激戦

 赤い点が次第に大きくなり、その下にある巨大な口が浮き彫りになる。


(デカい……!)


 直径一メートル以上はある攻撃予測線がクロノスの視界を赤く染める。それを読み切って横に大きく飛ぶ。幸い、地上ではなく水中なので受け身を取る必要がない分、大胆に動くことが出来た。


 だが、それはリヴァイアサンも同じだった。

 再び攻撃予測線が現れて、移動してもまるでつきまとっているかのようだった。何とか躱したと思ったが、クロノスが剣を突き立てるまえに尾ひれが鞭のように体を掠めた。


「ぐあぁあ!」


 掠めただけだというのに、かなりの痛みを感じる。その打撃は無慈悲にも全くゲーム性を感じさせない生々しいものだった。


 痺れるような痛みが、脳に刺激を与えてアドレナリンが出る。歯を食いしばって再び武器を構える。


 もうすでに、リヴァイアサンは次の行動をおこしていた。


『まずいわ、水のブレスよ』


「なっ、どうすんだよ」


『……私を盾にするしかないわ。防御バフがつく剣になるから構えて!』


 目の前が攻撃予測線で埋め尽くされる。確かにこれは、分かっていても躱すのは難しい。


 剣が光ってまたしても見た目が変わった。刀身部分が太く、まるで両手剣のようだ。


 振動を感じる。ブレスがくる、と体が感じ取っていた。


 剣を盾のように正面に構えると同時に、物凄い衝撃がクロノスを襲った。


「ぐっ……!」


 いかに剣自体が強くても、それを扱うプレイヤーが弱ければ少なからずダメージを受ける。衝撃で吹き飛ばされて、背中から岩肌に激突した。


 痺れるような痛みが全身を襲う。冴え渡っていた頭は痛みの許容を越えたのかオーバーヒートしたように止まった。


 数秒の沈黙。


 クロノスは、気を失っていた。その時間は致命的である。


 既に地底湖を周回して加速したリヴァイアサンが無駄のない動きでクロノス目掛けて突進してくる。だが、クロノスの脳は、イヴの発する言葉も紡げず、動かない。


 水圧が強くなる。


 途端に、クロノスの体が上へと持ち上がった。まるでUFOキャッチャーのように、ぐんぐん上昇してく。リヴァイアサンの突進は標的を捉えきれず、岩肌にぶつかる衝撃が激しく水を揺らした。


「いってぇ……!」


 その衝撃で、ようやくクロノスの脳が覚醒する。同時に口元から血が滲んだ。


『まだ戦える? 本当に危機一髪だったわよ』


 イヴが珍しく焦っているように感じたのは、自分が焦燥しているからだろうか、とクロノスは苦笑した。両脇をみると、ミアとリムが懸命に腕を掴んで体を持ち上げていた。


「ちょっと! 起きたなら、早く自分で動いてー!」


 クロノスは反対側のリムを見る。きっと姉に賛同して頷きまくっているだろうとおもったが、それどころではないようで顔を赤くして足をばたつかせていた。


「助かったよ、ありがとう。ミア、リム」


 クロノスは姿勢を正して、起き上がる。浮いているのか立っているのかの境界線はもはや曖昧だった。


『クロノス、あのリヴァイアサン……かなり体が大きくなっているわ。噛みつきを躱すのは難しいかもしれないわね』


「確かに……それにあの尻尾の軌道が読みずらい。噛みつきやブレス以外にも攻撃があるんだろう? だとしたら、かなり厳しい。まともに一発喰らったらアウトだ」


 クロノスは周囲を警戒するが、赤い瞳は見えない。水の揺れも、今は感じられなかった。


「ミアお姉ちゃん、早く上がろう。私たちが狙われると危険だよ」


「そうねサポートに徹するとして……今度こそ、頼むよ! 冒険者さん!」


「何とかしてみるよ、くそっ……」


 ミアとリムが上昇していく。ふと気配を感じて、すぐに湖の底に目を落とす。


 黒い。


 違う、口が開かれている。


 それに気付くのに30フレームほどの時間を有した。


 逆に口内に突っ込むしかない。その考えが過ったとき、巨大な口はクロノスをスルーして上へと向かっていった。


「……ッ!? ミア! 後ろだ!」


 クロノスはすぐに追いかけたが、間に合わない。


「え?」

 ミアが振り向こうとする。

「後ろ――」


「ミアお姉ちゃん!」


 ガツン、とリヴァイアサンの歯が重なる音。


 ミアの小さな体は紙一重で餌食にならずに済んだ。だが、その代償は大きかった。みるみる顔が白くなり、視線は動かなくなったリムに注がれていた。


「うそ……リム……!」


 リヴァイアサンの歯が軋み、リムの透き通った羽根が引きちぎられた。


 クロノスは一部始終を見ていた。リムは自らの危険を顧みず、姉のミアを助けようと突き飛ばしていた。


「ごめ……なさい、ミアお姉、ちゃ」


 湖の底に吸い込まれるように沈んでいくリムに、ミアがこれまでで一番早い動きで近付いていった。


 クロノスは剣を握る手に力を込めて、羽根を喰らったリヴァイアサンに向けて飛びかかった。


 リヴァイアサンは器用に身を翻して移動するも、必ず頭が通った位置を胴体が通ることに気付いていたクロノスは、遅れて現れた尾ひれに剣を突き立てる。気付けば剣は水棲生物特効のレイピアに切り替わっていた。


