第51話

 十一月も半ばを迎え、街は少しずつ冬の気配を帯び始めていた。


 灰色の雲が空を覆い、時折、風に舞う落ち葉が歩道を埋め尽くしている。朝晩の冷え込みが厳しくなり、制服の上にコートを羽織る生徒の姿もちらほらと見られるようになっていた。


 放課後の昏い空の下、米内悠樹は堀湊に腕を引かれていた。


「ちょ、待てって堀!」


 急かすように歩く堀を制しようとするが、彼女は振り向きもせずにずんずんと先を行く。


「んー? だって米内先輩、また私の家来てくれるんですよね?」

「いや、そういう話にはなってなかっただろ」

「ふふっ、でもほら、ついてきてますよ」


 からかうように笑いながら、堀は米内の手を離さない。


 まるで冷えた空気の中でも、彼女だけが秋の終わりの陽だまりを纏っているような、そんな無邪気な笑顔だった。


 それが妙に眩しくて、米内は軽く舌打ちをしながら歩を進めるしかなかった。


 ▽ 


 堀の家に着くと、玄関を開けた途端にふわりと温かな空気が迎え入れた。


 ストーブのやわらかな熱が、凍えた指先をほぐしていく。


「さむさむっ!」


 靴を脱ぎながら堀が跳ねるように家に上がる。


「米内先輩も早く入ってー。あったかいお茶入れてあげる!」

「……お前、元気だな」


 半ば呆れながらも米内はあとに続いた。


 ▽ 


 堀の部屋は、前に来たときと変わらず、どこか気の抜ける居心地の良さがあった。


 散らかった参考書やノートが、机の上に無造作に積み上げられている。


 どうやら今日の「お誘い」は、勉強が目的らしい。


「先輩、数学教えてください」


 両手を合わせて頼み込むように言う堀に、米内は渋い顔をした。


「なんで俺なんだよ……」

「だって、先輩成績いいですよね? 知ってるんですから!」

「それはまあ、最低限やってるからな……」

「私はね、最低限すらできないんですよ!」


 宣言するように言い切る堀に、米内は肩をすくめた。


「自慢することじゃねえよ」

「そんなこと言わずに助けてくれると、私すっごく嬉しいんですけど」


 上目遣いで見つめながら、甘えたように身を寄せてくる堀。


 米内はさっと距離を取る。


「……わかったわかった、やればいいんだろ」

「やったー!」


 米内はため息をつきながら、机の上のノートを手に取る。


 ページをめくると、案の定、ほとんど空白だった。


「お前、これでどうやって試験乗り切るつもりだったんだよ……」

「えへへ……」

「ったく……ほら、どこが分からないんだ?」

「全部です!」

「……マジかよ」


 思わず頭を抱える米内だったが、目の前の堀は楽しそうに笑っていた。


 ▽


「……だから、ここで微分して……」

「ふむふむ」

「次に、この公式を使えば……」

「ほうほう」

「それで答えが……」

「……えーっと?」


 堀はペンをくるくると回しながら、首を傾げた。


 その表情を見て、米内はうんざりしたように口を開く。


「お前、今の話聞いてたか?」

「んー、聞いてたような聞いてなかったような……」

「ダメじゃねえか」


 呆れながらも、米内はもう一度説明を始める。


 けれど、堀はまた途中で違うことを考え始めたのか、じっと米内を見つめていた。


「……なんだよ」

「先輩、教えるの上手ですね」

「そうか?」

「うん、すごく分かりやすいです。なんか、ちょっとかっこいいかも」

「……はいはい、さっさと解け」


 言葉をかわしながら、米内は微かに頬の熱を感じた。


 ▽


 勉強をひとしきり終えた頃、ふと窓の外を見ると、もうすっかり夜の帳が降りていた。


 街灯が灯り、冷たい風が木の枝を揺らしている。


「わー、もうこんな時間!」


 堀が驚いたように声を上げる。


「そろそろ帰るわ」

「えー、もうちょっといてくれてもいいでうけど」

「お前な……」


 名残惜しそうにする堀に、米内は苦笑しながら立ち上がる。


 玄関へ向かおうとすると、堀がふと何かを思い出したように口を開いた。


「あ、先輩、寒いですよね?」

「ん?」

「はい、これ」


 そう言って差し出されたのは、堀のマフラーだった。


「いや、俺のじゃねえし」

「いいんですよ! 今日は寒いから、貸してあげます」

「……仕方ねえな」


 米内はそれを受け取り、首に巻く。


 ふわりと香るのは、堀の柔らかな匂いだった。


「気をつけて帰ってください」

「わかってるよ」


 軽く手を振って、米内は夜の冷気の中へ歩き出す。


 寒さの中、首元だけがじんわりと温かかった。


 それが妙に気になって、米内はマフラーをぎゅっと握りしめた。


(……めんどくせえな)


 けれど、心のどこかで、それを悪くないと思っている自分がいた。



 _____


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