君の矜持を粉々に砕いて

石衣くもん

第1話 その澄ました顔を滅茶苦茶に歪ませたい

「もっとたくさん強がって」


 内容はともかく、声色だけ聞けば、冷たくこちらに一切関心がないように感じるのたけれど、その言葉を発した唇は両端とも吊り上がっていて、この上なく愉快そうに笑っている。


「……強がりじゃなくて正当な怒りだよ」


 負けじと興味なさそうな淡々とした声を出そうとしたのに、少し上擦ってしまった。それを自覚したら、反射的に舌打ちをしてしまい、ますます竹口の笑みが濃くなった。


「俺が怖い?」

「うるさい」

「否定はしねぇんだ」


 喉を鳴らして馬鹿にしたように笑われ、怒りと恥ずかしさで顔に熱が集まり、無意識に唇を噛んだ。その痛みを覚える前に、すかさず


「噛むな」


と、でかくて固い指を首に食い込ませられた。ぐう、なんて間抜けな呻きともに開いた口に噛みつかれ、そのまま舌を捩じ込まれた。うっすらと血の味がするのは、さっきこいつの顔面に一発喰らわしてやった時に、口腔が切れたのかもしれない。ざまぁみろ。


 そう、心の中で悪態を吐いてすぐ、窒息の息苦しさで意識を手放した。


 次に目覚めた場所は、見覚えのない薄暗い倉庫のような狭い場所で、いよいよ我が身の危険を感じた。

 ゆっくりと辺りを見回しても、自分をここへ運んだ人物は見当たらない。逃げ出そうにも、当然扉は施錠されていて明かり取りの細い嵌め込みの窓しかなく、脱出はなかなかに骨が折れそうだ。


 どうしてこんなことに。


 抱えた頭の中で、こんな筈ではなかったと、走馬灯のように自分をこんな目に遭わせている竹口とのこれまでが思い出された。



***


 俺、四方颯馬は、プライドが高いと自覚している、プライドが服を着て歩いているような男であった。周りに舐められないように学生の頃から勉強も運動も頑張り、そこそこ名の知れた大学に塾に通わず入り、そこそこ名の知れた企業からいくつか内定をもらい、その中から自分が無理せずとも評価されそうなところを選んで就職した。


 努力や頑張りは表に出さず涼しい顔をしながら、運が良かったのだというスタンスで、周りに舐められないようにする反面、反感も買わないように注意していた。


 誰にも矜持を傷つけられないように、プライドが高いことは隠して、周りと接してきたのだ。


 働き始めてからも、同期の中ではトップの結果を出しながら、先輩や役職の顔は立て、可愛げのある優等生を演じてきた。おかげさまで、職場での評価も絶好調だし、可愛がってくれる先輩から紹介してもらった美人彼女とも順調だし、公私ともにこれぞ順風満帆という人生を歩んでいた。


 竹口薫に出会うまでは。


 竹口は、彼女の友達の恋人だった。背も高くガタイの良い、髭面の強面だが、気さくで賢い奴だった。

 彼女の友達は何度か会っていたが、正直少し面倒なタイプというか同族嫌悪というか、とにかくプライドが高く、そして自分とは違ってそれを隠さないスタンスの人であった。


 そんな友達カップルとダブルデートをしたいと言われた時は、彼女の友達との付き合い自体邪魔くさく感じているのに、更にその友達の恋人の男とまで仲良くしろだなんてと、うんざりした。

 ただ、いざ会って話してみたら、口数は多くないが受け答えから頭の良い奴だとわかり、普段自分がしている、安易に他人に踏み込むことも踏み込ませることもしない男だと思った。それは、凄く自分にとって付き合いやすい人間であった。

