脱出
緩やかな下り坂を、信頼を確かめ合った三人が黙々と歩いている。
洞窟内は相変わらず暗く見通しが悪い。そのため今回は光源であるアンナが列の真ん中にいた。必死にオーブに魔力を注いでいるが、ほんの僅かな魔力で事足りるため、まだまだオーブが輝きを失うことはない。
時折、洞窟内に開けた空間があったり、かなり下に進んだからなのか、上部にも大きな空洞があるときがあった。ゴツゴツした岩肌から、徐々に鍾乳洞のような雰囲気に変わりつつあることに、三人は気付いた。
やがて、地を踏みしめる音とジーニアスの鎧以外の音が、ライナの鼓膜に届く。
「ちょっと待て…………水音だ」
音の正体を掴んだのはライナだった。相変わらず、聴覚が鋭い。
それは軽装である盗賊に近いジョブを選択したことによりパッシブスキルを会得しているからだった。
このゲーム世界にもレベルや、スキルといった概念があるにはあるが、現在はまだクローズドベータテストのためレベルが上がったり、スキルが増えたりということはない。事前に用意されたレベル、スキルでの冒険になっている。色々といじれたのは、外見ぐらいだった。
水音を頼りに進んでいくと、急に開けた場所に出た。そこには、漠然と広がる水がせめぎあっている。
「地底湖だわ!」
アンナがオーブを掲げて声を大にして叫んだ。やまびこのようにゆっくりと遠くまで反響するあたりからして、かなり広いというのが分かる。
道は左右に分かれているが、地底湖を囲っているようになっているだけで、結局ここが行き止まりということになっていた。
地底湖を一周し終えて、最初に地底湖を発見した場所まで戻ってくると、三人は一旦腰を下ろして休息をとることにした。
ジーニアスは武器を下ろして、深く息を吐いた。
「ドランド王の息子とやらは、見当たらないな。そもそも迷い込んでいるというのも嘘だったのか」
「そうみたいね……。ここが行き止まりってことは、どこから出たらいいんだろう。地底湖の真上も、岩肌が見えるし、抜け穴のようなものも見えないわよ」
ジーニアスもそれを考えていた。出口があると仮定して進んでいたが、地底湖があるだけで行き止まりだったのだ。なんとかして、ここから脱出する術を探らなければならない。それを考案するのが、リーダーの役目だ
ろう。
「シッ、ちょっと静かに」
ライナが人差し指を立てて唇に当てると、視線を宙に向けて耳をそばだてた。
「……何か来る」
「え? 何かって何よ。ここには私たち以外誰もいないでしょう? 入口も塞がれていたし、しっかり探索して進んできたじゃない」
「そうだけど……ん? いやまて、これは人じゃないな」
ライナが武器を構えて立ちあがる。慌ててジーニアスも立ち上がり、先ほど自分たちが歩いてきた道を注意深く観察する。
やがて現れたのは、無数のネズミのような生き物だった。
パッと見た様子は、灰色の胴体でネズミや、ハムスターに酷似している。だが、生えている脚は数えきれないほどで、まるで蜘蛛のようだった。鋭く光る瞳は吊り上がり、額にあるのは二股に分かれた黄色の触覚。それらはネズミと変わらぬ一定の速さで近付いてくる。
「ギャー! キモイ、グロイ! こっちにこないで!」
アンナは自分で照らしたせいもあって、ひどく動揺している。だがそれは無理もない。ジーニアスにとっても、気持ちの悪いモンスターという認識だった。
それでもリーダーとして、冷静に敵の総数をカウントする。数は、軽く百を超えている。しかも今見えているのが全体とは限らない。こちらは三人、分が悪すぎる。
「ジーニアス、どうする!?」
ライナは手元に閃光玉を構えていた。そのあいだにも、無数のモンスターがこちらに接近してくる。その距離はもう十メートルを切った。
「アンナ! もう魔力は練れているか!?」
ジーニアスが声を荒げて振り返ると、半泣きになっているアンナが激しいロックミュージックを聞くバンド会場に相応しいほど激しく頭を上下に振っていた。
「水魔法でシャボン玉みたいなのあっただろう。あれで地底湖に潜るぞ!」
「えっ!?」
ジーニアスの突飛な作戦に、アンナはヘッドバンギングをぴたりと止めた。
もうモンスターとの距離は五メートル。
「ふっ、お前らしい作戦だ。行くぞ!」
ライナが微笑を浮かべて、閃光玉を投げつけた。
一瞬だけ洞窟内が真っ白になるほど輝く。
