第40話 手を繋いで帰ろう

 ロゼットは里を抜けて必死に走った。長時間走って息が苦しくなった、足が段々と前へ進まなくなった。それでも走り続けた。やがて足に力が入らなくなり、ロゼットは思わず地面に手をついた。

「うぐっ…ゲホッゲホッ、ヒィーフゥー。」

「(何をそんなに必死になっているの?)」

ふと頭の中から女性の声が聞こえる。毎晩毎晩この声を聴いて、散々精神をすり減らされてきた。ロゼットの中にいる、ゲルカドラの声だ。

「うるさい…黙って、気が狂いそう。」

ロゼットは自身に語りかけてくるゲルカドラを一蹴し、再び走り出そうとした。しかし、疲労感で立ち上がれない。

「…さん、ロゼットさん!」

 突然背後からリシュアの声がした。しかも心なしか少しずつこちらに近づいてきている。彼女に見つかる前に、ここから離れなくては。ロゼットは四つん這いで近くの木に近づき、それに捕まってようやく立ち上がることが出来た。そして、それがリシュアに姿を目撃されるのと殆ど同時だった。

「あ、いた!ロゼットさん、一体どうしたんですか。」

「リシュア、こっち来ちゃ…駄目なんだよ。折角一人になったと、思ったのに。」

「何を訳のわからないことを…何かあったんでしょう?ちゃんと話してもらわないと…」

ロゼットの支離滅裂な言動に疑問を抱きつつも、リシュアはロゼットを連れ戻そうと近づいた。一歩踏み出したその瞬間、突如として黒い炎がリシュアの頬をかすめた。炎は地面に落ち、周辺の草を跡形もなく焼き尽くした。

「ろ、ロゼットさん…?急に何を。」

黒い炎からロゼットへ視線を移すと、彼は手の平サイズの魔法陣に手をかざしていた。間違いなくあの炎はロゼットが出したものだ。しかし、ロゼットは今まで攻撃魔法をまともに使えた試しがない。ましてや黒い炎を出すのは熟練の魔道士でなければ不可能だ。

「何か…貴方何かおかしいですよ!本当にロゼットさんなんですか!?」

「…フフフ、まだわからないの?僕はゲルカドラ…違うロゼット。リシュアとは旅の仲間で、今は肉体はなくて精神だけになって…それで、それで!」

この言葉で、リシュアはようやくロゼットの状態を理解することが出来た。ロゼットは今、自分自身の記憶とゲルカドラの記憶が混ざり合っているのだろう。そしてリシュアに近づくなと言ったのはロゼットで、リシュアに対し炎を放ったのはゲルカドラなのだ。

 ロゼットは自身の頭を抑え、暫く独り言を止めどなく呟いていた。

「職業は僧侶で…リシュアとリエーテに肉体を破壊された…?僕はロゼット、僕はロゼット…いやゲルカドラだっけ?あれ、じゃあロゼットは誰?」

 ロゼットは自分に押し問答を続けながら辺りを歩き回った後、更に奥へとフラフラと歩いていった。リシュアはロゼットが遠くへ行く前に彼の腕を強く掴み、思い切り引っ張った。

「う、うわわ…転ぶ!」

ロゼットは驚きでバランスを崩し、小石を踏んだ拍子に転び仰向けになった。ロゼットは反射的に起き上がろうとしたが、その前にリシュアは渾身の力を込めてロゼットの頬に平手打ちをした。

「(何を…調子に乗らないで頂戴!)」

ゲルカドラは魔法で氷柱を出現させてリシュアを殺そうとした。しかし、その前にリシュアはもう一発平手打ちをした。ロゼットが唖然としていると、リシュアはロゼットを馬乗りにしながら言った。

「忘れちゃったんですか!二ヶ月間…たったそれだけの期間ですけど、リエーテさんとルーダくんと…仲間で一緒に旅をしてきましたよね!?嘘ついて里帰りに付き合わせて、リエーテさんの荷物を押し付けられて苦労して、いっぱい楽しいことがあったじゃないですか。」

