第19話 人間の契約

 未だテンションが可笑しいルミナスに連れられて、グラムはデュラン王国中央の都市部商業区に訪れていた。一面に石畳が敷かれた綺麗な道や街並みはどこもかしこも人が多く、また栄えている。


 どこを切り取っても衰退した国とは思えない程の活気が商業区には溢れていた。


「以前見たときは寂れた印象しか覚えなかったが…………この国はいつの間にここまで栄えたのだ?」


 グラムは訝しんだ。デュランは、一年前にシャルロットと軽く見回った時点では廃れかけた王国だった。しかしその印象と、今目の前に広がる景色は随分と異なっている。


 グラムが以前見たのは田園地帯であり、比較すれば都市部の方が栄えているのは当然。それを差し引いてもこの繁栄は信じがたいものであった。


「仰る通り、デュランはたった一年の間に凄い速度で成長しましたわ。このリンゴのお陰でね」


 ルミナスはふふんと鼻を高くして、右手のリンゴをグラムに見せながら解説し始める。


「例えば、この石畳はベオウルフの石材で出来ていますわ」


 ルミナスは今自分が歩いている石畳の道に目を向けながらそう言った。彼女の後ろを歩いていたグラムも足元に目を向けるが、それ以前に人の多さに辟易した。


「そこかしこで行き交う人が沢山いるでしょう? 彼らの大半が今身に着けているのはダインがこの国に輸出した服ですわ」


 次にルミナスは行き交う人達の服にグラムの意識を誘導する。しかしグラムには何が何だか、服の違いが全く分からなかったので首を傾げる。


「あれもこれも、殆どが本来この国にはないものですわ。それが今この国に今存在しているのは、全てデュランのリンゴがあったからですのよ」


 言いながらルミナスは右手に持ったリンゴを誇らしげにグラムに差し出した。


 ツヤのある赤色のリンゴは丸々としており、リンゴを受け取ったグラムが鼻を近づけると芳醇な香りが鼻腔を擽った。そのまま一口齧ると、シャクという小気味良い音と共に溢れた果汁が少しグラムの手に垂れた。


「…………美味いな」

「そうでしょうそうでしょう!」


 ルミナスは喜色満面に声を弾ませる。


「……が、これが石や服になる意味が分からん」


 リンゴがそのまま他の物体に変化するイメージをしたのか、グラムは眉をひそめてルミナスに問いかけ、二口目のリンゴを咀嚼する。


「そんなことも知らない……って、あぁ。魔界には貿易の概念が無いんでしたわね」

「ボウエキ?」

「国同士で行う大きな買い物と考えればいいですわ」


 ルミナスが噛み砕いて説明すると、グラムはいくらか納得した様な顔をする。


「話を戻しますけど、デュランは食料難に陥った諸外国に対してリンゴを輸出しましたわ。その対価として受け取った多額の資金が先ほど言った石材や衣服、その他多岐にわたる物資を輸入する財源に充てられている訳ですの。デュランがこの一年で急速に栄え始めたからくりはズバリ、ここですわね」

「たかだか食料一つでそこまで大きな動きが生まれるとはな」


 ルミナスの解説にグラムは素直な感想を零す。


「不老不死の魔族にとっては食事なんて娯楽に過ぎませんわ。だけど人にとって食事は生命活動を維持するために欠かせないプロセスですの。つまり人にとって食料は命の素と言えますわね」

「つくづく不便な生物だな、人間は」

「どっちもどっちですわよ」


 ルミナスは苦笑した。

 

「それはどういう意味だ」


 リンゴを口いっぱいに頬張ったグラムが素朴な疑問を抱く。


「人は魔力が無くて生きて行けるけど、魔族は魔力が無ければ死んでしまいますわ」


 ルミナスは「それに」と言って言葉を区切った後、一呼吸置いてからこう付け加えた。


「人も魔族も、一人では生きて行けませんもの」

「?」

「貴方もいずれ分かるようになりますわ。シャルルといれば自ずとね」


 ルミナスは断言した。その顔には確かな根拠に裏打ちされた自信のようなものが見え隠れしていた。


 爽やかに微笑むルミナスの顔を見たグラムは狐につままれたような顔をしながら、リンゴを芯まで完食した。


「完食する程美味しかったでしょう? もう一つ欲しいのであれば、今後は自分の手でどうぞ?」


 言いながらルミナスは、露店がある方向を指差す。リンゴのことをえらく気に入ったグラムは、ルミナスに制御されていることに気付いていながら、それに気を悪くすることなく露店へと足を運んだ。


 それはリンゴだけを取り扱う露店であった。地面に敷かれた風呂敷の上に並べられたリンゴはいずれも実が大きく、陽の光に照らされた赤が艶やかであり、見て分かる質の良さから想起される果汁と食感がグラムを誘惑する。


