第7話【カンニバルベア】
俺は件の森の前に立っていた。この人喰い熊が多数巣くう森でモモシリ草たる薬草を5キロ集めなければならない。
5キロがどのぐらいか分からないから、大体の目分量で良いだろう。たぶんこの籠いっぱいに薬草を詰めていけば問題ないはずだ。
俺が振り返ると草原の高台にウンコ座りで俺を見送る三人の野盗の姿があった。
あんなところで見張っているって事は、俺の事が心配でならないのだろうか?
プリティーな俺に恋でもしちゃったのかな?
否、そんな訳は無いだろう。自惚れ過ぎである。
たぶん俺が無事に薬草を採取して人喰い熊が巣くう森から帰ってこれたら、森を出たところで俺を襲って薬草を横取りしようといった魂胆なのかも知れない。実にズルい。流石野盗だ。ケツ毛に火をつけてやりたい。
「これは油断していると帰り道で間違いなく襲われるぞ。薬草取りが終わったら夜まで待って、暗くなってから森を出よう……」
そう考えながら俺は歩みを森の中に進めた。全裸で藪を掻き分けて森に入って行く。
「いてて……」
細かい枯れ木の枝が身体に引っかかる。流石に全裸で森の中を進むのは拷問だった。出来るだけ草木の生えていないところを探して森の奥に進む。
枯枝でチ◯コを引っ掛けたら大惨事だ。それだけは要注意である。
「さて、モモシリ草ってどれだよ?」
俺はボロ籠の中から依頼書の紙を取り出して広げてみた。その依頼書には親切な事にもモモシリ草のスケッチが描かれていた。
どうやらモモシリ草とはタンポポに似た雑草らしい。ギザギザの葉っぱが特徴らしく暖かい季節になると黄色い花を咲かせて心を和ませてくれるようだ。
――ってか、見た目タンポポその物じゃあねえか。
「ならば、タンポポを探そう。それで問題なかろう」
俺はタンポポ似の薬草を探して森の中を歩き回った。幸運な事にカンニバルベアとは出合わないで済んでいた。もしも人食い熊に出合ってしまったら一巻の終わりである。だから祈るしかないのだ。
「それにしてもモモシリ草ってなかなか見つからないな。そんなにレアな植物なのかな。まあ、珍しい植物だから採取依頼なんて有るんだろうけれどさ」
それから俺は三十分ぐらい森の中を徘徊したがモモシリ草を見つける事が出来なかった。いくら探索しても件の薬草を一本も見つけられないでいたのだ。
「もしかして、森の入り口側は、別の冒険者とかに取り尽くされているのかな……」
可能性は高い。何せここは人食いが巣くう森だ。誰だって出来るだけ森の奥には入りたがらないはず。だから別の人だって入り口側で採取作業に励みたいはずである。
だとするならば、5キロもの薬草を採取するには、まだ人が踏み行っていない森の奥に進まなければ成らないのではないだろうか。
「それは、怖い……。出来るだけ森の奥には入りたくないな〜……」
しかし、甘味処のように甘ったるい事は言ってもいられない。俺はこの仕事を熟して銭を稼がなければならないのだ。そうしなければ、いつまで経っても全裸を継続しなければならない。
今は真夏のようだから良いが、いずれ月日が経てば冬がやって来る。雪だって積もるかも知れない。そうなったら全裸では耐えられないだろう。真冬の極寒の中で全裸は流石に地獄だ。マジで凍死してまう。
「よし、覚悟を決めて奥に進むぞ!」
俺は大声で叫ぶと両手で両頬を叩いて気合いを入れた。パチンっと音が森に響く。
「そうだ、唄うか!」
テレビで見た事がある。熊って奴は大きな音に警戒するらしい。大きな音を立てていれば逃げていってくれるとも聞いた。ならばと俺は歌を唄いながら森を進む事にした。
