残間雪乃
小虎さんは宿舎の建物に取り付けられたカードリーダーにカードをかざして、玄関の扉を開けた。どうやら、全ての建物の入館にはカードがいるらしい。
「すまないけど、カードは梨子の分は無いんだ。一応そんなことは無いだろうが、梨子がスパイって可能性もあるからね」
「こんな鈍臭いスパイいませんよ」
「とりあえず、建物を出る時は、誰かと一緒に出るようにしなよ。そうでないと、カードの無い梨子は、建物の中に入れないことからね。この寒い中、外に放置は凍死するだろう?」
「そうですね。毎日、雪の上に寝っ転がってトレーニングしていたら別ですけどね」
私達は建物の中に入ると、目の前に襖があり、その横に廊下が伸びていた。右の廊下の奥には温泉のような暖簾がかかっていて、左の奥には階段があった。
「二階が梨子たちの泊まる部屋だね。もしかしたら、冷子は研究所で夜を明かすかもしれないから、二階の客間は梨子の一人部屋かもね」
「ここには他の人も泊まっているんですか?」
「ああ、さっきの武者さんと女優の残間さんが一階に部屋を構えているよ」
「どうする? 他にもAIの説明があることにはあるんだが、一度ここで止めにして、懇親会まで自分の部屋で待っているかい?」
「そうですね。滞在は今日だけじゃないので、一旦ここで休憩しようかな。さっきの武者さんみたいな疲れる人に、今日はいっぱい会ったので」
「この村の連中に常人は一人とていないからな。……じゃあ、私は研究室に戻って、進まない研究を少しでも進めるとするよ」
「頑張ってくださいね」
「一応、ディックはここで待たせておくよ。何かあったら、ディックに申し付けてくれ」
「分かりました」
小虎さんはそう言って、玄関から出ようとした。しかし、その途中で立ち止まる。
「……部屋で寝るにしても、その眼鏡外しておけよ。結構高いからな」
「もちろんです」
私はこの言葉が無ければ、そのまま気付かないまま、部屋のベットに眠り込んでいたかもしれない。
私は二階の客間のベットで眠っていた。二階の部屋の前に冷子のスーツケースが置いてあったから、部屋はすぐに分かった。部屋は畳の敷かれた和室で、もう既に布団が二つ引かれていた。私は冷子がどちらを選ぶかなど気にせず、手前の布団に飛び込んだ(もちろん、スマートグラスは外して)。
そこから記憶が途切れていたのだが、首と腹部が苦しくなった。腹部にかかる重量は少しずつ軽くなるが、首にかかる重量は段々と重くなる。
まるで、誰かが馬乗りになって、首を絞めているような……。
私は即座に目を覚ますと、目の前にはニコニコとほほ笑む女性の顔が映っていた。なぜか見覚えのある目鼻立ちが整った美しい顔、その顔を囲むように垂れ下がっているロングの黒髪、色白の素肌。
「ざん……ま……」
「……お目覚めかな?」
彼女は私の首に置いた両手を離し、私の腹部にまたがることを止めた。私は急に広がった気道に対応することができずに、ゲホゲホと咳きこんだ。
「君は首絞められたら、結構顔が赤くなりやすいタイプだね。血流がいいのかな? 君の行動として、抵抗はしなかったね。私の手を剥がそうとするなり、私の体をどかすなりとあらゆる抵抗があったはずなのにね。おそらく混乱が先走っちゃったのかな?
混乱は八秒ほどで、混乱から解放された後にした行動は、犯人の名前を呼ぶこと。頭に浮かんだことを言っただけね。きっと本気で殺しに来てないとでも思っているのかな?
生命を守る意識が欠落しているし、本能的な反応がかなりノロマよ。これじゃあ、生命の宿る人間としては最低の演技力ね」
「人間を演じているつもりはないので……ゲホッ……人間として生きているので」
「う~ん。確かに、平和ボケした現代人を演じる上では、このくらい間抜けな行動が正しいのかしら?」
「ええ、そうですね。普通の人間は寝込みを襲って、初対面の首を絞めるような狂人の存在は想定しないと思いますよ……ゲホッ」
「なるほどね、参考になったわ。私の周りでは、私に首を絞められた経験を持つ人間ばかりだから、新鮮な反応が見られて嬉しいよ」
ニコニコとほほ笑む彼女は、
「やはり、人間の生命観は退化してきているわね」
「はあ……」
残間さんから行動の謝罪はもらえ無さそうだ。
「人は眼鏡を発明し、人は目が悪くなった。人は車を発明し、人は足腰が弱体化した。
これをダーウィンの進化論と同じ論法で説明すると、人は眼鏡を発明したから、目が悪い人が淘汰されなくなった。よって、目の悪い人でも生き残りやすい社会になり、目の悪い人がはびこるようになった。
人は車を発明したから、移動手段に足を使わなくてもよくなった。だから、人の足は弱体化して、歩くための身体機能全般が弱くなった。
このように、人は人をどんどん駄目にしているよね。
もちろん、この村で研究中のAIもそうよ。少なくとも、コンピューターの出現で、人間の頭は悪くなった。だって、計算や筆記の必要が無くなったからね。
AIの出現ではどうなるのかな?
計算や筆記どころか、思考力やあらゆるものを人間から盗られるわけだね。だから、人間の全てが悪くなるってことじゃない?
人間の悪化は、あなたのような生命への鈍臭い人間を見て、よ~く分かったわ」
「それは良かったですね」
「……で、君の名前は?」
「人殺しに教える名前はないですよ」
「いいね。学習できるじゃない」
「人間なんで」
「だけど、先ほどディックから名前は聞いてあるわ。甘利梨子さん」
「……」
「即座の対応には弱いが、状況の把握は得意そうだね。君は銃弾飛び交う戦場にでも赴くと、演技力が多少良くなると思うわ」
「……で、私に何か用ですか?」
「懇親会の時間だよ」
残間さんはそう言い残して、私の部屋から出て行った。
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