第30話 輔星(そえぼし)のアコルル

 デュベル戦が終わった直後、裕真は聖剣を返却するため、城へと向かった。

 全身に鉛のような疲労がのしかかっていたが、それでも後回しにはできなかった。万が一にも国宝を紛失したらと思うと、気が気でないからだ。

 そんな裕真を気遣ってか、アニーが自家製の栄養ドリンクを手渡してくれた。

 彼女の善意に感謝しつつも、一口飲んだ瞬間、思わず顔をしかめた。

 シイタケのダシ汁に砂糖をぶち込んだような味がするのだ。

 味覚は悲鳴を上げていたが、体は妙に軽くなった。おかげで足取りも多少はましになり、裕真はドリンクを片手に城門をくぐった。




【 国主の城 執務室 】



 案内されたのは、城内の奥まった一室――国主の執務室だった。

 部屋にいたのは、エリコ姫と、彼女の護衛らしき騎士一人だけ。話の内容が外に漏れないよう、あえて人を絞っているのだろう。

 その護衛騎士は、姫と同年代と思しき少女で、同じく犬耳を持っていた。

 後に聞いた話では、彼女もまた『犬の大精霊マイラ』と契約しているという。

 彼女の瞳が、鋭くユーマを射抜く。あからさまな警戒の色が込められていた。

 不本意ではあるが、理解はできた。

 裕真は確かにデュベルを倒し、この街を救った。だがそれは逆に言えば、一人で街を滅ぼすこともできるということだ。


 エリコ姫が一つ咳払いし、護衛の少女に下がるよう静かに合図を送る。

少女はそれに従い、音もなく一歩退いた。室内に張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

 裕真は軽く一礼し、口を開いた。


「ありがとうございます、おかげで邪教徒に勝てました」

「いいえ、お礼を言うのはこちらのほうです」


 エリコは静かに首を振った。


「恥ずかしい話ですが、私を含め、貴方以上に聖剣を扱える者がこの国にはいません。もし貴方がいなければ……この街は、蹂躙されていたでしょう」


 言葉の途中で、彼女は申し訳なさそうに眉をひそめた。


「本当なら、このままお貸ししたいところなのですが……家臣たちが、どうにも良い顔をしなくて」

「ま、国宝ですからね〜」


 ユーマは肩をすくめて苦笑した。

 日本で例えるなら、三種の神器を得体の知れない余所者に貸すようなものだ。たとえそれが国主の命令でも、反対されるのは当然だろう。

 聖剣があれば、今後の冒険は格段に楽なのだろうが、仕方ない。


「ですが、貴方様の名がより一層高まり、世界の誰もが認める『勇者』となれば、家臣たちも考えを改めるでしょう!」

(……おっ?)


 ユーマの耳がピクリと動く。

 それはつまり、今後もっと活躍して名を上げれば、聖剣を再び貸してもらえる可能性がある……ということか?



[SideMission:名声を高めて、聖剣を手に入れよう!]



「……それと、もうひとつ」


 姫の声音が少し緊張を帯びる。


「内密のご相談があります。もしかすると、貴方にとっては……不快に感じる話かもしれませんが」

「お? なんですか?」


 ユーマは少し首をかしげながらも、興味深げに身を乗り出した。



 ◇ ◇ ◇



【 ハンターギルド 宿舎 】



 デュベル戦の翌日。

 裕真は、街の外へ避難していた篤志一家を含めたパーティメンバー全員を、ギルド宿舎の広間へ集めた。


「あ~、みなさんに大切なお知らせがあります」


  集まった一同を前に、裕真はどこか言いづらそうに口を開いた。その表情にただならぬ気配を感じ取ったメンバーたちは、思わずざわめき始める。


「昨日の事件、公国は事件の真相を隠すことにしたそうです」


 ざわっ――。

 

