第5話 総司とハル

「いっしょにあそぼ!」

 幼稚園に入園してまもないころ、庭で遊んでいるみんなを窓際でぼんやり眺めていた総司に、ひとりの男の子がはじけるような笑顔で声をかけてきた。無視しても構わず手を引いて外に連れ出す。その勝手な行動にすこしムッとしたが、太陽のように明るい彼といるうちに、いつのまにか自分も笑顔になっていた。

 それが遙人との出会いだった。

 二人はすぐに仲良くなった。互いに、ソウくん、ハルくん、と呼び合い、家も近所だったので幼稚園以外でもよく一緒に遊んだ。ただ、二人きりというわけではなかった。いつも咲子がくっついてくるのだ。彼女も同じ幼稚園に通っているのだが、もともと遙人とはお隣さんで入園前から仲良くしていたのだという。

 総司は咲子のことを邪魔だと思っていたが、咲子も総司のことを邪魔だと思っていたのだろう。ときどき彼女から敵意のこもったまなざしを向けられた。それでも遙人の前では二人とも仲のいいように振る舞っていた。示し合わせたわけではないが、遙人を困らせたくないという思いは双方一致していたようだ。

 小学生になると次第に咲子がついてくることは少なくなった。新しくできた女子の友人やグループと遊ぶようになったのだ。それでも遙人とはお隣さんとしてときどき話をしているようだった。咲子が邪魔してこなくなったのは嬉しいが、知らないところで遙人と仲良くしているのは歯痒かった。

 中学に入ると、遙人は部活でサッカーを始めてすぐに頭角を現した。強豪校でないとはいえ、一年生でレギュラーの座を射止めるなど並大抵のことではない。二年生になるとエースストライカーと呼ばれるまでになっていた。必然的に彼と過ごす時間は減ってしまったものの、総司は友人として誇らしかった。

 そういう卓越した面に加え、明るく優しく面倒見がいいということもあり、遙人は男子からも女子からも人気があった。特に二年生になってからはよく女子に告白されていた。そして総司も、整った中性的な顔立ちのうえ常に学年トップの成績ということで、負けず劣らず多くの告白を受けていた。朝比奈の御曹司ということも少なからず影響していたのだろう。

 しかし、二人とも付き合ってほしいという話はすべて断っていた。どんなに可愛くても美人でも彼女なんていらない。遙人がいてくれればそれだけでよかった。遙人もきっと同じ気持ちに違いないと信じていた。だが、それは総司の一方的な思い込みにすぎなかったのだ。


「総司はさ、好きな子いる?」

 中二の冬休みを間近にひかえたある日のこと。期末試験がすべて終わったあと、学校帰りに遙人の家に呼ばれて一緒にケーキを食べていると、若干ためらいがちな口調でそう尋ねられた。ふいに嫌な予感が胸をよぎったものの表情は変えず、ショートケーキにフォークを突き刺しつつ尋ね返す。

「別にいないけど……そういうおまえはどうなんだよ」

「俺は、笹倉さんが好きなんだ」

 そう言いながら、彼は照れくさそうにはにかんだ。

 笹倉栞は総司や遙人と同じクラスの女子である。体つきは小柄で華奢だがいつも元気よく溌剌としている印象だ。北欧系のクォーターということで色素が薄いのか、肌は抜けるように白く、髪は鮮やかな栗色で、ぱっちりとした瞳も茶色がかっている。パーツの整った小顔で、客観的に判断して可愛い方の部類であることは間違いない。

 遙人は彼女とともに学級委員をしているので接点が多いのだろう。何かと二人で仕事をしているところを見かけていた。イケメンと美少女でお似合いだとか、付き合ってるんじゃないかとか、まわりからそんな声が上がっていたのは知っている。

 それでも遙人の方に特別な気持ちはないと信じていた。よく二人で楽しそうに笑い合っていたが、学級委員の仲間として話していただけだろうと。あくまでクラスメイトのひとりにすぎないのだと。遙人には総司がいるので他には誰も必要ないと思っていた。なのに——。

「今度、告白してみようかと思うんだけど……」

「そうか……頑張れよ、おまえならきっと上手くいくさ」

「ありがとう、総司にそう言ってもらえて勇気が出たよ」

 心にもないことを言って後押しすると、彼は照れたように頬を赤らめながらも声をはずませた。こんな顔をさせているのが自分でないことに無性に腹が立つ。さっさとふられてしまえばいいと願ったが——数日後、付き合うことになったと彼から報告を受けた。


