真昼の月~りんこにあったちょっと怖い話☆べつばら~

更科りんこ

第1話 月夜の惨劇

 春 花のきのさかりの山辺やまべには、風吹き渡りてあとなく散りゆくがごとく

 秋 まどかなる月のの美空には、雲わき出でてさやけき光を覆うがごとく

 ことに世はつねならず 人の命も今日ありて明日あすは知れずとはいながら……




 ひどく寒い夜だった。

 吐く息は白く、手はかじかみ、大気に触れる肌がぴりぴりと引きつるように張りつめている。


 おまけに今夜は雲が多い。

 街灯もまばらな細い路地裏、月明かりだけが頼りだというのに、厚い雲に覆われ、たびたび視界を奪われた。


 さすがにこんな深夜ともなれば、空気は凍てつき、制服の他にはマフラーにスクールコートを羽織はおっただけの、こんな格好では寒さをしのぎきれない。


 露出した両の太ももが意図せずにかたかたと震えていた。

 それでもスカート丈はひざの上。いくら寒さに震えようと、そのあたり断固だんことしてゆずれない。乙女の矜持きょうじというやつだ。



 ―――ぴちゃり。


 足もとで感じた水音に、はっと我に返る。

 雨など降っていないのに、どこもかしこも水たまりだらけだ。


 嫌だな、靴が汚れてしまう。


 そう思ったけれど、すぐに思いなおしてかぶりを振った。

 そんなの、とっくに汚れてしまっている。


 靴も、制服も、いつもスキンケアを欠かしていない太ももや腕、ほっぺただって、すでに汚れてしまっている。


「ねえ、お巡りさん、この辺りで、どこかお風呂に入れるところはないかしら」


 声を出すのは何だか久しぶりだった。

 だからだろうか、路地裏に反響するその声は、まるで他人の声のようで、ひどく現実味に欠いている。


「ねえ、お巡りさん……」


 返事がないので、どうしたのかと気になって、ふと思い出した。


「ああ、そうか」


 つぶやく。


ふたつになってちゃそんな風じゃ、おしゃべりできないわよね」


 月にかかっていた雲がきれ、光が差し込む。


 月明かりに照らされて浮かび上がったのは、冷たいアスファルトに転がる、かつて警察官だったもの。

 まだ若い、正義感にあふれたようなその顔は、ひどく驚いたような表情のまま固まって、見開かれた瞳はすでに何もうつしてはいない。


 それも仕方がない事だった。彼の頭のすぐそばに、きれいに切断された下半身が横たわっているのだから。


「かわいそうに。きっとあなたにも夢があったのでしょうね」


 あわれむような言葉をつむぎながらも、その視線はどこまでも冷たい。


「でも、あなたが悪いのよ。だって、を守ってくれなかったじゃない」


 およそ表情など無かったその顔が、ほんのわずかに歪んだ。


 月明かりに照らされる制服姿の少女。


 ―――筑波祢つくばね 真昼まひる


 それが、彼女の名だった。



 つややかな黒髪のおかっぱ髪の美しい少女。


 健康的にほんのり日に焼けた肌に、少々気が強そうにも見える太い眉、強固な意志をうかがわせる輝く瞳、すっと通った鼻筋にふっくらとした形の良い唇、手足はすらりと伸び、無駄のない筋肉が均整きんせいの取れたスタイルの良さを生み出していた。


 彼女が通う中学校においても、誰もが一目いちもく置く存在感を放ち、同性異性を問わず彼女に憧れる者は少なくないだろう。


 しかし、その表情はどこまでも冷たく、まるで感情という物をどこかに置き忘れてきてしまったかのようだった。


「鉄砲。どうかしらね。使ったことが無いのだけれど、役に立つかしら」


 真昼はそうつぶやくと、どす黒い血の海に浮かぶ警察官の死体を一瞥いちべつし、その下半身側につながれた拳銃に視線を向けた。


「まあ、必要ないか。これ以上、血で汚れたくはないし。それに、があるしね」


 真昼は、血塗られた手で一振ひとふりの刀を握っていた。


 真昼自身、そんな知識は持ち合わせてはいないけれど、一般的に言うところの日本刀より、少し反りが強く大型のしつらえである。かつて、騎馬上での戦闘が主流だった時代に用いられたそれは太刀たち、と呼ばれる刀剣に分類された。



