そのモラハラ彼氏、いらないでしょ? ~君を略奪するって決めたから

朝霧なる

第1話 ラブラブ同棲中……だったはずなのに?

『レッスン終わったら、青山一丁目にあるカフェバーまで来て。久々に一緒に外食でもしよう』

 恋人である朝倉宗吾あさくらそうごからSNSにメッセージが入っているのを七瀬が見つけたのは、二十時三十分。メッセージには、店舗の場所を示した地図も添付されていた。

 宗吾とは恵比寿のマンションで同棲しているのだが、生活時間帯が微妙にズレていることもあって、家の中で顔を合わせる時間が極端に少ない。久々のこの誘いに七瀬は頬を緩めた。

 外で会えば、マンネリ感もすこしは払拭されるかもしれない。

 鈴村七瀬すずむらななせは、都内を中心に全国展開しているヨガスタジオ『シャンティ』をメインに、ヨガ講師をしている二十五歳だ。

 スタジオでの主な受け持ちはここ南青山、渋谷や新宿界隈で、時には横浜方面や地方のスタジオでワークショップを開催したりもしている。

 その他、所属協会から依頼があれば派遣講師として企業やサークル、病院などへ赴く単発仕事も引き受けている。

 今ちょうど、南青山スタジオで受け持つ自分のクラスが終わったので、帰宅しようとスタジオの入っているビルを出たところに彼からの連絡が来た。

『今から行きます、ちょっとだけ待っててね』

 そう返信して南青山のスタジオを出ると、呼び出されたお店まで早足で急いだ。件のお店までは歩いて十五分くらいだ。

 十一月も半分を過ぎたというのに、コートを着るにはまだ暑いという気温だし、レッスンを終えたばかりなので体はぽかぽかしている。

 早足でお店に向かえば、着く頃には汗ばんでいるだろう。

 指定されたお店は色味の落ち着いたシックな外観のカフェバーで、『Vintage Voltage』という看板が掲げられていた。

 ガラス張りなので、外から店内の様子がよく見える。

 初めて来た場所だし、バーにはあまり入ったことがないので、中に入るのに躊躇いがあったが、テーブル席にいたスーツ姿の宗吾がこちらに手を振っているのが見えたので、ほっとしてお店に入った。

 レトロなインテリアが配置された店内にはジャズが静かに流れ、十席ほどのカウンター席の他、ゆったりしたテーブル席が十ほど、奥に個室がいくつかある。半分以上の席が埋まっていたが、静かなものだ。

「いらっしゃいませ」

 席に案内しようと声をかけてきたウェイターに待ち合わせであることを告げ、宗吾に手を振った。

 宗吾は壁際のテーブルにいて、高級そうな革張りソファに腰を下ろしてグラスビールを飲んでいる。

「お待たせ!」

 外で宗吾の顔を見るのは久しぶりだが、清潔感のあるスパイキーショートヘアにビジネス用のツイストパーマは、顔立ちの整った宗吾によく似合っていた。

 シンプルだがおしゃれな眼鏡もピタリとハマっていて、仕立てのいいスーツは一切の皺もなくビシッと決まっている。いかにもデキる男だ。

「宗吾さん、今日は早く終わったの?」

 上着を脱ぎながら笑いかけると、宗吾は眼鏡の奥で目を細め、ため息をつきつつ言った。

「ここ何日も七瀬の顔を見てないと思って、早く切り上げたんだ」

「わざわざ時間作ってくれてありがとうね」

 荷物をソファに置くと、それを見た宗吾が眉をひそめる。

「また君は、そんな大荷物で……」

 レッスン帰りなので、七瀬の大きめのリュックにはヨガウェアの替えが二着、タオルや水筒が入っている。ヨガの聖典とも言える『バガヴァッド・ギーター』の文庫本も鞄にいつも忍ばせていた。それとは別に、円筒状に丸めたヨガマットも担いでいる。

