時の狭間の喫茶店

三枝零一

時の狭間の喫茶店①

時の狭間の喫茶店


 からり、と小さな鈴の音がして、木製のドアが開いた。

 淡い橙色に照らされた空間をおそるおそる覗き込み、天樹錬はふと首を傾げた。


「……あれ……?」


 何してたんだっけ、と考え、すぐに思い出す。

 旅の途中で立ち寄ったオーストラリア内陸部の地下施設。

 フィアと手分けして探索しているうちに正体不明の演算装置を発見し、気が付いた時には虹色に揺らめく不思議な廊下に立っていた。


 曲がりくねった一本道をなんだかぼんやりしたまま歩き続けて、たどり着いたのがこの扉。

 そういえば途中で『時空連続体の構造を安定化中』という文言を何度か見た気がするが、あれは一体……


「いらっしゃいませ」


 急に店の奥から声。とっさに腰の紅蓮改に手を置いたところで、漂う香りに気付く。

 苦みと酸味が混ざった、コーヒーの良い香り。

 扉のすぐ向こう、木造きづくりのカウンターで湯気を立てるガラスの装置に、錬は目を丸くする。


 ……これって……


 半ば無意識に歩み寄り、装置を間近で眺める。

 ガラスの容器二つに蝋燭を組み合わせた、本物の豆からコーヒーを抽出するための骨董品のような装置。

 ずっと昔に真昼が手作りしているのを見たことがある。名前は確か──


「コーヒーサイフォン、だっけ」

「当店自慢の逸品で御座います」


 カウンターの向こうから、先程と同じ男の声。視線を向けようとした途端、目の前に小さな白いカップが差し出される。

 どうにも頭が上手く働いていない。ぼんやりしたまま椅子に腰掛けてカップを取り上げ、口を付けた途端に毒だったらどうしようと気づき、


「……美味しい」


 思わず呟く。

 兄と姉が淹れてくれたのと同じ、いやそれ以上に奥深い味わいのコーヒー。

 複雑に絡み合った成分が口の中にふわりと広がって、爽やかな後味を残して喉の奥へと流れていく。


「お連れ様はすぐにお見えになります。それまで、どうぞおくつろぎ下さい」


 よろしければこちらも、と差し出される砂糖とミルクの容器を受け取り、カップの黒い水面に注いでもう一度口を付ける。

 途端にもう一度びっくり。

 生産プラント製の規格品では有り得ない複雑な風味。まさかとは思うが、これは。


「本物のサトウキビから抽出した砂糖と、本物の乳牛から搾ったミルク。どちらも、お客様の時系列では入手が不可能となった素材と記憶しております」


 ゆっくりとコーヒーを飲み干してため息を一つ。ようやく頭が働くようになったところで、あらためて周囲を見回す。

 何かの店らしい空間には、錬が座っているカウンターの他に四人掛けのテーブルが三つ。

 天井には落ち着いた色合いのガラスの照明。木板の床に木板の壁。奥の棚にはコーヒー豆が入っているらしい大きな袋と共に何本かの古めかしい酒瓶が並んでいる。


 二十世紀の記録映像を収めたデータライブラリで見たことがある。


 もしかしてここは、かつて世界のあちこちに存在していたという古いタイプの「喫茶店」ではないだろうか。


 ……でも、なんで……?


「当店は時の狭間に位置しております」


 カウンターの向こうで声の主が微笑む気配。

 ほんの数十センチ先にいるはずのその姿は影のように揺らいで、手首から先しか認識することが出来ない。


「ここでは時空連続体の構造が安定していません。空間同士のつながり、時間の流れ、何もかもが曖昧です。ですから時折、お客様のように迷い込まれる方がいらっしゃる。そういったお客様に、元の宇宙との接続が回復するまでの一時ひとときおくつろぎいただくのがわたくしの務めで御座います」


