第95話 『勇者』


 アイアズの宇宙には、音がある。

 音の波が伝わる大気が無いのに、そこで音が発生するのは、所謂『音波系』スキルの使い手に配慮してのこと。


 特にプレイヤーに人気のあった『吟遊詩人』というジョブは、音に関するスキルを主な攻撃手段として使う。

 そうなると、後々DLCコンテンツとして宇宙への進出を考えている運営にとって、宇宙でそれらのスキルが使えないのはいささか困った事態になる。


 そういった、大人の事情とも言える、世界の法則。


 ミケミケはそれに救われた。


 シィィ、と。

 真正面から何かが迫る音が、ミケミケの鼓膜を揺らす。


 惑星が崩れ、土埃が舞う中。

 一筋の光が漏れ出した。


 ミケミケの脳裏に浮かび上がる“死”の一文字。

 過集中で、泥のように遅く刻が進みはじめる。


 次の瞬間、ミケミケは己の首筋を狙って切り込まれた、流星のような剣を辛うじて捉えた。


 瞬きなどしていない。

 ミケミケの俊敏による知覚を遥かに超える速度で、ボロボロのステラが飛び出してきたのだ。


 避ける、では間に合わない。

 受ける、受けられるか、受けられるのか本当に!


 いや違う、受けるしか無いんだ。


 覚悟を決めたミケミケは、『ねこスラッシュ』を右腕に纏わせ、それを立ててステラが振るうアルシエルに合わせた。


 一瞬は拮抗したが、すぐにアルシエルがミケミケの腕の中ほどまで喰い込む。


 それで充分。

 その一瞬が欲しかった。


 ミケミケは腕を切り飛ばされながら後退。

 左手で指をぱちんと鳴らす。


 時間停止が来る、と考えたステラは高速で結界を構築するが、この指パッチンはミケミケのブラフ。

 もはや、感覚的に『時刻王権』は発動出来そうにない。


 それほどに今のステラは、先ほどまでの彼女とは隔絶している。

 結果的にMPの消費無くステラとの距離を開け、時間を稼げたミケミケは素早く思考を巡らせた。


 よく観察すると、ステラの体から淡い光が絶えず漏れ出している。

 その光こそ、ステラが進化と呼んでも差し支えないほどの超強化を果たした理由。


 そしてミケミケは、そのスキルに心当たりがあった。

 かつて彼女がプレイヤーであった頃、そのぶっ壊れスキルについて、ジルコニア集落の大図書館で読んだことがある。



 選ばれし正義、最強の天使のみが所有できる、最強のスキルの一角。

 その名を『勇者』。


 『魔王』、そして『剣聖』と並ぶ、イカれた性能を秘めたスキルだ。


 その効果は、『HPの減少率に伴い、ステータスを上昇させる』というシンプル極まりないもの。

 MPが少なくなるほどステータスの上昇率が上がる『ミケランジェロ』に酷似した効果だが、違うのはその呆れた上昇率。


 HPが一割削れたなら二倍。

 二割削れたなら三倍。

 最終的に、九割削れた状態を最高値として、全ステータス十倍ものステータスバフを得る。


 今のステラがHPの何割を削られた状態なのかは分からない。

 それでも、先ほどの動きを見れば相応のバフが掛かっているのは明らか。


 恐らく、追い詰められるほどに力を覚醒させる“勇者”をモチーフにスキルを創ったのだと思うが、前に立つミケミケとしては堪ったものではなかった。


 『猫ノ明星』が直撃したなら、ステラは確実に死んでいる。

 ステラは惑星に激突する勢いを敢えて殺さないことで、能動的に『勇者』を発動し、追撃で放たれるであろう『猫ノ明星』を躱すことを第一に考えた。


 『ミケランジェロ』により、毎秒少しずつステータスが上昇し続けることに一早く気がつき、それによって自らが対応できない速さで『猫ノ明星』を入れ込まれる状況になる前に先手を打ったのだ。


