第23話 夢


「──お姉ちゃん。ねぇ、大丈夫?」


「……え?」


 聞き慣れた家族の声。

 優しく穏やかな妹の声に、あたしははっとして顔を上げる。


「リコッタ……?えっと……」

「やっぱり疲れてるんじゃない? 仕事、最近忙しいみたいだし……」

「ああ、そっか、仕事……。仕事か……」


 額を押さえて頭を振る。

 どうやらソファでうたた寝でもしていたらしい。

 疲れている……か。

 たしかにそうかもしれない。

 最近は仕事をみっちり詰めこみすぎた気配はある。

 だが、うまく仕事が軌道に乗っている今、この流れを逃したくはないのだ。


 キッチンから心配そうな妹の顔が覗く。


「体調悪いなら、昼食はもっと軽めの方が良かったかな」

「大丈夫大丈夫。リコッタの作ってくれるものなら何でも食べやすいよ。よし、今日の夕飯は唐揚げチーズマヨ牛丼にしよう」

 

 そんなのわたしでも食べたくないよ……。

 そう言って苦笑いするリコッタ。

 

 テーブルに昼食のパスタとサラダが並べられる。

 うちの妹は本当に料理上手だ。

 その上、気も利いている。

 将来はきっと良いお嫁さんになることだろう。

 まあ、そこらのボンクラ共なんかには絶対にくれてやらんが。


 可愛い妹と食事を共にするこの時間。

 あたしにとっては、これこそが最大の生きがいだ。



「──でさぁ。あいつら今度は自分の車まで爆発させたらしいのよ。いや、なんでそーなんのって話でしょ? 今度、仕事ついでにからかいに行こうと思ってるんだけどさ」

「もう……。可哀想だよ、お姉ちゃん」


 クスクスと笑うリコッタ。

 最近は幾分落ちついてきているが、彼女は生まれつき病弱だ。

 あたしのことを心配する前に自分のことを気にしてほしいのだが……。

 元が母に似ておせっかいな性格だからだろう。

 自分のことよりも他人のことに気を取られがちな子なのだ。


 あたしはパスタを巻きつけたフォークを口に運ぶ。

 チーズの旨みを堪能しながら、彼女へと問いかけた。


「リコッタ。あなたこそ体調は平気?なにかあったらすぐにあたしに言うんだよ」

「大丈夫だよ。最近は前より調子もいいし。お姉ちゃんが買ってくれるお薬のおかげかも。昔と比べて、ご飯も栄養のあるものを買えるようになったし」


 そう言って、彼女は笑顔を浮かべる。


 うちは元々貧乏な家系だった。

 獣人族はその身体能力から重宝されることも多いと言われるが──。

 その出自は、奴隷やスラムの貧民という家がほとんど。

 全体で見れば、決して裕福とは言えない種族だ。

 最近はかなり扱いも良くなってはいるが、それでも貧民の家系がいきなり良い仕事につけるわけもない。


 そこは、うちも例外ではなかった。

 他所の国から移住してきた流れ者。

 そういった過去もあり、定職を探すのすら一苦労だったのだ。

 つまり、今それなりに良い暮らしができているのは、あたしが滅茶苦茶頑張ったからである。

 そこは素直に自分を褒めてあげたい。


(ま、あたし一人では無理だっただろうけど……)


 ここまで頑張ってこれた理由は、ただ一つ。

 残された唯一の肉親。

 大事な妹の笑顔を曇らせたくない──。

 その一心があったからだ。


 トマトを口に頬張る。

 そして、目の前でサラダを頬張っているリコッタにウインクして言った。


「そっか。よかったよかった。なら次はもっと稼いで、もっといい暮らしをさせたげる」

「……今よりも?」

「そうだよ。お医者さんも専属で雇ってさ。料理好きのリコッタにプレゼントしたい便利な魔動具もたくさんあるんだ。そしていずれは、あのメイヴェリアスみたいな豪邸にでも引っ越したりして──」



