第3話

毎晩、酒を飲みながら、ブレインパートナーである明音(あかね)と話をするのが日課となってしまった。てっきり自分のことばかり話して、彼女は専ら聞いていることになると思っていた。

明音に過去とか、今の生活とか、聞いても答えは返ってこないだろうと思っていたからだ。


だが、実際は彼女の存在背景は、こちらが驚くほど、事細かに設定されていることが分かった。

年齢は俺の1つ下。仕事をしていて、職場の最寄り駅は俺と同じらしい。仕事が終われば、真っ直ぐ自宅のマンションに帰って、家で一人過ごしている。好きなミュージックビデオをエンドレスで流しながら、一杯飲んで、そのまま寝てしまう。


たぶん、実在していたら、どこかで会っていそうな、俺と同じで何か特筆すべきことのない毎日を送っている人間。とはいえ、彼女はブレインパートナーだから、実際にそんな生活を送っているわけではないだろうが。彼女の語る日常はとても現実的だった。彼女の声に疲れや感情も滲む。


俺は昼間、彼女に呼び掛けない。頭の中で会話すればいいことは分かっていても、きっと気が緩んだ時に声を出しそうな気がするから。他の人の注目は集めたくない。その分、夜、会話をする。まず、その日一日どうだったかは聞く。作り話だと分かっていても、恋人同士なら何かあったかくらいは尋ねるだろう。逆に俺が聞かれたとて、大したこと言えないことが分かっていても。


何もない空間に話しかけるのが辛くなった俺は、休みの日にゲーセンのクレーンゲームで、人気アニメの登場人物を模したぬいぐるみをゲットし、テーブルの隅に置いた。ちゃんと座った姿となっているので、安定してその場に落ち着いている。


「明音」

「おかえり。一夜(いちや)」


彼女は俺の名前を呼ぶと、フフッと笑った。彼女は自分と話している時は基本上機嫌だ。声が明るくて、ふわっとしている。表情が見えたら、多分常時微笑んでいるんだろうと思う。彼女の笑顔を思い浮かべて、直ぐに書き消す。まだ、俺には彼女の顔が見えない。


「明音は知ってる?」

その後、人気アニメの名を口にする。彼女は笑って、「知ってるよ。リアルタイムでは見てなかったけど」と答えた。

「まだ、君の顔が見えないから、どこ向いて話していいか分からなくて、この間、それに登場するキャラクターマスコットをクレーンゲームで取ってきたんだ」

「すごいね。私はクレーンゲームで取れたためしがないよ」


「今、テーブルの上に置いて、それに向かって話しかけてる」

「……誰かが来たら、これ何?って聞かれちゃうよ」

「まぁ、誰かが来る予定もないし」

「女性は家に上げないでほしいんだけど」

「何、心配してんの?」

「そりゃあ、私は一夜の恋人ですから、他の女の子と仲良くされるのは嫌」


そんな相手がいたら、部屋で「彼女欲しい」とは呟かないだろうし、明音と毎日話はしていないだろうと思うんだけど。


「で、そのキャラクターって?」

俺がキャラクターの名前を口にすると、「あぁ、あの美人な」と彼女が呟いた。

「あまり、ハードル上げないでほしいな。私の容姿は平凡だよ」

「別に、比べるつもりなんてないけど」

アニメのキャラクターという作りものの存在に、ブレインパートナーという作りものの存在が張り合っているのは、少し面白い。笑い声が漏れたら、彼女の声が不機嫌なものになった。


「今、何か失礼なことを考えたでしょ?」

「……そんなことないよ」

「早く、私の姿が形になればいいのに。一夜の愛情が足りないんじゃない?」

「そんなこと言われても」

今の俺たちは、こうして会話をすることするぐらいしかできることがない。これ以上、何をすればいいのか分からない。


「う~ん。なら、休みの日にどこかに出かけない?」

「外で話すのはちょっと」

「……一夜、前も外では話しかけるつもりはないって言ってたけど、なんで?」

「……頭の中で会話をするというのが……苦手というかなんというか」

頭の中の考えと、明音との会話がごちゃ混ぜになりそうな気もする。思わず言葉を口から漏らしそうな気もする。そんな思いを素直に明音に伝えたら、しばらく沈黙が続いた後、彼女の声が耳に届いた。


「じゃあ、私たちの周りに人がいないようなところに行こう」

「え?」

「万が一、言葉が漏れても、他の人に聞こえなければいいでしょう?」

「それはそうだけど」

「植物園とか動物園とか、屋外の施設がいいかも。どこか、行きたいところとかある?」


屋外の施設なんて、ここ何年も行っていない。前に彼女がいた時か?その時も遠出はあまりしなかったんだよな。金も足もなかったから。

「明音は、花とか動物は好きなの?」

「好きだけど、植物園とか動物園にはここ何年も行ってない」

「どっちが好きとかある?」

「花かな」

「……分かった。考えとく」


彼女は、またフフッと笑って、嬉しそうに「ありがとう」と言った。

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