第26話

「この一年」

監督 岩井眞


 一、美酒

 大阪での七大戦、我が北大は十二年ぶりの優勝を飾り、私自身としては現役・監督時代を通じて初めての美酒を味わった。現役最後の年、そして次のひろしの代と続いて今回の決勝の相手九大に決勝の代表決定戦で敗れ、しかも昨年も同じ九大に決勝の代表決定戦で敗れるという、正に「歴史は繰り返す」を地で行くような状況にあったため、悪い予感がしないではなかったが、学生は見事に培った力を発揮し優勝を勝ち取った。

 大会を振り返ると、失点は初戦の九大戦で甲斐選手に取られただけ、準決勝・決勝は零封、また、決勝の相手九大の平均体重約八五kgに対し北大は約七一kg、それを取る所は取り、守る所は守る、という粘りで克服したもので、七大戦らしい勝ち方だったと思う。その意味でも学生諸君には拍手を送りたい。

 また、地元関西だけでなく、遠く札幌・東京等から大勢のOBが駆け付けて下さり、その期待に応えられたのも喜びを大きくした。

 今回の優勝は、そのようなOBの後押し、畠中師範、みねコーチ、山内コーチなどOB以外の人たちの心暖まる指導の賜物であり、また、特に、勝利の味を知らないまま卒業していったOBのたゆまない努力が根底にあることを学生諸君、特に四年目には忘れないで欲しい。そして優勝という結果を、ある意味では、その「結果の過程」となった先輩たちといつまでも喜び合うOBになって欲しいと思う。

 二、四年目

 毎年の恒例で四年目の横顔に触れたいと思うが、今年の四年目は十五名という戦後では一・二位を争う人数なので少々長くなることをお許し願いたい。しかし、それぞれ皆個性豊かな面々なので書く方としては楽しい面もある。

 主将の吉田寛裕は、時には強引とまでいえるようなリーダーシップで、同期だけでなく四十三名という大所帯の柔道部を引っ張って来た。立って良し寝て良し、あらゆるパターンの相手に対応できる実力を身につけ、七大戦でこそ二人抜き・三人抜きという様な派手な勝ち方はなかったが、ここぞという時には必ず勝ち抜いた。その意味で絶対の抜き役といえよう。九大との決勝戦でも吉田が均衡を破った時点で「行けるぞ」という光が見えた。七大戦後、名大のOBの方が、「今大会で主将として最高の戦いをしたのは、九大の甲斐君でも名大のたて君でもなく吉田君だ」という旨の便りをわざわざ吉田に送って下さったが、彼にとっては最高の賛辞だろう。また彼は、その情熱・厳しさと共に、他人に対する優しさを有していた。それが個性豊かな十五人の同期を大きな所で一つにまとめることができた所以ゆえんではないかと思う。

 副主将の松浦義之は、正に「気は優しくて力持ち」、平生は柔和な笑顔を絶やさないが、乱取り・試合となると形相一変、パワフルな柔道を展開した。柔道の方はスピーディな技を身上とし、寝技も抑え込みよりも絞め・関節を得意とした。しかし何といっても松浦といって忘れられないのは怪我の多さである。とにかく大学以来、五体満足で稽古をしている姿を見たことがない。ほとんどの場合、試合には間に合わせてくるので、最後は私の方も慣れっこになってしまったが、人一倍責任感の強い松浦にとっては辛い事だったと思う。今回の七大戦も一月半前に肩関節を痛め出場が危ぶまれ本人も非常に苦しんだ様だが何とか間に合い、決勝戦では見事優勝をたぐり寄せる袖釣りを決めた。その集中力には脱帽する思いである。ただ後年無理がたたり、後遺症が出なければよいが、と心配している。また彼はこの一年、体育会の委員長としての苦労もあり、大変だったと思う。