 広間に重苦しい空気が流れる。

 裕真は一度咳払いし、気を引き締めるようにして続けた。


「デュベルは自宅で休養中、不意に邪教徒に襲われて犠牲になった。そして俺たちその邪教徒を倒し、彼の仇を取った……という筋書きになるそうだ」

「ええっ!?」


 一斉に驚きの声が上がる。


「これはハンターギルドも承知……というか、ギルドの方から持ち掛けた話だそうだ」


 アニーは腕を組みながら、納得したように頷いた。


「なるほど、Aランクハンターが邪教徒だったなんて、ギルドの信頼ガタ落ちですものね」


 一方で、イリスとラナンの表情は険しくなる。


「でも、あれだけのことをしたデュベルが、罰を受けるどころか犠牲者として弔われるなんて……」

「他の犠牲者が浮かばれないだろ!  いくらなんでも理不尽じゃないか!?」


 イリスは眉をひそめ、ラナンは憤るように声を上げた。


 なお、犠牲者のひとりであるポールさんは、ギルドの迅速な処置により一命を取り留めたという。とはいえ、それがこの事実を受け入れる理由にはならなかった。

 そんな皆の反応を見ながら、裕真は少し落ち着いた口調で言葉を紡いだ。


「真相がバレて困るのはギルドだけじゃない。デュベルは養護院に多額の寄付をしていた……。そこの子供たちまで偏見の目で見られかねない」

「あ……そういうことか……」

 

 ラナンが気まずそうに声を漏らす。

 他のメンバーもハッとした表情を浮かべた。特に、家族を持つ篤志は深く頷いた。


「邪教徒の仲間だと思われたら大変ですよね」


 その一言が場の空気を決定づけた。反論の声はもう、どこからも上がらない。

 皆の理解を得られたことに、裕真はほっと胸をなでおろした。


 ――もっとも、子供たちの件がなくても、裕真はこれ以上デュベルを責めるつもりはなかった。

 あのとき、邪神に涙ながらに謝罪していたデュベルの姿。あれは、演技などではなかったはずだ。

 真に責められるべきは、彼を悪の道へと誘った『邪神ゾド』だ。……いや、それ以前に、幼い彼を追い詰めた人間たちこそが元凶なのかもしれない。

 もし彼を救ったのが邪神ではなく、善良な誰かだったなら。……いや、善人でなくとも、せめて普通の人だったならば、彼の運命は変わっていたのではないか。


 ……そう思っても、口には出せなかった。

 彼の手によって多くの命が奪われ、傷つけられたのは事実だ。被害者たちのことを思えば、この感情は自分だけのものとして、胸の内にそっとしまっておくべきだろうと、裕真は思っていた。

 ……そんな折。


「……デュベルに同情してるの?」


  イリスの問いかけに、裕真は思わずドキリとする。


「え!? いや、そんなことは───」

「別に良いのよ、無理しなくて」


  イリスは、少し寂しげに微笑んだ。


「私もちょっと思うところはあるわ。私を拾ってくれたのがトーリお姉ちゃんじゃなくて、邪神だったらって……」


 その言葉に、裕真は言葉を失った。

 前日の夜、イリスはデュベルの過去について裕真から軽く話を聞かされていた。

 イリスもまた、恵まれているとは言い難い幼少期を過ごしていた。だからこそ、彼女にとってデュベルの話は、決して他人事ではなかったのだ。


「……いや、この話はこれで終わり。気持ちを切り替えて、今後の計画について――」


 プルル… プルル… プルル…


 唐突にスマホが震え出した。

 

「なんだ? 冥王様か? 会議中なのに……」


 眉間にシワを寄せながら、裕真はポケットからスマホを取り出す。

 だが、画面に映ったのは見知らぬ少女の顔だった。


「ああ…… ようやく“ご帰還”なさったのですね!」


 その声と同時に、画面いっぱいに現れた少女の姿に、裕真は思わず目を見張った。

 虹色にきらめく瞳。同じく虹色の、腰どころか地面に届きそうなほど長い髪は、まるで重力の束縛を受けていないかのように、ふわりふわりと宙を漂っている。その姿は現実味がなく、まるで幻想の存在だ。