 初めて、素の自分のままでも気が合う友達ができたのだ。


 段々と、ダブルデートで四人で会うより、竹口と二人で会って飲んだり、愚痴を言い合ったりすることが多くなり、気のおけない友人とはこんな感じなんだなと思っていた。


 そして今日、お互いに仕事納めの日だったので忘年会をしようと約束していた飲み会で、竹口が彼女と別れたと報告してきた。


「そうか、ならこれからはお前と気軽に会いづらくなるな」


 いくら本人と仲良くなっていたとしても、俺の彼女の友達と別れてしまった竹口と会い続けるのは、彼女と付き合っている以上、一般的に良しとされないだろう。


 そう思って言ったのだが、竹口はそれを聞いて、きょとんとした顔で


「なんで俺たちが会えなくなるんだ?」


と言った。


「いや、だってさ、うちの彼女と気まずくなるじゃん。お前とこんなに頻繁に会ってるのがバレたら」

「ああ、彼女に義理立てするって意味か。いや、いらないだろ。ていうか、お前そろそろ彼女と別れたら?」


 今度はこちらがきょとんとする番だった。


「なんで俺たちまで別れるなんて話になるんだよ」

「だってお前、彼女の前だといつも取り繕ってるだろ」

「……何を」

「何って、そのプライドの高さとか」


 不意に核心を突かれ、思わず怯んでしまった。

 確かに他の人よりはこいつに気を許していた、それは認める。それでも、傲慢な態度を取ったり、他人を下に見たりすることはなかった筈だ。


「低姿勢なフリすんの大変だろ。いや、低能に合わせるって言った方がいいのか」


 いや、そもそも、こいつに気を許したのは、こういう事を気づいても言わない奴だと思ったからだ。


「何か誤解があってあの子と別れたかと思ったが、俺の勘違いだったみたいだな。本性がそれだったわけだ」


 会いづらくなるじゃなくて、もう会いたくもねえよ。

 なんだか裏切られた気分で腹が立ち、多めに金を置いて店を出た。


 竹口は引き留めもせず、言い訳も何も言わなかった。もう会いたくないと言った時、どんな顔をしていたかも分からなかった。


 店を出て、イライラしながら駅に向かって歩いていた。すると、突然胸倉を掴まれ、声を出す間もなくひと気のない路地に引きずりこまれたのだ。


 何が起きたかわからない内に、腹を思いっきり殴られ、その場に蹲った。酸っぱい胃液が込み上げたがギリギリ吐かなかった。


「置いてくなんて酷いじゃねえか、颯馬」


 上から降ってきた声は、先ほど別れたばかりの竹口のもので、痛みを堪えながら顔を上げ、声の主を確認した。間違いなく、竹口だった。


 先ほどの店での発言といい、あまりに自分の知っている男とかけ離れていて、もしかしたら双子がいる説や、まさかの多重人格説みたいな馬鹿みたいな考えが頭を過った。


「竹口……?」

「まだ、なんで俺があの子と別れたか話してなかったよな。お前の所為だよ颯馬」


 暗くてまた、竹口がどんな顔をしているかわからなかった。混乱する俺を追い詰めるように竹口は続けた。


「俺さあ、昔からプライドが高い奴が好きなんだよ、性的な対象として。別に男でも女でもどっちでもいいんだけど、とにかく自分を高く見積もってて自分の身が可愛くて、周りとは違うんだって顔してる奴。彼女もまあ高慢な女だったんだよ、知ってると思うけど。お前の彼女のことなんていつもボロカスに貶してたし、会ってる時もあの態度だもんなあ。んでまあ、タイミングを見計らってたわけだよ。


あ、プライドの高い奴が好きなんじゃなくて、そいつのプライドをボキッとへし折るのが好きというか、堪らなくなるんだよなあ。だから彼女の心を折るタイミングを待ってたわけ。そしたら、彼女なんて比にならない、颯馬、お前に出会っちゃったんだよ。彼女どころか今まで見てきた人間の中で、こんなボロボロにしてやりたいと思ったのは初めてだった、興奮したよ。だから、彼女には興味なくなってきてさ。それを察したのか自分から折れちゃって、俺と別れたくないって縋るもんだから、もう完全に冷めて別れたってわけだ」


 淡々と吐き出される言葉は嫌でも耳に入って、一つ一つの単語はわかるのに意味が理解できなかった。ただ、自分が友人だと思っていた「竹口薫」という人間は、どうやら存在しない作られたものだったということは辛うじて飲み込めた。