「笹倉さん」

 二人が付き合うようになって一か月が過ぎたころ、ひとりで帰っている彼女を見かけて背後から声をかけた。彼女はバレーボール部に所属しており、部活の終わる時間がサッカー部と近いため、普段はだいたい遙人と一緒に帰っている。けれど、今日は時間からして部活にも出ていないようだ。

 彼女は大きな目をぱちくりさせて振り返ったが、総司の姿を認めるとニコッと微笑む。

「朝比奈君、どうしたの?」

「今日はハルと一緒じゃないんだね。部活はお休み?」

「うん、ワックス掛けがあるから体育館が使えなくて」

「ああ、それで先に帰れってハルに言われたんだ」

「二時間も待たせるのは悪いからって……優しいよね」

 エヘッと肩をすくめるが、遙人でなくても普通は二時間も待たせたりしないだろう。もちろん遙人が優しいということ自体は否定しないが。

「じゃあ、今日はハルの代わりに僕が駅まで送るよ」

「え……えっと……それは、逢坂君の友人として?」

「さあ、どうかな」

 思わせぶりに返事を濁すと、彼女は目をそらして困惑した表情を浮かべながらも、白い頬をほんのりと桃色に上気させていた。これは、もしかして——彼女とたわいもない話をして歩きながら、総司は脳内で密かに計画を練り始める。

「じゃあね、ありがとう朝比奈君」

 駅に着くと、彼女は物言いたげな顔をしたまま明るく声を張り、くるりと背を向けて駅に向かおうとした。が、総司はそのほっそりとした手を掴んで引き止める。ハッと振り返った彼女の顔には、当惑とともにかすかな期待の色が浮かんでいた。

「あの……」

 しかし掴んだ手は放さない。熱を伝えるようにギュッと握り、真剣なまなざしを彼女に送る。

「僕、一年のときから笹倉さんが好きだったんだ」

「えっ……?」

「まさかハルに先を越されるなんて思わなかった」

 微笑の中にやるせなさをにじませてそう言うと、彼女はこぼれんばかりに目を見開いた。驚きすぎて言葉を失っているようだ。北風が吹き、やわらかそうな栗色のボブカットが大きく揺れる。

「ごめん、いきなりこんなこと言われても困るよね」

 我にかえったようにパッと手を放す。

「いまさらどうこうってわけじゃなくて、ただ気持ちを伝えたかっただけなんだ。そうしないといつまでも引きずりそうだったから。まあ、僕が先に告白しても望みなんてなかっただろうけど」

「そんなことない!」

 はにかみながら自嘲してみせると彼女は前のめりで食いついてきたが、次の瞬間には苦しげな面持ちで目を泳がせていた。続きを口に出すべきかどうか悩んでいるのだろう。やがて覚悟を決めたのか胸元でギュッと両手を重ねて握り、大きな茶色の瞳を潤ませて言葉を絞り出す。

「私も……本当はずっと前から朝比奈君のことが好きだった。でも朝比奈君は私に興味なんてなさそうだったし、逢坂君は一緒にいて楽しかったから……」

「告白を受け入れた?」

 言葉を引き取ると、彼女は目に溜めた涙をこぼしてこくりと頷いた。もう落ちたも同然だが気を抜いてはいけない。

「だったら、ハルと別れて僕と付き合うべきだよね」

「そんなこと……逢坂君に悪いし……」

「気持ちを偽って付き合い続ける方がよっぽど失礼だよ」

「それは、そうかもしれないけど……」

「僕は、笹倉さんのためなら友情だって捨てられる」

「朝比奈君……」

 彼女は止めどなく涙を流しながら頷いた。

 総司はそっと肩を抱き、優しくなだめるように栗色の頭にぽんと手を置く。何回かつつけば落ちるだろうという希望的観測は持っていたが、さすがにほんの数分でここまでいくとは思わなかった。こんな不誠実で安直でずるい女が好きだなんてハルは見る目がない——あきれたような腹立たしいような気持ちで、そっと溜息を落とした。


