ep.017 学園のエミル、回りだす運命

「ふんふんふふふ~~ん♪」


鼻歌といっしょに、ぴょこぴょこと揺れる赤毛のあたま。


あの赤毛は、お日さまの匂いと、ちょっとだけお花のような香りがするのを僕は知っている。


白いワンピースがとても似合っていると思う。



僕が奏でるオカリナの音色に合わせて、マリーが鼻歌を口ずさむ。


リンゴの木々たちが、リズムに合わせるようにそよいでいる。


風も木々も、まわりの全てが演者になったみたいだ。

本物の演奏会も、こんな感じなのかな。



僕たちは、マリーのお父さんと一緒にリンゴの収穫の最中だったけど、こっそり二人で休憩中だ。


リンゴ畑の隅にある、丸太置き場がいつも僕らの演奏会場だった。


「エミルは本当にすごいねぇ」


頭を揺らしながらそんな事を言う。



「ううん、教えてくれた師匠せんせいがすごいんだよ」


「そんなことないよ、ちゃんと勉強したエミルがすごいんだから」


はしばみ色の瞳がこちらに向けられる。


そんなに真っ直ぐ見られると、ちょっと恥ずかしい。

でも、何だか誇らしい気分にもなる。



「お、サボり魔どもみっけ」



「レイン様!」



マリーの瞳と表情が、嬉しそうに師匠ーーレイン様に向けられる。


ちょっとだけ寂しいのは何でだろう。

マリーが師匠と話せるようになって嬉しかったはずなのに。



「やぁマリー。今日もかわいい髪型じゃの」


「えへへ、お姉ちゃんに結ってもらったんです」

「レイン様、今日もお美しいですね!」



師匠も丸太に腰掛けながら、マリーの頭を優しく撫でる。


僕が言えないことを、あっさり言えてしまう師匠が羨ましい。

こちらから表情は見えないが、嬉しそうなマリーの笑い声が届く。


それにしても……


マリーのお姉さんくらいの歳に見えるのに、お年寄りみたいな口調で話すのが師匠の変なところだ。


「ふたりとも仕事の途中じゃろ?」

「親父さん、探してたぞー?」



マリーのお父さんは、僕にもすごく優しくしてくれる。

だけど、怒るととても怖い。


リンゴ畑の片隅で開演していた演奏会は、今日はここでお終いにしないといけなさそうだ。


「うーん、レイン様にも分からない場所を見つけないとね、エミル」


いたずらっぽく笑い顔を向けてくるマリー。

師匠に見つからない場所は、難しいんじゃないかな……


「親父さんにバラさないだけマシじゃろーに……」



ぱんぱん、と手をたたく師匠。


「ほれ、あともう少しじゃろ」

「エミル、終わったら修行の再開じゃからな」



師匠はそう言って丸太から立ち上がる。

そのままリンゴの木々に紛れると、ふっとその姿が消えた。


あとには、宙を舞う木の葉だけが残る。


師匠はいつも、そうやって突然いなくなるからびっくりする。



「しょうがない、続きをやろっか」

「エミルはそっちをお願いね」


「わかったよ」


木製のハシゴを持って、収穫を待つリンゴの木に向かう。


ぐ~~っとお腹が鳴る。


そこでようやく、お腹が減ってることに気付いた。

マリーのお母さんとお姉さんが作る、ハチミツがけのリンゴタルトが食べたくなる。


リンゴタルトを焼いた日は、いつも僕を食卓に呼んでくれる。


この時期の楽しみのひとつだ。

本当は師匠も一緒に食べられるといいんだけど。


そんな事を考えながら、リンゴの木に梯子を立てかけていると。



突然、背後から、妙に湿り気を帯びた、生暖かい風が駆け抜けていく。



とたん、首筋がぞくっとする。


嫌な予感がする。



背中から指先まで、ビリビリとした感覚が走る。


鼻がツンとする、生ぬるい臭いが辺りを漂う。



振り返りたくない。


無かったことに、できたら良かったのに。



頭では否定しても、身体は勝手に後ろを振り返る。




「イリア……イリアァァァァーーーー!!」




