雷獣の子

津村マウフ

帝国

第1話 帝国の黒薔薇

 空を見上げると、深緑の機体に黄金の装飾が施された魔道船がゆっくりと上空を進んでいた。

 魔道船には新しい勇者が乗っており、帝都の中心にある宮殿に出向いてきたのだ。近く魔王討伐に向かうとの話である。

 帝都は勇者の出立で沸き立っていた。

 

「新しい勇者様は、第三レベルの魔動機兵を扱えるらしい」


 目の前でロースト肉を売っていた露店の店主が、隣で野菜を売っている店主に話しかけた。


「へえ、そりゃすげえな。今までは第二レベル止まりだったもんな」

「だろ。期待できるぞ」

「今度こそ、忌々しい魔王を討ち取ってほしいもんだ」


 ふんと鼻であしらうと、オレは手頃な獲物を探すために市場を出て高級商店が並ぶ中心街に向かった。


 さほど時間もかからずに、獲物は見つかった。

 宝石店から出てきた小太りの男だ。緑色の貴族衣装を着て、若い女を連れている。下級貴族だろうが、金回りは良さそうだ。傍にいる護衛が周囲を威圧しているが、オレには関係ない。


 護衛がオレに目を向けた。

 何かを感じたらしい。護衛は剣に手をかけた。

 オレは力を使った。

 全身が雷を帯び、時間の流れが変わった。世界の動きが遅くなった。知覚は鋭敏になり、目に見える全てのものが把握できる。


 オレは貴族に向かって走り出した。

 護衛が剣を抜いて、斬りかかってきた。

 護衛の剣がゆっくりとオレに近づいてくる。

 オレはさらに一段、ギアを上げた。

 オレは剣を軽く躱すと、貴族が腰につけていた金のつまった革袋をもぎ取った。

 そして、そのまま駆け抜けて、路地を曲がった。

 

「消えた!?」


 路地の向こうから、護衛の驚愕した声が聞こえた。


「兄ちゃん。おかえり」


 街外れにあるボロ屋に戻ると、妹のキャリイがぱたぱたと走ってきて抱き着いてきた。

 オレと同じイエローブラウンの髪と金の瞳を持つ妹だ。少しばかり痩せすぎてはいるが、この世で一番かわいい生き物だ。

 オレはキャリイを抱き上げると、頬ずりした。


「ただいま。変わりなかったか?」


「うん。まどうきかいであそんでた」


 居間に壊れた魔道機械が置いてあった。オレがゴミ捨て場から拾ってきたものだ。

 キャリイは魔道機械が大好きだ。それこそ、一日中いじくりまわしている。よく飽きないものだと思う。


「兄ちゃん、おなかすいた」


「そうか。今日はもうかったから、パンにベーコンも買ってきたぞ。しばらくは街に出なくても大丈夫だ」


「ホント!?うれしい!」


 キャリイは満面の笑顔を浮かべた。


 気がつくとオレ達二人はこの街にいた。親の顔は知らない。

 オレが街で金をくすねて、食べ物を手に入れてくるのもキャリイのためだ。がんばれるのはキャリイがいるからだ。オレ一人だったら、とっくに心が折れていたと思う。


 金を使い果たすと、オレは再び街に出た。

 街の人間は嫌いだ。

 あいつらはオレ達を人間扱いしない。まるで汚いものを見るような目でオレ達を見る。金を持っていけばモノを売ってはくれるが、ふっかけられるし、その目は早く出て行けと言わんばかりだ。


 一度、笑顔を浮かべた教会服を着た女が近づいてきたが、オレ達のような孤児を狙った奴隷商人の手先とわかってすぐに逃げ出した。

 今いる場所もいつまでいられるかわからない。まとまった金が貯まったら、この帝都を出ていくつもりだ。


 一月後、オレは再び街に出てきた。

 もう少し金がもつかと思ったが、うまく大金を手に入れることができて気持ちが大きくなってしまった。キャリイに新しい服や靴を買ってやったりしていたら、あっという間に金が尽きてしまった。

 キャリイの喜ぶ顔を見れたので後悔はないが、もっと節約しようと反省しきりだった。


 ところで、勇者の魔王討伐は失敗したらしい。

 市場を通り抜ける時、そこらここらで落胆した声が聞かれた。

 魔動機兵は魔族に奪われ、敗残兵が切り落とされた勇者の首を持って帰還したそうだ。

 まあ、オレにとってはどうでもいいことだが。


 ターゲットを探して、高級商店街を回ってみたが、街全体が沈んでいるようで、人気があまりなかった。

 たまに街を歩いている人間を見かけることもあったが、どこかの使用人ばかりで金を持っているようには見えない。

 日を改めるか、市場の方へ行ってみようか考えながら歩いていると、通りに一台の魔道馬車が止まっていた。


 機械仕掛けの馬が二頭つながれた白地に黒い薔薇が描かれた豪奢な馬車だ。

 おそらくはかなり高位の貴族の馬車なのだろう。道行く人が馬車に気がつくと、引き返すか、遠巻きにして恐れるかのような目を向けている。

 詳しくは知らないが、貴族には階級があり、衣装や乗り物に使える色が決まっているそうだ。

 馬車を囲んで銀色の鎧をまとった体格のいい騎士が配置され、周囲に目を走らせている。

 いくらオレでもこれに手を出すのはやばいと感じた。

 そうして踵を返そうとしたところで、馬車から女が下りてきた。


 長いストレートの黒髪で、馬車と同じく黒のドレスを着ている。十四、五位だろうか。肌は白く、人形のように整った顔立ちをしていた。その所作はただただ優雅で、今まで見たことがないほど美しい少女だった。

