選択の連続
ニーアレプリカントというゲームをやったとき、人生は選択の連続であるということを痛感した。
サブミッションで会話の選択肢が2つあり、サブミッションをやらないという選択もある。しかし、どちらを選んでもかなり精神的にキツイシナリオで知らぬが仏という気がしてくる。
まさにそこがこのゲームの素晴らしいところだと私は思っている。幻想的な雰囲気から想像出来ないくらい生々しい描写によって一気に現実に引き戻される。
サブミッション以外にも現実的でキツイゲームシステムがあり、だんだんレベルが上がるごとに爽快感が増していくのが楽しい。グランピングもそうなのだが、あえて不便を楽しむことがたまにはいい。
スローライフが少しでも出来るゲームがあると現実を忘れてやり込んでしまう。デス・ストランディングにしてもレッド・デッド・リデンプション2にしてもメタルギアソリッドVにしてものんびりしすぎて本編がなかなか進まなくなる。スローライフゲームとはかけ離れたゲームでスローライフを送る変なプレイヤーなのかもしれない。
どうぶつの森をやればいい話なのだが、スマホ版だけでも本当に現実を生きなくなりそうという感じがしたので少し怖いのだ...
いつかゲームで人生を満たそうという選択を取りそうであんまりゲームに集中できない。ゲームができるのは幸せだが、すぐ何かに依存してしまう私はそのうちゲームに憑りつかれて廃人になってしまいそうだ。仕事をする価値も、誰かと過ごす価値もなくなってしまいそうだ。食事もまともに取らないし、徹夜でゲームするような人間なのだ。
現実ではなかなか出来ないことがゲームの中では出来るから解放感がすごい。そしてゲームを中断すると現実が見えて絶望する。
時たま私はこのままでいいのだろうかとふと思うことがあり、なりたい自分を目指して行動に出るが自分が選んで来なかったことばかり見えて辛くなる。
私は今までもやりたいことをやってきたが、本当はもっとやりたいことがたくさんあった。楽しては駄目だ、楽したら本当にやりたいことは出来ないと思いながら挑戦してもプレッシャーに押しつぶされてパニックになってしまったり失敗したりする。
しまいにはストレスに耐えられずお金や時間を浪費してしまうようになり、体調も崩し始めて全てが壊れてゆく。
そんなことを一体何度やってきたのだろうか?
四畳半神話大系のアニメを初めて見たとき私は思った、多分私もこの主人公と同じなのかもしれない。バラ色ライフを送りたくて必死でも、自分が自分であるが故に不甲斐ない人生を送ってしまうのだろう。
私という人間は運もなく要領も悪いのだろう。引き寄せの法則的にはこういう考え方はよくないのだろうが、テクニックに依存してその言葉に支配され始めておかしくなるので冷静に考えていきたい。言葉にも感情にも知らぬ間に支配されてうまくいかなくなると自分を責めたり、違うじゃないかと反論したくなる。
全てが思い通りに行くのはつまらないと自分で思っているのにもかかわらず思い通りに行かないと不満を持ち始めてしまう。本当はうまくいって欲しかったし、詰めが甘かったり運が悪かっただけのことなのに何かを責めないと気が済まない気持ちが無限に湧いてくる。
そんなことしたって仕方ないのに。
頭でわかっていても気持ちが晴れることはない。考えても仕方ないことを考えたくなくて外に出たり、何か作業をしてコツコツと経験を積んでいこうとやってはみるものの作業に慣れると考える余裕が生まれたり、時間を気にし始めて集中できなくなる。
かといって何もしないでいると苦しくて仕方ない。何かをしない為の言い訳を考えたり、横になって他はないもしない選択はもうしたくない。休むことを選択し続けることは苦痛で仕方ない。
苦痛を抑える方法は3つある。誰かと他愛もない話をする方法、何かに我を忘れるほどに夢中になる方法、市販の鎮痛剤を飲む方法。
鎮痛剤は大体最後の手段にしている。効かないときは全然効かないが、効くときは身体が羽根のように軽くなり気持ちがとても明るくなる。なのでついつい鎮痛剤に頼りたくなるが、すぐ薬に手を伸ばす癖がつきそうで嫌なのだ。しかし、私は慢性的に身体のどこかしら炎症を起こしているので鎮痛剤でかなり楽になる。
誰かと他愛もない話をするのは鎮痛剤よりもよく効く万能薬のようだ。お話をするだけで様々な欲が抑えられるし、心が晴れていく。だからいつの間にか依存してしまう。自分の問題なのだから自分で解決しないといけないのに誰かを頼らないとやっていられなくなる。そうしてるうちに段々病んで段々おかしくなり、相手に迷惑だとわかっていながら何度も助けを乞うようになってしまう。
さっさと病院行くなりカウンセリングを受けるなりすれば良いのだが、世の中には精神疾患を持っている方は多く自分の順番を待つ時間が地獄なのだ。そして、行ってすぐどうにかなるものではなく応急処置に過ぎない。早く自分の根本的な問題を解決したい私は逆に応急処置を繰り返していると不満が溜まって爆発する...
