17章帰国子女、幕末の外交戦へ! 江戸幕府のアンバサダー、列強に挑む!
終幕へと向かう運命に導かれ、幕府は波のように騒乱と閑寂を繰り返しつつ、開国への道を探り続けた。
1855年、ペリー来航の翌年から、江戸の町には徐々に夷国の影響が忍び寄り、商人たちの間には不安が広がっていた。一方で、幕府は新たに長崎や横浜での外国人居留地の設置を計画し、急ぎ対応を進めていた。そして、本来なら体制維持に固執していたはずの徳川幕府は、家定の決断とマナの存在によって、新政府への移行を見据え、統治者としての役割を徐々に手放しつつあった。井伊直弼と豪商たちが中心となり、冥加金や運上金に変わる徴収方法の試験導入が進められ、財政の安定を目指す改革が水面下で始まっていた。
「豪商たちが新税制の試験運用に応じてくれたのは、大きな一歩です。」
彼の采配により、江戸、大坂、そして新設された横浜の豪商たちがこの新税制システムを受け入れ、貿易と内政の両面で新政府を支える形ができつつあった。
「井伊が進めたこの策が、日本を支える命綱になりそうじゃ。」
家定は、まるで子供の卒業式前夜の父親のように、どことなく感慨深げに頷いた。だが、そこには時代の移り変わりを見守る武家の複雑な思いもあった。
その背景には、1856年11月に篤姫が正式に輿入れしたことで、薩摩と幕府の関係が深まったことがある。これにより、外交の舞台では薩摩と長州が表立って列強と交渉を行う場面が増え始めていた。
篤姫は、幕府と薩摩の緩衝材であるだけでなく、薩摩藩内の意見をまとめる役割も担っていた。そんな彼女のもとに、歌橋からある男の名が届けられる。
『この男ならば、開国の架け橋となるでしょう』
そう言って歌橋が推挙したのが、坂本龍馬だった。篤姫はその考えに興味を持ち、歌橋とともに彼の動きを支えることを決めた。
「篤姫様が幕府と薩摩の関係を保ってくださるおかげで、私は心置きなく各地を回ることができます。」
龍馬は、篤姫からの密書を受け取りながら深く感謝を述べた。その密書には、薩摩藩主からの支援を約束する内容と、家定から篤姫を通じて託された次の指示が記されていた。
篤姫に、薩摩の影として動く足となる坂本龍馬を推挙した歌橋は、幕府内で家定の意向を汲み取り、龍馬を支援していた。家定からの龍馬への指示は、薩摩藩に関係しない立場の歌橋を通じて伝えられた。
この連携プレーが功を奏し、薩摩と長州は列強と対等に渡り合う外交の前線に立つようになっていた。その象徴的な成果が、薩摩による蒸気船の購入と長州による銃器の導入だった。坂本龍馬は各地を奔走し、イギリスやフランス商人との交渉を調整。列強との交渉で得た情報は、篤姫や歌橋を通じて家定に届けられ、戦略の裏付けとしていた。
「薩摩と長州が幕府の影として動き、列強と対峙する姿が見える。」
家定は篤姫の報告を聞き、計画が着実に進んでいることを実感していた。
龍馬はこれまでの旅で、薩摩や長州以外の小藩や商人たちにも接触し、彼らに開国の重要性を説いてきた。その活動の中で得た最新の情報は、篤姫や歌橋を通じて家定に届けられ、幕府の影の戦略として活用されていた。すべての藩が、幕府が担っていた役割を少しずつ引き継ぎ、新体制移行へと進み始めていた。
「幕府が表に出ぬ分、我々の責任は大きい。しかし、それができるのも龍馬のような男がいるからじゃ。」家定は、この五年の計画が形をなしてきていることに、暗闇から太陽が昇る前のような万感の思いを感じていた。
そしてマナは、新たな人材を育てるべく、江戸城内に英語塾を開いていた。この活動が、後に彼女が日本最初のアメリカ系大学を開く前身となる。
1859年、その年は特に寒さ厳しく、冬の空気が澄み渡り、下田港の遠くには雄大な富士山がその姿を現していた。その前景には、黒く塗られた7隻の艦船が海を覆うように浮かび、その中には蒸気船と帆船が混在していた。甲板にはおもちゃの人形のように整然と並ぶ兵士たち、その兵士たちにエネルギーを与えるように波風にはためく星条旗。そして、アメリカ艦隊の高く高く押し寄せる津波が、日本側交渉団を飲み込まんとしているかのようだった。
