不眠不休
萩森
第1話
ドロシーが不死になった。麓に来た行商人から人魚の肉を買い、食べてしまったらしい。ナイフを足に突き刺してみたところ、噴き出した血は、逆再生のようにみるみる傷口に戻り、何事もなかったのように皮膚が再生したと言う。
カルメンは今日こそ、怠惰に昼まで睡眠を貪っていた自分を呪った。自分が朝から起きていれば、ドロシーはカルメンを街に誘っただろうし、一緒にいればドロシーが変なものを口にするのを止められていたはずだった。今まで、カルメンは七割ほどを阻止している。
それはそうとして、なんでもかんでも口に入れる赤ん坊から成長のないドロシーに対して、ありったけの文句を言う権利が、友人たるカルメンにはあった。そのために口を開いて、ドロシーを見て絶句した。ドロシーは得意げにスカートをたくし上げて、脚を見せた。
「見て、どこを刺したかわかる? わからないでしょう」
拾い食いへの文句と突然顕にされた太ももへの衝撃で喉が詰まったカルメンは、黙ったままそっと近づいて、伸ばした手をどこへやるか少し迷ってから、膝を撫でた。彼女の言うとおり、刺したという傷は全く見当たらない。きらめく肌はなんの凹凸もなく続いている。本当に刺したのかすら疑わしいほどだが、ドロシーが興味の赴くまま、後先考えず刺しただろうことは確信できる。ドロシーには数え切れないほどの前科がある。
「えへえへ、ここだよ」
ドロシーが指すのは、膝の上あたりで、ちょうどカルメンが触れたすぐ上だった。そこに……さっきまで、傷があり、血が吹き出ていたわけだ。カルメンは信じられない思いでドロシーを見上げた。ドロシーはスカートを下ろし、驚くカルメンを満足げに見下ろした。
「驚いたか」
カルメンに寄せた口調を聞いても、喉は開かなかった。
日々更新される危うさを、実感を伴って目の前に出されては冷や汗をかく。カルメンは、ドロシーがやらかすたび怒っているが、ドロシーは一向にやめようとしない。一週間前には改造魔法陣を組み込んだ違法箒に乗って大気圏を突破しようとしたり、一ヶ月前にはネッシーを探して魚頭(頭が魚の怪物。女子供の肉が主食)のいる海へ赴いて襲われたりした。海に行ったのはカルメンも一緒だったので、一緒に命の危機に瀕した。危ない事をするな、死なないでくれと言っても、生きて帰ってくるドロシーには響かないみたいだった。なんならドロシーはそういった場面にカルメンを伴うようになって、カルメンは目の前で友人が死にかける様を見せつけられることになった。それで今回は、カルメンの目の届かないところで、勝手に自分の体にナイフを突き刺している。太ももなんか刺したら、人は簡単に死んでしまうのに。血は全て体内へ回帰したと言うが、その吹き出した血がその一瞬、どれほど彼女を染めたのか想像し、カルメンはゾッとした。本当に、ドロシーはこのまんまじゃいつ死ぬかわからない。……人魚の肉を食べたから、もう死なないのかもしれないけれど。ドロシーといると、ずっと心臓が痛かった。それでもカルメンはドロシーが好きだったから、もう二年、友達をやっていた。
ドロシーが伸ばした手を掴んで、カルメンは立ち上がった。ドロシーの腕を撫でて、その先の手のひらを何度か押し揉み、かるく握る。ドロシーの手は、カルメンと違ってやわらかい。ドロシーは脱力して、カルメンの好きにさせていた。
「人魚の肉、肉って言うけど植物みたいだったよ。玉ねぎだと思ったんだけど、薄皮があって、じゃがいもみたいな食感だった」
カルメンはやっと息を吸って、発言を拾った。
「それ、本当に人魚の肉?」
「知らない。でも人魚の肉として買ったよ」
カルメンはドロシーの顔を見つめた。彼女はキョトンとして見つめ返した後、慌てて口を開いた。
「ちゃんと火は通したから、この前みたいにお腹壊さないよ」
カルメンは何も言わなかった。確かにこの前ドロシーはお腹を壊したが、それは火を通す云々以前に、毒を持った生き物だったからだ。それを言ったところで、まともに伝わりはしないので、とりあえず方向を間違った努力を飲み込んだ。
「それで、残りの肉はどうしたの」
「残ってないよ。ひとかけしかなかった」
「じゃあ、本当にそれが人魚の肉だったかどうか、わからないまま?」
「うん。ねえ、カルメン」
ドロシーの青い瞳を見つめて、続きを促す。
「私が死ななくなって、うれしい?」
カルメンは二度目の沈黙を選んだ。
死なないでくれと言ったからだ。いつも危険に突っ込んでいって、命からがら帰ってくるドロシーに、カルメンがそう願ったからだ。危ない事をしないでほしい、という意図を持って発した言葉は、しかし言葉通りにドロシーに伝わった。だから人魚の肉を食べて、不死になった。太ももにナイフを刺しても傷一つ残らない体になった。箒から落ちても立ち上がることができる。その胸を聖剣が貫いたって、ドロシーが息を止めることはない。人魚の不死は呪いではないから、奇跡くらいが起こらなければ、その性質をかき消すことはできない。今後、どんな馬鹿な行いをしても、死なない。ドロシーは、絶対に生きて帰って来れる保証をカルメンに提示した。
「うれしくない……」
当然だった。カルメンはまさか本当に不死になって欲しくて発言したわけではないし、ドロシーに対する心配がまるで伝わっていないことに、自身の感情表現の限界を感じて、落ち込んですらいた。
案の定、ドロシーは驚いた顔で、カルメンの手を握り返した。ほんのすこし、彼女に対して、喜べないことに申し訳ない気持ちが起こったが、数々の危険を思い出すとすぐに消えた。
「だって」とカルメンはドロシーのピンクの爪を見つめて呟いた。
なにより嬉しくない、最大の理由がひとつ、ある。
「一緒に死ねなくなってしまった」
不眠不休 萩森 @NHM_hara18
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