それを皮切りに、ライナは後方へ高く跳躍する。ジーニアスもすでに緩めていた重い武装を落として、アンナを抱えると後方に飛ぶ。
「ちょっ、待っ……ええいっ!」
*
大きな水しぶきが地底湖から上がり、無数のモンスターは呆気にとられたように立ち竦んだ。
飛び込みによって生じた波が、地底湖を揺らす。その揺らめきが収まるころ、地底湖の遥か下。目に見えぬほど深い部分に、赤い灯が二つ宿った。
次第にそれは明るさを増して、地底湖を朱色に染める。
岩肌の隙間から餌を求めて現れていた無数のモンスターは、その紅を目にした途端、一斉に回れ右をして立ち去った。
*
各々が、体を包み込むほど大きなシャボン玉のような空気の中に漂っていた。
暗かった視界が、すぐに赤く染まっていくのをジーニアスは感じていた。すでに腕から離れていて、遠くにいるアンナも驚いて周りを見渡している。
もしかして、ライナが怪我を負ったのかもしれない、とジーニアスは自分で考えて戦慄した。だが、自分たちよりもずっと前にいるライナを視界に捉えることが出来て、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんとか、なったな……」
ジーニアスは振り返ってアンナを見る。急な指示だったが、何とかギリギリのところで魔法が発動して良かった。瞬発力がなければ、こうも上手くいかなかっただろう。あと一秒でも遅ければ、溺れていたに違いない。
アンナが発動させたこのシャボン玉のような魔法も、水の下位魔法だった。
クローズドベータテストのため全ての属性の下位魔法が使用可能になっているが、ゆくゆくは一つの属性に特化する仕様だという。まだそこまでは実装されていなかった。
従来のオンラインゲームのスキルでは、攻撃魔法は攻撃を与えるのみだったが、このゲーム世界では様々な応用が利く。シャボン玉を出す魔法も、酸素ボンベの役割を持ったものではなく、本来は攻撃魔法だった。
もちろん、魔術師不在のパーティーも組めるため、野営のために着火するためのスキルやアイテムも存在はする。だが、下位の炎魔法を使えるアンナからしたら、無用の長物だった。
深い地底湖を、ただただ前方に向けて泳いでいく。
奥に、微かな明かりが見える。細長い道が伸びているようだった。どこにも出口はないと思われたが、ここが外に通じる唯一の道かもしれない。
ライナが先頭で、吸い込まれるように進んでいく。ジーニアスとアンナも、すぐに後に続いた。
アンナの水魔法は意外にも長くその役割を果たしている。このまま進めば、何とか外に出られそうだとジーニアスはまた希望を抱いた。
「ん?」
不意に、水流を感じる。違和感の正体を掴むべく下方へ視線を向けるが、何も見えない。再び前を向いたとき、ジーニアスの視界がより濃い赤に染まった。
何かの物体が体に当たったが、よく分からない。しかしそのせいで、シャボン玉が少し変形して不安定になる。
蜃気楼のように揺らぎながら、ただ黙々と無駄に酸素を使わないように無心に近い形でジーニアスは泳いだ。
やがて淡い光が差し込んでいる場所に辿り着いた。
「ぷはぁっ!」
ジーニアスが水面に顔を出すと同時に、壊れたシャボン玉の水滴が回りに飛び散った。すぐにアンナも顔を出して、ぜぇぜぇと荒い息をあげながら近くの浜辺に横になった。
ジーニアスも、アンナに続いて浜辺に身を委ねると水面に目を向ける。
「あれ、ライナは?」
湖はのっぺりとしていて、周りを雑木林のようなものが囲んでいた。陽は沈みかかっていて、すぐに夕焼けになりそうだ。
しかしどこを見ても、先導していたはずのライナの姿が見えなかった。
「どうした、アンナ?」
アンナは顔面蒼白だった。ジーニアスが近付いても、視線は一点を見つめたまま動かない。
「ジ、ジーニアス……あなた見ていないの? ライナが、ライナがモンスターに八つ裂きにされていたわ……」
「え……?」
ジーニアスは泳いでいるときに一瞬赤みが増したときのことを思い出した。あの時、体に当たったのは……。
「うそ、だろ……?」
「…………」
アンナはそれ以上何も話さなかった。
空はその悲痛さを再現するように、赤みを帯びていった。
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