だが、今回の交渉団は5年前とは違っていた。この間に鍛えられ、まるで並んだ石の地蔵が生き生きと動く人間になったかのように、自信に満ちていた。そして、その中にマナと沖田総司がいた。沖田の英語の熟達と誠実な性格は幕府内でも高く評価され、今回は交渉の一員として大役を任されていた。
*以下やりとりは英語です*
船内に入ると、ハリス提督はすでにテーブルについていた。恰幅がよく、豊かな白い髭を蓄えた彼のブルーの瞳が、鋭くも穏やかにこちらを見つめている。
「お会いできて光栄です。ペリー提督から貴殿の話は聞いております。」
「この5年の間に、私たちは大きく変わりました。今日は新たな関係を築く日となることを願っています。」
その後ろで、沖田総司が緊張した面持ちで一歩前に出た。
「初めまして、沖田総司と申します。本日の交渉に加わるよう拝命しました。」
マナに習った流暢な発音が船室に響くと、ハリスは意外な顔をして沖田をまじまじと見つめたが、すぐさまうれしそうに口を開いた。
「素晴らしい英語力ですね。通訳以外が普通に英語を話すとは、日本も時代が変わりつつあるようだ。」
沖田は心の中でガッツポーズをしながら、ポーカーフェイスで一礼した。
交渉が始まると、まずハリスが先手を切り出した。
「下田にアメリカの領事館を設置することが、両国の交流を円滑に進めるために必要だと考えます。」
それは歴史を先読みしているマナ達は想定内と一同は聞き流す。
「提督のご提案は理解しました。しかし、片方だけの施設では不公平です。日本もアメリカに代表を送り、同様の拠点を設けるべきではないでしょうか?」
ハリスはまさか小娘にカウンターパンチを食わされるとは思っておらず、すし屋でワサビを食べた外人のように目を見開いた。
「日本がアメリカに施設を設置する、ということですか?」
マナはハリスのワサビ顔を見て、フンと鼻を鳴らし答える。
「それが平等な関係の基盤となります。文化や技術の交流の場を設けることで、初めて真の友好が築けると信じています。」
続けて、「両国は同盟を結び、協力していくことが大事かと存じます。それにより、両国が対等な立場で情報を共有し、協力を強化できます。」
これは、ロシアやイギリスなどに狙われている日本の立場をアメリカと同盟を結ぶことで、侵略できずらいものにしたいという日本の立場と歴史的に結ぶであろう、日米和親条約の不平等さを是正したい日本側の意図であった。
「素晴らしい提案だが、それは容易なことではない。貴国にはそのような準備が整っているのか?」
訝しがるハリスの問いかけに、マナは間髪入れずに答えた。「もちろんです。今後の交流の基盤を作るためにも、早急に体制を整える所存です。貴国の支援があれば、より円滑に進むでしょう。」
「素晴らしい提案だが、それは容易なことではない。貴国にはそのような準備が整っているのか?」
訝しがるハリスの問いかけに、マナは間髪入れずに答えた。「もちろんです。今後の交流の基盤を作るためにも、早急に体制を整える所存です。貴国の支援があれば、より円滑に進むでしょう。」
ハリスは彼女の自信に少し驚いた様子を見せたが、すぐにテーブルの上に一冊の草案を広げた。
「では、まずこの条約の内容を確認していただきたい。」
それは意図的に曖昧な表現が散りばめられた、日米和親条約の草案だった。文章は、ただ英語を習っただけでは理解できない曖昧な表現や、二重の意味を含む単語が多用されていた。そもそもそれはこの条約の策略で、後々まで不平等条約と言われる原因かも知れない。
マナはすぐさま草案に目を通し、淡々と指摘を始めた。「この 'exclusive rights'(排他的権利)という表現は誤解を招きます。例えば、このままではアメリカが特定の地域で貿易を独占できるようになり、日本側が取引相手を選べなくなる可能性があります。」
