第43話 春のすぐ手前で 花蓮Side

 鷹宮の手が私の頬に触れて、私は超絶美男子の透き通るような瞳に見つめられて息が止まりそうだ。


 はぁ。

 慣れない……あぁっ……。

 いつまで経っても胸がドキドキして、呼吸が危うくなる……。



「花蓮、今日は一緒に2人だけで花火を愛でよう」


 鷹宮が甘く囁き、私はときめきでくらくらする。



「今日は爛々の家の優琳姫ゆうりんひめと約束が……」


 私がつい本当のことを言うと、プイッと横を向いた鷹宮が小さく「分かった」と囁いた。



 あ……拗ねた……?


「鷹宮さまも一緒に飲みましょうよ」

「俺は……花蓮と2人きりで花火を一緒に見たかったんだ。もうすぐ婚姻の儀だろ。俺たちは夫婦になる。今だけが恋人でいられるんだ」



 とっくに、私は鷹宮の第一妃として御咲の民にも発表されている。恋人同士というよりも、鷹宮の妻として知れ渡ってしまっている。それはセンセーショナルな噂を伴って。


 宮中でも、62家もいる御咲の各家々の間でも、民の間でも大層話題になったことだ。


 傷物姫と蔑まれていた、選抜の儀最下位の済々の家の姫が下剋上のようにてっぺんを取ったとかなんとか……だ。



 鷹宮の甘い言葉に私はグッと言葉を飲み込んだ。


 恋人……。

 甘い言葉に思わず頬が赤くなる。


「先に約束をしたのは優琳姫ゆうりんひめの方なので」



 私はやんわりと断った。

 

 小袖と吉乃に聞かれたら、卒倒しそうな話をしてしまっている。今日は爛々の家に珍しい酒が入り、それをわざわざ前宮の白蘭梅棟はくらんばいとうに部屋のある、優琳姫ゆうりんひめのところに届けてくれたと聞いたので、一緒に飲むことになっているのだ。小凛棟の能々の家の喜里姫も一緒だ。


 春の宮は広大な宮なのに、私1人の姫しかおらず、寂しい。それは鷹宮が第一妃である私しか選んでいないから。私以外の姫を妃にするとなると、それはそれでとても心が痛むが、今のところ他の姫を第2妃に選ぶするつもりがないと鷹宮は断言している。


 御咲の皇子ともなれば、第4妃までいてもおかしくはないのに、鷹宮は頑として譲らない。


 13棟もある前宮には90部屋もあり、今も30家の姫たちが御付きの者たちと暮らしている。それはそれは華やかで賑やかだ。侍女も行き来し、毎日が活気に溢れている。



 御咲の62家の頂点に立つのが皇帝で、表向きは全ての家々が皇帝への変わらぬ忠誠を誓っている。だが、冥々の家の主と茉莉まあり姫は島流しにされた。家のお取り潰しは免れたが、冥々の家の主は主家から分家に代わった。何がなんでも権力を手中に収めたいと思う野心家はいずれの家にも多くいることだろう。

 

 広大な御咲の国で、我が国始まって以来の美貌を持つ世継ぎの皇子おうじとあれば、あの手この手で娘である姫を鷹宮に近づきたいと思う者も多い。



 選抜の儀は、家々の意向をまずおいておいて、世継ぎとの相性や姫の資質を見る儀だ。



 でも、なんで私が選ばれたの?と言う状況でして……。



 ふわりと押し倒されて、私は両腕を布団の上に押し付けられた。



「今日は一緒にいたいんだ」



 真っ直ぐに見上げると、きらきらと透き通った瞳で、照れたように頬を赤く染め上げた鷹宮が私を見下ろしていた。視線が熱っぽい。


 そのまま鷹宮の温かい唇が私の唇に重なった。


 誘うような仕草で心も体も蕩けるようになり、頭がぼーっとなる。



「わ、たしも……あっ……」


 

 重ねて口づけをされて、私は何も言えなくなる。


 荒い息づかいと甘い息づかいだけが聞こえ始めて……。





「鷹宮様っ!」


 突然、部屋の向こうから、光基のせっぱ詰まったような鋭い声がした。



 えっ!?



 私たちはハッとして顔を見合わせて、パッと体を離した。転がるように鷹宮から離れて起き上がった私は、衣装の乱れを素早くなおした。


 鷹宮は立ち上がり、ずかずかと扉の方に行き、少しだけ扉を開けた。



「どうした?」



 低い声で囁くように光基に聞いている。



「済々の家の理衣りいの君と蓬々ほうぼうの家の燕琉えんるの君がいらしております。至急の御用とのこと」



 りいにい!?