「くそっ、よくも……よくもリムを!」


 唸るように剣に力を込めると、低い呻き声が轟く。咆哮はリヴァイアサンの体から刀身を伝い、腕がびりびりと痺れた。


 もがきながらも間断なく水中を動き回るリヴァイアサンにへばりつくように、クロノスはよく深く剣を差し込む。まるで墨汁のように、血がにじみ出てくる。


『危ないわ、離れて!』


「まだだ!」


 頭に浮かんだ言葉を消去して、必死にしがみつく。しかしそれも長くは続かなかった。


 リヴァイアサンは力の加減も考えず、派手に岩肌に尾ひれを叩きつけた。突き刺さっていた剣が抜けて、クロノスは勢いよく叩きつけられる。


 一瞬のあいだ呼吸が出来なくなり、二酸化炭素のかわりに血反吐を吐き出した。


「ガハッ……ァ……!」


 目の前に赤い靄がかかる。剣を握る手から力が抜けて、水底へと沈んでいった。


 ああ、もうこれで頭に直接言葉が届くことはない。あの気持ち悪さともおさらばできる、とクロノスはぼんやりと思った。


 呼吸は荒く、体はおもりをつけているかのように重く感じた。目を凝らすと、うっすらと赤い双眸が見える。


(俺は、ここで死ぬのか……?)


 これはゲームだというのに、リスポーンもなしか。


 その時ふと、思い至った。


 イヴというほとんどチートなサポートフェアリーと共にいたのにこのていたらく。だとしたら、アンナたちが一度も死んでいないというのは、あまりに自分本位な考えではないだろうか。


 クロノスの全身に鳥肌が立った。


 エンリの両親であるNPCは、モンスターによって呆気なく殺された。


 同じように、アンナたちも殺されてしまったのではないだろうか。


 考えないようにしていたことが、頭を駆け巡る。




「ここは現実であって、現実ではないの」




 イヴの言葉が、海馬から呼び起こされる。


「この世界に……ゲーム性はないんだ。死んだら、本当に死ぬ」


 クロノスは力なく呟いて、身を起こす。体は至る所が痛む。だが、痛みは生きている証だ。


「まだ、死ぬわけには、いかない」


「なら、戦いましょう」


 クロノスの手に柔らかいものが触れた。驚いて目を見開くと、いつの間にかハイエルフの姿に戻っているイヴがいた。


「イヴ……アンナは、まだ生きているかな?」


「分からないわ。私が最後に聞いたのは、三人が地底湖に飛び込んで、それから……いや、何でもないわ」


 イヴは珍しく目を逸らした。クロノスには、それだけで何とか察することが出来た。


「誰か、死んだんだな」


「……そうよ。ライナが、リヴァイアサンの水魔法によって殺されたわ。でも残る二人は外まで行けたはずよ」


「そうか。なら、仇を取らないとな」


 無理やり口角を上げて、イヴの手を握り返した。


 遠くにちらついていた赤が、大きくなってくる。リヴァイアサンが近付いてくる証拠だ。


「イヴ、頼む!」


 彼女は頷いて、瞬く間に剣の姿になる。クロノスは岩肌に足を置いて、身構えた。


『クロノス、私に考えがある。何とか一太刀浴びせてくれる? あとは私に任せて』


「何とかなるのか?」


『私を誰だと思っているの?』


 リヴァイアサンが迫ってくる。


 クロノスは思いっきり岩肌を蹴り、勢いよく斜め上に跳躍した。


 だが、リヴァイアサンはそれを予知していたかのように俊敏に対応する。首元を壁にぶつけながらも、ホーミング機能がついているかのように迫ってきた。

 何とか振り切ろうとした瞬間、重力が何倍も増えたように体が重くなる。さっきまで出来ていた呼吸が、全くできない。


(水魔法が切れた!? ダメだ、追いつかれる。片足を犠牲にして一太刀浴びせるしか……!)


 クロノスは逃げるのを止めて向き直る。底に落ちていったミアとリムは見当たらない。ここでリヴァイアサンを倒さないと、彼女たちも危険に晒してしまう。


(頼むぞ、イヴ!)


 クロノスはありったけの力を振り絞って、身を擲つ覚悟で飛び掛かった。




 ――その時、時が止まった。

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