 身に纏っているのは、身体の線をぴたりとなぞるバレリーナのようなドレス。生地には呪文のような模様が刻まれ、それもまた虹色に淡く光を放っていた。


 虹色、虹色、虹色……。


 幻想的で美しい少女だったが、あまりに過剰な虹色に、裕真は思わず身を引いた。変身したデュベルの姿を思い起こすからだ。あの時の激闘の記憶が、胸の奥で警鐘を鳴らす。

 そんな彼の警戒をよそに、少女は嬉しそうに声を上げた。


「ずっとお待ちしておりました、陛下!」

「!!? 陛下!? 俺が!?」


 次々と押し寄せる情報に、思考が追いつかない。


「あの……お掛けの番号をお間違いでは?」

「いいえ、間違いではございません!」


 ぽかんとした様子で問い返す裕真に、少女ははっきりと首を振った。その拍子に虹色の髪がぶわりと広がる。


「あらかじめ、メールをお送りしたはずですが」


 そう言われ、慌ててスマホを確認すると、本当にメールが届いていた。

 この世界に来てからというもの、スマホの役割は冥王と通信するか、アイテムの耐久力をチェックするくらいだったので、見逃していたのだ。


「ごめん……。気づかなかった」

「お気になさらず。今の陛下が非常にお忙しいのも承知してますから」

「……いや、いやいや! そもそも“陛下”ってなにさ!?」

「貴方様は『アルカディア魔法帝国』の正当なる継承者、第七代魔法皇帝『デウカリオン』陛下、その人なのです!!」

「はあ!?」


 『アルカディア魔法帝国』――通称「魔法帝国」。

 それは以前、アニーから教えられたことがあった。千年以上前、カンヴァス全土を統べていた超巨大魔法国家だと。

 裕真にとっては、邪神討伐とは関係ない過去の話で、記憶の隅に追いやっていたのだが……。


「正確に申しますとデウカリオン陛下の生まれ変わり……転生ですね」


 突拍子もない言葉の数々。だが、逆に冷静さを取り戻す自分がいた。

 裕真は手をひらひらと振りながら否定する。


「いやいや、それはおかしい。俺は地球生まれの地球育ちで、帝国どころかカンヴァス自体と縁が無いぞ?」


 百歩譲って転生が有り得るとしても、普通はその世界の中で生まれ変わるものじゃなかろうか?

 そのデウカリオンとやらの魂が、カンヴァスから地球まで来たなどという話、到底信じがたい。


「転生ってのがどういうものかしらんけど、俺には前世の記憶も魔力も無いぞ? やっぱり人違いでは?」

「いいえ! 人違いではありません!」


 少女はぴしっと腕を伸ばすと、掌に浮かぶ赤い光球を見せた。


「その証拠に『守護七星』が陛下を主と認めています!!」

「……そのシュゴシチセイってなにさ?」

「歴代皇帝が帝国を守るために創り出した、究極の魔術。それが『守護七星』です。文字通り七つ存在し、それぞれが強大な能力を宿しております」


  彼女の言葉に呼応するように、周囲に七つの光球が浮かび上がった。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――虹の七色に輝くそれは、まさに「星」と呼ぶにふさわしい幻想的な輝きを放っていた。

