ナインテイルズ
鈴木満
第1話
耳を澄ますと穏やかな川の流れが聞こえる。
少年は両手に木製の桶を持ち、その音のする方に向けてボロボロの靴で歩いていく。
まだ夜が明けきらぬ内から、日課である水汲みを始めて三度目のことであった。
「……? 人?」
彼が毎日の水汲みで踏み固めた道の先、川の流れの中、大きな石に人がひっかかるかたちで浮かんでいるのが見えた。
彼は詳しくは知らないが、このビフレス島は現在ところどころで小競り合いが起きていると聞く。
その小競り合いの犠牲者が上流から流されて来たのかと思い、浮かぶ人にゆっくりと近づいた。
(もし死んでいるなら金になりそうなものを失敬して、代わりに墓でもつくってやるか……)
そんな下心をいだきながら近づいていくと、かすかなうめき声が聞こえてきた。
「まだ生きてる……??!」
これは大変、と彼は木桶を放りなげ水に濡れながらその人間を引きづるように陸に引っ張り上げた。
「大丈夫か!? おいっ!!」
助けた人物の頬をそっと叩いた。
よくよく見ると自分と同じ年齢くらいに見える。
少しの間があって助けた人物の薄目が開いた。
「ここは……僕は……助かった……のか?」
自分が生きている事が信じられないのか、横たわったまま右手を空に掲げ、拳を閉じたり開いたりを繰り返している様子。
「……そうだな、助かったんじゃないか?」
声の方に顔を向けると、大きい川石に腰を下ろした少年が目に入る。
「君が……僕を助けてくれたのか?」
つい自分の置かれた状況を確認したくて口に出てしまう。
「まぁ川に浮かんでいたアンタを助けたのは俺だな。……とっ、目を覚ましたならもう大丈夫だよな?」
少年は話を打ち切ると我関せずと言うように再び木桶を手にした。
「あっちょっと待って! ……ここはどこなんだい?」
「……ここは旅人の町から北に三十分くらいのところにある水汲み場さ。まぁもっともそう言うふうに呼んでいるのは俺だけだけどな。もういいか? 今日の水汲みが終わらなくなっちまう」
そう言うと川に近づき水を木桶に導いていく。
ふと視線を上げ上流をみると、一艘の船が川を下ってきているのが見えた。
(……今度はなんだよ。こりゃ今日は夕飯は抜きかもな……)
少年は度重なるアクシデントによって水汲みの日課が終わらないことを覚悟した。
なんとなく下ってくる船の様子をみていると何かがおかしいことに気づいた。
(人じゃない……?)
船を操っているのは緑色の肌をした人間の子どもくらいの背丈しかないモンスター。
ゴブリンと呼ばれる種族だ。
ゴブリンが船を使うなんて聞いた事がない。
少年の町でも年に数度ゴブリンの間引き作業が行われているが、粗末な武器を持っている以外の場面を見た事がない。
また間引き地の奥に踏み込む人からもそんな情報は広がっていない。
ゴブリンたちは不気味な声を上げながら、少年のすぐ近くに着岸した。
突然の事態に少年の思考が停止する。
体は逃げようとしたものの、まるで地面に吸い付いたように足が動かない。
視界に入った足はどうやら震えているようだ。
ゴブリンたちは嬉しそうに叫ぶと、まるで跳ねるように少年に殺到した。
無意識に、腕を顔の前で交差させて思わず目を瞑る。
(あーあ、死ぬならせめて苦しくない方が良かったんだけどなぁ……)
しかし、その瞬間はやってこなかった。
ゆっくりと右目を開けると、剣を抜いた人物がゴブリンたちを一匹また一匹と斬り伏せている。
流れるようなステップ。
常に一対一の状況を作り横薙ぎに剣を振るう。
数分もしない内に地面は赤く染まり、いつものせせらぎの音が戻って来た。
「そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名前はボウ・ブラード。君は?」
ボウは右手に持った剣から血糊を払い、自然な動作で鞘に納めた。
「……おっ、えっ、お俺はフィン。苗字持ちってことはアンタ貴族か?」
目を白黒させながら質問に応える。
「まぁそんなものかな。ところでフィン、もう一個聞いていいかい?」
フィンはコクリとうな頷く。
「見ての通り、僕はこの剣と命一つが持ち物になってしまったワケなんだけど……。どこかに休める場所はないかな?」
「……」
「んっ、ああ! 言葉遣いや気遣いは無用だよ。あくまで貴族みたいなものってだけで貴族ではないからね。……どうかな?」
「……お前おかしなやつだな。いいぜ、町までは案内してやる。でも町に案内するところまでだ。町に着いたら町長にでも話をしてくれ。……俺は役に立たねぇからな、それでもいいか?」
「……そんなことはないと思うけど、まぁわかったよ」
ボウは他にも何か言いたげだったが、その言葉を飲み込んだ。
少年の格好や言動、水汲み仕事をしている状況。
間違いなく下層民。
そんな少年にこれ以上を求めるのはあまりに不憫だろう。
「四民平等……か」
ぼそっと呟いた言葉にはどんな思いが込められていたのか。
ボウとフィンは町までの道を歩き出した。
もちろんフィンの両手には水が並々と入った木桶が握られていた。
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