そこには、“血溜まり”に倒れるマリーのお姉さんと。


その“亡骸”にすがりつくマリーのお父さんの姿があった。



「ひいいっっ!!??」



目を背けたくても、背けることができない。


足も、腕も、頭も、目も、すべて動かせない。



逃げられない。



逃れては、いけない。



「なんでもっと、強くならなかったの?」



ふいに聞こえる声。

すぐ隣からだ。



僕はこれに応えなければならない。


首をゆっくりと向ける。



こちらを真っ直ぐに見つめるマリーがいた。

ナイフを握りしめて。


――純白だったワンピースを朱色に染めて。



「オカリナじゃあ、戦えないのに――」



マリーの背後に広がる昏い深淵の中、なにかが蠢く気配がある。


闇からそろりと伸びてくる禍々しい鉤爪。



その爪が大きく振り上げられた次の瞬間。


ためらいなく、マリーに振り下ろされる――




「マリィィィーーーーー!!!」






「ごめんなさい!!!」

「ごめんって!!」



えっ?



次の瞬間、転がり落ちるような鈍い物音。


どすんどすんどすん! と衝撃が伝わってくる。



「あー! うるせえな、おめーら!!」



耳に飛び込んでくる情報量に、一気に意識が覚醒する。


ああ、またやってしまった……

また、例の夢を見てしまったようだ。


最近はなかったのに。


毛布をキツく握りしめていた手を離す。


「ご、ごめんよハイム」


僕は二段ベッドの上にいるハイムに声をかける。


カーテンの隙間から淡い光が差し込み、部屋の中をほんのりと照らす。

部屋の両脇に二段ベットが置かれ、とても広いとは言えない空間。


ここはいま、僕がお世話になっている学園寮の一室だ。

時刻は夜明け直後だろうか。



マリーはここにはいない。



「いたた……何が起こったのォ?」


二段ベッドの真下で呻く影。

おそらくこれはクラリオだ。


「いつものエミルの発作だよ……」

「それでお前の方は、何の夢を見てたんだ?」


ハイムが二段ベッドの上から降りてくる。




小柄な体を起こしながら、ポリポリと金色の頭を掻くクラリオ。


「寮のキッチンにでっかいケーキがあったからつい……」

「あともう一欠片食べていい?」


「それ夢の中だからな?」


ハイムの冷静な突っ込みが入る。


クラリオは本当に食べるのが好きだな……

この小さな身体のどこに入るんだろう?



ハイムは部屋を見回すと。


「それで、ベッドの上で土下座したまま寝てるやつは?」


「ソフィーちゃん待ってよ、ミランダとはたまたまカフェで会ってさぁ」


「こいつはこいつで修羅場ってんな」


ベッドの上でうずくまる黒髪の大男サリオン。

どうやらまだ夢の中らしい。



「ったく。目が冴えちまったよ……」


ハイムの悪態が聞こえる。

その灰色の髪の毛をガリガリと掻く。


口は悪いけど、なんだかんだでみんなを気にかける、優しい同級生だ。


みんなには迷惑をかけてしまったけど。

このやかましさのお陰で、夢を引きずらずに済みそうだった。



僕も一段目のベッドから降りて、カーテンを開ける。


空はまだ、ようやく白みがかってきた、って感じだけど。

今日はよく晴れそうだ。


「朝練もしたいし、僕は食堂に行こうと思うけど」


体を伸ばして、いやな緊張をほどく。


「騒動の張本人のくせにマイペースだな、おい」

「まーいいや、俺も一緒にいかせろ」


ハイムも釣られたように、身体を伸ばす。


「あ、僕もいく!」


クラリオがしゅばっと手を上げる。

結局いつものように、みんなで行くことになりそうだ。



「サリオンはどうするよ?」


「んー、楽しそうだからそのままにしてあげたら?」



あれは楽しそうって言うのかな。

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