「今晩のうちに、あといくつこわせるかな」


 壊す。

 真昼はそう言った。それは、この警察官のように人をあやめる事を言っているのだけれど、殺す、ではなく、壊す、それが彼女の精神がすでに崩壊している事実を物語っていた。




『やっと見つけましたよ、真昼ちゃん』


 その時、不意に声をかけられて、真昼の眉がわずかに動いた。


「こんばんは。月はあまり見えないけれど、いい夜ですね、せんせい」


 振り返る真昼の唇が楽しげに歪む。


 真昼が来た方角、警察官が倒れているのとは反対側の暗闇の中から、雲の切れ間の月明かりの下へとひとりの女性が姿を現した。


 肩より少し伸ばした、やわらかなゆるいウェーブのかかった栗色の髪。

 白いニットのセーターに、ベージュ色のジャンパースカート。

 その上から、白のダウンジャケットを羽織っている。

 足もとは丸みを帯びたスニーカーという出で立ちだった。


 年の頃は二十歳前後。

 どこにでもいる少し大人しそうな普通の女性、といった雰囲気だった。



 涼しげというにはあまりにも冷たい、凍りついたような笑みを浮かべる真昼に対峙たいじし、その女性、佐倉 美咲さくら みさきはずいぶんと緊張した面持ちでありながら、しかし正面からまっすぐに見つめていた。



「やだな、そんなににらまないでくださいよ、せんせい」


 静かな、冷たい声。おどけた態度に反して、その目はまったく笑っていない。



「真昼ちゃん、どうして」


「どうして? 何でそんな事を聞くんです? 知っているでしょう、せんせい」


 美咲は、明らかに狼狽ろうばいしていた。

 その優しげな目もとに浮かぶのは、悔恨かいこんか、それとも怒りか。



 美咲は真昼の足もとに横たわる切断された警察官の遺体をちらりと見て、真昼に少し強い口調で言った。


「ここに来る途中、3人いました。真昼ちゃん、あなた何人殺したの?」


「それで全部ですよ。まだ始めたばかりなので」


 ことも無げに答える真昼。

 その様子に、美咲の目にさらに強い怒りが宿る。



「何人、殺すの?」

 美咲の声に、低く、威圧する色がまじる。


「そんなの、決まっているじゃないですか。全員ですよ、この街」


 真昼の声は真剣そのもの、本気でそう考えているのが伝わった。


「そんなこと、できると本気で思っているの?」

 そんなこと到底、無理な事は明白だ。まともな思考であれば。


「できますよ。この不偏ふへんの太刀と、わたしの英雄ヒーロー観念イデアがあれば」


 で、どんな目標でも達成する事が可能となる『英雄』の観念。

 不可能すら可能とする、その驚異的な因子を宿す真昼ならば、確かにいつか必ず達成するだろう。



「できませんね。私が、阻止します」


 美咲の左手が、ぼんやりと光を宿したかと思った次の瞬間、世界が一瞬で昼間になったかと錯覚さっかくするほどのまばゆい光があふれ出した。


 その光は白く、強く、あたたかい。

 やがて、光は美咲の手もとに集束し、一振ひとふりの剣となった。



「あれが、あれが、破魔はま光剣みつるぎ


 そうつぶやく真昼の顔から、もう笑顔は消え失せていた。



 この世のすべての悪を等しく滅するという、最強であり究極の概念武装がいねんぶそう


 その存在は知っていたけれど、実際に目にするのは初めてだった。


 真昼が目的を達成するにあたっての、おそらく唯一にして最大の障害。これを乗り越えなければ、その先は無い。



 しかし、これは、これはあまりにも。


 初めて目の当たりにする、かつては世界をも救ったという光剣の輝きに、真昼の心がわずかに揺らぐ。



 これは、勝てない。

 英雄の観念をもってすれば、きっとだろう。しかし、今この場においては必要な努力を重ねる時間があまりにも足りなかった。



「せんせいも、せんせいも、わたしを悪と呼ぶんですかっ!?」


 破魔の光剣の圧倒的な霊圧の前にくじけそうになる心をなんとか奮い立たせ、真昼は叫んだ。



「私じゃない。光剣があなたを悪だと認定した。もう、逃げられないわ」


 先ほどまでと明らかに異なる美咲の声。

 破魔の光剣は、その自らの意志と判断をもって、滅するべき悪を選定する。

 一度、悪だと認定されれば、もうのがれる術は無かった。



 真昼は、自身の死が確定したのを、その肌で、その魂で感じ取った。

 立ち向かう意思とは裏腹に、身体がすくみ、膝が笑いだす。

 それでも、真昼は震える手で不偏の太刀を抜き放った。



「ぅあああああああああーーーーーーーっ!!」


 叫び声にも似た掛け声とともに真昼が仕掛ける。

 アレに勝つには、それしか無い。とにかく先に一撃をくわえる、それしか……。



 ――――――!?