 同じく副主将の中井祐樹は、大学から柔道を始めたが北大を代表する寝技師に成長した。三年の時には体重別七一kg以下級で準優勝、更に全日本では関西代表選手を寝技で破り、北大の寝技が全国・国際ルールでも充分通用することを示してくれた。彼の特徴は何といってもそのガッツであり、稽古の時から気力にあふれ、道場の窓が開いている時は武道館に近づくにつれ、窓が閉まっている時には武道館のドアを開けると彼の掛け声が聞こえ、私自身気が引き締まる思いがした。七月の出陣式の際「今年は僕、甲斐でいいですよ」と中井から切り出してきたが、その言葉に彼のフォア・ザ・チーム、七大戦にかける意気込みを感じたし、また、おぼろげながらにイメージしていた対九大の作戦が固まっていった。彼は八月に大学を中退し、「シューティング」という格闘技の道に進んだ。「何故」と首をかしげる人もいるだろうが、それも一つの生き方であり、私自身としては彼の今後の活躍を楽しみにしたい。

 選手監督のくろさわたくは、立技・寝技ともにセンスの良い綺麗な柔道をし、その実力は上位にあった。しかし、十五人の中では比較的落ち着いた性格で、それが柔道にもでていたのであろうが、もっとがむしゃらな柔道ができればもっと活躍できたのではないかと惜しまれる。

 同じく選手監督の裕亮は、「練習がすべてを決する高専柔道」(北の海)そのままに黙々と練習に励み、着実に実力をつけてきた。高校時代剣道をやっていたそうだがいまその面影は全くなく、すっかり柔道体型になってしまっている。それだけ稽古・筋トレをこなしてきたということだろう。

 水産主将の長高弘は、北高時代からたびたび練習にきていたので早くからその実力を知っており、活躍を期待していた。組み際の速攻は鮮やかで迫力があったが、ちょっと非力な面があったので吉田等に遅れをとってしまった。昨年は実習で七大戦に出場できず、七大戦での活躍は今年だけになってしまったが、初出場にもかかわらずきちんと仕事をした。

 おいかわ英紀は、大学から柔道を始めた内の一人だが、体が硬く本人もそれを克服するため色々工夫・努力していたようだ。研究熱心で、特に打込みなどを見ていると白帯から始めたとは思えないほどであった。

 大野雅祥は、その類いまれな柔道センスの良さで、昨年・今年と体重別六五kg以下級で松浦(ひで)以来の二連覇を達成した。また、七大戦での優勝を確信させた甲斐との試合は記憶に新しい。大野の場合、力を試合で出し切るという集中力・天性の素質というのが特徴的であるが、道場に他から強い選手・大きい選手がくると必ずといっていいほど向かっていくという研究熱心な面があったことを忘れてはならない。性格は、どちらかというと物事をはっきり言う方なので反感を買う事もあったようだが、それも柔道に対する情熱の彼なりの発露であったように思う。

 小川健太は、細身の体からは想像もできない粘りの柔道を展開した。七大戦での活躍もさることながら、東京遠征のけいおうとの練習試合で、力は上と思われる選手に終始攻め込まれながら、最後は有効を取って優勢勝ちをしたのは、彼の柔道の真骨頂を見る思いがした。

 かみぐちいちろうは、立技のスピード、特に返しの鋭さに光るものがあった。また、気の強さは折り紙つきで、体を痛めていても泣き言をいわなかった。惜しむらくは、高校時代からの脱臼癖があり、それが一・二年の練習量に響いてしまったことだ。

 ひらえいは、正に練習の虫、稽古だけでなく練習後も綱登り・筋トレに汗を流していた。脇の甘さから中々レギュラーにくい込めなかったが、その豊富な練習量でカバーし国際ルールでも七大戦でも立派に通用する選手になった。七大戦が終わって約三カ月、その緊張感から解放されて伸び伸び柔道をやっているせいもあろうが、その強さが目につき、こんなに力をつけていたんだなと認識を新たにしている。

 矢田哲は、しつこい粘りの柔道を特徴としていたが、その足の固さは「カニもり」と呼ばれた私の同期のながおかに勝るとも劣らないと思う。この様に守りの形から入ったため中々その癖が抜けず、この一・二年の課題は攻撃力の養成にあったが、昨年の東北戦での一人抜きを始め確実に攻撃力を身につけ抜き役に成長した。