だからこそちゃんと病院に通い続けるべきだったのかもしれないがそのとき出会った看護師も受付の人も二度と会いたくないと思ってしまい、足取りが重かった。
私は極端な人間だから一度でも嫌なことを経験するとトラウマになってずっと引きずってしまう。不安が頭を埋め尽くす。やる前から失敗や後悔することばかり考える。そうじゃないとわかっているはずなのに...。
大切な人に依存したくない。
そう思っていたから、そうなって行った。
しかし、病院に行くお金もとうとうなくなってきて今は無理そうだと諦めた。病院に行く前に生活出来なきゃ意味がないが、病院に行かないと生活する為のお金を稼げないという事態になった。
今はどうにか凌ぐしかない。
とりあえずやれることはやるようにした。
それでも、虚無感や孤独感に苛まれる。
何をやっても何も感じなくなり、何がしたいのかわからなくなり、何をやってきたのかもわからなくなり、ただただ意味を求めた。心の穴を埋める何か、心のモヤモヤを払ってくれる何かを求めた。
やっぱり大切な人と話がしたい…
大切な人と生きたい…
大切な人の為に頑張りたい。
そう思って、パトちゃんと話をしようとしたが言わないで欲しいと何度も懇願した言葉をまた言われてまたしてもぶちギレた。この人は私の辛さを本当に理解出来ないようだ。それなのに、この人がいないと辛いというのがなんとも情け無い。一緒にいても辛いし、いなくても辛い。
今まで誰かに自分の辛さを理解してもらえたことはあまりない。同じような苦しみを経験している人なら理解してくれるだろうと思っていたがそうではなかった。共感したり、寄り添ってくれたり、尊重してもらったことは少ない。そうしてくれてると思っていたが、実際には敬遠されていた。
「いや、それは思い込みだ。きっとそうではない。私がネガティブになっているだけ、相手に何かしらの事情があるんだ」
そうやって自分に言い聞かせた夜がいくつあったのだろうか。
私は同情は嫌いだ。
同情するのもされるのも嫌いだ。
可哀想だと思うのも、思われるのも。
共感ではなく、同情されたい人はたくさん見てきた。
「ねぇ?私可哀想でしょ?慰めて?」と言わんばかりに笑いながら不幸自慢をしてきた中年女性達に対する違和感をふと思い出した。
ああいうものに同情してはならない気がする。
全力で可哀想アピールをして誰にも構ってもらえない男性もずっと見てきた。
確かに可哀想な姿だった。でも、まあ事情があるのだろうと心の中で思っていた。
「相手にしても仕方ないや」
でも、私の大切な人を目の前で2対1で攻撃されたときは、手も口も出そうになったが、私が出る幕ではないことは理解していた。殴りかかりたくなってもそれで解決出来ないとわかっていた。どちらにも問題があったし、口出し出来る立場ではないし、何より口から正しい言葉じゃなくて人を傷つけるナイフが出そうな気分だった。
その時確信した。
こういう人にはやっぱり同情しちゃダメだと。
同情するのは悪い行いを許すのと同じ。
しかし、自分の意見が言えなかった私の大切な人が意見を言ったり、嫌なことに抗う良いきっかけになると思った私は鬼なのだろうな。
自分の大切な人を傷つけた人は心底憎いが、その人のようになるわけにもいかないし、私との問題でもないのし、差別するわけにもいかないし、冷たく当たっても解決出来る問題じゃない。関わり合いは避けていたが、仕方ないこともあった。
だから、平静を装った。巨大な憎悪を心に包んで...。
不思議と、私という敵相手に彼は素直だった。
「こういうとこが嫌われるんだろうな」
思えばそう溢していたことが何度かあった。
そう思ってんならなんとかしろよと言いたくなる。なんとか出来ないのだろうが。
彼はやりたい放題で人を大切にしない割に大切にされたくて仕方なくて当然のごとく嫌われて追い詰められて逃げた。
凝りも反省も謝罪もせず、何事もなかったかのように戻ってこようとした。彼を同情して庇いたい人がいたが同様に嫌われた。まあ、そりゃそうでしょ。やりたい放題やってた人を擁護して、やられた人の思いは受け止めなかったのだから。
私は人に嫌われるようなことをわかっててやったことはたくさんある。わかってなくてやってしまったこともある。どちらにしたって悪いことをしたことには変わりないから、自分の気持ちはどうであろうが基本的には詫びる。そして改善する。変わりたい、成長したいと思うから。
