五月三日 十五時十五分

十五時十五分


「私が見てくる」と、忙しい店主に代わり、扉から一番近い席に座っていた冬葉が、外の様子を伺いに行く。


自分の頭が通るくらいの隙間を開け、

扉から顔を覗かせた。


視界の情報を得ると同時に、特徴的な甘い香りが鼻腔をくすぐる。


そこには、狼狽するスーツ姿の女性と、胸を押さえて蹲る男性がいた。


冬葉は扉を閉め、店内の方を向くと、鼻から息を吸いお腹一杯に空気を溜め、勢いをつけて声を張り上げる。



「アカボシ!この中にアカボシいたら手を貸して!」



店内は水を打った様にしんとした。


秋は慌てて冬葉に駆け寄る。


「どうしたの」


冬葉は秋の手首を掴み「見ればわかる」と言った。


すると、椅子をひく音が聞こえる。

冬葉と秋は、その音がする方へ視線をやった。


男性が二人、こちらを向いて立っていた。

あの女の子の父だか兄だかの男性と、秋にデカいと言った男である。


そして父だか兄だかで無い方が言う。


「俺ら該当者!因みに俺が春で、こっちが夏生くん」


続いて夏生が尋ねる。


「外では何が」


「恐らく、ストロベリー」


「貴女は信じてもいい人?」


「えっ? えっと…

     信じて貰わないと困ります」


夏生はカウンターにいる店主に向かって言う。


「ここに居るお客を一歩も表に出さないようお願いします」


「あっあぁ、わかった」


「あと、扉への接近も禁止して下さい。2メートル以上は離れて」


「おっおぅ」


夏生の指をギュッと握る小さな手は、少し汗ばんでいた。


夏生は女の子の目線まで屈み、微笑む。


「父さんも春も大丈夫だから。ほら、芽生。父さんの目を見て、嘘をついている様に見える?」


芽生は首を振った。


頭を撫でると、腰を上げる。

そして、お盆を小脇に抱えている若い女性を手招きした。


「すみません、ウチの子お願いします」


小刻みに頷き、「はい」と答えた。


「じゃぁ行ってくるね」と夏生が言うと、芽衣は握った手を緩める。


すれ違いざまに、春も芽生の頭を撫でた。


芽生の視線の先には、大きな背中が三つ。

冬葉を先頭に男三人は後ろで横一列に並ぶ。


夏生は右横に立つ秋にこう言った。


「色っぽいですよね、山居聡美」



十五時十七分


一曲歌い終え、観客のいるホールへ降り、ひとテーブル毎に挨拶をしていく。


「本日はお越し頂き、有難う御座います」


レンズは友良の顔を映しているが、当日流れる映像のそれはモザイクと化している。


出演条件の一つ、顔は絶対に映すな。


スカートの裾を直しながら、次のテーブルへ向かった。

下尻を気にする友良は、笑顔で握手をしながらこんな事を思う。


全身モザイクに変更効くかな。


愛想を振り撒こうと、扉近くのテーブルに向きを変えた時だ。


扉のノブがガチャガチャと音を立て、二十代位の男性が息を切らして入ってきた。


扉横に立つ黒服は、男性の入室を制止する。


男性は只事ではない表情で何かを訴えていた。


友良は挨拶する筈だった観客へ、申し訳無さそうにお辞儀をすると、男性のもとへ歩み寄った。


「どうされました?」


男性の足先が友良に向く。その際、擦れる着衣から甘い香りがした。


男性が纏うには甘ったるい香水である。

だがそれは、遠い記憶に嗅いだことのある香りであった。


香りの記憶を辿る。


「あの、外で-」と、男性が口を開いた瞬間、甘ったるい香りの正体がハッキリとわかった。


ひろみママの此方へ駆け寄る姿が視界に入ると、友良は咄嗟に、強い口調で制止する。


「アンタはこっちに来ないで!」


ひろみママの足は急ブレーキをかけた。


会場が騒つき始める。


「来るなってどう言うことよ、何が起きてるの?」


友良は観客に向かって言った。


「今から私の指示に従って下さい」


この一言で、観客の視線は友良に注がれる。

友良は続けた。


「まず、ご自身の座っている席から動かないで下さい。トイレに行く場合はひろみママに一声かけてから行ってください。

次に、扉には絶対に近づかないでください。そうだな…、扉から最も近い、このテーブルを超えたらアウトです」


ひろみママは観客を代弁し、結果を急かす。


「だから何が起きてるの?」


友良はフゥッと息を吐き、答えた。


「恐らく外で、ストロベリーガスが撒かれた」


観客は一斉にスマートフォンを立ち上げる。


黒服は既にアウトな場所にいるため、友良にこう尋ねた。


「オレ、どうなっちゃいますか」


友良は、黒服の爪先から頭の天辺を見てこう答える。


「死んでないじゃん。大丈夫」


黒服は安堵の表情を浮かべる。


友良はひろみママに向かって言った。


「ねぇ、拡声器持ってきて」


ひろみママは舞台袖から拡声器を持って来る。アウトラインギリギリのところで立ち止まり、下投げで拡声器を友良に渡した。


「友良、行く気なのね」


「この通り死んで無いしね」


「外に出たらわからないじゃない」


友良は呆れ顔で答える。


「アカボシは免疫がついてる。少しはニュースでも観たら?」


扉を閉め、階段の先を見上げる。


差し込む日差しが届かない地下に、このショーパブ“CROW”は、息をしている。


地上から聞こえて来るのは、言語が理解出来なくてもわかるほどの、嗚咽と悲鳴だ。


スカートの裾と肌の境目辺りを確かめる様に触る。


全身モザイクの件、やっぱり後で交渉しよう。

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