第12話「異界からの訪問者」

 村役場の小さな駐車スペースで、長く伸びたサイレンの音がぐっと高まりながら止んだ。軽トラックの荷台に乗せられたままのアルマを囲むように、複数の村人や役場職員が心配そうに声を掛け合っている。疲労困憊の高峯理久(たかみね・りく)と桜来(さくらい)凛花(りんか)、そして若いスタッフの姿は泥と汗まみれ。その一角に、救急隊員の二名が慌ただしく駆け寄ってきた。どこか山間の小規模消防署から派遣されたのか、制服は一般的なレスキュー隊のものだが、肩には小さな「○○町消防」という名札が付いている。


 「怪我人の方は……って、えっ、これは……?」


 救急隊員の先頭に立つ中年男性が、まずは理久たちの姿に目を留め、次に荷台に横たわるアルマを見て唖然と息を呑む。どうやら“人形”や“子ども”だと思っていたのか、その皮膚の質感や髪の造形がロボットにしてはあまりにリアルで、困惑を隠せないようだ。


 「す、すみません、怪我というより……この子はアコアなんです! ただ、人間同様に大けがのような状態で……修理、というか医療的対応が必要で……!」


 凛花が焦り混じりに説明するが、救急隊員は困惑を深める。そもそも普通の消防救急はロボットの修理に対応していないし、「アコアを治療する」という概念自体が想定外なのだろう。一方で、アルマの外見はどう見ても倒れた少女にも見える。隊員は思わず「本当にロボットなんですか?」と素っ頓狂(とんちょう)な声を上げた。


 「ええ、本当です。でも高度な自律型で、人間みたいに呼吸や体温に近いものを保ってて……いま機能不全を起こしてるんです。早く処置をしないとダメなんです……!」


 「で、でも……うちではアコアを診(み)る設備なんてないぞ? 医者も、機械整備士も呼ばなきゃならないし……」


 隊員がたじろいでいるうちに、別の若い隊員が「とりあえずストレッチャーに移そう」と動きだした。たとえロボットであっても、命の危機と同じなら人間らしい応急手当をするしかない――そういう現場感覚なのだろう。理久は少し安堵(あんど)しながらも、アルマの身体をどう扱えばいいのか分からず苦しげに口を結ぶ。


 「な、名前は? 本人……いや、このアコアに“意識”はあるんですか?」


 中年隊員がうろたえた声で訊ねる。理久はアルマの薄れた呼吸を聞きながら低く答えた。


 「名前はアルマ。意識は……もうほとんどないです。でも、まだ“死んではない”んです。どうか、どこかで修理か医療機関の紹介を……早く……」


 “死んではいない”という表現に、隊員はまた面食らった表情を見せる。だが理久の必死さに負けたのか、「とにかく分かった。乗せられるか?」と周囲へ合図を送る。手際よくストレッチャーを用意し、村の人々も加わってアルマをトラックの荷台から下ろしていく。


 その光景を見守っていた凛花とスタッフも、ようやく肩の力を抜き、膝から崩れ落ちるように座り込む。あまりに強行軍だった――施設を脱出し、山道を下り、救助を求めて走り回った末のことなのだから無理もない。


 「はあ……どうにか、助けてもらえそう……?」


 凛花が息も絶え絶えにつぶやくと、理久は首を横に振った。


 「分からない。下手をすればただ“無理”だと言われるかも。……でも、俺たちが諦めちゃダメだよな。絶対に生かす、って、アルマに誓ったから……」


 救急隊員たちはアルマを丁寧にストレッチャーへ乗せ、毛布をかぶせるようにするが、明らかに“人型ロボット”だと確認するたびに戸惑いの色を深めている。「体温があるって……なんで?」「脈拍みたいなのがわずかに……」「ああ、これ、人工呼吸器みたいなものが内蔵されてるのか?」などと首をかしげているのが聞こえてきた。


 「とりあえず……うちの町の救急病院へ連絡してみるしかないな。でも、機械の修理とかだと専門外かもしれない。そこも含めて受け入れOKか確認しないと……」


 中年隊員が対処に悩んでいると、村役場の職員が「町まで40分はかかるぞ。途中でアコアが止まってしまうんじゃないのか?」と不安そうに声を掛ける。そこへ凛花が割って入り、「私が最低限の応急処置をします」と申し出た。


