紙縒神社のかみさま~縁にまつわるご相談、承ります~
霧谷凜
呪いの振袖ー壱
ご維新の前、東京がまだ江戸と呼ばれていた頃。ガス灯も電燈なく、昼と夜の境がはっきりしていた時代。そのときならばまだ、神やら妖やらという、人とは違う時空に生きるモノの存在を認めていた。
けれど鎖国が解け、異国の文化が怒涛に流れ込み、夜でも電燈が街を照らすようになる。木々を切り倒し、人が生活しやすいように目まぐるしく開発が進んでいく。少しずつ、人の住まう時空が侵食していく。その流れに、人とは違う時空に生きるモノは追いやられていく。
神や妖は、人と隣り合わせに生きるモノから、人に語られる物語の中へと閉じ込められていく。そんな時代になった。
これを国民は、「文明開化の時代」と呼んだ。国民は外つ国の文化を上手く取り入れ、現存する文化と融合していくようになる。
神無月の最終日には、ハロウィーンという、何かに化けた子供たちにお菓子を配るという催しが行われるようになった。師走の二十五日には、クリスマスという、サンタクロースなる老人が子供達にプレゼントを配る催しが行われる。大晦日には除夜の鐘が百八回鳴らされ、そして正月はいつもどおり神社に初詣をして餅を食べる。
そんなふうに、大きな戸惑いもなく異国文化を受け入れられたのは、国民に深く根付いていた八百万信仰が影響しているのであろう。
ありとあらゆるものに神を見出し、信仰する。そして、水が流れるように忘れ去り、循環する。日ノ本の神は、人間の信仰によって生まれ、信仰によって廃れていく。
もちろんそれは、信仰によって生まれた神に仕える者も同じ。
「ひい、ふう、みい……」
まだ若く美しい声が、紙がめくられる音だけが響く静かな空間で、ぽとりぽとりと落とされる。
ろうそくの灯火が、ゆらりゆらりとその人物を映し出す。
真っ赤な花の髪飾り、真っ赤に彩られた目尻と唇、大輪の花を咲かせる深い紅の千早。
「ふふっ、本日も盛況なり」
札束を扇のようにして、口元に翳す。紅の引かれた唇が、怪しげに三日月を描いた。
彼女も神に仕える者のひとり。そしてちょっとばかり金への執着のある、ちょっぴり変わった巫女だ。
■
朱色の鳥居の前に、二人の男が並んで立った。鳥居の高さに圧倒されるように見上げている。
一人は黒髪の長身痩躯の男で、切れ長の目をした男だ
。もう一人は、癖のある栗毛色の髪をした小柄な男で、くりくりとした目は人懐っこさを感じさせる。
見た目は正反対の二人だが、どちらも黒い詰襟の洋装に、腰にはサーベルを佩いている。警察の制服だ。
「
黒髪の男――
ワケあって訪れることになったこの神社は、縁切り縁結びのご利益で名高いようだった。
ご利益なんて、願ったことがたまたま上手くいった偶然に過ぎない。参拝者が多ければ多いほど、その偶然の数も増える。そして偶然に当たった者は、あたかも神社に参拝した効果だと信じ、周囲にたれ込みまた広まる。
要するに、神を信じるか信じないか、その違いに過ぎない。
神など所詮、人智を超えた何かにすがりたい人間が創り出した想像物に過ぎない。そう考えるが故に、寒川は今回の依頼に懐疑的である。
「呪いの振袖など、馬鹿馬鹿しい」
「それを言っちゃあおしまいですよ、寒川さん。僕たちは、そういう事件専門の部署なんですから」
寒川の隣に立つ男――
「ふん、体のいい厄介払いの部署だろう。怪事件捜査部とは大層な名ばかりの、何でも屋と変わりない」
「えー、色んな経験ができるし、面白くていいじゃないですか。猫の失踪事件からお婆さんの鬘の神隠し事件まで、まさに何でもござれ! しかも今回は、我々の部署に相応しい”呪い”の相談ですよ!」
柴はこれ見よがしに、両手に抱えていた風呂敷を持ち上げた。この風呂敷に包まれているものこそ、二人が紙縒神社に足を運ぶに至った、依頼者曰く”呪いの振袖”である。
寒川は既に帰りたくなっていた。呪いなど、存在するわけがない。猫の捜索の方が幾分かマシである。なぜなら猫ならば確実に存在しているからだ。ないものを探すより、あるものを探した方が余程いい。
「百歩譲って本当に呪われた振袖だとして、どうして縁切り縁結びの神社なんだ? 普通はお祓いだろう」
「そのお祓いを担当した
柴はそう言うと、鳥居に向かって軽く頭を下げて、さっさと参道へと歩き出した。寒川も腹を決めて、その後に続く。