「……ごめん、もしかして、多元宇宙論の話してる?」

「さすが、ご理解が早い」


 男の言葉に顔をしかめる。

 多元宇宙論というのはもちろん「宇宙には無数の可能性が在り、それらが平行して存在している」という仮説だが、錬の知識では西暦二一〇〇年頃に理論的に否定されているはずだ。

 だが、確かにこの「喫茶店」の状況は、単なる情報制御による空間構造の改変では説明が付かない。

 思わず腕組み。

 と。


「……おや、別な宇宙からのお客様のようです」


 え? と瞬き。とっさに椅子から飛び降り、店の奥に飛び込んでカウンターの陰に身を隠す。

 同時に錬が入ってきたのと同じ扉が開き、小柄な人影が、ごめんください、と店内を覗き込む。

 見事な長い赤毛を三つ編みに結わえた、錬より少し年下くらいの少女。

 何だかぼんやりとした様子で扉を潜る背中に、とんでもなく大きな剣がふわりと浮かぶ。


 大人の身長よりも遙かに長大な、真紅の刀身を持つ幅広の両刃の剣。

 手も触れずに浮遊しているところを見ると何らかの情報制御が使われているのだろうが、あんなに大きな騎士剣は見たことがない。

 それに、少女の服装も不思議だ。何かの天然素材で作られているらしい色鮮やかな外套に、防寒に最適化されているとは思えないスカート。

 別な宇宙という店主の言葉を信じたわけではないが、どこか暖かい場所から来たのかも知れない。


「いらっしゃいませ」


 急に、少女と同じ方向から声。いつの間にカウンターから移動したのか、影のような店主が少女の傍に佇んでいる。

 少女はぼんやりした様子のまま店主と何度か言葉を交わし、とんでもなく大きな剣を壁際に浮かべて一番近いテーブルに腰を下ろす。

 ほどなくテーブルの上に出現する、コーヒー入りの小さな白いカップ。

 おそるおそるという様子で口を付けた少女が、「苦……!」とカップを取り落としそうになる。


 少女は一瞬テーブルから飛び退きそうになり、警戒気味に椅子に座り直す。


 湯気を立てるコーヒーを毒か何かのように睨む少女を見ている内に、何だか面白くなってくる。

 足音を殺してテーブルの向かいに座り、カウンターの砂糖とミルクを「はい、これ」と差し出す。


「どっちも多めに入れると良いよ。っていうかすごいよね。化学合成じゃない本物の牛乳なんて」


 よく分かっていない様子で首を傾げた少女が、言われた通りにミルクと砂糖をなみなみと注ぐ。

 薄茶色になったコーヒーをスプーンで良くかき混ぜ、ゆっくりと口を近付け、


「……美味しい……」


 嬉しそうにカップを傾ける少女を眺めているうちに、自然と口元が緩むのを感じる。髪の色はヘイズに近いが、髪型はファンメイっぽい。


 身に纏う空気は穏やかというか素直というか、錬が知る人達の誰もが持っている「冬」の気配のような物が感じられない。


 もしかすると本当に、自分とは違う世界か、少なくとも違う時代から来たのかも知れない。


 と、少女は人心地ついた様子できょろきょろと店内を見回し、


「あの……このお店はいったい……」

「喫茶店、だと思うよ。たぶん。僕もデータベースでしか見たことないけど」


 少女が不思議そうに首を傾げる。どうやら「喫茶店」も「データベース」も理解出来なかったらしい。

 と、赤い瞳が急に傍らの椅子に置いた紅蓮改に留まり、


「あなたも魔剣使いなのですか?」

「まけ……何?」


 今度はこっちが首を傾げてしまう。騎士のことを言っているわけでもないだろうし、人形使いの亜種で何かそういう能力者がいるという話も聞いたことが無い。


 そもそも、少女の背後に浮かぶ剣からは、情報制御の痕跡がまるで感じられない。


 しばらく考え、ようやく納得して「そっか」と手を叩き、


「時空連続体の構造改変って、こういうことか」

「じ、じく……?」

