいっ!」

「すまぬがそのついでに、此奴も連れて行っては貰えぬか?」

「もちろんです! 『アマノジャクジ』ですね!」


 小さく頷くと、毘沙門天は天邪鬼の首根っこから手を離し、天邪鬼をクミの隣に立たせる。


「邪鬼よ、しっかりと働くのだぞ」

「やなこった! オイラあんな面倒でツマラナイ事なんて、もうやらねぇからなっ!」

「我はお前をしっかりと見ているからな」

「ふ……ふんっ! ヒマかっ?! ヒマなのかっ!?」

「行こう、天邪鬼さん! みんな待ってるよ!」

「う、嬉しかねぇやいっ! こら、離せクミっ!」

「うふふ。うん、離さないよ」

「バカっ! オイラの話をちゃんと聞けって!」

「うん、ちゃんと聞いてる。だから、離さないよ」

「お前バカなのかっ!?」


 天邪鬼としっかりと手をつなぎ、クミは嬉しそうに持ち場に向かって走り出す。満更でもなさそうな笑顔でクミに付いて走っていく天邪鬼の姿を、毘沙門天は穏やかな笑顔で見送った。




「あの天邪鬼に惑わされるとは……我らもまだまだじゃのう、シュー」

「まったくだ」


 おみくじの精のネットワークを使い、クミが事の顛末を弁財天に伝えたお陰で、毘沙門天の浮気疑惑は晴れ、弁財天が毘沙門天の社を訪ねてきたのはその日の夜のこと。残された休日の時間は、残りわずか。


「それにしても、シューも随分と天邪鬼に懐かれたものよのう」

「長い付き合いだからな」

「それだけではなかろうに」


 弁財天が右手をそっと、隣に並び立つ愛しい者の胸へと当てる。


「そなたには力強さや厳しさもあるが、ここには温かさや愛しさがたくさん詰まっておるでなぁ。そうでなければ、妾もこれほどまでにそなたに惹かれはせぬわ」

「サラ……」


 胸に当てられた愛しい者の手を引き、毘沙門天は弁財天を抱き寄せようとした。

 と。


「オイラ別に毘沙門天なんてちっとも好きじゃねぇしっ! こんな奴いつでも弁財天にくれてやらぁっ!」


 小さな影が、そんな言葉を吐き捨ててその場を走り去る。


「ほんに、可愛らしいのぅ」

「可愛らしいのはそなたの方だ、サラ」

「シュー……」


 月明かりに照らされた社。

 2つの影は寄り添い、やがてひとつになった。



 その頃。


「バカッ! ふんっ! バカッ! ふんっ!」

「あっ! 天邪鬼さん! ……どうしたの? 何をそんなに怒っているの?」


 境内をうろつく天邪鬼を見つけ、クミが声を掛けた。


「あぁっ?! 別にオイラ焼き餅なんか焼いてねぇしっ!」

「そっかぁ、さっき弁財天様、いらしてたもんね」

「知らねぇしっ!」

「でも、お似合いよねぇ、毘沙門天様と弁財天様って」

「全然似合ってねぇしっ!」

「ねー」

「ふんっ!」


 2人並んで少し歩き、突き当たりの石段に腰を下ろす。


「でもね、毘沙門天様はちゃんと、天邪鬼さんのこと、見ていてくれてると思うよ?」

「あぁっ?! 全然嬉しくねぇしっ!」

「それに、私も……」

「……あ?」


 月明かりの仄かな明かりの下でも分かるくらいに、クミの頬はうっすらと染まっている。それに気づいた天邪鬼は、目を見開いてクミを見た。


「あ、でも天邪鬼さんは、私なんかが見てても、嬉しくないよねっ」

「う……嬉しい訳ねぇしっ! バカッ! クミのバカッ!」

「ほんと?」

「バカかお前っ! オイラは天邪鬼だぞっ?!」

「うん、知ってるよ?」

「だったら」

「私、天邪鬼さんが大好き」


 チュッ


 小さな音を立て、柔らかくて温かいものが天邪鬼の頬を掠める。


「じゃ、私もう戻って休むね! 天邪鬼さんも、もう休まないとダメだよ!」


 手を振りながら走り去るクミに、天邪鬼は思わず手を振り返し、気づいて慌てて手を止める。


「バカッ! クミのバカッ! オイラの周り、バカばっか!!」


 クミの唇が触れた頬をそっと手で押さえながら、天邪鬼は夜空を見上げた。


「オイラは、天邪鬼なんだぞ……」


 空気はシンと冷え切っていたが、天邪鬼の心はホカホカとした温もりにつつまれているかのように暖かかった。


「ほんとに、どいつもこいつも、バカばっか! 大嫌いだっ!」


【終】

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