第10話

【3】



 エリアスの暮らす塔の周辺は、不思議と清涼な気配に満ちている。善悪問わずに渦巻く思惑から隔絶された場所だからだろうか。

 塔を見上げたアルドリックは、初日とは意味合いの違う溜息を吐いた。


 ――なんだかなぁ。


 くしゃりと茶色の髪を掻きやったタイミングで、扉の開閉音が響く。アルドリックは慌てて笑顔をつくった。


「あ、時間ぴったりだね。魔術師殿」


 長い銀色の髪と臙脂のローブ。魔術兵団に所属する魔術師たちのような大きな杖は所持しないものの――エリアスいわく、あんな大仰なものは有事の際に携帯するだけで十分なのだそうだ――、いかにも天才魔術師という雰囲気があった。

 なんというか、何度見てもロマンがある。気を取り直してにこにこと眺めていると、エリアスが不審そうに眉を寄せた。


「どうした?」

「どうもしないよ。それより、今日もよろしくね」


 改めてほほえみかけ、行こうか、と彼を誘う。


「進展があるといいんだけど。きみにあまりリスクのあることはさせたくないし――、と。嫌だな」


 歩き始めても不承不承の表情を崩さないエリアスに、アルドリックはしかたなく苦笑をこぼした。本当に、変なところばかり目敏くできている。


「ちょっと寝不足なだけだよ。ノイマン家に出向くことももちろん仕事なんだけど、もともとの仕事も残っていてね。昨日は帰りが遅かったんだ」

「そうか」


 エリアスはあっさりと相槌を打った。


「なら、さっさとこちらの仕事は終わらせるとするか」

「ちょっと」


 額面どおりの気遣いと受け取ると、とんでもない事態を引き起こしかねない。アルドリックはぎょっとして釘を刺した。


「昨日も話が早いとかなんとか言っていたけど、頼むから尋問みたいな真似はしないでくれるかな」

「なぜだ」

「正論が正しいとは限らないからだよ」

「正しいから正論というのだろう」

「いや、それは、まぁ、そうなんだけど。そうじゃなくて」


 本当に、きみはあいかわらずだなぁ、と言い放ちたい衝動を堪え、諭す調子で続ける。自分が口を出すことでなかったとしても、言わずにおれなかったのだ。


「正しいことが傷つけることもあるからだよ」

「……」

「きみの言いたいことはわかるし、間違ってるとも思わない。でも、相手も人である以上、伝え方というものがあるんだ。だから、そこは僕に任せてくれないか」


 黙りこくったエリアスに、アルドリックは意識して声音を和らげた。


「まぁ、もともと、それが僕の役割ではあるんだけどね。きみの仕事は、お嬢様の解毒薬をつくること。僕の仕事は、きみが専念できるようにサポートすること」

「そうだな」


 素直な返事に、ほっとして前を向く。ノイマン家のお屋敷は、もうすぐそこだ。

 幼い印象の色濃かったエミリア嬢の寝顔と、蒼白だったミアの横顔。覚えたやるせなさに、アルドリックはそっと手を握り込んだ。


 ――ノイマン家の令嬢のことを詳しく聞こうとしたら、どうにも様子が怪しくてな。死人が出るぞと脅したら、半泣きで吐きやがった。なにがお嬢様学校だ。一部と思いたいが、学内でとんでもないことをしてやがる。


 昨日の残業中。アルドリックのもとを訪れたエミールの表情は、いつもの愛想を捨て去った険しいものだった。

 彼の妹のニナ嬢いわく、「眠り姫の毒」を売っていた流しの魔術師が姿を消したあたりから、女学院の一部で類似品のやりとりが始まったのだそうだ。

 小瓶の中身を粉末に変え、色とりどりの紙で包んだもの。お菓子のような見た目のそれを、彼女たちは「秘密のキャンディ」と呼ぶことにしたのだという。


 ――「眠り姫の毒」より安全な、お守りみたいなもの、という認識だったらしい。馬鹿としか言いようのない話だが、おおもとの伯爵令嬢いわく「安全」だそうだ。


 面白半分で、お抱えの魔術師に作らせたらしい、とエミールが吐き捨てる。彼女たちにとっては遊びの延長でも、国家魔術師の彼からすれば、正しくとんでもないことだったのだろう。

 秘密で、ほんの少し刺激的で、でも、危険のない遊び。そのはずだった前提は、ノイマン家の令嬢が目を覚まさなくなったという噂で崩れることになった。彼の妹が真っ青になったことも無理はない。

 「眠り姫の毒」に関しても言えることだが、百ある薬のうち九十九が無害でも、残りひとつが劇薬である可能性は捨てきれない。グレーとは、そういうことだ。エミールは言う。


 ――とは言え、ノイマン家の令嬢は小瓶を飲んだという話だったからな。彼女の薬の出どころが学外である可能性は高いわけだが。


 そうだね、と。アルドリックは静かに相槌を打った。


 ――とにかく。女学院のほうは、うちから確認を取ることになった。まぁ、父親がこぞって揉み消そうとするだろうが。


 諦め半分というふうに嘆息し、彼はニナ嬢から聞いたというもうひとつを明かした。


 ――ノイマン家の令嬢については、ミアというメイドに話を聞いたほうがいい。彼女がそのメイドにご執心だったことは、親しい人間のあいだでは周知の事実らしい。ノイマン家の奥方は後妻だそうだから、屋敷内のよりどころだったのかもしれないな。


 そうだね、とアルドリックはもう一度同意を示した。すべて想像の域を出ない話だ。だが、もし。エミリア嬢が「眠り姫の毒」でなく、「秘密のキャンディ」を所持していたとしたら。ありもしない小瓶をみなが探していたとしたら。薬を包んでいた紙をミアが隠し持つことは容易かっただろう。

 はったりとして利用するには、十分な情報だった。包み紙を探すために、改めて身体を調べる方法もあるだろう。

 けれど、自分はもうひとつを切り札に使いたい。強硬手段に訴えるのは、そのあとだ。そう決めて、アルドリックはノイマン家の門を叩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る