 しかし、その瞬間、文字通りの光の速さで光剣の切っ先が真昼のすぐ目前まで迫っていた。

 こっち真昼が、先に仕掛けたのに。



 その斬撃をかわす事ができたのは、まさに奇跡としか言えなかった。しかし、真昼が体勢を整えるよりも更に数段速く、美咲が光剣を繰り出す。



「―――――――――っ!」


 息ができない。

 真昼は美咲の動きを必死で目で追い、光剣に不偏の太刀の刃をぶつけた。金属音とも爆発音ともとれない、まるで雷が落ちたかのような炸裂音がとどろく。


 ひとつ!


 ふたつ!


 みっつ!



 刃がぶつかるたび、全身の骨が歪み、筋肉が悲鳴をあげる。

 心臓は破裂しそうなほど脈動し、肺は空気がまったくたりず機能不全を起こしている。



「ぐううぅぅぅ! もう、もたない!」


 太刀を握る握力もすでに限界をこえている。真昼は音にならない声をあげた。



 しかし、その一方で美咲もまた驚愕していた。


 破魔の光剣は、その名の通り光で刀身が形成されている。

 その光の刃は、悪のみを正確に切り裂き、存在を滅する。

 本来であれば、その光の刃は受けることも、そらす事も不可能で、触れることすらできない物なのだ。


 それを相手に、真昼は、すでに四度よたび、刃を交えている。



 本来すり抜けるはずの光剣を受け止めているのが、真昼が使用する不偏の太刀の特性だった。


 不偏。

 その意味は決してかたよらない事。


 対象がどのような材質、存在、物体であっても、たとえ霊体であろうとも、分け隔てなく、決して偏ることなく同じように切る事ができる。


 もっと言ってしまえば、使用者が「切れる」と思えば、何でも切れてしまう。こちらも出自は不明ながら、強力きわまりない概念武装だった。



 不偏の太刀の特性によって、武器の威力はほとんど互角。


 雌雄を決するのは、お互いの実力だった。



「―――しまっ!?」


 真昼が、血だまりに足をとられる。

 その一瞬の隙を、美咲は見逃さない。


 これでも当代の破魔の光剣の担い手として、これまでに星の数ほどの怪異や化け物を滅してきた、百戦錬磨ひゃくせんれんまの使い手である。

 世界を救った事だって、一度や二度ではない。



 体勢を崩す真昼に対し、美咲は万全の姿勢で破魔の光剣を振りかぶった。


 勝負は決した、かのように思った。



 これも走馬灯、と言うのだろうか。

 真昼と美咲、双方の脳裏に過去の記憶がよみがえる。



 真昼が思い出したのは……。


 かつて、自分自身よりも大切に思い、愛した、ある少女が物言わぬ無残な姿に変わり果てた、クリスマスの夜の光景だった。

 全身が血にまみれ、傷が無い場所など無いほど、もはや誰なのかも判別できないほど、無残に愛しい人の姿だった。



 ―――負けない。負けられない。負けたくない。


 その一心で、もはや満足に力の入らなくなった腕で不偏の太刀をやみくもに振るう真昼。




 対して、美咲が思い出したのは、自分の事を先生と呼び、まるで本当の姉のように慕ってくれた真昼の姿と、二人で過ごした楽しかった思い出の数々。


 超速で繰り出される光剣の軌道が、ほんの、ほんのわずかに揺らいだ。


「あ、あああああ――――――っ!!」

 真昼の悲鳴のような叫びが響いた。



 真昼と美咲、二人の身体が交差する。



 しばしの沈黙のあと、倒れ伏したのは真昼だった。


 しかし、同時に、大きな水音を立てて、美咲の左腕のひじから先が血だまりの中に落下した。


 その腕は、もう光を放つことはない。



 誰も知らない。

 誰にも知られない。


 凍てついた月夜におきた惨劇だった。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る