 翌朝、遙人を迎えに行くとこわばった顔で出てきた。

 おそらく笹倉から別れようという電話があったのだろう。疑心暗鬼なまなざしを総司に向けている。しかし、こんなことで二人の友情が壊れたりはしない。

「笹倉さんから聞いた?」

 総司から水を向けると、遙人は驚いたようにビクリとして目をそらした。暫しの沈黙のあと、ごくりと唾を飲み込んでから緊張ぎみに口を開く。

「本当なのか? おまえと付き合うとか言ってたけど」

「ハルを裏切るみたいになってごめん」

 笹倉はすべて正直に話したいと言っていたので、経緯も聞いているのだろう。総司の方から好きだと告げたことも、総司の方から付き合おうと言い出したことも。

「正直ショックだった……でも、もともと両思いなら仕方ないよな」

 それは自分自身に言い聞かせるような物言いだった。

 総司はきまり悪そうに視線を落とす。

「好きな子がいるかって訊かれたとき、いないって嘘をついたのがいけなかったんだよな。いままでおまえとそういう話したことなかったから、何か恥ずかしくてさ。そしたらおまえも笹倉さんが好きだなんて言うだろう? もう本当のことを言い出せなくなって」

「気持ちはわかるよ。総司に悪気がなかったことも」

 遙人はそう応じると総司の肩に手をまわして白い歯を見せた。その笑顔にはまだ幾分かのぎこちなさは残っているが、それでもいままでどおりでいようという意思が感じられる。

「もう俺にだけは嘘つくんじゃないぞ」

「約束する」

 総司も笑みを浮かべた。

 二人の友情が壊れないという確信は正しかった。けれど、そうするより他に仕方がなかったとはいえ、遙人を傷つけなければならなかったのはつらい。それもこれもみんな笹倉栞のせいだ。胃がむかつくのを感じてひそかにこぶしを握りしめながら、復讐を頭に思い描いた。


 二人が付き合うことは秘密にする。

 提案したのは総司だが笹倉も積極的に賛成してくれた。というより、むしろ彼女の方からお願いしたいくらいだろう。たった一か月で彼氏と別れてその親友と付き合うなど、乗り換えたと非難されるのは目に見えている。総司も遙人も女子からの人気が高いのでなおさらだ。下手をすれば陰湿なイジメを受けるかもしれない。

 それゆえ二人一緒に下校するわけにはいかず、また彼女には部活もあるので、平日に彼氏彼女として過ごすことは難しい。彼女は不満そうにしていたが仕方のないことだ。お詫びというわけではないが、休日ごとに家に呼んで甘い言葉で可愛がると、面白いくらいにのぼせ上がってくれた。

 彼女には好意を感じておらず逆に軽蔑しているくらいだが、遙人が触れた女だと思うといくらでも口づけられた。彼女は愛されていると勘違いしてうっとりと体を委ねてくる。こんなくだらない女を好きになるなんてハルは本当に見る目がない、とあらためて思う。

 付き合い始めて一か月が過ぎた日曜日、いつものように部屋に招き、甘い雰囲気になった流れで彼女を抱いた。彼女は処女だった。遙人の抱いた女だと思って楽しみにしていたのでがっかりしたが、遙人がまだ手を出していなくてよかったとも思う。こんな女に特別な感情を残すことにならずにすんだのだから。

「朝比奈君、私……すごく幸せ」

「悪いけど別れてくれないかな」

「……えっ?」

 総司はジーンズのジッパーを上げてベッドから立ち上がり、冷ややかに見下ろす。彼女は裸の胸元を上掛けで隠しながら上半身を起こして、不思議そうにぱちくりと瞬きをした。何を言われたのか理解していない様子だ。

「付き合うのは今日限りにしよう」

「え……嘘だよね? 何の冗談?」

「君に興味がなくなったんだよ」

 ベッド脇に散らばっていた彼女の衣服をかき集め、彼女の前に投げ置く。その顔からみるみる血の気が引いた。

「どうして? 私、何かいけなかった?」

「興味がなくなっただけだよ」

「そんな……そんなの納得できない!」

「嫌いなのに付き合い続けろって?」

 オブラートに包むのをやめてはっきりと気持ちを告げると、彼女の華奢な肩がビクリと震えた。下唇を噛みしめ、上掛けを握りしめ、その顔にじわじわと怒りと悲しみを広げていく。