同情して可哀想な人を庇って嫌われた、もう一人の可哀想な人。ダメ元で声を掛けてみた。別にあんまり期待はしていなかったが、何事も確かめて見なければわからない。可能性を信じて今の現状と改善策を提案した。そんな立場でもないのに。
そこでわかったことは、この人は上手く出来ないことを馬鹿で不器用だからと言い訳して練習せずにさっさと諦めて
まあ、私の知ったことではないが、後々追い詰められて結局色んな人に助けを求めて冷たい視線を浴びるのだった。
何かを変えたければ自分がまず変われ。
人生で何度も目にしたり、耳にしてきた言葉だ。そして、苦境に立たされたときに私がやったことだった。
「人は変わることを嫌がるものだ」
そう私にぼやいたのは可哀想アピールをやめられず、やりたい放題やって追い詰められた彼だった。周りの人間が変わろうとしないことに文句を言っていたのは本人なのに、1番変わろうとしなかったのも本人だった...
私が自分の行動を変えるとき、面白いくらいに周りは変わってゆく。
結局のところ、彼は変わりたくなくて、周りに変わって欲しいだけで、自分の言う通りになって欲しいだけだった。
しかも、彼の言うことを聞く環境に置いたのは彼を同情して庇った人だった。
恐ろしいくらいに彼に悪影響を与えたのは同情だった...
まぁ、私がまともで彼とは全く違う人間かというとそうでもない。人様のことを言えるほどまともな人間ではないことは承知している。私は自分の裏側にある悪意を意識しないと、とんでもないことをしでかすことぐらいは知っている。
嫌いな人ほど手玉にとって転がしたい、痛い目に合わせたくてウズウズするさ。
しかし、同時にそんな人に構ってる時間も労力も持ち合わせていないとも思う。
嫌いな人の下にいてもがくよりも、違うところでやり直した方が効率的だ。
嫌いな人の下にいてもろくなことにならないし、別に嫌いな人の居場所を奪ってまで階段を駆け上りそのコミュニティに居たいとは思っていなかった。
だが、面白いくらいに嫌いな人ほど私を引き留めようとする。
「お前だって私がいない方が楽だろうが!」
否。私という人間はいなくなって欲しいが、私の持っているものや与えているものは失いたくない。
林檎の国のジョナを読んでいても、人が持っているものばかり見ていてその人自身は見ていない感じがする。
自分は馬鹿だとか、不器用だから出来ないとかどの口が言っているのだと言いたくなる。誰に向かって言っているのかもう一度考えてみろよと心が叫ぶ。
「お前の方が学歴が上で、立場も上、経歴にも大きな差がある、もっぺん鏡の前で見てみろよ!私だって不器用で、要領悪くて、やることなすこと遅くて必死に毎日腕磨てえんだおらあああああああああああ!!!!!」
私の心は叫びたい。中学生の頃山に向かって叫んだみたいに。
幼稚園の頃、母の真似をしてミシンで遊んでいてテレビに気を取られたばっかりに指を針でぶっ刺して声も出なかった。7歳の頃周りのお姉さん達と一緒に刺繍をして褒められたもんだから嬉しくて頑張ってやっていたが何度も針で指を刺した。中学生の頃に作った卵焼きを兄貴にチョコレートみたいだと言われた。風邪を引いて匂いも味もよくわからなくなり、なんかまずい気がしたのにもったいないからと腐ったごはんを知らずに食べて食中毒を起こした。高校生の時に服を作りたいと思ったが、本を読んでも裁縫のことを全然理解できずに母に教わったが、それでもよくわからないからお互いにイライラしながら作った服は着れるもののやはり粗かった。成人して作ったエプロンは縫い目も斜め、ポケットはズレている。
不器用で馬鹿なエピソードならいくらでも語れる。
将来困らないために色々資格を取ってみたものの、履歴書に書いて優遇してもらえるようなものはない。中途半端なものばかりだ。 おまけにブラックな職場からブラックな職場に転々としていたから履歴書だけで落とされる。
「いやぁ、実は上司と合わなくて辞める人多くてですねえ。人手足りなくて毎日サービス残業していて身体を壊して、無理ですって言っても休ませてもらえなかったし、パワハラもすごかったんですよぉ」
