第31話 神殿での目覚め

「あら……? ここは……どこかしら?」


 目を開けると、わたくしの視界を包むのは白く静かな天井。


 淡い水色のカーテンからこぼれる淡い光が、小さな部屋全体にやわらかな明るさを与えている。


 背中に当たる固い寝具の感触に、これが夢ではないことが分かる。


 ゆっくりと身を起こすと、じんわりと全身に疲労が広がっているのを感じた。


 確かわたくしは……。

 頭の奥に残る、どす黒い記憶を思い出そうとする。


 そうだわ。学園でゾンビが大量発生し、それを何とか抑えようと奔走していたのだわ。


 パトリック様の助けを借りながら聖水や《浄化の炎》を駆使して、多くの生徒を人間に戻すことに成功した。


 けれど、原因となったアンジェリカを取り逃がし、やっとの思いで神殿までたどり着いたものの……記憶がそこまでしかない。


「ということは、ここは……」


 わたくしは静かに周囲を見回す。


 壁には神殿特有の荘厳な紋章が彫り込まれ、天井には淡いパステル調の装飾が施されている。


 シーツの手触りはそれほど上質とは言えなくても清潔で、漂う空気には神殿で作られている香を焚いたような清浄さが、薄っすらと含まれている。


 ここはもしかして……神殿の、貴賓室か何かだろうか。


 そんな推測が頭をよぎった瞬間、扉の向こうから足音が近づく気配を感じた。


「お目覚めになりましたか?」


 スーッと開いた扉から入ってきたのは、ローブ姿の女性神官だった。

 落ち着いた表情の中に、少しだけ安堵の色が見え隠れしている。


 きっとわたくしは限界まで魔力を使い果たして倒れ、彼女に介抱されていたのだろう。


「あなたは、神殿の方……ですよね?」


 わたくしが尋ねると、女性神官はにっこりと頷いた。やはり神殿の人だ。


 彼女はベッドに寄り、わたくしの手首に触れて脈を確かめるような仕草をする。


「ええ、神官のメラニーと申します。あなたが運ばれてきた時には、魔力がほとんど尽きてしまっている状態でしたが、夜通し眠られていたおかげで、体力がいくらか戻っているようですね」


 メラニーと名乗る神官はそう言いながら、わたくしの額に軽く手を当てた。

 熱があるかどうかを確かめているのだろう。


 彼女の柔らかい手の温もりを感じながら、わたくしはようやく、昨日のことが夢ではなかったのだと納得する。


「そう……昨日のゾンビ騒ぎは夢ではなかったのですね。倒れたまま、ご迷惑をおかけしました」

「お嬢様の活躍はお聞きしましたわ。ゆっくりお休みになれて良かったです」


 メラニーの慈悲深いまなざしは、いかにも神殿の聖職者らしい落ち着きを感じさせる。


 学園での惨状からここへ避難してきた時、本当にわたくしは限界だったのだろう。手先や足先にまだ少し痺れた感覚が残っているし、頭も重い。


 ああ、そうだわ。

 あれからパトリック様は大丈夫だったのかしら。アラン殿下は、タイラーやトーマスたちは……。


 気を失う寸前の記憶が断片的に蘇ってきて、頭が急にくらくらする。

 額に手を当てて目をつぶり、めまいに耐える。


 慌てたメラニーが、急いでわたくしの体を支えた。


「落ち着いてください。まだ万全ではありませんから」

「すみません。でも……大事なことを確かめないと。パトリック様は、パトリック様は無事なのでしょうか?」


 口から出たのは真っ先に、彼の安否を問う言葉だった。

 自分でも意外なくらい、パトリック様が無事かどうかが気になって仕方がない。


 あれほどの惨状の中をアラン殿下とトーマスを抱えていたのだ。


 もしかしたら自分で気がついていないだけで、怪我をしているのではないだろうか。

 わたくしのように、魔力が枯渇して倒れていないだろうか。


 わたくしの言葉を聞いたメラニーは、何か言いたげな表情になった。

 けれど、あえてわたくしの問いに答えず、扉のほうへ目配せをした。


「あちらをご覧になっては?」


 わたくしは首を傾げながら扉のほうを見る。


 すると、薄く開いた扉の向こうに誰かの姿が見えた。それも壁際でうとうとしているようだ。


 黒髪が静かに垂れ、背筋は伸びていながらも瞼が重そうに見える。

 パトリック様に間違いない。


 うっかり声をかけてしまいそうになるが、目をつぶっているので、遠慮してしまう。


「扉の前で、一晩中ずっと待機していたのですよ。あなたが倒れたことで、万が一、何者かがここに忍び込んで害を及ぼさないとも限らないと言って。あれだけ騒動が起こると恨みを持つ者もいないとは限りませんからね」


 メラニーが状況を教えてくれる。

 それを聞いて、わたくしの胸がぎゅっと締まる。


 昨日からあんなに大変だったのに、パトリック様はずっとわたくしを守るためにここで過ごしてくれたのだろうか。


 もちろん普通に考えれば騎士が扉の前で見張るのは役割とはいえ、どうしてこの貴賓室にそれほどの価値があると思ってくれたのか。


 わたくしの存在をそんなにも大事に感じてくれたのかと思うと、心が温かくなる反面、戸惑いを覚える。


「あ、あの……あまり騒いだら悪いですよね、起こしてしまいますわ」


 わたくしは声をひそめてメラニーに話しかけた。

 それでもやはり気になって仕方がない。


 パトリック様が無事ならいい。けれど、彼の姿をきちんと確認したいという思いが募る。


 メラニーは微笑を浮かべると、意地悪な仕草もなく穏やかに答えてくれた。


「確かにお疲れでしょうけれど、そろそろ起き出す頃かと。少し声をかけても大丈夫ですよ。私も別室にいる神官を呼んできますので」

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