マナは続けてこう提案した。「ここは 'mutual benefits'(相互利益)という表現に置き換えるべきです。」彼女は難解な表現を一つ一つ注釈し、誰でもわかる単語に書き換えていった。ハリスはその姿をじっと見つめ、彼女の的確さに子犬のように尻尾を巻いていた。
「あなたの英語は非常に鋭い。やはりペリー提督が言っていた通り一筋縄ではいかないご婦人ですね。」
マナ達が細かな積み重ねの末に、ようやく日本側も納得のいく条約の草案を作ることができた。その達成感を祝うように、船内では祝宴が開かれた。
ハリスが笑顔で杯を掲げながら、マナに向かって声を上げる。
「You’re one tough cookie, Miss Mana.」
その言葉に、沖田総司がぽかんとした顔でマナを見た。
「タフな……クッキー?」
マナはいたずらめいた表情で彼に教え「頑丈で頼りになる人、という意味よ。」
ハリスがなぞなぞの種明かしのように付け加えた。「ペリー提督から聞きました。彼が未来から来たと言っていた友人から教わった言い回しだそうです。どうやら現代でも通じたようですね。」
その後、ハリスはマナにそっと耳打ちした。
「ペリー提督からあなたへの伝言です。彼の友人がかつて20XX年で命を落とし、この時代に降り立った際、こんなことを語ったそうです――『過去に転送された後は、転送先の時代で寿命を持つようになる。つまり、その時代の人々と同じように生きるが、特別な縛りはない』と。」
ハリスは続ける。「またその友人はこう言ったそうです――『生まれた時代で命が尽きるとき、宇宙局がその魂を救済し、別の時代で生を与える。その時、過去の時代で精一杯生きることがその人の存在を確かなものにする』と。」
マナはハリスが言ったことを反芻していた。ということは、20XX年の命は尽きたが、二度目の生を江戸時代で受けたということ?家定の言っていた「宇宙局にヘルパーを頼んだ」という奇想天外な話を思い出した。これって彼が私に生をくれたってことなの?そう考えると、これまでの人使いの粗さを許してやってもよいと思った。
それからも下田での交渉は数日にわたり行われ、マナたちはハリス提督率いるアメリカ側と議論を重ねた。日本側の主張は時折押し戻されそうになりながらも、マナ達の理性的な対応が功を奏し、最終的に以下の内容で合意に至った。
1.両国は互いに最恵国待遇を付与する。
2.両国の国民は滞在国の法制度を尊重する。
3.日本の港の選定権は日本にある。
4.輸出入品の関税は日本が自主的に設定する。
5.両国は軍事力を用いない外交を行う。
6.両国は互いに領事館を設置し、文化交流を促進する。
交渉団がまとめた条約案は、早馬で江戸に届けられた。そして数日後、江戸城の広間において条約の正式な署名が執り行われた。
家定は広間に集まった幕臣たちを見渡し、重々しく口を開いた。「この条約は、ただの紙切れではない。これからの国の姿を切り開くための第一歩である。」
その声には、彼がこの数年で成し遂げてきた責務と、背負ってきた重圧から解放される安堵が滲んでいた。ようやく太陽が地平線から顔を出したような晴れやかさが彼の表情に浮かぶ。
ハリスの代理として出席した外交官がアメリカ側の署名を行い、最後に家定が筆を手に取った。墨で力強く自らの名を記すと、音も色も消えたかのような広間に、どよめきが走った。
家定は満足そうに、再び一同を見渡した。どのような時代の行く末が待つのか、ここにいる誰も知る由もない。しかし、この場で交わされた約束が歴史に深く刻まれることを、歴史のその先を知る家定とマナだけは確信していた。
そして――
夏草や 兵どもが 夢の跡。
――歴史の大きな転換点を、この国の大地に深く刻み、歩み続けよ。
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