第4話 彼女が一番やりたいこと
その後、岸が駆けつけ、タチバナは保護された。
編集部にて、事情を聞いた岸が、アカバネを呼び出した。
警察に連絡していい事件――未遂だが、それでも実行したようなものだろう。
タチバナの怯えようを見れば、心に傷を負わせたのは明白だった。
「オレは、逮捕されるんですか?」
「こっちとしてはしたいけどな。まあ、聞いた状況を見れば未遂だ。裁判で勝つことはできても、逮捕はできないんじゃないか? 調べないと分からないが――それに、こっちも君が逮捕されると困るのは事実だ」
困る、と、したくないは別の話だ。
困るが、逮捕したい、というのが編集部の総意である。
「そうですよね、オレはこのレーベルには欠かせない、売れっ子作家ですからね」
「まあ、切り捨ててもいいんだがな。下がまったく育っていないわけではないし、アカバネ先生、一本槍のレーベルと思われたくもない。イメージ払拭のためにも、ここでクビにするのもありだ」
「……それ、本気で言ってるのか? エンタメ戦国時代の今を、オレ抜きで、他のレーベルに対抗できると思っているのかよ!?」
「できるかどうかじゃない、するんだよ。どうせ君に頼っても、いざという時に作品がないんじゃあ確保しておく意味がない。君より数枚落ちる作家がコンスタントに作品を書いてくれる方がよほど意味がある」
一年に一作の傑作と、一年に十冊の凡作は、総合で見れば同じくらいだろう。
ただ、岸は後者を評価するが。
ひたすら書いてきた作家を、最も近くで見てきたのだから。
「逮捕はしない、クビにもしないが、これまでと同じ待遇が受けられるとは思わないことだ。当然、タチバナにはもう二度と近づけさせない。支援もしない。作品を書いて信用を取り戻していくんだな。……もちろん、別レーベルに営業をかけてくれても構わないが、今回のことは、業界に知れ渡っているはずだ――。そんな君を使いたいレーベルがいるなら、どうぞどうぞと譲るつもりだ」
「…………」
「やり過ぎたな、暴君。いい勉強になっただろう。これを機に、真面目な作家になってくれることを願うよ」
狭い個室から、岸が退出する。
『クソがッッ!!』と、椅子を蹴り飛ばす音が、扉越しに聞こえてきた。
〇
「タチバナ先輩? お水、飲みますか?」
「ありがと、ニタドリ……」
紙コップに注がれた水を受け取る。
すぐに口をつけた。なにかをしていないと、思い出して呼吸がおかしくなる。
「…………」
「…………」
「どう、なっちゃうんですかね……」
ニタドリの呟き。
タチバナにも分からないことだった。
すると、戻ってきた岸の姿に、ニタドリがぱっと表情を明るくさせた。
タチバナもほっと安堵する……。
だけどやっぱり、男の人の太い腕を見るとフラッシュバックしてしまう……。
強く握られ、床に抑えつけられた記憶が。
「大丈夫、じゃあ、なさそうだな……タチバナ」
「すみません……」
「どうしてお前が謝る。お前は被害者だ。そして謝るのはこっちの方だ……、やはり、男性作家に女性編集者を付けるべきではなかった。いや、一人の作家がしたことで、全員の作家がそうであると言うつもりはないが、アカバネはそういう行為に及んでもおかしくはなかったからな。そこになんの対策もなくお前を一人でいかせていたのは、俺の落ち度だ、すまなかった――」
岸が頭を下げた。
タチバナは目を逸らした。
そんなことないですよ、とは言えなかった。
岸の言う通り、対策されていれば、あんなことにはならなかったのだから。
「少し休め。期限は設けない。お前が、また働きたくなると思うまで――ゆっくり休んだらいいさ」
「…………」
「有休はだいぶ余っているだろう? もし使い切っても、俺がなんとかする。金のことも心配するな、まずはお前が立ち直ってくれることが重要なんだからな」
「そうですよ先輩、もし良ければ、わたしも休みの日に遊びにいきますし――」
「ニタドリ、お前は恩を売りたいだけだろ」
「違いますよ!! どちらかと言えば、わたしが恩を返すんですっ、今まで、たくさん助けられてきたので……」
「ありがと、岸さん、ニタドリ――」
「だから先輩、思い詰めないでくださいね? すぐに忘れましょうっ、と言っても無理だと思いますけど……ゆっくり休んでください」
ニタドリが付き添い、タチバナは自宅へ帰ることになった。
「……ここまでで大丈夫だから、ありがとね、ニタドリ……」
「先輩、安心してください、アカバネ先生の担当、わたしがしますから」
拳を握ってやる気に満ち溢れているニタドリだが、心配で仕方がない……。
