第60話 それぞれの運命

 ハツは何杯目かの生ビールを飲みほした。


 ハツにおごってくれた隣の席の野球大好きおじさん1977は、彼女に張り合うようにビールを飲んでいたが、いまやすっかり酔いつぶれていた。ハツには何も変化が見られない。


 グスタフが珍しくハツの元へ近づいてきた。

「田中ハツ」

「おや」


「飲みすぎだろう。われわれAIヒューマノイドは有機体だから、アルコールが性能に影響をあたえることもあるんだぞ」

「それは知っているけれども、今夜は平気。グスタフくん、あなたこそ損傷は大丈夫なの?」


 グスタフは昼間の戦闘で、ロルバーンの爆弾を数発くらっていた。

 ぼろぼろになった服は着替えて、この時代にあわせたオレンジ色のジャケットを着ていた。


 金髪の少年の姿をしている彼は、ナゴヤ球場のスタンドで良く目立つ。


「ヒメネス博士に戦えと命じられれば、いくらでも戦う」

「つまり、休めといわれたら休みたいってことか。あんたも大変ね」


「それがわたしの仕事だ」


「……ねえ、あなたってヒメネス博士に仕えて長いの?」

「10年」

 グスタフはぶっきらぼうに答えた。


「あら、それは変。あなたわたしのことを旧式AIってディスっていなかった? 10年前からいたのなら、あなたも全然新型ではない」


「ああ、それはな。わたしは記憶を移植したのだ。元の体から新型のものに」


「ええー、そうなんだ。確かに技術的にはそういうことも可能と聞いたことがあるけれど。嫌じゃなかったの?」


「わたしが自分で望んだことだ。ヒメネス博士を守り続けるために。あの人がこれ以上何かを失わずに済むように」


「なるほど、わたしとは考え方が違うけれど、それがあなたの幸せなのね。良きかな」


 気づくと、グスタフだけではなく、他のお付きの者たちもハツの近くを何人かうろうろしていた。

「何かあった?」


 グスタフはさっきまで自分が座っていた席の方を見た。

「ムニョス男爵から人払いが出された」


 ムニョス男爵の隣に座るユキナガ。まわりには誰もいない。

 側近の一ノ瀬アンすらも席を外すことを命じられた。


「アン、君がくれたこの時計、なくしたら大変だから預かっていてよ」

「……わかりました男爵」


(盗聴器か。VIPも大変だな)

 二人だけになった不穏な状況。これはいったいどういうことだろう。ユキナガにはムニョスの思惑がわからない。


「夏目殿、君は今日騒ぎを起こしたね?」


 ユキナガはどきっとした。


 昼間、ユキナガとハツは名古屋を観光するツアーから抜け出した。


 結局は戻ることになったものの、隙あらばそのまま失踪して、この時代で生きていくことをユキナガは本気で考えていた。


 リンドウ船団のヒメネス博士は、ユキナガがその後ロルバーンとの戦闘において武功を見せたことにより、処罰を不問としてくれる考えのようだ。しかしそれがライバル関係にあるだろうアゲハ船団のトップに知られたらどうなるか。

 

 蒸し返される危険が大きい。まずい。


「地獄耳というやつですね。良くご存じで」

 ユキナガは平静を装いつつ、ムニョスの言葉の続きを待った。彼はどうするつもりなのか。


「やはり逃げようとしたんだね。いいんだ。だからこそ俺は君を呼んだ。実はね、俺も逃げたいんだ。連れて行ってくれない?」

「なんですって?」

 あまりに予想外の言葉。ユキナガは自分の耳が信じられなかった。


「もう逃げたい。俺は自分の置かれた立場が嫌で仕方がない。今まで、決して満点ではないにしても自分のできるだけのことはやってきた。でも一生こんなことを続けることは勘弁してもらえないだろうか。俺はもう逃げたい。違う時代で生きていきたい」


「本気で言っているんですか、ムニョス男爵」


「本気だ。俺にできる手伝いはする。だから夏目殿、逃げよう」


******


 二人だけで何かを話すムニョスとユキナガを見つめる、一ノ瀬アンの視線は厳しかった。


 彼女は客席を離れると、人のいない場所を探した。そこでアンの姿はヒメネス博士へと変わった。


 今日何回目かの一人二役。


 ヒメネス博士はつぶやいた。

「ムニョスは何をたくらむ? それが何であろうとわたしは奴を討ち取って見せる……」


******


 ユキナガはまったく思いも寄らなかった展開に頭の整理ができずにいた。自分の運命はこれからどう転がっていくのか。そしてユキナガについて来てくれたハツは。


 混乱した頭の中で浮かんだのは、今日の昼間の試合のことだった。


 助っ人として東邦高校野球部との練習試合に参加したときのこと。


 ピンチの場面で、マウンドのユキナガにキャッチャーのハツが駆け寄って来た。


 苦しい状況ではあったが、ユキナガは楽しくて仕方がない。いくらでも闘志がわいてきた。


「正念場だね、ハツ。僕たちの初試合。この場面のことをずっと覚えているだろうね」


 ハツは青いキャッチャーミットを口に当てながら、ユキナガに語り掛けた。

「こんなときに何ですが、ユキナガくんに伝えたいことがあるの。わたしはリンドウ丸に残りたい。あそこで一生懸命に働いて、あの船の人たちを助けたい」


「……ハツ?」


 野球の試合では、緊迫した場面でこそむしろ野球以外の話をして冷静さを取り戻すことがあるものだが、それにしてもハツの話は突然だった。


「わたしはあなたと過去の世界で生きていくことはできない。あなたもそうするべきではないと思う。わたしはわたしが生まれた世界で、あなたが未来と呼ぶ世界で、生きていくことを願います」


「ハツ、何を言うんだい? 野球のある過去世界で人生をやり直すために僕らはここまで来たんじゃないか?」

 ユキナガは納得がいかなかった。


 それでもハツは懸命に話して、自分の考えをユキナガに伝えようとした。

「プロ野球選手として栄光をつかんだあなたは、転生してもう一度野球で成功したいという。でも、同じような人生をもう一度なぞりたいと考えることがいいこととは思えない。それはもう終わったことなの。どんな奇跡があろうとも、二度繰り返すことを願うのは間違っている。これはきっと、あなたとわたしが自分の生き方を見つける物語」


******


 ナゴヤ球場で中日と広島の試合は続いていた。


 それは、未来から来た若者たちにとって、かろうじての平穏を保つことができていた最後の日々だった。


 ここでこの物語を閉じることが、もしくは美しい選択であるのかもしれなかったが。

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