「──ねえ、お姉ちゃん。……お姉ちゃんは本当に、無理をしてない?」



 妹のその言葉に、あたしはぴたりと食事の手を止める。


 ほんの一瞬。

 いつもの食卓に空白の時間が流れる。

 リコッタはその優しげな目を伏せると、少しだけ寂しそうに笑った。


「わたしはもう充分幸せだよ、お姉ちゃん。こうして普通の生活ができて、一緒に美味しいご飯が食べれる。お姉ちゃんがわたしのために頑張ってくれるのは嬉しいけど、わたしはお姉ちゃんにあまり無茶をして欲しくないの」


 彼女はそう言って、息をついた。

 パスタを絡めたフォークが、皿の隅で所在なさげに丸まっている。


 ──コチコチと。

 居間の時計が刻む針の音がする。

 先程までの談笑の声は、もうこの部屋には聞こえない。

 少しだけ感じる気まずさと距離感。

 テーブルの前の妹が、いつもより少しだけ遠く見えた。


 この空気は、……嫌だ。

 彼女には、いつも笑っていて欲しいのに。


「──大丈夫。あたしは平気だよ、リコッタ。この国にはね、夢があるんだ。チャンスを掴めば、たとえ貧民でも大金が手に入る。そんな大きな夢がそこら中に落ちてる」


 ──そう。

 かつての世界では、種族の壁は決して越えられなかった。

 亜人は所詮亜人。

 どんなに頑張ったところで、その立場や地位は変わらなかった。


 でも、今は違う。

 たとえ亜人であっても大金を稼げる。

 そして、この時代では金が強さであり地位であり、権力の全てだ。

 両親にも祖父母にも越えられなかった壁。

 それを、あたしなら越えることができるのだ。


「あたしは、もっともっとお金を稼ぐよ。そして、リコッタを今よりずっと幸せにしてみせる。それが、今のあたしの夢なんだ」


 そうだ──、夢だ。

 これは夢。


 ここは──。あたしが抱いた夢の果てであり、……その終点だ。


 その夢は叶わなかった。

 あたしは分不相応な願望に手を伸ばし、高く飛び上がりすぎた。

 その結果がこれだ。

 巨大な太陽にその身と翼を焼かれ、あたしの体は大地へと落とされた。

 結局のところ、届かぬ夢を見ていただけの愚か者だったのだろう。

 

 せめて妹だけは巻き込みたくない。

 地に叩きつけられるのは自分だけで充分だ。


 あたしがいなくなっても、あの子はうまくやれるだろうか。

 リコッタはあたしのように無謀な高望みをするバカではない。

 でも、まだ彼女は子供なのだ。

 もっと、一緒にいてやりたかった。

 傍にいて支えてあげたかった。


 あたしが、守ってあげたかったのに──。



「──お姉ちゃん!」



 自分の名前を呼ぶ妹の声がする。

 この夢の中で聞いたのと同じ声だ。


(リコッタ……?)


 この声は、いったいどこから聞こえてくるのだろう。

 あたしは、重く閉じられていた目蓋を、ゆっくりと開いた。



==============================



「おー、おはようさん。寝起きとはいえ、しけたツラしてやがんなぁ、パルメ」


「え……?」


 見慣れた白い部屋。

 この場所に閉じ込められてから何度もみた天井だ。

 あたしはベッドの上で目を開き、視線を横へと移動させる。


 聞き慣れた声。

 こちらを見下ろすその顔を認識した瞬間──。

 あたしは、思わず困惑の声を漏らしてしまった。


「……リル? 」


 いまだに夢を見ているのだろうか?

 ここはおそらく政府関係の軟禁施設。

 一般人が立ち入れる場所ではない。

 だから、彼女がこの場にいるはずがないのだ。


 戸惑うあたしの顔が面白かったのか。

 リルはニヤニヤと笑いながら大袈裟に右手を振って見せた。


「まさかてめぇのそんな顔が見れるなんてなぁ。依頼受けたかいがあったってもんだぜぃ」

「ちょっとリル!のんびり話してる暇はないですよ!幻惑魔術の効果なんてすぐ切れるんですから……。そもそも誰かに見つかったら、わたしたち不法侵入で犯罪者になるんですよ!」


 リルの後ろでコソコソと叫んでいるのはラフィか。

 いったい何がどうなってるんだ?

