第2話

 鼻歌を歌いながら学校から家までの道をしばらく歩いていると、頭上から花びらが舞い降りてきた。ふと見上げると、よくある公園の中で、1本の桜の木が満開に花を咲かせている。

 朝に通った時も思ったが、ここの桜は本当に綺麗だ。思わず足を止め、公園の中に入った。


(ちょっと見ていこう……)


 近くにあったベンチに座り、春の象徴を眺める。今日はとてもいい天気で暖かい。正にお花見日和だ。

 毎年見ている筈なのだが、こうやって近くで桜を見るのは初めてかもしれない。


(飲み物でも買ってゆっくり見ようかな……?)


 コンビニまで行って、本格的にここでお花見をしようかと思っていると、意外な人物がこちらに向かってきていた。

 一瞬見間違えかと思ったが、あの綺麗な容姿を見間違えるはずはない。

 彼は公園のベンチに座っている私に気が付き、笑顔を向けながら、声をかけてくれた。


「やあ」


 クールな見た目通り、低くて耳触りの良い声をしている。


「時雨くん……」


 思わず名前を口に出してしまった。まだ名乗られてもいないのに、変だと思われないだろうか。

 そんな不安とは裏腹に、彼は明るく話し出す。


「名前知っててくれたんだ。えっと……美琴だよね?」


「え?う、うん。知ってるの……?」


「うん。見かけない名前だなって思って、クラス発表の時に覚えたんだ」


 予想外のことに私の方が驚いてしまった。もしかすると学年全員の名前を覚えているのかもしれない。


「す、すごい。でも嬉しいなぁ」


「ふふっ。美琴はここで何をしていたの?」


「桜見てたんだ。綺麗だからお花見しようかなって」


「いいね。俺も隣座っていい?」


「え、う、うん。いいよ?」


 そう言うと、時雨くんは私の隣に座り、思い出したかのようにバッグから缶のブラックコーヒーを取り出した。


「これで良かったらいる?」


「え、いいの?」


「うん。というか貰ってくれると嬉しいな。人に貰ったんだけど、俺苦いものダメなんだよね」


(可愛いなぁ……)


 なんて言えるはずもなく、平静を装いながら受け取る。ちょうど飲み物が欲しかったところだ。


「そっかぁ、じゃあ遠慮なく貰うね。ありがとう!」


「うん」


 小さく頷いた時雨くんは、再びバッグの中からミルクティーを取りだし、ペットボトルの蓋を開けた。


「甘いものが好きなの?」


「実はそうなんだ」


 恥ずかしそうに笑う時雨くんを見て、今度こそ「か、可愛い……」と口に出ていた。


「……?可愛い……?」


 困惑気味に見つめられ、やってしまったと後悔した。


「な、なんでもない。忘れて……?」


「……それって俺が子供っぽいってこと?」


 怒らせてしまっただろうか。時雨くんは少しムッとしている。


「ち、違うよ??そう言いたかったんじゃなくて、好みとか苦手なものが可愛いなって。……あれ、これフォローになってない??ええっと……」


 モゴモゴと慌てていると、時雨くんはふっと笑った。


「ふっ……冗談だよ。面白いね、美琴は」


(あ……)


 今の笑い方を見て違和感の正体が少しわかったような気がする。天使のような笑顔のせいで気が付かなかったが、先程までのはどこか嘘っぽかった。

 教室の時も、ここで偶然会った時も、相手のために作った笑顔を向けていた気がする。

 だが、今の微かな笑顔は本当っぽい。


「もう、びっくりしたよ」


「ふふふっ、ごめんね?」


(あぁ、戻っちゃった)


 どうしてそう思うのかと聞かれると困る上に確証もないが、彼を見ていると胸がざわめく。一体どこまでが本当で、どこまでが嘘なのだろうか。


「……時雨くん」


「ん?どうしたの?」


 なにか聞こうと思ったが、まだお互いに詳しく知らない段階で持ち出すにはあまりに唐突すぎる気がしたため、出しかけた話題を引っこめた。


「こ、コーヒーもらうね!いただきます!」


「うん、どうぞ」


 プルタブを押し開け、ゴクッと中に入った液体を喉に流し込んだ。苦味と酸味が口の中に広がる。


「砂糖もミルクも入ってないのに、よく飲めるね」


「うん、結構好きだよ」


「大人だなぁ」


 時雨くんはそう言って桜を見上げた。イケメンと桜、とても映える光景だ。


(写真撮りたい……)


