第40話 天蝶節で賑わう都へ① 蓬々の家の璃音姫Side

「梅香さん!」



 宮廷の薬師局からもらったアカギレ用の軟膏を洗濯桶に入れ、その洗濯桶を腕に抱きしめつつ雪を踏みしめて歩いていた私は、ふいに声をかけられて後ろを振り向いた。



 雪が舞った前宮は、ため息が出るような美しさだ。


 季節外れの雪は、まも無く桜が満開になろうという日に降ったのだ。



 今日は天蝶節。

 現皇帝の永鷹さまのお誕生日祝いで都中が浮き足立っている。鷹宮の父君の誕生日であるこの日は、これまでは毎年私も皇帝の居住と政治を行う場が備わる極華禁城ごくかきんじょうに呼ばれてやってきていた。


 だが、今年は違う。


 今年は、鷹宮の妃選抜の儀で、選抜の儀第3位の姫として華々しく入内したおかげで、既に前宮で過ごしている。そして時々はこうやってこっそり侍女の姿になって自由に過ごさせてもらっていた。


 天蝶節の今日も、わざわざ宮中に出向く必要もなく、鷹宮とは同じ宮中にいるのだ。



「梅香さん!」


 振り向いた私はまた呼びかけられた。声の主は、雪に覆われた前宮の桃の木の影にいた。



 御咲の皇子である鷹宮と私は幼馴染だ。母親同士が姉妹だったことがきっかけで仲良くなり、成長する過程で親友同士になった。蓬々の家の璃音りおん姫として生まれた私は、男装してよく鷹宮と遊んでいたのだ。


 蓬々の家は各家の中では一番の大金持ちであり、領地は御咲の国の中央の平地にあった。織物の商いで財をなした家だが、材木も扱い、手広く商売をやっていた。その家の三の姫とは、今こうして侍女の姿に化けて宮中をうろついている私のことだ。



 私に声をかけてきたのは、最近、よく洗濯場に向かう途中で出会う宦官だった。



 名前は……なんだっけ?

 わからん……。

 


 彼はこの広大な女の園である前宮に出入りができる宦官の1人だ。


 前宮は世継ぎの皇子が22歳から23年になる1年の間だけ盛大に開かれる。


 永鷹皇帝が妃選抜の儀で今の皇后に出会った時を最後として、前宮は二十数年もの間閉めきられていた。


 今回の選抜の儀をきっかけとして、どこもかしこも改修が施されたばかりで、真新しく美しく整っている。



 数ヶ月前に選抜の儀の吏部尚書を担当する髭面の芦杏ろあんが処刑されて、新しい吏部尚書が赴任していた。新しい吏部尚書の名は奏杜そうとで、芦杏より年上で落ち着いた雰囲気だった。髭もなく、芦杏とは対照的に清潔感に溢れる佇まいでそれぞれの棟の差配に気を配っている。



 詩吟、琴、裁縫、料理と、いずれの教室も今までと変わりなく運営され、姫たちは毎日のように集って授業を受けていた。


 31家の姫君たちが1年暮らす前宮は広大だ。それにも関わらず、最近、なぜかこの宦官に私はよく遭遇した。



 私はひとまず笑顔を顔に貼り付け、手を振っている宦官の元に歩み寄った。



 彼の名前は、確か永鷹皇帝付きの宦官である磁山じさんに似た名前だったような……?



 うーん……。

 なんだっけ?

 やっぱりわからん……。



 選抜の儀第3位の蓬々の家の璃音りおん姫が私の本当の正体だが、前宮では私の部屋は青桃菊棟にある。


 青桃菊棟はいまは心なしかがらんとしてしまっていた。第2位だった茉莉まあり姫本人が私を天守閣から突き落として殺人を犯そうとして追放されたからだ。


 まぁ、茉莉まあり姫本人も含めて、突き落とされた美梨の君の正体が、蓬々の家の璃音りおん姫が男装した人物、つまり私だとは知らないんだけど……。



 私は鷹宮の第2位の姫に選んでもらうつもりだ。美梨の君としても、最愛の花蓮姫と親友鷹宮の行く末を生涯をかけて見守ると決めたから。



 ただ、親友に最愛の想い人である花蓮姫を奪われてやってられないのは事実で……。


 だから時々、こうして自分の家の侍女になりすまして憂さを晴らしているというわけだ。


 今頃、鷹宮は花蓮姫とよろしくやっているんでしょうよ……。


 やってられん……。



 雪を被った濃いピンクの桃の花の下に立った若い宦官は、小顔でホクロが目尻にあった。ニコニコして私を見つめている。

 