 私はしばらく会っていない兄が宮中に急にやってきたことに驚いた。燕琉えんるの君はここ数年羅国らあこくに留学していたはずだ。


 鷹宮は美しい顔をこわばらせて私をチラッと見ると軽く頷いて、そのまま扉の外に出て行った。



 直感的に、美梨の君に関連する何かが起きたのだと悟った。蓬々の家の璃音りおん姫が男装した姿である美梨の君がなりすましているお方が、燕琉えんるの君だ。


 美梨の君は鷹宮の親友として知れ渡っていたが、出自は蓬々ほうぼうの家の璃音りおん姫の兄としていた。真っ赤な嘘だが、周囲はそれを信じきっている。



 真実は蓬々ほうぼうの家の者でも一部のものしか知らないことだ。三の姫と美梨の君は同一人物であり、美梨の君は蓬々の家の公子である燕琉えんるの君とは別人だ。



 私は春の宮の寝室のもう一つの扉から素早く外に出て、小袖が待つ自分の部屋の方に向かった。


 広い廊下の向こうからちょうど小袖が姿を表し、私は飛びつくように小袖の元に走った。



「花蓮様っ!」



 小袖は眉を顰めて、廊下を走ってくる私を咎めるような仕草をした。



「小袖、急いで支度をせねば」

「わかりましたが、春の宮の主人たる花蓮様はもう少し……」

「小袖、理衣兄が急ぎの用で鷹宮さまを訪ねてきたの。何かあったのだわ」



 私の声音と顔色を見て、小袖は怪訝な表情に一瞬でなった。


 私の顔を一瞬見つめて頷いた小袖は、すぐに踵を返して足早に支度部屋の方に戻り始めた。



 まさか、天蝶節てんちょうせつで浮き足立つ都に……美梨の君は出かけていないわよね?



 私は凄い勢いで私の身支度を行う小袖を手伝いながら、髪を結ってもらった。髪飾りと簪をつけ終わった頃、息咳きって吉乃がやってきた。


 キリリとした表情がいつもより強張っている。



「花蓮様、夜々の家の邑珠姫様ゆじゅひめさまの行方がわかりませぬ。汐乃せきのが慌てて探し回っているのですが、寝起きのまま影も形も見当たらぬと騒ぎになりつつあります」



 寝起きのまま?

 あの、今世最高美女が?

 前宮の自分の部屋から寝起き姿のまま姿を消した……?



「蓬々の家の璃音りおん姫の姿を見た?」

「いえ、そういえば、璃音りおん姫は寝込んでいるそうですわ。洗濯場から戻ってきた侍女の慈丹じたんがそう言っておりました」



 絶対に嘘だ……。

 美梨の君になる時によく使う手だわ。



 慈丹は主人である姫のために嘘をついているのだ。



「吉乃、鷹宮様が私の兄に会っているはずなの」



 後宮には選ばれた者しか入れない。皇子とその妃と皇帝とその妃たちと、その御付きの者に限られる。



 私の兄とて、後宮には出入りできない。光基と鷹宮は外和殿に向かったのだと思った。松羽宮しょうばきゅうには今、柳武皇子りいむおうじがやってきている。天蝶節にやってくることも珍しいが、そもそも深野谷国しんやたにこくからの来客自体が珍しい。



「吉乃、私は前宮に向かう。あなたは昌俊を探してちょうだい。昌俊に外和殿にいるはずの私の兄の話を聞いてきて欲しいの。そして、邑珠姫様ゆじゅひめさまの姿が見えないことも伝えて欲しいわ」



 吉乃も美梨の君の正体は知らない。芳乃が蓬々の家の燕琉えんるの君と話すのは良くない。昌俊は、おそらく美梨の君の正体に気づいているだろう。



「わかりました」



 吉乃はそれだけ言うと、すぐに部屋を出ていった。



「小袖、前宮に急ぐわよ」



 私は衣装をきちんと着たものの、そのまま朝食を食べる間もなく、春の宮の車置き場に向かった。



「花蓮様、朝食はいかがいたしましょうか」

「慈丹に何かもらうわ」

「まぁ、姫様ったら」



 私は車置き場まで走り、車に急いで乗った。



「前宮の青桃菊棟までお願い」


 

 車夫につたえると、袂から割れた護符を入れた袋を取り出して見た。隣に乗り込んた小袖が心配そうに私と護符を見つめた。



 熱くもなく、無惨に割れたままの護符を私はじっと見つめた。



 羅国らあこくは制裁を受けた。

 じゃあ、次にしかけてくるとしたら……?



 激奈龍げきなんりゅう

 松羽宮しょうばきゅう柳武皇子りいむおうじが来賓として来ている今、深野谷国が陰謀をしかけてくるだろうか?


 だとしたら、やはり激奈龍げきなんりゅうだろうか?



 待って!?


 

 私は車の窓を開けて外を見た。

 


 いつもいるはずの五色の兵がいないっ!?



 罠!?


 

 もしかしてこれは罠!?



 私が死ねば、鷹宮の妃の座が空く……。



 きゃっ!


「花蓮さまっ!」


 ゾッとしたら瞬間、私は車ごと飛ばされた。

 目の前を護符を入れた袋が宙に舞い、私はそれをつかもうと、体が横っ飛びに吹き飛ばされながら必死に手を伸ばした。



 


 私の後宮生活は、やはり予期せぬ展開になった。



 

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