 どうして二人がこんなところに……。


「いや、ラフィ。見つかんなくても犯罪だぞこれは」

「ば、バレなきゃセーフなんです!」

「おまえの倫理観、たまにぶっとんでるよな……」


 二人のやりとりを聞いているうちに、段々と意識もはっきりしてきた。

 あたしはいまだ困惑する頭を振りつつ、ベッドから体を起こす。


「リル、ラフィ……。どうしてここに……」 

「あぁ?仕事だよ仕事」

「仕事……?」


 何でもないことのように告げたリルに、あたしは思わず聞き返す。

 仕事……。請負の依頼のことか?

 いったい誰からの──。

 そう、聞き返そうとしたときだった。



「──お姉ちゃん……!!」



 ふわりと胸に飛び込んできた人影。

 懐かしいその匂いに、思考が一瞬でクリアになる。


「──リコッタ……?! ど、どうして……?」

「あたしたちだけで行くつったのにさぁ。こいつ言うこと聞かねぇんだわ。ほんとおまえに似て強情だよなぁ」


 はぁー、面倒くせぇ。

 そう言って、リルは大仰に肩をすくめた。


 腕の中の妹を見つめる。

 涙に潤んだ彼女の瞳。

 いつも泣き虫だったはずの彼女の顔は、それでも優しくこちらに微笑んでいた。


(……そうか。この子は、あたしを助けるために、自ら危険をおかしてまで──。)


 こんな何処とも知らぬ場所にまで探しに来てくれたのだ。

 そして今、彼女はあたしを安心させるために、柔らかな笑顔を向けてくれている。


 いつのまにか、この子も強くなっていたのだろう。

 勘違いしていたのはあたしの方だ。

 彼女はもう、守られるだけの子供じゃない。

 自分の意思を持ち、相手の気持ちを思いやれる、一人前の大人なのだ。


「お姉ちゃん……。無事でよかった……!」

「………うん。あたしも。リコッタにまた会えて嬉しい」


 この子はいつの間にか、しっかりと自立できるほどに成長していた。

 その一方で──。

 あたしはいつのまにか、自分の生きる理由すら彼女に依存していたのだ。

 彼女という存在に、縋り切っていた。


(いつまでも子供だったのは、むしろあたしの方か……)


 そっと目を瞑る。


 抱きしめた妹の体は、優しく暖かなお日様のにおいがした。



==============================



「──本当にありがとね。リル、ラフィ」

「てめぇの礼なんかいらねぇよ、気色悪い」

「そうですね。お礼は無事にここを脱出してからです」


 ラフィが指先に魔力を集める。

 そして、人差し指をこちらの首のあたりへと向けた。


「首輪を見せてください。わたしが魔術で解除しますから」


 解錠の魔術──。

 昔はダンジョンの宝箱や扉をあけるときに使用していたというアレか。

 情報としては知っているが、実際に見るのは初めてだ。

 果たして魔動機械にも効果はあるんだろうか。

 いやまあ、魔動機械に魔術で干渉すること自体は、以前にラフィもやっていたはずだし……。


 魔動機械に、魔術干渉……。

 そこまで考えたとき──、ふと余計な妄想をしてしまった。


「あの……、ラフィ。お願いだから爆発落ちはやめてよね……?」


 一瞬、首から上が打上げ花火になる幻が見えた。

 大事な首を押さえて顔面蒼白にあたし。

 それを見て、エルフの少女は不満げに口を尖らせる。


「そんなことにはなりませんよ! なんなんですか、みんなしてわたしを芸人みたいに……」


 ぶつぶつと文句とも詠唱ともつかない口ぶりで解錠魔術を使うラフィ。

 

 カシャン、という軽い音とともに、首輪が外れて床へと落ちる。

 ……良かった。とりあえず胴体と頭が鳴き別れになる事態は防げた。

 ようやく自由になった首をごきりと鳴らし、あたしはベッドから立ち上がった。


 ──その時。

 ジリリリ!と、もの凄い勢いで辺りに警報音が鳴り響く。


「やっべ……。バレた! 走るぞ!」


 リルの言葉で一斉に外へと飛び出す。

 四人は独房を後にし、長い廊下を走り出すのだった。

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