第9章 恋なんて side慧
第9章 ①
"恋”は、この世でくだらないものランキング上位に食い込む。
振り回されて、めんどくさくて、だけどあとから良い結果が付いてくるとも限らない。
恋なんて、したほうが負け。
恋は弱みの一種だ。他人に知られたりでもしたらおしまい。
だから、しないほうが身のため。
愛だの恋だのに溢れたこの世界で、うまく、要領よく生きていくためには。
「ねー、すーいー」
人気の少ない放課後の廊下。
一人の女子生徒が、甘い声を出しておれのうでに縋りつく。
正直、名前は知らない。そこまで興味もない。
名前なんて、不必要な材料だ。覚えるだけ無駄。
「ん? なに~?」
おれは女の子の顔を覗き込む。
「そろそろさあ、慧の家行かせてよお」
「だーめ。おれ、プライベートについては秘密主義なの」
「うーん、わかった。特別なコできたら、許さないからね」
「わかってるよ~、うん」
……許さない、って。
別に許されなくてもいい。
てかなにそれ。
まるで、彼女みたいだ。
おれは女の子と友達以上の関係をもつとき、必ずこう言う。
"本気にはならない"って。
おれは誰のものにもならないし、おれが誰か一人だけを自分のものにすることもない。
中学のころから、そうだ。
誰かの特別になるとか、誰かを特別になるとか、めんどくさいし、ありえない。
たった一人が一人を、満たせるわけないんだから。
すぐに飽きて、離れていくだろう。
一途な恋とか、そういうのは所詮フィクションの世界の話。
現実では無理。
それは周りが、おれが、確実に証明している。
だから……戸惑ったんだ。
彼女―――桜庭芹菜ちゃんの存在に。
初めて話したときは、最悪だと思った。
いかにも真面目そうな女子生徒。
たしかクラスメイトだったっけ、そんな認識。
たぶん……なんかいろいろ言われる。説教的な。
こんなことするなとか、だめだとかいろいろ。
真面目な正義感で、おれのことを知りもしないくせに。
めんどくさい。
だから、よけいなことを言われる前にさっさと口止めした。
それはもう、物理的に。
するとその子は、顔を赤くすることもなく、ただびっくりしたように目を見開いていた。
キスされたっていう内容はどうでもよくて、ただ単に不意打ち食らったって感じ。
突然キスすれば、女の子は大抵顔を赤くするか、甘い表情になるのに。
この子はならない。それが少し新鮮だった。
あとからわかった。あの子の名前は桜庭芹菜。
いつも一人ぼっちなのに、学校に来るときと帰るときだけ、美桃律っていう男子と一緒にいるのを見る。
なんだろう、彼氏とか? ならなんで登下校のときだけ一緒なんだろうか。
「すーいっ」
そのとき、目の前に女の子の顔が現れる。
黒髪ボブが、さらさらと揺れた。
「うおっ」
「どしたの、ぼーっとして。帰らんの?」
……やばい、なんか、変なとこ入ってた。
「ん~帰るよ。どっか寄ってく?」
「え、慧連れってくれるの!? アイス食べたい気分だから、カフェとかにしよ~」
「わかった」
おれは席から立ち上がった。
二人で話しながら学校を出て、行きたいと言われた店に向かう。
店内に入り、席に案内された。
おれはカフェラテ、向こうはメロンソーダを頼む。
「メロンソーダのバニラアイスに無料でトッピングしてくれるんだって! クリームもりもりにしてもらお~」
注文の品が届いて、店員に生クリームを山ほど盛ってもらっていた。
うわ、すげー量。おれも甘党なほうだけど、それでも見ているだけで胸焼けしそうだ。
カフェラテをすすりながら、たわいもない話をする。
「ねえ、慧」
ふと、おれの名前を呼び、メロンソーダに視線を落とした。
「ん、なに?」
からりと、炭酸の弾ける緑色の奥で氷が動く。
「慧はさー、あたしのこと、どう思ってるの?」
賑やかな店内。明るいBGM。
だけどそれは、目の前のこのコの発言によって一瞬消えたような気がした。
ゆらりと、目の奥が揺れる。
……どう思ってるって。
「えっとねー、ありがとうって思ってるよ?」
「違う、そういうんじゃなくてっ」
すると声を少し荒げ、反論してきた。
……ああ、ふうん。
また、だ。
何度も言ってるのに。それでいいっておれの条件を了承したのはそっちなのに。
……結局、このコだって。おれと目的は違うんだ。
「……慧は、誰かを好きになったことないの?」
「……え」
まさかそんなことを聞かれると思わなくて、一瞬固まる。
その瞳で、まっすぐ見つめられる。
「なら、あたしが慧の初恋になってあげる。なんなら、今すぐにでも————」
「……何言ってるの? おれたちはそんな関係にならないって約束したでしょ」
「う、でも……」
でもじゃない、約束は約束。
だけどそれを言えば、このコはおれの元を去ってしまうだろう。
まあそれならそれで、また一人誰かを見つければいいけど。
めんどくさいから、できればこの曖昧な関係をずるずる引きずっていたかった。
それからおれは、カフェを出てしばらく歩いているまで、"約束"に関する質問は全部ごまかしにごまかして回答していた。
うっかりとでも明確な答えを出してしまったら、このコは今後おれの言葉を最終切り札のように使うだろうから。
中学のときも、似たようなことがあったからわかる。
特に行きたいところもないので、言われるがままぶらぶらとその辺を歩く。
そのとき。
スーパーの近くで、重そうに荷物を持つ人を見つけた。
うちの高校の制服だ。……ってあれ、あの姿。
「あ」
すぐ目の前に来てわかる。
それは、この前あの場にいた……桜庭芹菜ちゃんの姿だった。
びっくりして、思わず立ち止まる。
「……あ」
芹菜ちゃんが、こちらに気が付いて顔を上げた。
「ねーえ慧、この子だあれ?」
隣から、甘い声が聞こえてきた。
おれの腕をぎゅっとつかんで、芹菜ちゃんを見下ろす。
その視線は、鋭く突き刺すようなものだ。
女って怖え。
「ただのクラスメイトだよ」
「えーほんとに? なんかうそついてなーい?」
そのセリフを聞いた瞬間、おれの中で何かが生まれた。
たぶん、めんどくさいなっていう。
「うそじゃないってば、ね?」
「まあいいけど、なんか今日は冷めたから帰るぅー」
わざとらしくすねたような顔をし、おれから離れる。
「ん、わかった。ばいばい」
気持ちを悟られないようになるべくいつも通りに別れの挨拶を告げると、そのコは帰って行った。
芹菜ちゃんのほうを見ると、おれを不思議そうに見つめていた。
頭の上のハテナが見える気がする……。
「あーごめんね? なんか。ああいうの」
ちょっとまずいところを見られたかも。
まあ別にいいか、どう思われてたって。
どうせ芹菜ちゃんみたいな真面目さんは、自分とは真逆のおれのことなんて嫌いだろうし。
謝ると、また芹菜ちゃんは不思議そうな顔をした。
「てかそれなに? 買い物してたの?」
「あ……はい」
……無視するのもなんだと思ったので、話しかけてみる。
このまえのこともあるし。
すると芹菜ちゃんは突然、なにも話していないはずなのになぜか大きく目を見開いた。
まあいいや。
「袋パンパンじゃん。二つあるし、一個持ってあげるよ」
そのあとなんだかんだあり、おれは手伝いで、芹菜ちゃんの買い物袋を家まで持ってあげることになった。
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