 少女はそれぞれの星について、丁寧に語り始めた。



 赤の星 《貪狼星どんろうせい

  能力:「魔物スキル略奪」


 橙の星 《巨門星こもんせい

  能力:「ダンジョン作成」


 黄の星 《禄存星ろくぞんせい

  能力:「精神共有」


 緑の星 《文曲星ぶんきょくせい

  能力:「物質複製」


 青の星 《廉貞星れんていせい

  能力:「万能鑑定」


 藍の星 《武曲星ぶきょくせい

  能力:「成長限界突破」


 紫の星 《破軍星はぐんせい

  能力:「魔力破壊」



「これら七星は、帝国崩壊の際に邪神ゾドの手に落ちました。

ですが、陛下がその眷属を討伐なさったことで、《貪狼星どんろうせい》を見事奪還なされたのです!」


 彼女の言葉と同時に、六つの星が霧のように消えていく。

 残ったのは、アコルルの掌で淡く赤く輝く《貪狼星》だけだった。

 他の六つは、説明のために一時的に具現化したイメージだったらしい。


「……デュベルが言っていた『魔物の力を奪う能力』って、邪神の力じゃなく、魔法帝国のものだったってこと?」


 裕真が問いかけると、少女は小さく頷いた。

 そして何かに気づいたように、はっと目を見開く。


「……あ、自己紹介が遅れました」


 少女は胸の前で手を重ね、ぺこりと頭を下げる。


「私は七星を管理し、陛下をサポートする為に造られた人工精霊、『輔星そえぼしのアコルル』と申します」

「あ、どうも。よろしくお願いします」


 裕真も思わずぺこりと頭を下げ返した。画面越しとはいえ、丁寧にお辞儀されると無視できない。


「急な話すぎて何が何だか……。順を追って説明してくれない?」

「了解しました」


 ひと呼吸置いて、アコルルが静かに語り始める。


「まず、魔法帝国が邪神に滅ぼされたのはご存知ですよね?」


 裕真は頷く。まぁ聞いた話では邪神だけが原因ではないらしいが、話がややこしくなるので今は置いておく。


「陛下は《守護七星》の力で邪神に対抗しようとしましたが、 帝国内に浸透していた邪教徒によって『星』が奪われ、戦死なされてしまったのです……」


 アコルルはしゅんと肩を落とし、悲しげに視線を伏せた。


「更に悪いことに、邪神は陛下の魂を地球――魔法の存在しない異世界へと追放したのです」

「……地球に? なんでそんなことを?」


 問いかける裕真に、アコルルは神妙な表情で答える。


「陛下が転生して、再び邪神に立ち向かうことを恐れたのです。魔法のない世界なら、記憶を取り戻してもカンヴァスには戻れませんから」


 なるほどとは思うが、まだ釈然としない。


「……それなら、他の犠牲者と同じように魂を食べてしまえばよかったんじゃ?」

「陛下の魂は帝国最強の魔法で守られていますので」

「……ふーん」


 魔法云々の話になると裕真にはサッパリなので、これ以上追求できない。

 と、その時、隣にいたイリスが身を乗り出した。


「私からも質問いい? 裕真が皇帝の生まれ変わりだったとして、冥王様に『勇者』として召喚されたのはなぜ? 知ってて召喚したの? それとも偶然?」


 アコルルは顎に指を当て、少しだけ考え込んだ。


「……冥王の意図は分かりかねます。ですが、仮に何も知らなかったとしても、陛下が選ばれるのは必然だったかと」

「……必然? なんで?」

「地球人八十億の中から『勇者』を選ぶなら、より優秀な人間を選びたいと考えるのが自然でしょう。ですので、陛下が選ばれたのは、極めて妥当な流れかと」

「……はぁ!?」


 裕真が素っ頓狂な声を上げた。自分が八十億の中から選ばれるほど優秀な人間だなんて、とても思えない。


「いやいやいや……。俺、そんなに優秀じゃないから!」

「いやいやいや、ご謙遜を。陛下が優秀であるからこそ、《貪狼星》を奪った逆賊に勝てたのですよ」

「いやいやいや、それは幸運に助けられただけで――」

「いやいやいや、運を引き寄せるのも実力。王の器の証です!」


 アコルルは満面の笑みで断言する。

 その笑顔が、どこか信用ならない。裕真は眉をひそめた。

 思い出すのは、冥王の言葉だ。


 ――万が一、我以外の何者かが通信してきたなら、その者は只者ではない。決して信用するな――


 その時だった。アコルルが急に「およよ…」と泣き崩れた。

 

「ああ……おいたわしや、陛下……。いまだに心が癒えておらず、過去の記憶を思い出せないのですね……」


 目に涙を浮かべたまま、それでも笑顔を浮かべて立ち上がった。


「……あっ! そうだ! 僭越ながら、陛下のご復帰を祝して、ささやかながらプレゼントをご用意いたしました♪ どうかこちらをご覧になって、お心を癒していただければと!」