 そんな欲望を必死に抑えながら、口を開く。


「綺麗だよね。毎年のことなのに、ついじーっと見ちゃう」


「……そうだね」


 返事をしながらも、どこかボーッと桜を見ている時雨くんと同じように、改めて桜を見上げた。

 彼が何を考えているのかは分からないが、不思議と黙っていても気まずくはない。彼も同じ気持ちだと良いのだが。


「……」


 時雨くんはまだ黙って桜を見ている。少なくとも不快に思ってはいなさそうだ。


(良かった)


 近くで見られる良い機会なため、桜から目を逸らし、時雨くんの姿をじーっと見つめる。

 長いまつ毛に大きな瞳。背は私より10cmほど高く、男子にしては小柄な方で、体型もスラッとしている。


(女装とか似合いそう……)


 男の子の制服ももちろんとても似合っているのだが、髪を伸ばして女の子の制服を着ても似合うのではないだろうか。

 他にも、ボブカットでゴスロリのワンピースを着た時雨くんや、久遠さんのようなロングストレートで、綺麗な着物を着た時雨くんを想像する。


(うーん……破壊力がすごい)


 自分で想像をしておきながら、勝手に敗北感を味わう。時雨くんは女の子でも男の子でも天使だろう。

 そんな失礼なことを考えながら眺めていると、視線に気づいた時雨くんがニコッと笑顔を作り、首を傾げた。


「……ん?」


 計算かもしれないと分かっていても、その仕草と表情はずるい。


「あ、ごめんね。思わずじっと見ちゃって。……あっ」


 見惚れていたせいか、また余計な言葉が口から出てしまう。

 すると、時雨くんは天使のような笑みから、小悪魔のような笑みに変貌した。


「ふふっ、桜じゃなくて俺の事見ていたんだ。面白い発見でもあった?」


「お、面白い発見というか、想像というか……」


「へぇ……どんな?」


 意地の悪い笑みにドキドキしながらも、必死に首を横に振る。


「そ、それはちょっと。邪すぎて言えないと言いますか……」


「そう言われると、余計気になるな。一体俺でどんな想像をしていたの?」


 時雨くんは小悪魔のような笑みを浮かべたまま、どこか少し楽しそうに詰め寄る。ドSなのだろうか。

 話したくはないが、話さないと許してくれなさそうなため、恐る恐る口を開く。


「……女装似合いそうだなって」


「え?女装?」


「はい……フリフリのワンピースとか……」


「ふっ……」


私の発言を聞いた時雨くんは、可笑しそうに肩を震わせている。どうやら怒ってはいなさそうだ。


「へ、変な想像してごめんなさい……」


「ううん。いや、思ってたより変な想像ではあったけど……。ふふっ……正直に言う人初めてかも。あと実際には着ないよ?」


「そ、そっか」


 少し残念だ。

 そう思っているのが表情に出ているのか、時雨くんはクスクスと笑う。


「そ、そんなに面白いかなぁ?」


「ふふっ……ごめんね。でも全部顔とか言葉に出るんだなって……」


「そ、それは……」


 確かにそうかもしれない。幼い時から嘘をつくのが苦手で、何を考えているのかすぐ分かるとよく言われてきた。


「でも何考えてるか分からないより良いと思う。そっちの方が付き合いやすいだろうし、それに、ふっ……面白いし」


「ま、また笑った……」


 なんとなく癪だが、時雨くんが楽しそうにしているため、良しとしよう。人が笑ってくれるのなら、それが一番だ。


「……ふぅ。そろそろ帰ろっか?」


 そう言われて公園に設置してある時計を見た。気づけば時雨くんと会ってから1時間以上経っている。楽しい時間はあっという間だ。


「うん、そうだね」


「美琴は家どこなの?」


「あそこだよ」


 少し離れたところに見えている、10階建てのアパートを指さす。

 すると時雨くんは驚いたように目を丸くし、聞き返した。


「え、あれだよね?茶色のアパート」


「……?そうだよ?」


「俺もあそこなんだけど……」


「うっそぉ!?」


 それは驚くわけだ。実際、私も今日1番の声が出るほど驚いた。


「すごい偶然だね。じゃあ一緒に帰ろっか」


「うん!」


 時雨くんからそう言われて頷く。

 また態度に出ていたのか、彼は微かに笑う。


「美琴っていつ引っ越してきたの?ずっとあそこに住んでいたわけじゃないよね?」


「うん、先週引っ越してきたんだ」


「家族と?」


「ううん、一人だよ」


「へぇ、俺も一人暮らしなんだ。一緒だね」


 人のことは言えないが、高校生で一人暮らしは珍しいのではないだろうか。もしかすると、時雨くんにもなにかしらの事情があるのかもしれない。


(色々あるよねぇ……)