「ちゃ〜ら〜、へっちゃら〜。な〜に〜が起きて〜も気分は〜、へ〜のへ〜のかっ〜ぱ〜!」
だが、俺の美しいソングを無視して人食い熊が現れてしまう。
それは、唐突だった。いきなり前方の藪が激しく揺れたかと思うと巨漢がひょっこりと姿を現す。
ひょっこり熊と遭遇――。
藪の向こうに巨漢のカンニバルベアが一匹後ろ足だけで立ち上がりながら現れた。登場早々に威嚇のポーズである。鼻の頭に深い皺を寄せながら鋭い牙も剥いていた。
「二足歩行も出来るのね〜……」
「ぐるるるるるる〜」
立ち上がった体長は2メートルは超えていた。体重は有に300キロは超えているだろう。
大きな頭はソフトモヒカン。瞳は真っ赤に血走っている。涎を垂らした口元からはサーベルタイガーのように長い牙が二本伸び出ていた。
全身が針金のように太い灰色の体毛に覆われている。その下に分厚い脂肪。更にその下に引き締まった筋肉が脂肪を持ち上げていた。胸板は大胸筋が割れてはっきりと形が見れる程に逞しい。
そして、振り上げた両腕が異様に大きく太い。手のサイズは団扇ほどの大きさである。鉤爪のサイズは俺の頭ならば一掻きで粉砕出来そうなぐらい鋭利だった。
「がるるるる〜〜」
「やぁ〜べぇ〜。遭遇しちゃったよ……」
カンニバルベアは既に威嚇の体勢。俺を見つけて襲う気満々である。たぶん謝っても許してもらえそうな状況ではない。かと言って戦って勝てる相手でも無いだろう。
でも、念のために謝ってみた。
「ご、ごめんなさい……」
「がるるるる〜〜!」
当然ながら俺の謙虚な謝罪は受入れてもらえなかった。カンニバルベアの眼差しは血走ったままである。お腹が空いているのか涎をダラダラと垂らしていた。
「ああ、死んだな……」
そう俺が呟いた刹那にカンニバルベアが飛び掛かってきた。その巨体からは信じられないほどの瞬発力で数メートルあった俺との間合いを一気に詰めて来る。
気が付いた時には俺の眼前にカンニバルベアは立っていた。凛々しく聳え立つ巨漢の影に俺は埋もれている。
「がぁぁああおおおおん!」
「ひぃーーーーー!!」
猛る人食い熊が俺に覆い被さるように伸し掛かってくる。それに対して俺は何もできなかった。
ビビって動けない。躱せない。防げもしない。逃げも打てない。反撃なんて考えもつかない。万事休すである。
「ひぃぃいいいいい!!」
鋭い両手の爪が俺の肩に突き刺さろうとしている刹那に、熊の顔面が俺の頭に噛みつこうと大口を開けて迫っていた。このままでは本当に食われてしまう。
その瞬間である。時間の流れが遅くなった。
まるでスローモーション。時間がゆっくりと流れ始める。
これが走馬灯たる瞬間だろうか?
人は死が迫った瞬間に走馬灯を見るかのように時間がゆっくりと流れ始めると聞いた事がある。それって現実だったんだ、と俺は噛み付かれる瞬間に考えていた。
ゆっくりと進む時間。
ゆっくりと迫る熊の牙と爪。
ゆっくりと迫る死の瞬間。
それが、何故か、止まった。
「止まった……?」
襲い掛かってきた熊の動きが止まる。
熊だけではない。俺の動きも止まっていた。
「っ……」
止まっているのではない。動けない。体が硬直して動かない。体の自由を奪われたかのように動けなかった。
熊も同じようである。大きな口を開いたまま固まっている。
音も止まっていた。動く視線だけで周囲を見てみればすべてが止まっていた。草も、枝も、雲も、音も、空気の流れも、すべてが止まっていた。
それは時間停止のようだった。
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