手を押さえつけられ、氷柱は地面に落ちて割れた。ロゼットが口をパクパクさせていると、リシュアはそんなのお構いなしに話を続けた。

「ゲルカドラの精神を取り除くまで…アイヴィーの花を取りに行けるようになるまで、後一週間もあるんだぞ!ちょっとくらい根性で頑張れ!」

「(…アイヴィー?どこかで聴いたことが…私…)」

[アイヴィー]の言葉をリシュアが口にするとゲルカドラはピタリと動きを止めた。同時に、ロゼットの頭の中に見覚えのない記憶が浮かんできた。ゲルカドラの記憶の断片を、覗き見た気がした。

「(…あぁそうだ、ゲルカドラなんて名前じゃない。私は…)私は、アウネロだ。」

ロゼットの口からその言葉が出てきたものだから、リシュアは一瞬困惑した。まだ正気に戻らないのかと思い、念の為ロゼットの上体を起こして頭突きをくらわせた。

「あの痛いから、もう色々とボロボロだから。追い打ちかけないで?」

「あ、ロゼットさん正気に戻ったんですか。」

「あれ、本当だ。普通に話せてる!」

ロゼットは試しに指を動かしてみた。自分の思い通りに、自由に動かせる。そして、途端に憑き物が取れたように体が軽くなった。もしかして、とロゼットは思った。

「リシュア、負傷している方の手を出して。」

「え…こうですか?」

「うん、そう…キュエル。」

ロゼットが治癒魔法を使うと、瞬く間にリシュアの傷が塞がった。ゲルカドラに取り憑かれる前と同じくらい、自由自在にコントロールが効いている。

「色々と突っ込みたい所ですけど…まだ戦いは終わってません。戻りましょう。一段落ついたら、全部話してもらいますからね。」

「分かってるって、仲間に隠し事はしないよ。」

ロゼットはリシュアに平手打ちをされた頬をさすりながら、里の方へ戻った。


 里へは思いの外早く到着したのだが、それよりも戻った時のリエーテの冷たい視線に心を抉られた。無理もない、ロゼットの平手打ちの跡がかなり痛々しいのだから。

「アンタ…何があったんだい?そのくっきりと付いたビンタの跡は…」

「いや、やましい理由があるわけじゃないですよ?その刺すような目止めてくれません?」

リエーテは納得していない様子だったが、魔物がリエーテに接近してきたので会話はそこで中断された。魔物は三方向から攻めてきたが、ここ北西の魔物の数が圧倒的に多いためここが本命なのだろう。現に今も魔物の襲撃は続いており、魔物の数は減ることを知らない。

「はあぁ、でやあぁ!」

 魔物に応戦している人々の中で、鬼神の如く魔物に斬りかかっている人がいた。顔立ちと言い金色の髪と言い、どこか見覚えのある気がする。

「凄いなあの人…動きに無駄がない。」

 その人が今相手にしているのは、岩のような硬さを持つゴーレムだ。彼はゴーレムの拳を剣で受け止め、そのまま押し返した。一瞬よろけたがゴーレムは体勢を立て直し、今度は上から押し潰そうとした。しかし、彼は直前に宙返りをし、空中で体を捻ってゴーレムの腕を切り落としたのだ。その隙に、他の騎士団の者がゴーレムの心臓を一突きし、ゴーレムはその場に倒れ込んだ。

「流石ですね、将軍。このまま押し切りましょう!」

「…いや、そうもいかないらしい。皆、後ろに下がれ!これは…大物だぞ。」

将軍の呼びかけに、その場にいた全員が反応した。彼のいう[大物]が何を指すのかはわからないが、皆後退を始めた。

「急にどうしたんでしょうね?私には何も違和感は感じられませんが。」

「あれは…!?リシュア、ロゼット、アイツの言う通りだ。ついに大将のご登場という訳かい。」

リシュアとロゼットは顔を見合わせ、もう一度リエーテの目線の方向をよく見た。全身に炎を纏った、巨大な狼のような魔物がこちらへ走ってきている。

「あれは…フェンリル?絶滅寸前の珍獣と聞きますが…」

「おいお前!そっちに突っ込んでくるぞ、避けろ!」

兵士の目線の先には、フェンリルの進行方向の先には、何とルーダがいた。木々が彼の視界を遮り、ルーダはフェンリルに気がついていないようだ。兵士が必死に叫ぶも届かず、フェンリルは勢いを止めずに突っ込んでいった。

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