第3話 オタク語りでごめんなさい

「七瀬センセーは、あのスタジオの専属?」

「いえ、フリーランスです。今はあそこでたくさんクラスを持たせてもらってますけど、所属してる協会からお声がかかれば、どこにでも教えに行きますよ。オンラインでレッスンも配信してますし、会社員じゃないから営業努力が欠かせません」


「オンラインで配信? それは知らなかった。へえ、ライブクラスもやってるんですか、本当にヨガ漬けなんですね。こんなにレッスンたくさんやって疲れません?」

「全然! 今のところ水曜日と日曜日はスタジオクラスをお休みにしてるんですけど、どうせ他の先生のクラスを受講してますから、できれば毎日でも開催したいですね。仕事しながら心身ともに整うんですから、こんなにいい仕事は他にないです」


 本当は宗吾にこそ一番応援してもらいたいのだが、彼の言うとおり、自分のことばかりで宗吾のことを後回しにしてしまっている自覚はあった。

 正直サティヤの実践と考えると、宗吾との結婚には心の中でブレーキがかかっているのだが、なんとかそれは避けて、お互いに寄り添い合えれば……。

 でも、この考えも七瀬の押し付けだ。彼から時間を盗んでいることになっている気がする。


「本当にヨガが好きなんですね。七瀬センセーのクラスが人気なのもわかります。早朝クラスなのに、うっかりしてると予約が取れないこともあって、キャンセル待ちに回ることもよくあるんですよ」

「申し訳ありません。でも、ありがたいことです――!」


 そう言って合掌して頭を下げると、陣がくすくす笑う。


「七瀬センセーはまだお若いですよね。いつからヨガを?」

「高校生のときです。子供の頃からずっとダンスをやっていましたが、怪我が増えてきて。ヨガは、ダンスができないときにストレッチがてら取り入れたんですけど、教えてくださった先生にすっかり魅了されちゃいました」


 大学で運動科学を学ぶ傍ら、ヨガスタジオに通ってインストラクターコースで資格を取得し、卒業して間もなく、学生時代のアルバイトで貯めた資金でインドに渡り、二十日間みっちりヨガ修行をしてきた。


「えっ、インド!?」


 その話をしたら、陣は本気で驚いていた。


「ヒマラヤ山脈の麓にあるリシケシというところは、ヨガの聖地と言われていて、修行のための道場アシュラムがいくつもあるんです。そこで一ヶ月間みっちり修行をして、国際的なインストラクター認定資格を取りました」

「インド……危なくないですか?」

「リシケシは治安のいいところですし、日本からのツアーがあるので、不安はなかったです。たくさんの仲間と一緒に過ごしましたし、とてもいい経験でしたよ。いずれ、また行くつもりです」


 そのつもりでコツコツと貯金をしているが、宗吾はいい顔をしないだろうな……と思うと、ため息をつきたくなった。


「はあ――そんな本格的な……。尊敬に値します」

「そんなこと。私は好きなことしかしてないので。陣さんはこの辺りにお勤めなんですか?」

「ええ、しがないサラリーマンですよ。七瀬センセーみたいに、自分のやりたいことを貫く人を尊敬します。まあ、サラリーマンもおもしろくはありますけどね。今はいろんな業務を経験させてもらってる最中なので、とくに」

「私も教えることが好きだから続けているだけで、尊敬されるようなことはしていません。サラリーマンは立派なお仕事ですし、与えられた仕事におもしろさを見つけられるのは、すばらしいことじゃないですか?」


 陣が自分のことを話してくれるのがうれしくて、思わず前のめりになって言ったら、彼は目を丸くして笑った。


「まあ、半分は親の七光りみたいなものですが」

「親御さんの跡を継がれて? 親が築いてきたお仕事を継承するのも、『子供だから』とかんたんにできることではないと思います。陣さんの努力と才能があったからこそ、今の場所があるんです。それに、その事業を自分なりにさらに発展させるチャンスでもありますよね。それって、すてきなことです」

「そう全面的に肯定されると、ちょっと照れ臭いな……」


 実際に照れ臭そうに笑う陣を見ていると、ちょっと前までささくれ立っていた心が和んでいく気がした。


「ニヤマには満足サントーシャという教えもあります。現在の状況や環境に対して満足し、感謝の気持ちを持つことなんです」


 それは、自分に対して言い聞かせている言葉だ。でも、陣はそれを真摯な表情で受け止めてくれた。


「いろいろ勉強になります。七瀬センセーがいつも笑顔の理由がわかりますね」


 口先だけで言っているわけでなく、陣はちゃんと七瀬の言葉を噛み締めてくれているのがわかる。こんなの、うれしくならないわけがない。

 ヨガの話はそれきり終わらせ、他愛もない日常会話をしたが、おかげで宗吾に怒られ、立ち去られたモヤモヤも吹き飛んだ。


 料理もおいしかったし、コーヒーが好きな七瀬に、陣がアイリッシュコーヒーという温かいコーヒーのカクテルを教えてくれて、それも新しい発見で楽しかった。


「あ、いけない。もうこんな時間。明日のレッスンがあるので、私はそろそろ帰りますね。陣さん、今日はお話できてとても楽しかったです。お料理もすごくおいしくて。ありがとうございました」


 そう言って伝票を手に取ろうとしたら、陣が先にそれを取り上げてしまった。


「僕が払っておきますよ」

「そんなわけには! 彼の分もありますし、私が――」


 宗吾が飲んだビールの代金も含まれているので、さすがに厚意に甘えることはできない。


「今日は七瀬センセーからいいお話をたくさん聞けたので、講義代です。仕事へのモチベ―ションも上がったので、その分の還元と思ってくだされば」


 頑として伝票を手渡してくれそうになかったので、七瀬が折れた。


「では、今日はお言葉に甘えさせていただきます。本当に申し訳ありません。ごちそうになります」

「またいつか、機会があったら一緒に飲みましょう」

「ぜひ! そのときは私にごちそうさせてください。では、また火曜日に!」


 そう言って、笑顔で手を振って別れる。

 陣が来てくれなかったら、どんな気持ちで帰途を辿っていたことだろう。

 宗吾のことを考えると心が重たくなってしまいそうだが、なるべくふたりが快適に過ごせる道をみつけられるよう、沈んだ顔をするのはやめよう。

 そう思えるくらいには前向きな気分になれた。

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