「プレゼント?」


 そう聞いた瞬間、スマホの画面が突然切り替わった。

 白ひげをたくわえた白人男性が、自然の中で肉を焼いている。

 画面内から流れる声が響いた。


『ここで野菜狂信者のために植物油を少し入れる』


 それは、裕真が地球で何度も見た動画――〇ou〇ubeの料理動画だった。


「こ……これは! 〇ou〇ube!! なんで異世界で見れるんだ!?」

「時空を歪めて地球のインターネットと接続しました!」


 胸を張って誇らしげに言い放つアコルル。


「他にもニ〇動やネ〇フリやア〇プラも見れますよ?」

「おおお! 凄い!  新しいプ〇キュアもやってる! 今年はアイドルなのか!!」


 画面にかじりついて叫ぶ裕真。

 その様子に、同じ地球出身の篤志も興味津々で覗き込む。


「これ、通信料とかどうしてるんですか?」

「それは魔法で」


 ※注意※ 魔法で許可無く視聴するのは犯罪です。真似しないで下さい。


 夢中になる裕真を見て、アコルルが微笑みながら囁く。


「今は難しい話は忘れて、懐かしの地球の娯楽をご堪能下さい。さすれば心も解れて、過去の記憶もお戻りになるやもしれません」



 ◇ ◇ ◇



 【 マイラ市街 デュベルの被害にあった地区 】



 焦げた瓦礫の山、ひび割れた石畳、吹き飛んだ家屋の跡。

 マイラ市街の一角、かつて活気に満ちていた通りは、今や無残な廃墟と化していた。

 エリコ姫は、その惨状を静かに見つめていた。

 顔をフードで隠し、護衛も必要最低限。民の目を避けた、完全なお忍びの視察である。

 その護衛の一人には、シノブの姿もあった。


「人的被害は無かったとはいえ、復旧にはいくら掛かるのやら……」


 焼け焦げた民家を見上げながら、エリコはそっとため息をついた。


「費用の心配はしなくて良いだろ。約束通り、俺が全て出す」


 隣を歩いていたシノブが、即座に応じた。


 彼はその能力チートを活かし、巨万の富を築いている。

 その資産は、この国を丸ごと買えるほどである。


「申し訳ありません。貴方には貴重な助言をしてもらったのに、金銭面まで負担させて……」

「気にするな。俺のチートはそのためにあるだろ。お礼は『時の神』にいってくれ」


 涼しい顔で膨大な資金を投じる彼の姿に、エリコは胸を打たれた。

 その心意気が嬉しくて、だからこそ残念に思えてしまう。


「それにしても、歯がゆいです……貴方もこの街を救った英雄なのに、皆に明かせないなんて……」

「それは仕方無いだろ……。邪神側に俺の予知能力がバレたらアウトだ。“奴ら”が全力で殺しに来る」


 その言葉と共に、シノブの表情に陰が差す。


「“奴ら”の手は長く、執念深い……。最初のうちは逃げられても、いずれ疲れ果てて予知能力も使えなくなり、捕まって惨殺されるだろ……。これは仮定の話じゃないぞ。バレた場合、確実に起こる未来だ」