 グラムは誘惑に従い、露店のリンゴを手に取って咀嚼し、満足した様に頷くとそのままルミナスの方へ踵を返そうとした。


「あっ! おいテメェ!! 待ちやがれ!!」


 それに待ったをかけたのは露店の店主である。背後から聞こえてきた怒声にグラムは何があったのかと思い込み、リンゴを齧りながら顔を向ける。


「何の躊躇いもなく食い逃げすんな!! 金払え金! リンゴ一個で四百ニル!!」


 店主は風呂敷の前に置かれた値札を指差した。


「ないが、それがどうした?」

「『どうした?』じゃねぇですわよこのバカタレ!!」


 首を傾げるグラムの後頭部に、大慌てで駆け付けたルミナスが拳骨を打ち込んだ。ドゴンという頭部からは絶対に出てはならない轟音が鳴り響いた後、グラムは平然としながらルミナスを見た。


「何で平気な顔して奪おうとするんですの貴方!!? 物を買うときはお金を払う!! 子供も知ってるような常識ですわよ!!」


 ルミナスは怒り心頭といった様子であった。拳骨を打った右手を痛そうに抱えながら、何食わぬ顔をしているグラムを説教する。グラムはその間もリンゴを食していた。


「無防備に晒している方が悪いだろう。野盗や鼠に盗まれても文句は言えんぞ」

「貴方は野盗でもなければ鼠でもないでしょうが……!!」


 ルミナスは溜息交じりにグラムの言い分を一蹴した後、店主に聞こえないよう小さな声で反論する。


(そもそも貴方、仮にも魔王様の息子でしょう! あの聖人君主の息子なのに、何をどうしたらそんな野蛮な価値観が形成されるんですの!)


 ルミナスは頭を抱えそうになった。


「……じゃあ、こういえば分かるかしら? 人にとって買い物は契約と同じでしてよ」

「!」

「代価を支払い、品物を手に入れる契約。その小さな契約のことを人は売買……買い物と呼ぶのですわ」

 

 グラムは"契約"という言葉に強く反応する。


「それにシャルルから聞きましたわ。貴方、シャルルと契約している間は平和に順応して生きるのでしょう? だったら人間界のくらいちゃんと従いなさい!」

「…………」


 言いながらルミナスは四枚の紙幣をグラムに差し出した。グラムは不満を隠すことなく顔に露出させるが、しばらく悩んだ末、しぶしぶ受け取った四百ニルを店主に手渡した。


「はい毎度。ったく、次は承知しねぇぞ!」

 

 代金を受け取った店主はグラムに釘を刺し、それ以上怒ることはなかった。会談を終えたシャルロット達が二人に合流したのはその直後のことであった。


 

 ダインの二人が帰国した後、グラムとシャルロットは夕暮れの帰路に就いていた。グラムはバスケット一杯に詰まったリンゴを片手に下げながら、ずっとリンゴをむしゃむしゃと食べ続けている。


「魔族は得てしてリンゴが好きなのでしょうか?」

「知らん。が、俺はこれが好きだ」

「見れば分かります」


 いつにもまして上機嫌なグラムを見て、シャルロットは柔らかに微笑んだ。


「ルミナス様からお買い物について教わったそうですね」


 微笑みながらシャルロットは言う。


「ルミナス様の言う通り、買い物とは契約です」


 夕闇に染まる空の下、商業区の薄っすらとした喧騒をバックミュージックにして二人は道を歩く。


「人間にとって契約は、ある意味魔族よりも身近で重要なものです」

 

 シャルロットは遠くに見える王城を見据えながら言った。


「人間は弱い生き物です。武器や魔法が無ければ、殆どの動物に勝てないでしょう。だから群れを成し、力を合わせて生きることを選択しました」


 グラムは食べていたリンゴを芯まで完食した後、食べる手を一旦止めてシャルロットに目を向ける。


「集団にとって秩序は必要不可欠。我々は秩序を維持するために略奪や詐欺といった行為を禁止し、これを法律によって権威付けすることで集団を制御します」

「……」

「その他にも法律は、秩序を脅かす殆どの要素を制限しています。集団に対して幾らかの自由を取り上げることで、我々は皆が安心して生活できる安寧秩序を維持しています。その積み重ねによって平和は初めて実現するのです」


 シャルロットは立ち止まる。グラムは数歩先行した後で気が付き、振り返った。


「ある意味では平和は法律という契約によって成立する側面があります。だから法律という契約を破る行為は、平和を乱す行為と同義なのです」

「窮屈だな。人間界は」


 グラムはうんざりした様な声で言う。


「否定はしませんが…………私が思うに、貴方は案外だと思いますよ?」

「……」


 シャルロットの言葉を、グラムは肯定も否定もしなかった。


「これからも今日みたいにお出かけするといいですよ。私に言ってくれれば、お金もその都度渡しますから」


 シャルロットは悪戯っぽく笑った後、また王城へと歩き始める。グラムは少しの間立ち尽くしていたが、やがて新しいリンゴを食べながらシャルロットの後を追いかけた。

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