第40話 破暁の守護者

 琥珀の鳥越しに姉妹が言い争う。ネオンと双子はひたすら、クエリの過去の無謀への怒りと不安を言い募っていた。


「いいですか姉上! 素人が現場に入るほど危険なものはないんです! 下手したら全員が死ぬんですよ!」

『リ、リズみたいなことをネオンまで──私はリズと会えるまでちゃんと一人で動いていたもの!』

『姉上、それが言い訳にもならないことはご存知? ご存知よね、戦争まで手玉に取って思い通りに操るような姉上ほどの悪鬼ですものね。だから自ら叱られにいっていると思ってよろしいわね、ええ。嬉しいわ、姉上がやっと反省してくれて』

『ちゃんとリズを見つけて私も帰ったんだからいいでしょう!?』

「そういう問題じゃないんです! お願いだから駄々をこねないでください!」

「……クエリ。そういえば何年か昔、君に天導教の警戒線で飛ぶように頼まれたことがあったね」

『ええ、まさにリズを迎えに行ったときですね。その折はエンラ殿のおかげで本当に助かりました』

「──姉上、私たちの話は聞いていましたか?」


 あまりにもクエリの無茶へのショックが大きすぎたのだろう。ネオンはすっかり立ち直って、のらりくらりと妹たちの説教を躱そうとするクエリを叱りつける。

 ナデシコは深く、安堵のため息を落としてから、ネオンから目を離す。視線の先には混乱を飲み込んだオドゥと、ぐしぐしと鼻を啜り続けるヴァーチェがいた。


「……ヴァーチェ。あなた本当に聖職者?」

「天導教をなんだと思ってますの!? あんな話を聞かされて平然としているあなたたちの方がよっぽど冷血でしょうに!」

「こんな状況で第三者なら、考える方が優先に決まってるだろ。──ナデシコ。女王陛下の盤面はどこで崩れたと思う?」


 促され、ナデシコは腕を組んで目を閉じる。自分の中で無理に整理して取りこぼすより、雑多なままでも伝えるべきかと思考をそのまま言葉にした。


「戦略は何も間違っていなかった。姉さん方の言う通り、戦略で圧勝しているのは疑いようがない。けれど、イウリィの状況だけが見えなくなっている。教皇がイウリィを連れ戻したことと、イウリィが天使に絡んでいるかもしれないこと、宣戦布告からの沈黙を一致させるなら──」

「……そうだな。教皇と天使に原因があると見るべきか」


 ナデシコの思考はオドゥと暮らすうちに染みついたものだ。だからナデシコとオドゥは思考を共有すれば、お互いが何に着目しているのか把握できる。

 けれど師弟だけに通じる飛躍は周囲にとって因果が足りない。ヴァーチェは首を傾げて問いかけた。


「教皇と天使がなぜ、今の状況に?」

「もともと天使の情報はこっちになかった。存在しない情報を女王陛下が組み込めないのは当然だからな、ここで確実にズレは発生する。齟齬の基点は間違いなく、天使の情報不在だ」

「あなたの話で天導教が王冠を求めている理由がようやく繋がった。それに、天導教が悪魔と王冠を求めている理由が天使を作るためだというのなら、イウリィの出自も途端に怪しくなってくる。あの子は教皇が封印されている水底揺籃に産ませた子だから」

「……悪魔、に?」


 ヴァーチェの倫理では到底受け入れられる事実ではなかったのだろう。怖気混じりに呟いて、視線を落とす。ナデシコはヴァーチェの反応を見やると、すぐに話を再開した。


「師匠、ヴァーチェ。天導教の指示体系ってどうなってるの?」

「俺がいた頃の状況だと、少なくとも連携が取れる組織じゃない。あちこちから勝手に仕事が降りてきて、俺たちは勝手に仕事を……いや、違うな。あれはそもそも、組織の連携を前提にしていなかった」

「……そうですわね。わたくしたちは孤立していたから主流派とは環境が異なりますが、そこの元隠密の方と同じ意見です。統率が取れていないというよりも、統率を取る気がない。それなのにどうしてか、流れが一致している」


 最大宗教に対する意見とは思えない、二つの立ち位置からの言葉。口にするうちにオドゥとヴァーチェの違和感も膨れ上がったようで、歯切れが悪い。

 どうして統率を取る気がないのに、統率が取れるのか。意見はこれまで自覚的に口を閉ざしていたエンラからやってきた。


「ナデシコ、オドゥ、一つだけいいかな」

「言え。どれだけお前が政治音痴だろうが、今は視点が欲しい」

「わかった。僕が王冠を預かる前はね、襲撃が日常茶飯事だった。色々な勢力が僕を潰すために四六時中挑んできて、まあどれだけ徒党を組まれようが叩き潰したわけだけど。あのときの利害関係で繋がっていた奴らと似ている気がする」