「でも……危ないよ」
「大丈夫ですよ、わたしはこれでも結構いいところのお嬢様ですから。わたしに手を出したらお父様が黙っていませんし、社会的にアカバネ先生を殺すこともできます――簡単なんです。それは先生も理解していると思いますし、こんな危ない女の子を襲うこともないでしょう?」
アカバネが自暴自棄にならなければいいが……。全てを失ってでもニタドリを襲うと決めてしまえば、彼は止まらない。ニタドリに大きな傷を残してしまうだろう……。
自分と同じように。
「そうなったらなったで、その覚悟の上なら受け入れますよ――全てを失う覚悟でわたしを襲うなら……まあ、一回くらいならいいかなって、思っちゃいますし」
「……そうよね、ニタドリはアカバネ先生みたいなタイプ、好きそうだもんね……」
「顔が良ければなんでもいいわけではないですけど、はい――正直好みです」
ニタドリどアカバネは、良いコンビになれるのかもしれない。
「……あ、じゃあ、オオアゴ先生の担当は……?」
「もちろん先輩ですよ? 今は岸先輩が臨時で担当するみたいですけど、タチバナ先輩が戻ってきたら、担当はタチバナ先輩になります――その時はよろしくお願いしますね。うちの子、人見知りですから」
「あなたの子ではないでしょう……あなたの担当作家というだけで」
「だからこそ、知っていることも多いです。アカバネ先生とは真逆ですから、やりにくいかもしれませんけど、でも、タチバナ先輩なら合っているかもしれませんね……」
「……男の人、だよね?」
「はい。男の人、というか、まあ、オスって、感じですけど」
「…………」
「ケダモノって意味ではなくてですね……、種族がその、リザードマンなので」
リザードマンの作家が、オオアゴ先生……。
「なので先輩に襲い掛かることはないですから、安心してください」
「安心、できるのかな……?」
まあ。
エルフの男よりはマシである。
「それじゃあ先輩、わたし、そろそろ会社に戻りますので……お大事にしてくださいね」
「うん、ニタドリ…………またきてくれる?」
「もちろんですっ、呼んでくれればいつでもきますよ!」
ニタドリの元気な声を聞いて、ちょっとだけタチバナも元気が出た。
彼女と別れた後、部屋に一人きり、という状況は、音もなくて怖かったけれど、ひとまずシャワーを浴びて気を紛らわせることにした。
体も頭もスッキリしてから、リビングでお酒を飲む。
いつものようなルーティンを無意識にしてしまう……おかげで思い詰める時間は少なくて済んだ。
パソコンを立ち上げる。これも無意識だった――すると、メールが届いていたことに気が付いた。
オオアゴ先生からだった。
「あ……」
『タチバナ様、詳しい講評、ありがとうございました。参考になりました。良ければまたお願いします。岸さんに三作ほど送っておきます。読むのも講評もいつでも大丈夫です』
素っ気ないメールだった。
だけど、彼なりに気を遣ってくれていることが分かった。
素っ気なく見えても、彼はこれで、踏み込んでくれているのかもしれない。
すると、もう一通のメールが。
『今日のこと、聞きました。講評のことは忘れてごゆっくりしてください。困ったことがあれば、お話、聞くことならできます。解決できるかは分かりませんが』
最後の一文はいらないと思うが、彼の性格上、言わないわけにはいかなかったのかもしれない。
くす、とタチバナが笑った。
ついつい、こぼれてしまった笑みだ。
『今後もよろしくおねがいします』
「……はい、よろしくお願いします」
タチバナは岸にメールを送る。
『オオアゴ先生の作品を送ってもらえませんか?』――と。
『分かった』
言いたいことは色々あれど、作品を読むことで気が紛れるなら、と思って、岸は追及することなく作品を送ってくれた。
タチバナはメガネをかけ直し、「よし」と気合を入れて。
「講評、いつでもいいなら――早くてもいいんだよね?」
ごゆっくりしてください、と言われるかもしれないが、これがタチバナ流の、ごゆっくりの仕方だ。
なにかしていないと落ち着かないから、ではなく、やりたいからやっている。
趣味に打ち込むのと同じように、オオアゴ先生の講評こそ、今一番やりたいことである――現実逃避ではなく、これが今の彼女の現実だから。
立ち直るまで休んでいてもいいと言われたけれど、意外と明日にでも出社できてしまうかもしれない――。
それはそれで、少なくとも悪いニュースではないはずだ。
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