妖狐の嫁入り
弱男三世
プロローグ
かつて魑魅魍魎が跋扈していた時代があった。
狐狸が化かし、鬼が人を攫い、大入道が山を覆い尽くす。河童は川を陣取り、天狗は空を駆け、猫又は野原を我が物顔で闊歩していた。
されどそんな妖怪変化も時代の流れには逆らえない。平安の時に最盛期を迎えた妖怪達は、名立たる陰陽師達とシノギを争ったのを最後に、歴史の影へと追いやられる。
更には追い打ちをかけるように自然環境の減少、それに伴う種族間での縄張り争いも激化し、やがて妖怪達はその数を減らしていった。
そして時は現代。
かような存在はすっかりフィクションの住人。『家にぬらりひょんが住み着いてる』などと言おうものなら、即刻精神科の受診を勧められるであろう社会。
が、それでも妖怪達は滅びたわけではない。彼等、彼女達はその数を減らしつつも、息を潜めてヒッソリと今を生き延びている。
今から語る物語も――そんな妖怪達の一篇である。
「…………」
一匹、或いは一人の乙女が一軒家の前に立っている。
立地にゆとりがあって、隣家との広い距離感が何処となく西洋風を思わせる。さりとて辺鄙と言うほどでもなく、駅からも商店街からも付かず離れずに位置しており、生活に必要な物には困らない。長閑さと利便性を両立している一帯は、最近になって入居者が増えていると聞く。
そんな『白透町』の一角だ。
乙女――マコトは手鏡を取り出し、自分の佇まいを確かめる。
そこに映っているのは二十そこそこの若い娘の姿。肌は白く、長い髪は黄金色で、垂れ気味な目尻は柔らかい。華奢な身体を覆っているのはフリルのついたワンピースで、人形のような清楚さと高貴さを醸し出している。
――髪型よし。衣服よし。表情よし。
彼女は心の中で指差し呼称を終えると、すっと息を挟み、それからインターフォンに手を伸ばす。
「おはようございます」
鳴らしてから十数秒。
玄関の扉を開いた家主に向かって、彼女はスカートの裾を摘み、ペコリと頭を下げる。
「八尾さん、おはようございます」
すかさず家主――音無雪人も頭を下げ返す。今年四十になるという中年の男は、自宅でありながらもビジネススーツを着ていて、小皺の浮かぶ目元に黒縁の眼鏡を重ねている。
短く切り揃えた頭髪も、ほのかに漂うウッディのトワレも、落ちつき払った口調も、何もかもが清潔さを意識したもので、まるで規則が服を着て歩いているかのようだ。
そんな男に向かって
「新妻がお世話に参りましたわ」
と、悪戯っぽく笑って見せた。
「えぇと……」
すると雪人は困ったように、曖昧に返す。
それもそうだろう。音無雪人と八尾マコトは夫婦でもなければ、婚約関係でもない。先日の婚活パーティで知り合って以降、マコトが半ば強引に押し掛けているだけであり、交際と言っていいのかさえあやふやなものだ。
そんな反応に対してマコトは――面倒くさい男やのう。とっとと絆されろや。ほんまにアレがついとんのかコイツは? などと、わりかし酷いことを思っている。
「八尾さん? どうしましたか?」
「――あぁ! いえいえいえ!!」
一瞬、自分が不機嫌ヅラになっていたことに気付いたマコトは、慌てて何でもないように取り繕う。
それと同時に臀部にも違和感。スカートの下からアピールしようとする尻尾を、後ろに回した手で押さえつける。
「八尾さん、本当に大丈夫ですか?」
「おほっ、おほほほほほ! 何でもありませんわ!」
「なんだか汗がびっしょりですが」
「ちょ、ちょっと暑かったもので! もうすっかり春ですものね!!」
言いつつ、マコトは心の中で活を入れる。
おりゃ! ふりゃ! ほいやっと念じて、自分の尻尾を消した。
「あの、八尾さん?」
が、それでも雪人の様子を変わらない。
怪訝そうにマコトの顔色……というか頭を見つめていた。
「それなんですか? なんか頭から変なものが――」
「コンッ!!」
頭隠して尻隠さずならぬ、尻尾隠して耳を隠さず。
尖った耳が出てしまっていることに気付いたマコトは、それをシュッと引っ込める。
「えっ、消えた?」
「なんのことでしょうか雪人さん?」
「いや、なんだかさっき、八尾さんの頭から犬のような耳が……?」
「気のせいではありませんか? きっと陽炎にでも化かされたのでしょう」
と、マコトは無理くりな言い訳をゴリ押す。
あと――誰が犬やねん。犬っころとうちを一緒にすんなや。いてまうぞボケと、心の奥底で悪態を吐き散らしながら。
「そ、それよりも雪人さん」
かようなドス声の一方で、現実の彼女は高いトーンで語り掛ける。
手に持った買い物の袋を掲げ、もう一度笑顔を形作っては、
「新妻がお世話に参りましたわ」
と、仕切り直すかのように言った。
そう――これは現代を生きる妖怪達の一篇。
八尾九山が生まれの八尾マコトは、人を謀る妖狐であったのだ。
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