「ごめんごめん。こっちの話」


 例えば時代が違うとかほんの少し歴史がずれるとかその程度の違いを想像していたのだが、もっと根本的に、物理法則その物が違う世界だってあるのかも知れない。

 なるほどと感心しつつ少女に向き直り、


「ちょっとものすごい田舎から出てきたばっかりなんだ。良かったらこっちの話聞かせてよ」


           *


 おかわりになります、という男の声と共に、新しいコーヒーがテーブルに置かれた。

 嬉しそうに口を付ける少女を横目に、錬はたった今聞かされたばかりの話を頭の中でぐるぐると反芻した。


「魔剣戦争と、魔剣使いと、聖門教と、厄災……」


 世界って広いんだなあ、と嘆息する。

 魔術があって、魔剣という超常の兵器があって、その魔剣に選ばれた魔剣使いがしのぎを削る世界。まるで、二十一世紀初め頃のゲームに出てくるファンタジーだ。


 だけど、そのファンタジーは別な宇宙には存在していて、少女はその世界から来たのだという。


 大気制御衛星どころの話ではない。まったく、人生は何が起こるかわからない。


「それで、今はその盗賊団を追っかけて?」

「はい」

 少女はうなずき、薄暗い店内を見回して指先で頬をかき、

「ここは……違うみたいですね」


 だね、とうなずいた途端、足下から低い地鳴りの音。床や壁やテーブル、あらゆる物が小刻みに振動する。

 ここに来る途中の廊下でも『時空連続体の構造を安定化中』という表示を見た。幾つもの宇宙をつなぎ合わせるというのはきっと途方も無く大変な作業なのだろう。


「まだ構造が不安定、かな」

 カップに残ったコーヒーを一口。

「そろそろ行った方が良いよ。そのコーヒーは僕の奢りだから」


 Iーブレインでしばらく解析を続けたおかげで、この場所の仕組みがおおよそ分かってきた。どうやら入り口の扉は一定間隔で接続が切り替わって、次々に別な宇宙につながるらしい。

 今なら扉の先は少女が入ってきた元の世界のまま。

 つまり自分が暮らしていたあの雪と氷に閉ざされた地球との接続は切れているのだが、それは自力でなんとかする。


「そ……そうですね!」

 快活にうなずいた少女が立ち上がり、

「ありがとうございます。お礼はまたいずれ!」


 長大な真紅の剣──魔剣「十七セプテンデキム」を浮かべて元気よく走り出す。

 その背中に、錬は「ねえ」と声を投げ、


「そっちの世界は、あったかい?」


 振り返った少女が不思議そうに首を傾げ、すぐに快活にうなずき、


「はい! 今は春ですから!」

「……そっか」

 何故だか嬉しくなって小さく笑い、

「それじゃ、がんばってね」


 不思議そうな顔で手を振り返した少女が、扉の外に飛び出す。


 真ん中に取り付けられた小さな鈴のからりという音。


 店の外に通じる空間の構造が書き換わる気配があって、すぐにまた勢いよく扉が開き、


「錬さん──!」

「フィア!」


 椅子を蹴って立ち上がり、駆け寄る少女を両腕で抱き留める。

 柔らかな金色の髪を何度も手のひらで撫で、互いのひたいを押し当てて笑う。


「大丈夫? どこも怪我とかしてない?」

「はい! 錬さんこそ……」


 一度だけ強く抱き合い、どちらからともなく手を放して、テーブルに向かい合わせに座る。

 と、大きなエメラルドグリーンの瞳が空になった小さな白いカップに留まり、


「誰かと一緒だったんですか?」

「うん。魔剣使いの女の子がね」


 え? と不思議そうな少女の声。

 錬はうなずき、カウンターの向こうの店主にコーヒーのおかわりを頼んだ。


「少しゆっくりしていこうよ。もしかすると、また他の誰かが来るかも知れないからさ」



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