 オレは息をするのも忘れて、少女に見惚れた。


「あれは帝国の黒薔薇!?どうしてこんなところに?」


 遠巻きで見ていた人の口からつぶやきが漏れた。


「帝国の黒薔薇?」


 帝国の黒薔薇の話には聞いたことがある。ものすごい美少女だって話だった。噂通りだ、とオレは思った。

 少女がオレに顔を向けた。

 少女はオレを目に捉えると、口元に笑みを浮かべた。

 オレの背中に寒気が走った。

 気がつくと、オレは逃げ出していた。


 「まずい。まずい。まずい。まずい……」


 理由はわからないが、黒薔薇はオレを狙っている。

 同時に、あれは見た目どおりのただの美しい娘なんかではなく、得体のしれない化け物だという直感があった。


 しかし、見えない壁がオレの行く手をふさいだ。

 オレは目の前の空間を両手で叩いた。何も見えないが、そこには確かに壁のようなものが存在していた。


「何だ、これは?」


 見上げると、目玉に羽がついた機械が二機浮かんでいた。神の目だ。

 帝国のあちこちで見かける珍しくもない機械だが、オレのようなコソ泥を捕まえるために使われるほど安っぽいものではないはずだ。だが今、神の目ははっきりとオレを捕捉していた。


「畜生!キュベレーの仕業か!」


 振り返ると、鎧騎士達が盾を構えてオレの方に向かってきていた。

 オレは力を使った。

 全身が雷を纏い、体が軽くなる。

 オレは騎士に向かって走り出した。


 鎧騎士達の動きは止まっているかのように遅く感じたが、密着して盾を構えているので、すり抜ける隙間がない。

 オレは騎士の一人に雷撃を放った。雷を纏わせた手による掌打だ。殺傷力はそこそこだが、これを受けた人間は意識を保つことができない。

 電撃を受けた騎士はビクンと体を硬直させると、そのまま崩れ落ちた。


 オレは騎士を踏み越え、四方に雷を放った。

 雷は見えない壁にぶつかって消えた。唯一、馬車の方には壁はなかったようだ。雷は黒薔薇の前に立っていたとりわけ大きい鎧騎士に当たった。

 鎧騎士はビクンと体を硬直させて膝をついたが、意識を保ったようだ。盾を構えて、再び立ち上がった。


 オレは馬車に向かって走ると、最大出力の雷撃を鎧騎士にお見舞いすべく大きくジャンプした。

 しかし、そこまでだった。

 空中で、オレの目の前に糸のようなものが広がった。オレは避けることができず、まっすぐ糸につっこんだ。オレは糸に絡み取られ、石畳の上に叩き落された。


 立ち上がろうとするオレの上に次々と騎士達が乗りかかってきて、オレはあっという間に自由を奪われた。

 縛り上げられるオレの所に黒い薔薇が描かれた面をつけた小柄な男が顔を出した。


「やれやれ、皇女殿下のお遊びには苦労させられる。さっさと殺してしまった方があと腐れがないだろうに。キュベレー様のお力まで借りられるとは……」


 男は糸を回収しながら、溜息交じりに愚痴をこぼした。

 声から察するに、かなり高齢のようだ。


「まあ、そう仰らずに。おかげで族を一匹を捕らえることができました」


 大柄の騎士がヘルムのバイザーを上げて顔を見せた。騎士隊長と思われる。二十台と思しき若い男だ。


「情報通りの変わった力ですな。やはり魔族ですかな?」


「おそらくミックスでしょう。魔族は帝都に近づかない。神の目がありますから」


「神の目を掻い潜るとは、なかなかのものですな」


「人間のふりをしていたんでしょう。こいつは見た目だけは人間とそう変わらない。まったく、忌々しい」


 騎士隊長はオレの髪をつかんで、無理やり顔を上げさせた。


「おい、貴様!貴様は魔族の間者か?」


「知らない!オレはただ散歩してただけだ!あんた達は何の権利があってこんな真似をするんだ!」


 オレは叫んだ。

 途端に石畳に顔を叩きつけられた。鼻血が出て、気が遠くなった。


「権利だと!汚らわしいミックスが!この世界で権利を口にしていいのはピュアヒューマンだけだ」


 ピュアヒューマン、ピュアヒューマン……。

 帝都ではどいつもこいつもそいつを口にする。オレは吐き気がした。


「乱暴はやめて頂戴。わたくしはその子と話をしてみたいのです」


 黒薔薇がオレ達の所にやってきた。

 その後ろを揉み手をしながら、小太りの貴族の男がついてきた。オレが金を盗んだ貴族だ。

 くそっ、こいつがオレの情報をしゃべったのか。


「貴方の情報通りでしたわね」


 黒薔薇が貴族に微笑みかけた。


「お役に立てて何よりです」


 貴族は満面の笑顔で応えた。


「あら、なかなか可愛い顔をしているじゃありませんの」


 黒薔薇は扇子で口を隠してオレの顔を覗き込んだ。

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