鳥居を潜り参道を少し歩くと、左手に手水舎がある。柴が「神社での禊は必須ですよ」と訴えるのを無視して、さらに奥に進んでいくと、立派な注連縄がかかった拝殿が建っていた。
縁切り縁結びのご利益にあやかろうと、若い女性を中心に老若男女が賽銭を投げ鈴をガラガラと鳴らし、手を合わせて祈っている。
「はー、噂には聞いていましたが、繁盛してますねぇ。ご利益にも期待ができるってもんですよ。ちょっとお参りしていきませんか?」
少し遅れて、柴が隣に立った。濡れた手を振り乾かしている。律儀に手水舎で禊いできたようだ。
風呂敷は、脇に抱えて濡らさないようにしている。預かり物のため、下手に扱えない。
その辺りは、流石の柴も弁えている。
「無駄口をたたくな。ここに何をしに来たのか忘れたのか」
「忘れちゃいませんけどぉ……。ここ、結構噂で耳にしてて。ほら、男ひとりじゃなかなか来にくいから……って、ちょっと待ってくださいよ寒川さぁん!」
「……しかし、神職らしき人間が一人もいないな」
キョロキョロとあたりを見回す。人はたくさんいるが、全員参拝者のようだ。
紙縒神社の関係者はどこだ。
眉を寄せる寒川に、柴はこともなげに言った。
「巫女さんなら、いつも社務所にいらっしゃるそうですよ」
「巫女が? 神主はいないのか」
「いないようですねぇ。この神社は、その巫女さんおひとりで守られているそうで」
妙な神社だ。
本当にここで大丈夫なんだろうか。
「社務所は……あそこだな」
隅に、小屋のような小さな建物がぽつんと建っているのが目に入る。両開きの扉は開いており、柱には「紙縒神社 社務所」と書かれた板が掛けられていた。
「扉は……開いてますね。ドキドキするなぁ」
何故か胸を高鳴らせる柴を無視して、社務所に足を踏み入れると、凛とした声が二人を迎えた。
「ようこそ、お参りくださいました。絵馬、お守り、おみくじ、縁に関するご相談。何をお求めですか?」
社務所というよりは、家に訪問したような気分になった。二間ほどの玄関土間と、高さ一尺の上がり框。昔ながらの長屋によくある造りだ。世の中の夫人は、この上がり框に腰をかけて世間話に花を咲かせるらしい。
しかし、見た目に反して空気は静謐としていて、そんな気軽さは微塵も感じられない。
玄関土間の両端には棚が置かれ、お守りや絵馬、おみくじが並べられているのが、いかにも神社らしかった。
そしてなにより、入ってきた二人に声をかけた女性。
「うわぁ……美人な巫女さんだ。やっぱり巫女さんは美人に限りますねぇ」
柴は感動したように、上擦った声で寒川に耳打ちしてきた。
寒川も視線を向ける。
上がり框の上に、ぽつりと座る女性がいた。彼女の左手側には、暖を取るためか火鉢が置いてあり、ぱちぱちと小さな音をたてている。反対側には平台があり、その上には香炉だけが乗っていた。
彼女が、紙縒神社の巫女なのだろう。しかし、巫女と呼ぶには些か不自然な点が多かった。
緋の袴に白の小袖と、通常の巫女装束を着ているようだが、その上に鮮やかな赤の生地で織られた千早を着崩して羽織っている。雑に袖を通しているだけのようで、両肩からずり落ち、裾は床に広がっている。色糸金糸銀糸がふんだんにあしらわれた椿の花の刺繍は、生地が赤いことも相まって、床に大輪の花が咲いているようだ。
それだけではない。艶やかな黒い髪は高いところで結わわれ、大きな椿の花が挿頭されている。生花でこの大きさはない。造花だろうか。
目尻と唇にひかれた紅が、彼女のなめらかな肌をより白く見せ、まるで人形のようだと思った。
そこまで観察して、寒川は違和感の正体に気付いた。そう、彼女は巫女というには、格好があまりにも相応しくないのだ。
本来慎ましやかなはずの巫女だが、目の前の巫女は豪奢で華やかな印象だ。
黒曜石のような黒く丸い瞳が、黙って立ったままだった寒川たちを、すっと見上げた。紅が引かれた唇が動く。
「ようこそ、お参りくださいました。絵馬、お守り、おみくじ、縁に関するご相談。何をお求めですか?」
もう一度、同じ台詞を吐いた。先程と全く同じ速さ、声のトーンだ。
表情からも声色からも、感情が読めない。入ってから黙ったままの寒川に痺れを切らしたのか、美しい芸術品を前にしたかのようなはしゃぎようの柴に苛立っているのか、それすら分からない。