天蝶節てんちょうせつに雪が舞うなんて、珍しいでしょう?今日の花火はとても美しいと思うのですよ。酒蔵と茶蔵から貴重な品々を前宮の姫君さまたちに振る舞うそうですよ」



 あぁ、思い出した。

 彼は新しい選抜の儀の吏部尚書を担当する奏杜の従兄弟か何かで、名前も奏山だ。



 だが、彼が本当に宦官が怪しいものだ。男を強く感じる。

 若い侍女の格好をした私に興味津々なのだから……。



 先の騒ぎを受けて、前宮の警護にあたっている者が一掃された。新しい吏部尚書が来るのと一緒に新しい警護の者たちが赴任した。その中の1人が奏杜そうとが連れていた縁者で、今私の目の前にいる宦官の奏山そうざんだ。



「そうなんですね!」



 私は酒蔵から貴重な酒を出すという話に喜んだフリをしたが、心中は複雑だった。


 昨年の秋に花蓮姫暗殺のために大変貴重な酒である紫央しおんが使われた。それも、選抜の儀の差配を行う芦杏ろあんによって使われたのだから、なんだかモヤモヤしてあまり喜べない。



「で……良かったら、天守閣でお酒やお茶を飲みながら花火を見ないかと……」



 あぁ、つまり、侍女の梅香の私を誘っているわけね?

 

 その天守閣から突き落とされた美梨の君の正体は私なんですけどね……?


 天守閣には突き落とされたトラウマがあるから近づく気にはなれない。



「ありがとうございます。でも、高いところが苦手なのでご遠慮いたしますわ」


 私はにっこり微笑んでそういうと、洗濯物の入った桶をこれみよがしに抱えて「急いで洗濯しなきゃ」と言いながらその場を足早に去った。


 侍女を誘うなんて、下心ありありだ……。



 私は頭を振って、これから自分がやろうとしていることに考えを集中しようとした。



 洗濯は口実だ。

 永鷹皇帝の察子さつしをつけるのだ。



 秘密探偵の跡をつけるなんて、なんだかワクワクするだろう?


 今頃、察子は客人のもてなすために作られたを松羽宮しょうばきゅうの湯殿に向かったであろう……。


 深野谷国しんやたにこくからの来賓である、朝風呂が大好きな柳武りうむ皇子の跡をつけるために……。



 前宮からは少し遠い松羽宮しょうばきゅうへは時間がかかる。洗濯場で本当の侍女である16歳の慈丹じたんに軟膏を洗い桶ごと渡して、私はちょっくら察子の跡をつけようという魂胆だった。



 今日の余興はそれだ。

 暇を持て余して死にそうなのだ。



 蓬々の家の璃音りおん姫は、突然の寒波に驚いて頭痛で寝込んでいることにした。今日の教室は天蝶節のおかげで全て休講だ。姫たちもゆっくりと過ごしているだろう。



 心優しい慈丹じたんは、私が薬師局でもらってくる軟膏のおかげでアカギレはだいぶ良くなってきたが、私が何をするかを打ち明けたらきっと心配のあまりについてくると言い出すだろう。



 だから、誰にも言えない秘密の行動だ。


 

 えぇい、何も宮中から逃げ出そうという訳ではないのだから、いいだろう?

 ちょっとぐらい怪しい輩の跡をつけるくらい……。



 しかも、敵に女だとバレたかもしれない美梨の君ではなく、なんの変哲もない侍女なのだから。



 まぁ、美梨の君に着替える服装は危険に備えて持ってきてはいる。洗濯桶の中はそれだ。短剣も忍ばせている包みだ。



 ここ数日ちょっと行動を把握させてもらったら、柳武りうむ皇子の行動は規則正しかった。だが、彼は誰かに接触するためにやってきたという噂がある。選抜の儀第2位の姫を使って騒ぎを起こした羅国らあこくが大人しくなるかも不明だし、福仙竜の噂が隣国にバレた今となっていは、あらゆる国の来賓を疑ってかかるのは当然。



 まぁ、彼が本気で怪しいとは思ってはいないんだけどね……。


 鷹宮と花蓮は春の宮でよろしくやっている頃だろう。私が宮中で何かを楽しんでも、気づかないだろうし……。



 私は「うんうん」と1人で自分にうなずきながら、雪の残る前宮の裏道を急いだ。



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