 「工学専攻なので、アコアの外装や内部パーツの簡単な点検はやれます。もちろん専門の設備が必要だけど……山道を移動してる間に、万が一さらに破損が進めば、もう手遅れになるかもしれないから……」


 救急隊員は「そ、そうか」と頷(うなず)き、ストレッチャーを救急車の後部ドアまで運びながら、「じゃあ一緒に乗ってもらうか」と凛花を振り返る。日本の医療法や緊急搬送のルールでは想定外かもしれないが、非常事態であることは明らか。


 「待って、俺も……」


 理久も叫ぶように寄っていくが、今度は隊員が「一度に大勢はスペースがない!」と止めに入る。どうやら凛花だけが同乗して、理久や若いスタッフは別の手段を考えるという話になるらしい。とはいえ、地元の消防隊にはそんなに大きな救急車があるわけでもなく、隊員たちの判断としては仕方ない面もある。


 「……分かった。じゃあ頼む、あの子を……アルマを助けてやってくれ。俺はあとから必ず行く!」


 理久の迫力ある声に、凛花は小さく頷き返す。若いスタッフは「私がここで残って調整してもいいですか? 後で別の車で追いかけます!」と申し出る。救急車自体に乗り切らないなら、やむを得ない。


 「急ぎましょう! 町の病院に連絡はしますが……たぶんアコアの専門設備はない。どうにか他のルートも探さないと……」


 村役場の職員が半ば慌てつつ携帯電話で何かを調べ始める。周波数やネット回線の問題もあって思うように繋がらないようだが、「都会のほうにあるロボット診療所」を探すと言っているのが聞こえる。


 こうしてバタバタのまま、アルマは凛花・救急隊員たちと共に救急車に乗せられ、サイレンを鳴らして山道へと飛び出していった。理久は息を切らしたままその後ろ姿を見送り、深く歯噛みする。もう少し自分が力を持っていれば、なんとか彼女を守りながら先頭に立って指示できただろうに……そう思うと悔しい気持ちが湧いてきた。


 「理久さん……大丈夫ですか」


 そばにいた若いスタッフが声をかける。理久はそちらに顔を向けて、虚ろ(うつろ)な笑みを浮かべた。


 「うん、ありがとう……。君こそ、怪我とかないか? 施設を脱出してからずっとハードだったろう」


 「ええ、まあ。アルマの応急処置に集中してたら、自分の痛みとかあまり感じてなくて……でも、こうして終わってみると、私もふらふらです」


 スタッフは苦笑しながらも、微かに目尻を濡らしている。恐怖から解放された安堵と、まだ続く不確実性への不安が混ざっているのだろう。村人や役場職員の間でも「こんな大騒ぎ、何があったんだ?」という声や、「アコアが怪我してるってどういうことだ?」という疑問が飛び交っている。


 (大騒ぎ……当然か。俺たち、すごいことをやらかしてしまったのかもしれない)


 理久は頭を振って思考を振り払う。アルマの無事こそが第一。彼女が完全に修復され、再起動できるかどうかは、もはや専門家の腕と状況にかかっている。今ここで理久ができることは限られていた。


 「……あんたたち、まだ若いのにえらい目にあったんだなあ」


 先ほどの軽トラックの運転手が再び近づいてきて、憐れむように肩を叩く。どうやらこの人は村役場のOBか何からしく、顔馴染みの人も多いらしい。周りを見回しながら「少し休むといい」と声をかけてくれる。


 実際、理久たちは足腰がずっと震えっぱなしだった。そこで役場の片隅にある倉庫スペースを借り、テーブルを出してもらい、暖かい飲み物を用意してくれる村人も現れる。敷地の横には水道があり、顔を洗うこともできる。いきなり“地獄”から“天国”に来た気分だが、心は落ち着かない。


 「……槙村 真人や勝峰 岳志たちはどうなったんだろう……それに、あの施設……」


 理久がぽつりと零(こぼ)すと、若いスタッフも心配げに頷く。


 「勝峰さんは倉庫区画を探すとか言ってたから、もしかすると別のルートで脱出できたかもしれない。でも槙村って人はもっと危険ですよね。外に出てきたら……アルマを追ってくる可能性とか……」