「あ、ビールをお願いします」

 ウェイターにドリンクの注文をすると、渋い顔をしている宗吾はますます渋い顔をした。

「おしゃれな店を見つけたから、わざわざ七瀬のために選んだのに、そんなラフな格好で大荷物。すこしみっともないよ」

「あっ、もしかしてドレスコードのあるお店だった? あらかじめわかってたらちゃんと準備してきたんだけど、レッスン後だったから。ごめんなさい」

「そうやって、すぐ言い訳するのは七瀬の悪い癖だよ。そのエスニックのだぼだぼ服、俺はあまり好きじゃないんだ。服装も根本から見直した方がいい」

 付き合い始めた当初は、この服装をかわいいと褒めてくれたのだが、最近は宗吾の好みが変わったのかもしれない。

 宗吾の後ろの席のカップルが、彼の発言を聞いてすこしびっくり――いや、ドン引きしているのが七瀬からはよく見えた。

「うん、気を付けるね。そうしたら今度、一緒にお買い物に行かない? 宗吾さんの好きな服も知りたいから」

「なんで俺が――」

 そのとき、ウェイターがビールを運んできたので、七瀬は思わず彼に確認してしまった。

「すみません。私、お店のドレスコードに違反してますか? でしたら申し訳ないです」

「いえ、ドレスコードは設けてないです。お召し物、とても素敵ですよ」

 よく躾けられたウェイターの青年がリップサービスをしてくれたので、七瀬は安堵してお礼を言い、話を切り替えた。

「注文いいですか? 宗吾さんこれ見て、トリュフフライドポテトだって、おいしそう! このフライドポテトと……宗吾さんは何にする?」

 メニューを眺めながら、不穏な方向に流れて行きそうな会話を強引に打ち止めにする。

「いや、俺はいい。七瀬を見てたら、食欲がなくなった」

 ウェイターもこの物言いに驚いていたが、和ませるように七瀬はいくつか注文をすませて、ウェイターをこの凍りついた空気から解放してやった。

「仕事帰りだから許してほしいの。大荷物も、商売道具だから」

 あえて軽い口調で茶化すように言ったが、腕を組んだ宗吾は首を横に振った。

「普段から気を付ければ済むことだろ? その仕事も、考えた方がいい。フリーターなのにヨガに全振りしてて、このところ家事が疎かになってる。コマ数が多すぎるんじゃないか? 朝も早くから夜遅くまで、家のことを放ったらかしにしてまでする仕事じゃないだろう?」

「宗吾さん、フリーターじゃなくてフリーランスだよ」

 くすくす笑いながら訂正したが、宗吾は乗ってくれなかった。

 ヨガ講師である七瀬は、日中のクラスをメインにレッスンをしているが、火曜と木曜は出勤前のサラリーマンのための早朝クラスも受け持っている。

 早朝にスタジオへ赴かない日も、オンラインクラスを開催していたり、自分自身がレッスンを受けたりすることもあるので、生活は完全に朝型だ。

 就寝二十二時前後、午前四時起床、レッスンの準備に二人分の朝食準備、宗吾のお弁当を作り、洗濯物を干してバタバタと忙しない毎日を送っている。

 一報、宗吾は青山に本社があるIT関連企業に勤めている。新しいプロジェクトのマネージャーに抜擢されたとかで、毎日のように駆け回っているが、宗吾の会社はフレックスタイムを採用しているので、夜が遅い代わりに朝はのんびりだ。

 同棲を初めてもう二年半になり、このルーティーンが固定化されてしまっているので、何日も宗吾の寝顔しか見ていない日が続いていた。

 このすれ違い生活が、宗吾にとって不満の種なのはわかっている。

 でも、ヨガインストラクターとして軌道に乗り始めたところだし、今は仕事が楽しくて仕方がないのだ。

 クラスのコマ数が増えたということは、講師として人気が出てきた証拠だとも言えるし、ヨガはいくつになっても続けられるから、ライフワークにするつもりで専念している。

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