「エッチしたかっただけ? 体目当て?」

「まさか。君の体に興味なんかないよ」

「嘘!」

「そんなに自分の体に自信があるんだ?」

 嘲笑まじりにそう言うと、彼女はわなわなと口もとを震わせながら目を潤ませた。そしてこぼれた涙を隠すように両手で顔を覆って嗚咽する。丸まった小さな背中が震えているが同情心は湧かない。むしろ溜飲を下げた。ようやく遙人をもてあそんだ女に仕返しができたのだから。

「気がすんだら帰って」

 冷たくそう言い、キャスター付きの椅子に身を投げ出すように腰を下ろした。泣き続けている彼女に横目を流して釘を刺す。

「ハルに乗り換えようなんて恥知らずなこと考えるなよ」

 いくら遙人でも、一度自分を裏切った女を受け入れるほどお人好しではないだろうが、万が一にもそうならないようにできる限りの手は打っておくつもりだ。計画に抜かりはない。彼女のすすり泣く声を聞きながらゆったりと腕を組んで口もとを上げた。


 それからの中学生活は平穏だった。

 総司も遙人も相変わらず告白されることは多かったが、誰とも付き合わなかった。遙人は部活のサッカーに打ち込み、それ以外の時間は総司と勉強したり遊んだりして過ごす。咲子が邪魔をしてくることはたまにあったが許容の範囲内だ。そんなささやかながらも充実した幸せな日々が続いた。


 しかし高校に入ると、遙人はクラスメイトの女子に告白されて付き合い始めた。遙人の方も初めて見たときから密かに好意を抱いていたらしい。今度の彼女も小柄で色白で目のぱっちりとした元気のいい子だった。おそらく彼の好みなのだろう。どうせまたくだらない女に違いないと横目で観察しながら思う。

 実際、くだらない女だった。遙人のいない隙を狙っては彼女に近づき、優しく紳士的に接して、甘い笑顔を見せて、思わせぶりな態度をとるだけであっさり落ちた。遙人をふって総司に乗り換えたのである。総司がそうするように言ったわけではなく彼女の自発的な行動だった。

 ハルと付き合っている彼女を見ているうちにだんだん気になってきた、そうしているうちにハルと別れたから付き合ってほしいと彼女に告白された、迷ったけど頷いてしまった——総司はいかにも申し訳なさそうに打ち明ける。遙人はやはりショックを受けたようで表情をこわばらせたが、総司を責めはしなかった。

 その彼女とは一か月ほど付き合ってから別れた。その一か月のあいだは会うたびごとに抱いていた。彼女が気に入っていたわけでも肉欲に溺れていたわけでもない。ただ遙人の抱いた女だと思うだけで異常なくらい興奮した。間接的にでも遙人と繋がっているような気持ちになれた。

 もちろん遙人との友情が壊れることはなかった。総司が彼女と別れたことを報告すると、二人とも女を見る目がないな、当分は彼女なんていらないな、と言葉少なに語り合って苦笑した。そうして中学のときと同じように、遙人は部活のサッカーに打ち込み、それ以外の時間は総司が独占した。


 高校を卒業すると二人は同じ大学の同じ学部に進んだ。当初、遙人は学力に見合った別の大学にするつもりだったが、総司が同じ大学に進もうと説得し、ほとんど付きっきりで家庭教師をして合格に至ったのである。おかげで彼の両親にはとても感謝された。ちなみに咲子は別の大学だ。総司にとってはすべてが順風満帆といえる状況だった。

 遙人が二十歳になった日、彼は未記入の臓器移植意思表示カードを二つ持ってきて、よかったら一緒に持たないかと総司を誘った。もし自分が死んでも誰かの役に立てるのなら立ちたいという。総司にはそんな立派な志などなかったが、彼と同じカードを持てることが嬉しくて迷わず賛成した。

 このままずっと二人でいられると思っていたのに、大学四年生になると遙人にまたしても彼女ができた。今度も小柄で色白で目がくりっとした子だ。ただ、いままでとは違っておとなしく控えめな雰囲気である。

 また奪って捨ててやろう——そう考えてこっそりと近づくが、彼女は困惑するばかりで一向になびく気配がなかった。それどころか度重なるアプローチに怯えるようになった。いままで遙人の付き合った女と違って、紳士的な態度も、優しく甘い言葉も、人好きのする笑顔も通用しない。

「綾音から聞いたけど、俺のいないところで綾音に近づいてるって本当か?」

 作戦を練り直さなければと思い始めていたころ、総司の家を訪れた遙人が、顔をこわばらせて単刀直入に問いただしてきた。その瞳は憂いと怒りがせめぎあうように不安定に揺らいでいる。クッションやベッドに座るよう勧めても立ちつくしたままだったが、その理由をようやく理解した。