「……利害関係?」


 オドゥが反復する。エンラの意図を誰よりも早く掴んだのがネオンとフレアだったことは、二人も武力を中核に生きていることからすれば当然と言うべきだろう。


「──大物を狩り取るときの集団での戦と同じ、だってさ。私もそう思う」

「なんだ、クエリ陛下のお説教はもういいの?」

「フレアがいい加減に本題に戻れってうるさくて。さすがに姉上とフレアを一気に処理するのはしんどいから、諦めた」


 ネオンの顔には若干の疲労が浮かんでいた。ネオンが離れたことで王宮でも話題を切り替えたのか、姉妹喧嘩はすっかり鎮まっている。

 ネオンはナデシコの隣に戻り、フレアの意見も交えながら説明を続けた。


「さっきの話だけどね、エンラさんが言っていたことは私やフレアの感覚とも一致する。連絡を取る隙もない相手を複数方向から狩るときは、事前に方針だけ共有するのが最大効率だから。最終目標だけ決めて、あとは各々頑張って、って感じ」

「……ああ、そういうことか。何をするのかだけ決めておけば、現場が勝手に動く。エンラに潰された奴らの動きも、王子様自身の動き方も、天導教も」


 オドゥの言葉にネオンは頷いた。ナデシコは意見を思考に刻んで、結びつけていく。


「──天導教の派閥は、方針の違いだけ。最終目的は一致している。天導教の最終目的にクエリ陛下の宣戦布告は影響を及ぼさないから、何も動きがない」

『……そうね。そういうことなら確かに、私が読み違えるはず』


 女王の声が響く。

 盤面を破壊された戦略家の動揺はもう存在しない。支配者として、クエリは認める。


『宣戦布告を受けて、すでに戦略上の勝利は望めず、それでも反応しない指導者がいると、私は想定していなかった。私の思考では、天導教に辿り着けるはずがなかった』

「そうだな。あんたの判断は間違っていなかった。相手がまともなら今頃すべて終わっていた。盤面が壊れたんじゃない。見ている盤上が違うから、成立していなかった」

『ええ、まさしく。リズが手間取るのも当然だった。私はリズなら宣戦布告の混乱があれば、容易にイウリィを連れて戻って来られると考えていたから。いまだに連絡がないのも、状況把握を優先しているのなら納得できる』


 イウリィと姉の名前に、わずかにネオンの目線が険しくなる。クエリは静かな声で、ナデシコを呼んだ。


『ナデシコ。私が読めなかった場所を、もう一度教えて』

「教皇がイウリィを求めていた理由。天使の情報不在のせいで、危険性を見誤った。イウリィの危機は常識的な範囲に収まり、アンナリーゼさんなら確実に解決できるはずだと前提を置いた。その前提が崩れている。クエリ陛下の盲点の核心は、きっとここよ」

『──そうね。私の想定外は数多あるでしょう。けれど脅威と見做すのはその一点のみで十分。天使の問題さえ解決すれば、イウリィとリズは取り戻せる』


 きぃ、と椅子が軋む音が聞こえた。ほんのわずかに天井を仰ぎ、すぐさま猛禽のような目を細めて正面を見据える。そんな仕草を連想する音だった。


「壊すかい?」


 エンラが端的に尋ねる。クエリは三秒ほど間を置いて、否定した。


『破壊は必要。けれど足りない。勝利条件を置くのなら、天使という存在の解体が妥当でしょう。私は前提しか動かせないから、今から手を出すことはできないけれど──』

「……だから、私が動きます」


 クエリの歯噛みを奪うように、ネオンが告げた。ネオンは自分の影に触れながら、目を閉じて意思を伝える。


「姉上。私はイウリィとリズ姉を連れ戻します。私の大事な人たちだから、私が動く。何かが邪魔をするのなら、全部壊す。全部潰す。やりすぎだと言われて非難されるかもしれない。だから」


 ネオンはゆっくりと目を開けて、呼吸を整える。緑の瞳にはほのかに、暁の色が灯っていた。


「姉上。いつもみたいに、私を守ってくれますか? 姉上が守ってくれるなら、私は安心してフレアの翼を振るえるから」


 しばらく返事は返ってこなかった。けれどネオンは揺らがない。姉は必ず守ってくれるのだと知っているから、安心して待っていられる。

 たっぷりと十秒、時間を置いて。クエリは微笑み、頷いた。


『もちろん。たとえ貴女が何もかもを更地にして焼き尽くそうが、私が守る。だからネオン、私を助けて』

「必ず」


 暁のフレアを単独で討伐せしめた少女。破暁のネオン・シラ・シュトラルは断言した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る