「だから、もうお前をボロボロにしないと、気が済まないんだよ」

「何なんだよそれ!」


 混乱する頭のまま、とにかく抵抗しないとと、話ながらゆっくり距離を詰めてきた竹口の顔面を、思いっきり殴ってやった。竹口は少しだけ顔を歪めた後、どこか嬉しそうな表情で


「もっとたくさん強がって」


と言いやがったのだ。




***


 さて、現実逃避の回想も現実に追いついてしまい、いよいよ真剣にこれからのことを考えなくてはならない。何故なら、あんなに訳もなく、かつ躊躇なく人の腹を殴れる奴なのだ、本当にあっさりと殺される可能性も大いにある。ボロボロにしてやるという、何をされるのかわからない宣言も受けているわけだし。


 思い出してズキリと痛む腹を、ワイシャツを捲って確認したら、月あかりしかない薄暗い中でも、うっすら見えるくらいの痕が残っていた。


「クッソ……」


 倉庫内を見回しても、自分の鞄や、着ていたコートごとスマホやら財布なんかの持ち物は取られたようで見当たらず、次に竹口がやってきた時に武器になりそうなものも、隠れられそうなところもない。


 ジャンプすれば手が届きそうな梁と、部屋の中心に立っている柱、そして壁にかけるタイプの姿見が、扉がない壁の三面にあるだけで、鏡に映る自分には腹だけでなくしっかり首にも絞められた痕が残っている。

 どの鏡も打ち付けてあるのか、壁から外せなかった。割って武器にしてやろうかとも思ったが、蹴ったところでヒビすらいかないので諦めた。体力も温存しておかないと、機会を掴んだ時に逃げられない。


 本当は大声で助けを呼んでみるべきなのかもしれないが、もしかしたら外で自分の無様な声を竹口が聞いているかもしれないなんて、どう考えても今は優先すべきではないことが行動を躊躇わせた。


「寒……」


 色々冷静になってくると、この忘年会シーズンである12月にコートも取られたスーツの状態では、暖房なしの倉庫は寒いということを思い出した。


 とりあえず扉から対角線の角に背中をつけて、三角座りで縮こまる。この位置なら、竹口が扉から入ってきた時にすぐにわかるだろう。


 寒さなのか恐怖なのか、少し震えている自分を落ち着かせようと、膝に頭を乗せて両手で身体を抱き締めた。体感で数時間経っても竹口は来ず、そのまま暫く動かないままでいたら、緊張の糸が切れたのか眠ってしまった。


 その間、夢を見ていた。

 このままこの倉庫で、誰にも発見されず、竹口も戻らず、孤独に死んでしまう夢だった。夢だとわかっていてもなかなか起きられなくて、恐らく魘されていたら、急に全身が冷えてきて漸く目覚めることができた。


「良い夢見てたみたいだな、颯馬」

「……た、けぐち」


 いつの間にか、どこか嬉しそうな竹口がバケツを持って目の前に立っていた。

 俺は部屋の角で座っていた筈なのに、いつの間に立たされて、腰を部屋の中心の柱に固定するように縄で括りつけられ、梁にかかった縄でも両手を軽く上げた形で手首を縛られていた。こんなことをされても起きなかったのかと自分に苛立ち、またもや舌打ちが漏れる。


「いくら俺が準備に手間取って時間かかってたとはいえ、ぐっすり寝過ぎだぜ。簡単に拘束できて、それでもまだ起きねえから死んだかと思ったわ」


 これで目ぇ覚めたろ?

 奴は空になったバケツを、さっきまではなかったでかいボストンバッグの上に放り投げて言った。どうやら自分は縛られた後に水をぶっかけられて起きたらしい。


「お前、何が目的……っぐ」

「あーその目、堪んねえ。まだ全然折れてないんだな、よかった」


 話し始めたところを遮るように頬を叩かれ、そのまま顎を掴まれた。スタンドライトも持ち込まれていて、嫌でも竹口の顔がよく見えた。恍惚とした目で見詰められて、居心地の悪さから目を逸らしたいのにそれすら許されない。


「楽しみだよ、お前がどんな風にボロボロになってくれるのか」


 そう言って竹口は、顎を掴んでいた手をゆっくりと下げ、首の痕を伝うように這わせて笑った。

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