「たまたま見かけて声をかけただけだよ、何度かね」

「おまえはそうやっていつも……」

 かすかに吐息を落としてベッドに腰掛けた総司に、遙人は激情を押し込めた声で何かを言いかけたが、途中で言葉を飲み込んだ。そして意識的に小さく呼吸をしてから仕切り直す。

「いまさら昔のことは追及しない。でも今回は完全に俺から奪うつもりでいただろう? 優越感にひたりたいのか何なのか知らないけど、おまえの負けだ。綾音はすっかりおまえのことを怖がっている。もう望みがないことくらいわかれよ」

「彼女を信じてるんだな」

「……当たり前だ」

 彼の額には汗がにじんでいたが、それでも気丈にまっすぐ総司を見据えて答えた。そのまなざしにゾクゾクする。こんな目をさせているのが自分だと思うとたまらない。

「だったら僕が近づいたって問題ないだろう」

「綾音が迷惑してるって言ってるんだよ」

「別に無理やりどうこうするつもりはないけど」

 飄々と言い返すと、彼はくやしげに顔をゆがめてうつむいた。

 総司のしていることは付きまといとも言えないくらいのものだ。ただ大学でときどき声をかけてすこし話をするだけ。無理に何かを強要したこともなければ、威圧的な態度を取ったこともない。それでも、過去に二度も彼女を奪われている遙人には脅威なのだろう。

「なんで、こんなこと……俺に恨みでもあるのか?」

「逆だよ」

 怪訝に眉を寄せた遙人に、総司はうっすら笑みを浮かべて付言する。

「ハルがくだらない女に捕まるのを見ていられない」

「……くだらない女って、綾音のことか?」

「別れるなら早い方が傷が浅くてすむだろうしね」

「ふざけるな! 幼なじみだからってやりすぎだ!!」

 遙人はカッとして詰め寄り、ベッドに腰掛けている総司を立ったまま睨み下ろした。胸ぐらを掴もうとして躊躇したのか右手が中途半端にさまよっている。やがてあきらめたように溜息をついて戻しかけたとき——。

「うわっ!」

 総司は素早くその手首を掴んで思いきりベッドに引き倒した。そして起き上がろうとする体を仰向けに押さえつけて跨がり、突然のことに混乱しているその顔を真上から見下ろす。半開きの口がわずかに動いたが声は出ない。それが妙に艶めかしくてぞくぞくした。本能に突き動かされるがままにその唇を奪う。

 瞬間、奥底から強烈な興奮が湧き上がった。

 長いあいだ渇望しながら触れることの敵わなかったそれは、思っていたよりもずっとやわらかくあたたかい。押しつけたまま感触を堪能しているうちに頭の芯が痺れてくる。やがてそっと唇を離すと、息を詰めてこわばっていた彼の体から力が抜けるのがわかった。ただ、自身に起こったことを理解しきれずに呆然としている。

「好きなんだよ、ハル」

 息の触れ合う距離で見つめたまま、囁くように告げた。遙人は困惑をあらわにする。

「……冗談だろう?」

「本気だってわからせてやるよ」

 静かな声で挑むようにそう言うと再びキスをした。今度は唇を触れ合わせるだけでなく、舌を入れて絡ませ口内を蹂躙していく。遙人はどうにか拒否しようとするが逃さない。両方の手首を押さえつけて自由を奪ったまま、今度は首元や胸元に吸い付き鬱血の跡を残す。

「やめっ……おい、やめろ……やめろって!!」

 半袖シャツの開いた胸元に舌を這わせていると、拘束を振り切ったこぶしが頬に叩き込まれて痛みが走り、頭が大きく揺れた。口の中を切ったらしく生ぬるい血の味が広がる。

「悪い……けど、頭を冷やせ」

 遙人は逃げるようにベッドから飛び降りて総司と距離をとり、肩で息をしながらそう言った。口のまわりについたどちらのものともわからない唾液を手で拭い、狼狽の消えない瞳で睨むと、乱れた服を整えもせず勢いよく扉を開けて走り去っていく。

 慌ただしく階段を駆け下りていく足音を聞きながら、総司はうつむいて唇を噛む。殴られた頬は熱を帯びてジンジンと疼いていた。

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