不思議な女性だ。
「あなたが、紙縒神社の巫女か?」
気づいたら、そんな言葉を発していた。するりと、心の中で思っていたことが口から出てしまった。
寒川の言葉に、女性はぱちりと瞬きをして、ゆっくりと首を傾げた。
なにを当たり前のことを、とでも言いたげだ。
長さが足りずに結わけなかったであろう、顔横に残された髪が、顔の動きに合わせてさらりと流れる。
「はい。紙縒神社の巫女でしたら、わたくしのことでございますね。
「えにし?」
巫女――椿姫はもう一度、「はい」と頷いた。
「ご縁、という言葉をご存知ですか。森羅万象、ありとあらゆるモノを繋ぐ糸、いわば運命といってもいいでしょう。紙縒神社では、それを縁と呼んで祀っております」
「うさんくさいな」
「どうぞご自由に。ですがこちらにいらっしゃったということは、縁について何かお困り事があるのでは?」
まったくその通りである。
寒川は小さく息を吐いた。非現実的な内容なだけに、どう相談するべきか迷っていたところだ。向こうから切り出してくれたおかげで、言い出しやすい。
「おっしゃる通り、相談したい事がある。早速だが――」
「お待ちを。お話を伺う前に、まずは相談料として一円、お納めいただきます」
「は?」
柴に目配せしようとしていた寒川は、思いもよらぬ言葉にさっと視線を戻した。
「ご安心ください。もちろん、これはあくまで相談料でございます。相談内容を伺った上で儀式を行い、引き受けの可否の判断をいたします。可と判断した場合の費用ですが、かかる時間や手間等を考慮し料金を決定しますので、後払いでお納めいただきます」
なにも安心できない。
寒川は慌てて、制すように片手を挙げた。
「待て。引き受けられない場合があるのか? それでも一円取ると? それはほとんど詐欺じゃないか」
「……なにか勘違いなさっていませんか? わたくしは相談屋や探偵などではなく、巫女です。これから行うのはただの相談ではなく、神の託宣を受ける儀式なのでございます。よろしいですか、詐欺師は嘘をつきますが、神は嘘をつきません。神の託宣を受けるわたくしが不可と判断したのならば、あなた方がどのような手段を使ったとしても、相談内容の遂行は不可能なのです」
――うさんくさい。
寒川が感じたのはその一言に尽きる。
どいつもこいつも神だの仏だの妖だの、眉唾に決まっている。
「あなたの儀式には、一円を払う価値があると?」
「ええ。見れば分かると思います」
しばし見つめあった後、折れたのは寒川だった。どちらにせよ、目の前の巫女に頼る他、今の寒川たちにはツテがないのだ。
小さくため息を吐き、渋々懐から財布を手に取った。軽く中身を確認したあと、一円札を取り出して、平台の上に置いた。その衝撃でバンと音が出てしまったのは、寒川の僅かな抵抗の表れのようだ。
椿姫は怯えることなくそれを手に取り、ピラピラと何度か指で捲る。そして頷き、一円を懐にしまった。立ち上がって寒川らの脇を通り過ぎ、扉の外側に何やら紙を貼ってから閉めた。
不思議そうに見つめていると、椿姫は振り返った。
「『休憩中』の張り紙です。相談途中に絵馬やお守りを買いにくる人が入って来ては困りますから」
「無人販売にしないのか? ほかの神社ではよくあるだろう」
「うちは、絵馬に願いを書けば叶うと話題なのです。対価を払わぬ悪人の願いを叶えてしまったとあっては、商売上がったりですから」
「願いを叶えるのは神の意思だろう。金を払わず絵馬を書いたところで、神も見向きせんだろ」
椿姫は何も答えず、またスタスタと二人の横を通って床に座った。一拍遅れて真っ赤な千早がふわりと浮かび、花が咲いたように床に広がる。
すらりと芯の通った姿勢は、いかにも神に仕える者の神聖な雰囲気を纏っていた。
「聞きましょう」
「――ああ。柴、例のものを」
「はい」
柴は両手で抱えていた包を、恭しい仕草で椿姫の前に広げた。中から綺麗な振袖があらわれる。
「今回、我々がこちらを訪れる理由になった原因のモノだ。持ち主が病に伏せっているため、我々が預かってきた。持ち主はこれを『呪いの振袖』だと言っている」
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