 思い出すだけで嫌な胸騒ぎがする。もし槙村が生きていて、裏ルートから抜け出してきたなら、アルマの秘密を狙うためここを探しに来るかもしれない。今はまだ警備ロボの暴走などで施設が混乱しているだろうが、いつ状況が変わってもおかしくない。


 (警察や行政に連絡すればいいんだろうが……こっちはコーディネートの凛花や、勝手にアコアを持ち出している俺たち。法的にはグレーどころじゃない危険領域だ)


 もちろん犯罪行為をしているわけではないが、法のしがらみの多いこの世界では、コーディネートやアコア所持の問題で咎(とが)められる可能性がある。何よりアルマ自身が、軍事レベルのハッキング能力を備えた特別な個体なのだ。その存在が世間に知れれば、大騒ぎになるだろう。


 「ごめん……ちょっと電話使っていいかな」


 理久は意を決し、役場の職員が持っていた固定電話を借りる。携帯やスマホもあるにはあるが、この辺りは山間部で電波が不安定らしい。役場の有線回線なら安定しているという話だ。


 ダイヤルを回して会社の連絡先を試みるが、不通か録音メッセージばかり。あるいは会社のサーバー自体が混乱状態かもしれない。次に警察の番号を入力しかけるが、理久は躊躇(ためら)う。下手をすれば取り調べのルートでアルマを押収されるおそれがある――そう考えると、気軽に通報できない現実があるのだ。


 「理久さん、どうします……? このまま黙ってるのも危険じゃないですか。施設の爆発とか大事故が起きてるわけだし……いずれ大ニュースになりますよ」


 「分かってる。でも、アルマが元気になるまで待ちたい。あいつが正真正銘『人としての意思』を持ってることをきちんと証明できれば、俺たちの立場も少しはマシになるかもしれない。……いま警察に話したら、一方的に機械扱いされて、どこかに没収されかねない」


 若いスタッフは眉を寄せ、「そんな……でも黙ってたら、槙村とかいう人が先に手を打つかもしれない」と怯(おび)えをのぞかせる。実際、その可能性は高い。彼は軍事データを狙っていたし、アルマがその鍵を握っている以上、放っておくはずがない。


 そこへ役場の職員が声をかけてきた。「落ち着いたか? 医者や業者に電話してみたけど、ロボット専門ってのはなかなか見つからないな……。町の病院も『症例がない』って困惑してるみたいだし……」


 「すみません、本当にご迷惑を……。でも、彼女――アルマ――が生きるためには特殊な知識が必要なんです。もし他の自治体や都会の工学系大学とか、大手ロボット企業と繋がりがあったら教えてもらえませんか?」


 理久が頭を下げる。職員は「うーん」と唸(うな)り、何枚かの紙を持ってきた。「とりあえず近隣でAIやアンドロイドを扱う会社やサービスを検索したけど、このあたりだと物流用や介護用の小規模事業ばかりで、そんなハイエンドモデルの修理は無理そうだな……」


 「都心のほうに行けば大企業のメンテセンターがあるかもしれませんが……今すぐ予約して運べるかどうか……」


 若いスタッフが辛そうに視線を落とす。焦るばかりで現実的なプランが見えてこないのだ。


 「……とにかく一度、町の病院へ行くしかない。でも既に救急車で運ばれるだろうし、そっちで医療機関が対応してくれるかどうか……」


 理久は項垂(うなだ)れながら呟(つぶや)き、岩壁に捕まるようにして椅子に座り込む。ダメかもしれない――一瞬そんな諦めが頭をよぎる。外へ出ることはできたが、アルマを救うのはこれほど難しいのか、と思うと無力感が襲ってくる。


 (ごめん、アルマ……お前を助けるって言ったくせに、俺は何もできないのか……?)