 光速かと、そう見紛うような速度でステラが飛翔した。

 破損したハルモニカは既に仕舞い込み、アルシエルを両手で構えている。


 彼女が携える星空のように深い瞳が映したのは、心底楽しいと言わんばかりの眩しい笑みを浮かべた、ミケミケの姿で。


 振りかぶられたアルシエルが、世界を真っ二つに両断せんばかりの勢いで振り下ろされた。


「視えてるよ、ステラ」


 それに対して、ミケミケはほんの僅かに体を傾けるだけ。

 まるでアルシエルが自ら避けていくかのように、斬撃がミケミケの傍を逸れていく。


 ミケミケの瞳が、きらきらと星のように輝き、虹のような軌跡を生み出していた。


 『魔神』、発動。

 毎秒1000MPという膨大なMP消費を代償に、ミケミケに与えられるのは未来を視る力。


 例えステータスで劣っていようとも、相手の動きの先が視えるなら、話は変わってくる。


 絶え間なく、連撃を繰り出し続けるステラ。 

 一撃で星が二つに割れるだろうそれを、ミケミケは躱し、流し、それが無理ならば『無効付与エンチャントアイギス』を交えて対処する。


 毎秒とんでも無い量のMPが失われていくが、これは何も悪いことでは無い。

 それを証明するかのように、ミケミケの纏った鎧が、眩しいほどの輝きを放ち始めている。


 『神鎧・ミケランジェロ』はMPが少なければ少ないほどに、ステータスバフが掛かるスキル。


 ミケミケのステータスはかつて無い上昇を見せ、今やステラに追いつきつつあった。



 ステラの心を埋め尽くすのは、驚愕。

 神代から無敗、どころか無傷での勝利を重ね続けてきた彼女。


 永遠にも思えるほど長くの時を生きたステラでさえ、これほどの存在に出会ったことは無い。



 怪物。



 この猫獣人を一言で表すなら、それに尽きた。


 ステラは、全くもって手を抜いているわけでは無い。

 本気も本気、体の奥底から振り絞るような全力だ。


 それでも、幾ら剣を振ろうと、魔法を放とうと、その全てに完璧に対応される。

 

 数千年以上、発動することすらなかった『勇者』によって引き離したはずなのに、気がつけば隣に立っていて。


 強い。

 あまりにも強い。


 彼女は強すぎる。


 それが、なぜだか嬉しかった。

 全力でぶつかっても、同じ目線でいてくれる存在に、ステラは始めて出会ったのだ。


 ステラは強くなりすぎた。

 彼女を心から心配できる者、彼女が抱える悩みを真正面から受け止めて共感できる者など、いなかった。


 ステラにとって、周りの全ては守る対象でしかなかったし、世界の全生命体にとってステラは、上位存在とも呼べる存在だったから。


 ステラは、前を向いた。

 両目を大きく見開くステラと、同じく全力で集中しているミケミケの視線がぴったりと重なる。


 楽しいでしょ? と。

 そう声が聴こえて。


 うん、そうだねぇ、楽しい、楽しいよぉ。


 ステラは素直に、にっこりと笑った。



 ステラの瞳が、光る。

 ミケミケに呼応するように、ステラは湧き上がる何かを掴み取った。


 真っ暗な夜空に、ぽつぽつと浮かぶ星。

 だけど誰も、彼女の輝きには敵わない。


 宇宙の真ん中、眩しく光った一等星ナンバーワン



〈『歓喜』のアイリスが発現しました〉



 燻り続けた一等星の、輝きを見よ。



「はぁぁあああああああ!!」



 ステラが咆哮した。

 ミケミケの未来視に映ったのは、踊り狂う無数の星。


 『星典・第八節 “天狼星”』


 ステラは周囲に流星を纏い、ミケミケに向かって飛び出した。

 彼女を囲む星々が、まるで牙の如くミケミケを狙う。


 だがミケミケのMPも、既に一割を切った。

 『ミケランジェロ』の纏う光が狂おしいほどに咲き誇り、実体を持つほどの魔力が溢れ出す。


 振るわれるアルシエル。

 迎え打つ『ねこパンチ』。



 激突。

 まるで始まりを思い出すように。


 ステラの剣と、ミケミケの拳が、鬩ぎ合った。


 世界が揺れる。

 アイリスにより、更にステータスの突き抜けたステラと。

 未来を捉え、ことわりを握り、神鎧にその身を抱かせたミケミケ。


 二人のりは、瞬きする間に数万回の密度でぶつかり合った。


 切り、払い、穿ち、流し、打ち、握り、抉る。


 ステラの体をミケミケの拳が打ったかと思うと、ミケミケの腕がステラによって切り落とされる。

 首を狩らんとアルシエルが踊ったかと思えば、それを防ぐようにしっぽが振り上げられ、追撃の膝蹴りがステラへと刻まれる。


 ステラはHPを保ちながら。

 ミケミケは部位欠損だけを再生しながら、二人はひたすらにぶつかり合った。


 忘れていた何かを取り戻すように。

 失われた何かを埋め直すように。


 二人は今、夢中だった。

 ステラの世界にはミケミケしかおらず、ミケミケの世界にはステラしかいない。


 まるで幼子が、公園で鬼ごっこをしているように。

 二人は無邪気に、全力だった。


 だが、その均衡はやがて終わりを迎える。


 先に限界がきたのは、ミケミケ。


 彼女の体から、力が抜け落ちた。

 MPがゼロになったのだ。


 『ミケランジェロ』は解除され、未来を視ることも叶わない。


 もはや、打つ手はない。


 なけなしの力を振り絞り、握り拳を作ったミケミケ。

 彼女の、その最後の拳が繰り出されるより速く。


 ステラの剣が、ミケミケの心臓を貫いた。



────────────────

 次回、決着。

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