と、言えば採用してもらえるのか?こんな言い方ではないが、嘘をついて後で信用を失いたくないので事情は話すようにしている。
昔労働基準監督署に駆け込んで間違った部署に入ってしまったが、ちゃんとした証拠を持っていなかったし、そのとき仕事なんてたくさんあるからと転職を勧められた。勧められた結果が今に至る。労働基準監督署に持っていく為の証拠集めだって簡単ではない。賢い上司ほど、上の立場に上手く話すし結果も出しているから信頼されている。おまけに抵抗すればするほどやり方が陰湿になって証明しにくい。同じようなパワハラを受けていた方と、それを直で見ていた方以外には信じてもらえなかった。
まぁ、人生の貴重な時間をパワハラの犠牲にしたおかげで対応能力だけは段々上がっていった。対応能力が上がっても今度は対応するのに疲れるから結局は心身を壊すが。
過去を振り返って「もしもあのとき、ああしていたら」と考えるのは嫌いだ。もしものことなんか知らん。
だが、一つ言えることは違う選択をしたとて私は私でしかないのだ。違う失敗をしていただけかもしれない。
歯車に入ろうと頑張っても入れなかった私はうまく社会の歯車に入れた人間の言い訳なぞ聞きたくないわい。あなたは"優秀"だとか"頭良い"だとか甘い言葉をかけられて、思い通りにならず現実を知って失望するんだ。そんなのお前の幻想だと拳に息を吹きかけて顔面パンチしたいところだ。
こういうとき非常に法律のありがたみを感じる。法律があるから私は生きているし、法律があるから暴力を振るうのはゲームだけにしている。
いや、でも本当はゲームの中でも絶えず人助けをしようとしていて自分に腹が立ってくる。ゲームの中で善人振るなと心の声が聞こえる。
パトちゃんに洗いざらい吐き出してもスッキリはしない。自分の気持ちを言えば言うほどに自分が嫌いになっていく。本音を出せば出すほどに、自分を責め始める。自分の行動に納得がいっていない。過去から現在まで。自分がやらなかったことばかり、人がやってきたことばかり評価する。他人のやらなかったこと、他人のよくないとこを意識から遠ざけている。
私は本当は自分を信じたくないのかもしれない。過信して失敗したくないのかもしれない。本当のところは、理解できないものを理解して寄り添いたいし、成長したいのかもしれない。
憂鬱になっているときに一人でいるのは辛い、嫌だ。
頑固な自分と終わりなき戦いをしてしまうから。
でも、誰かといるとちゃんとした行動を選べる自信もない。
しかし、一人でいてもそれは同じ。
結局は癒すと言ってパトちゃんがそばにいてくれた。そもそも私がキレた原因はこの人にあるのだが。怒ることはポジティブなエネルギーであるというのは常々感じているし、そのようなことを色んなところで見聞きしているが、改めてそう感じた。モヤモヤがイライラに変わっただけで案の定その夜も眠れなかった。
睡眠障害は幼少期から抱えている問題で、良くなった時期もあったがまたしても悪くなった。悪夢は毎日見るので良い夢を見たときは幸せな気持ちになれる。しかし、天に昇っているのではないと言われてから複雑な気持ちになった。確かに目を覚ましたくないと頑張って眠ろうとするもんな。
漠然とこの時間が続く、明日が来る、当たり前の日常が毎日が続くと信じてやまない人の考え方に私は危機感を感じている。この人は確かなものに拘っている割には、随分不確かなものを信じているんだなと思うことが何度かあった。
当たり前なものは作られているものなのに。
私は眠るのが怖い。意識しないと呼吸が止まっていると気づいたときから、寝付けないし、悪夢は見るし、怒りマックスのときは自分の歯ぎしりの音で目が覚める。ギシギシと擦れる音ではない、耳元でゴリゴリ削れる音がした。
私はとってもとっても怒っているのか...
自分が思っている以上に怒っている。正しさにばかり拘って、自分の気持ちを受け止めない自分にも。まあ受け止めても憑りつかれてしまうのだが。
これは身体の傷と同じで良くなるのには時間がかかるのだろう。新しく始めたことに慣れるまで時間がかかるのだろうと諦めてふて寝をした。
色々忘れていたことをこのときは気付かなった...
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