 自嘲混じりに目を伏せたとき、不意に村の外れにある道路から砂埃(すなぼこり)が巻き上がる音がした。見れば、一台のSUVがかなりのスピードで役場の敷地へ突っ込むように走ってきて、キュッと急ブレーキをかけて停まった。黒塗りのボディは埃まみれで、長距離を無理やり走ってきた雰囲気がある。


 「な、なんだ……?」


 理久や職員が目を凝らしていると、SUVのドアが開き、中から数名の男女が降りてきた。年齢はバラバラだが、皆同じような黒いジャケットを着ており、胸元には見慣れぬロゴマーク。ひとりはサングラスをかけ、もうひとりは端末を手にして何かを調べている。


 「……もしかして政府とか警察とか? 早くもマークされたか……?」


 若いスタッフがそう囁(ささや)き、理久は警戒心を高める。もしや槙村の仲間か、あるいは何らかの当局の人間かもしれない。彼らがこんな山奥の村役場を真っ先に訪れるなど不自然すぎる。


 「失礼ですが……こちらに『高度自律型アコア』が保護されたと聞いて来たんですけど」


 先頭に立つサングラスの男が職員に声をかける。職員は困惑した表情で「どこでそんな情報を?」と返すが、男は端末をちらりと見せながら「ネットの緊急用掲示板で発見しました」と告げる。どうやらこの村の救急連絡やソーシャルメディアに引っかかった情報を追ってきたらしい。


 「あの……どちら様でしょうか?」


 職員が少し身構える。すると、男はサングラスを外し、名刺を差し出す。会社名らしきアルファベットが並んでいるが、理久には聞き覚えのないところだ。


 「○○テックの“フィールドワーク部門”の者です。民間ですが、ハイエンドアンドロイドの研究や修理を行っている企業でしてね。ここに“緊急で修理を求めるアコアがいる”という一報があり、急いで駆けつけました。詳しくお話を伺えますか?」


 明らかに普通の会社員ではない雰囲気に、周囲の人間がざわつく。顔立ちは穏やかだが、どこか鋭いオーラを放っている。凛花や若いスタッフがいたら「怪しい……」と警戒しただろう。しかし、いま凛花は救急車で出発済み。理久が代わりに状況を説明するしかない。


 「ここにアコアがいると聞いて……って、申し訳ないですが、私たちはもう“救急車”で搬送してもらいました。その子――アルマは、重体で町の病院へ向かってる最中です」


 男たちは目を見合わせ、「そうですか……遅かったか。なら、あとを追うしかない」と呟(つぶや)く。彼らの背後から別の女性が一歩進み出て、「重体……ということは、かなり破損が激しいんですね。まさか、そんな状態までアコアが機能してるなんて……」と興味深そうに端末へメモしている。


 理久は彼らの手際の良さに疑問を覚える。まるで最初から居場所を知っていたかのように駆けつけているし、アコアの状況にもまるで詳しそうだ。この会社は一体何者か、と警戒心が募る。


 「その子……アルマは、もしかして“施設崩壊”の生き残りなんですか?」


 男がさらりと尋ねてきた。理久ははっと息を飲む。「施設崩壊」のワードを聞き慣れない村の職員たちは怪訝(けげん)そうな顔をしているが、理久としては何も答えたくない気持ちが強い。下手に喋れば、アルマの秘密や軍事的背景を知られてしまうかもしれない。


 「いえ……よく分かりません。私たちも混乱していて……すみませんが、あなた方は本当に“修理”ができるんですか?」


 理久が目を逸らすように答えると、男は薄い笑みを浮かべ、「もちろん、会社としては最新鋭の設備を持っています。ハイエンドAIや軍事系プロトタイプの修理実績もある。お力になれますよ」と言う。


 (軍事系プロトタイプ……やはりこいつら、アルマの正体を察してる?)


 ぞっとするほどの警戒心が背筋を走る。もし槙村一味とは別の勢力がアルマを追ってきたのだとしたら――。だが、いま理久には選択の余地が少ない。彼らが“本当に助けてくれる企業”なのかもしれないし、そうでないかもしれない。


 「アルマさんは、病院に搬送されましたか? それなら私たちが直接出向いて、病院の医師と話をして、修理の準備を進めることも可能です。緊急対応としては最適ですよ?」


 男たちは善意を装っているが、真意は読み取れない。理久は歯噛みして言葉を選ぶ。いずれにせよアルマを助けられる技術があるのなら、それは悪くない。だが、この人たちに“連れていかれる”形になったら、アルマが再び道具として扱われないとも限らない。