 実際、今回の事件も、本気を出せば犠牲ゼロでの解決が可能だった。

 だが、あまりに都合よく事が進めば、“未来が見えている”と敵に気づかれてしまう。

 その危険を避けるため、あえて手を抜かざるを得なかった。

 助けられるはずだったマークやエドワードたちを、見殺しにしたのだ。

 その事実がシノブの胸に重くのしかかる。


「そこまで恐ろしいのですか……邪教徒達は」


 震える声でつぶやくエリコ。彼女の表情が、ほんの一瞬、蒼白に染まる。


「ゾドを崇拝する邪教団には七人の幹部がいる。ゾドから《守護七星》を与えられた七人で、デュベルもその一人だ」


 シノブは両手で七本の指を立て、そしてそのうちの一本を静かに折りたたむ。


「その中でデュベルが“一番倒しやすい相手”だったと言えば、奴らの厄介さが分かるか?」


 エリコは言葉を失った。

 体長五十メートル、魔物のスキルを自在に操る化け物よりも手強い存在が、あと六人もいる――。

 そう思っただけで、背筋に冷たいものが走った。


「あんな恐ろしい人が、あと六人も……私達は勝てるのでしょうか?」


 小さく問いかける声。桜色の犬耳が震えているのが、はっきりとわかった。

 シノブは、しまったと思った。少し怖がらせすぎた。


シノブ「……ああ、心配しなくていいだろ!  他の『勇者』と協力していけばな!!」


  声のトーンを切り替え、できる限り明るく言い添える。


「こちらは七人、向こうは六人。数の上では有利になっただろ♪」


 エリコがほっとしたように微笑んだ。

 その表情を見て、シノブの胸が痛む。


 ……それは、嘘だからだ。


 彼はその予知能力と財産を駆使し、すでに他の勇者の動向を把握していた。


 『炎の勇者』は、リタイア。

 『風の勇者』は、敵幹部との交戦で命を落とした。

 『光の勇者』と『大地の勇者』は、敵に捕えられた。

 『水の勇者』は……邪神側に寝返った。


 今現在、自由に動ける『勇者』はシノブと裕真、たった二人だけ……。

 更に言うなら、自分の能力は直接の戦闘には不向きだ。

 未来を読むことで戦略的優位には立てるが、デュベルのような規格外の怪物を直接倒せる力はない。

 なので、邪神と手下の『星』持ちを倒すのは、裕真に任せるしかないのだ。


(でもそんなこと、お姫様には言えないだろ……)


 シノブは心の中で、そっと頭を抱えた。


(すまない、ユーマさん……。 貴方が最後の希望だ!)



 ◇ ◇ ◇



 一方その頃……。 最後の希望は――



「ちょっとユーマ! どうしたの!? やけに顔色悪いけど!?」


 アコルルが来訪した翌日。心配そうな声が広間に響く。イリスが目を見開き、裕真の顔を覗き込んだ。


「いやー……。久しぶりのインターネッツが楽しすぎて……一晩中見ちゃった……」


 虚ろな目で呟く裕真。目の下には深いクマができ、どこか魂が抜けたような表情をしている。


 地球にいた頃、裕真にとってインターネットは空気のような存在だった。暇さえあればスマホを手に取り、数時間ごとにチェックするのが当たり前。だがこの異世界では、当然そんな環境は存在せず、無いなら仕方ないと割り切っていたのだが――。

 それが昨夜、接続が叶ってしまったのだ。数十日分の欲求が爆発し、裕真は端末に齧りついて夜を明かしてしまった。


 そのとき、スマホの画面から明るい声が響く。アコルルである。


「おはようございます、陛下! お楽しみ頂けたようですね♪ ところでどうでしょう?  過去の記憶はお戻りになりましたか?」


 裕真は首を傾げ、眉を寄せた。


「……え? いや、別に。やっぱ俺は違うんじゃないかな?」

「左様ですか……」


 アコルルはふっと表情を曇らせ、思案するように目を伏せた。


「もしかしたら本当に私の勘違いなのかも知れません……」


 そう言って、彼女はスマホのカメラの前から離れ、画面の向こうで背を向けた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした……。これから私は他を当たってみます。それではお元気で」


 そして彼女は、画面の外へと姿を消しかける――。


「え!? どっか行っちゃうの!?」


 裕真は、思わず声を張り上げた。


「ええ、陛下を探さないといけませんから」

「アコルルちゃんがいなくなったら、インターネッツはどうなるのさ!?」

「当然、繋がりませんが?」


 その言葉が、裕真の脳に雷のように突き刺さった。



 ――瞬間、ユーマの脳内に溢れる、存在しない記憶!



「……あっ! もしかしたら俺、皇帝だったかもしれない! ハッキリ思い出せないけど、そんな気がしてきた!!」


「え?」「え?」「え?」


  周囲から一斉に困惑の声が上がる。


「まあ! 誠に御座いますか、陛下! おめでとうございます♪」


 アコルルの声が喜びに満ちる。画面の中で、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 裕真は引きつった笑顔を浮かべながら、「ハハハ…」と乾いた笑いをこぼした。


「ユーマ……お前ってやつは……」


 ラナンが深いため息をつき、ぽつりと呟く。その一言に、皆の気持ちが集約されていた。


 ――許して欲しい。 現代っ子の裕真が、インターネッツの誘惑に抗えるはずもなかったのだ。


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