 私も一人暮らしを選んだ詳しい理由は話したくないため、時雨くんにも聞かないことにした。


「ご飯とかどうしてるの?」


「私は料理好きだから、自分で作ってるよ」


「すごいね。俺は料理しないから適当に買ったもの食べているよ」


「……そうなんだ」


 一瞬、今度料理でも作って持っていこうかと思ったが、さすがにそれは重すぎる。

 そうしても違和感のないほどに仲良くなれれば、機会もあるのかもしれないが。


 2人で公園から歩いて数分。目的のアパートにつき、エレベーターに乗り込んだ。

 私は7階、時雨くんは5階のボタンを点灯させる。


「7階なんだ。景色良さそうでいいな」


「うん。窓から学校が見えるし、夜は夜景が綺麗だよ」


「いいね」


 他愛もない話をしているうちに、あっという間に5階へ着いてしまった。


「じゃあね、今日は楽しかった。ありがとう」


 ニコッとした表情を向けられる。本当かどうかは分からないが、そんなのは些細なことなのかもしれない。私も楽しかったのだから。


「私の方こそ、たくさん話せて楽しかった!またね!」


「うん、また明日」


 エレベーターの扉が閉まり、沈黙が訪れる。

 今日1日で久遠さんだけではなく、時雨くんとも仲良くなれたことが、とてつもなく嬉しい。


「えへへ……」


 今までに感じたことの無い喜びを胸に、7階の右奥にある自室に鍵を挿し込んだ。


 ドアを開いた目の前に玄関が広がり、短い廊下の先にリビングが見える。

 部屋という部屋はここしかなく、ベッドやクローゼットだけではなく、テレビやテーブルなどもこの部屋に置いていた。右奥の壁には収納スペースもついている。

 リビングの奥にはキッチン。その隣のドアは洗面所兼、脱衣場。そしてユニットバスルームという構造になっている。1人で暮らすには充分な広さだ。


「ふぅ……」


 やっと慣れてきた自分だけの家に安心し、ベッドに座って一息ついた。少し不安だった学校生活も予想外な程に楽しく、ここに来てよかったと心の底から思う。


 ふとバッグの中から、ずっと見ていなかったスマホを取り出す。どうせなら、久遠さんや時雨くんの連絡先を教えてもらえば良かったと後悔した。


(まあ、明日とかでもいっか)


 画面をつけると、そこには先週から海外で仕事をしている、お父さんからのメッセージが入っていた。


『今日は入学式だね。体調は大丈夫かい?』


 表情が見えずとも、心配しているのが目に見えてわかる。


『大丈夫だよ。友達になってくれた子もいるし、同じアパートに仲良くなれそうな子もいるよ』


 そう送ると、向こうは夜中なはずなのに、すぐ既読がつき、返信が飛んできた。


『そうか。頼れそうな子が近くにいてくれて良かった。何かあったら無理しないで、誰かに頼るんだよ?』


(もう、大丈夫だってば……)


 お父さんの気持ちはとても嬉しい。

 だがもう、かつての弱い私では無い。というより、かつての私を消すためにここに来たのだ。その話はやめてほしい。


『ありがとう。とっても元気だから心配しないで。お父さんもお仕事頑張ってね』


 そう返信してスマホの画面を消した。

 暗い過去を思い出さないように、今日のことを考える。

 久遠さんは人見知りで恥ずかしがり屋さんだが、心優しい可愛い子だ。

 時雨くんは嘘っぽいことが多いミステリアスな子だが、話してて楽しい。どちらも素敵な子だ。


「ふふっ……」


 思わず笑みがこぼれる。これからたくさん知って、もっと仲良くなっていける期待が、私に生きているという感覚をもたらしてくれた。

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