ほどける


わたしは日菜を見つめていた。

二人ともなにもしゃべらなかった。


太陽はしだいに傾いて、窓辺に立つわたしたちの影法師を長くしていった。

教室にはめずらしく誰も入ってこなかった。

いつもは誰かしら出入りしているのに。


二人きり、世界から切り離されたみたいだった。


もちろん、そんなこと、あるはずなくて。

誰も教室に入ってこないのは、帰る人は帰ってしまって、部活の人はまだ終わっていない。

たぶん単純にそんな感じの時間帯だからなんだと思う。

校舎の中にはざわめきがあって、人の気配は途絶えていない。

廊下の先にある美術室あたり、部活中の人が結構いるのかも。

校庭では、ほら、テニス部が練習しているみたい。ボールを打つ音が三階にあるわたしたちの教室にまで聞こえてくる。

ランニングをする掛け声は別の部かな? 独特の掛け声が高く響く。

廊下から、ふいに誰かの笑い声。楽しそうな奇声をあげて、バタバタと走り去る数人の足音。

いつもの学校の放課後。活気にあふれている。

けど。

みんな近くにいるはずなのに、全てが遠い。


昼と夜の狭間。

ハッキリとはしない、何かと何かの隙間ポケット

そこに。


わたしと日菜しかいない。


そんな気がして。

わたしの心臓はずっとドキドキうるさかった。


スマホを握っている日菜は、妙に熱っぽい、うっとりとした目をしている。

握っているスマホを見るわけでも、一緒にいるわたしを見るわけでもなくて。

なんだろ。

今まで見たことがない表情をしてる。


八の字眉は健在で、でも、たぶん、困ってるわけでもなければ、わたしに助けを求めているわけでもなくて。

それどころか、わたしがここにいることも忘れてしまっているみたい。


ただ、ただ、うっとりしている。


例えたら、そうだ、あれに似ている。

まえに家族で温泉旅行に行ったとき、湯船につかりながらおばあちゃんが「あーっ」って言ってた顔。

「あーっ、すごく幸せだー」って顔に。

だけど、そんなの変だよね。

だってここには温泉なんかないし。

日菜はスマホを持っているだけなんだから。


なんだか怖くなってきた。


「ねえ、日菜」


声をかけると日菜は「ああ」だか「うう」だかよく分からない返事をかえしてきた。


「なんか、それ、やめたほうが良くない?」

「んっ、うん……」

「日菜?」

「へいき」

「でも」

「離したら、痛いし」

「そっか」


わたしは日菜にスマホを置いて欲しいのだけど。

どうしたらいいか分からない。

離したら痛いって言うし。

日菜に痛い思いをさせたくはないんだけど。

このまんまじゃ良くない、って。

そう思えてしかたない。


うっとりとした日菜の目つきが、わたしを落ち着かなくさせている。


こんなの、良くない。

良くないっていうより、むしろをしている気分。

だって、だって、だって……。


「……はぁ」

ため息をつく、日菜の声がやけに甘く響く。


わたしは黙ってられなくなって、

「ねえ、なんかおかしいよ。やっぱりやめたほうが良いよ」

言ってみたけど、日菜は全然聞いてくれない。


だからって、これより強く言うのは、さっきみたいに拒絶されそうで怖かった。

日菜に嫌われたら、って思ったら。

怖くて、なんにもできなくなった。


それでそのまま手を出しあぐねて見守っていると。

やっぱり変。


スマホを握っている日菜の手が、なんていうのかな。ゆらゆら、揺らいでるみたいな気がする。

うまく言えないんだけど。

スマホと触れているところが、ちょっとずつほどけてるって感じ?

じっと見てたら、そこが曖昧になっているのが分かる。


それっておかしなコトだよね?

すっごく怖いコトだよね?


胸のドキドキが治まらない。

どうしていいか分からない。

泣きたいような気持ちになって。

だけどホントは泣いてる場合なんかじゃないんだ。

もちろん、そう。

うん、分かってる。


だけど、そうしている間にも、日菜のそこがどんどん曖昧になっていく。

曖昧になって、ゆらゆらほどけて。

だから、それで、日菜の手はスマホになっていくし、スマホは日菜の手になっていく。

どんどんほどけて。


どんどん、どんどん……。

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