 「あなた方の会社の情報を何か証明するものは? 名刺だけじゃよく分からない。怪しい人かもしれないですよね……」


 意を決してそう言うと、男たちは苦笑しながらポケットからいくつかのカードやパンフレットのようなものを取り出す。確かに企業名やロゴが印字されていて、公的許可証らしきものもある。大手AI企業との共同プロジェクトなどの紹介も載っているが、本物か偽物かは素人には分からない。


 「私たちも災害や事故で破損したアンドロイドを救済・修理する活動をしているんです。多くは慈善事業という形ですが、今回はネットの緊急掲示板で“ハイエンドAIが危険”という書き込みがあって……急ぎ駆けつけた次第です。あなた方も大変でしたね」


 男はそう言いながら、理久の肩に手を置く。まるで親切心を示すようだが、どこか一方的に“安心しろ”と諭(さと)すような強引さを覚える。


 「……とにかく、俺は病院へ向かいます。アルマのために、俺が一番そばにいないと……あなた方とは一緒に行かない」


 理久はその手をさりげなく振り払い、毅然(きぜん)とした態度で言い放つ。男たちが一瞬だけ眉を寄せたのを見逃さなかった。もしかすると彼らの狙いは“アルマを確保する”こと。それを認めるわけにはいかない。


 「そうですか。……では、私たちも病院に出向いてお手伝いしましょう。アコアの修理について、きっと喜んでもらえるはずですよ」


 男の笑みはやや不穏な冷たさを含んでいるが、理久としてはここで対立しても意味がない。とにかくアルマの命を繋ぎ止めることが最優先。警察や行政を呼ぶタイミングは、アルマが無事になった後でも遅くはないと信じたい。


 「じゃあ……村役場の車を借りて、俺たちも町の病院まで行きます。あなたたちが一緒に来るのは止められないけど、変な動きはしないでください」


 やや強気な口調で釘を刺すと、男は「もちろん」と言わんばかりに肩をすくめ、SUVに戻っていく。理久はそれを横目で見ながら、職員に「すみません、車を貸してもらえませんか? あるいはタクシーか何か……」と頼み込む。田舎ゆえタクシーの便は悪いらしいが、役場の軽ワゴンなどを使ってよいという了解を得られた。


 「感謝します。……あの、ここらの地形や道路って分かりますか? 病院へは一時間くらいでしょうか?」


 「いや、もうちょっとかかるかもな……ガタガタ道だし。でも急げば大丈夫だろ。気をつけてな」


 職員が車のキーを渡してくれる。若いスタッフも乗り込み、理久が運転席に収まる形となった。SUVの男たちも後方でエンジンを吹かし、同じく病院を目指すようだ。


 こうして思わぬ形で“異界からの訪問者”――企業のメンテ部隊らしき集団も交えて、理久たちは町の病院へ急行することになる。アルマを待つ運命がどんな形なのか、誰にも分からない。だが、ここで躊躇(ちゅうちょ)していては本当に手遅れになるかもしれない。


 エンジンをかけた軽ワゴンが発進すると、朝日が濃い茜(あかね)色を帯び始めた。山々に囲まれた空は広く、施設の地下深くとは比べ物にならないくらい“自由”な空気に包まれている。しかし理久の心には、まだ重苦しい不安の雲が漂っていた。


 (頼む、アルマ……死ぬなよ。お前はもう、ひとりじゃないんだから)


 ハンドルを握る手が震えるのを何とか堪(こら)え、理久はアクセルを踏み込む。後ろのSUVが追うように続き、山道を抜けるようにして車列が駆け下りていく。大きくうねる峠を越えれば、町の姿が見えるだろう。病院での処置がどうなるか不透明だが、やるしかない。


 暗い研究施設を脱出してから数時間。アコア――アルマの“命”を巡る戦いは、まだ始まったばかりなのだ。地上へ出てもなお、彼女が自由に生きられる保証は何もない。しかし、世界の光の下に立った今こそ、理久たちはその運命と向き合う覚悟をしなければならない。


 ワゴンの窓から差し込む朝日が一層強くなり、理久の頬を照らす。外の空気はまだ冷たいが、確かに新しい一日が始まろうとしている――。

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