 有田哲也は、入部が一年目の七月、夏休み後となった上、訳あって休部の時期があったので、他の四年目より実質的には一年少ない。にもかかわらず、体格面もプラスしてか太鼓判を押せる選手になった。昨年までは稽古に対しちゃらんぽらんな所がなかったとは言いにくいが、この一年は最上級生の自覚が芽生え熱心に稽古に励んだ成果といえよう。

 会計の高貝暢浩は、彼には失礼かもしれないが、嬉しい誤算というかこれ程強くなるとは思わなかった。体もさほど大きくなく、修正不可能といえる様な変形の背負いといい、これは苦労するかなと思った。しかし、派手な道場外の生活とは異なり、地味に黙々と稽古に励み、「変形あさがえし」といえる様な下からの返しを習得した。

 主務のなかがわ光紀は、マネージャーをするために柔道部に入って来た様な男で、入学当初から将来の主務としての地位を約束され、その期待にたがわぬ活躍を見せてくれた。わがままな同期の連中の面倒を四年間良くみてきたと思う。

 ラストは六年目の守村敏史だが、彼の横顔に触れるのは三回目、これが最後になるだろうが、その最後の年に体重別七一kg以下級優勝を成し遂げた。その頑張りには感心するしかない。昨年の七大戦後「来年は楽な所で使うからな」と約束したが、今年もまた重要な場面で使うことになってしまった。許して貰うことにしよう。

 三、現役へ

 多くのOBの皆さんは「二連覇」ということを期待されていると思う。しかし、三年目以下で七大戦の経験があるのは、栗林・藤本・山下の三名のみ、来年のチームは今年のチームとは全く別のチームといえる。従って現役諸君は、意識するなといっても難しいかもしれないが「二連覇」を意識する必要はない。その呪文に縛られることなく、自分たちの柔道に一年間しっかり打ち込み、常にチャレンジャーの精神で優勝を目指して欲しい。「二連覇」というのは、自分たちなりの柔道をし優勝を成し遂げた後について来る結果にすぎないのであり、OBの皆さんにもそのような目で現役を見守って頂けたらと思っている。



「出張先

満天の星空を仰いで」

コーチ 佐々木洋一


 今仕事であさひかわに滞在しています。ここ半月、夜も遅いことが多く、満天の星空を仰ぎながらこの原稿を書いています。

 優勝です。これに関しては、まだ興奮さめざる時期に書くべきだったようです。もう三カ月もたってしまうと、当の学生たち(多分一生語られる?)とは違って既に過去のことになり、来期に気持ちが傾いています。いやしかしフンばりましょう。過去といっても、既に三度の優勝を現場で体験しました。このことからも、ちゃんと書き留めておく必要を感じます。

 勝ってみればあっけなかった思いもしますが、そんな一言では済まされない怨念がある様です。まず前回より、十二年かかったこと。僕個人は、そのうち三分の二もぬけていたこともあって言葉に窮す面もありますが、その僕ですらわかることにその十二年もの間、代々の学生たちのたゆまない努力があったことを、忘れてはいけません。今回の優勝で一応のケリがつき、それが忘れさられることを恐れます。

 僕がコーチに復帰した頃、ちょうど部の上昇ムードと重なりました。

 それ以降、トントン拍子に昇り詰めたように見えますが、前年の幻の優勝を考えるとき、僕には何かが足りないように感じていました。戦力的には十分、次にはその実力に匹敵する意識、その実力を半歩リードする意識、優勝するぞっという意識だろうと思っていましたが、七帝前の合宿でそれをはっきりと目のあたりにしました。紅白試合を重ねる度に、吉田に、中井に、「取る」という執念を見せつけられ、それが他の者にもでんしていく様でした。人事は成ったというのが、試合直前の実感でありました。そしてこのことは、各現役に僕が一番言いたいことでもあります。

 人事を成すこと、それも優勝をめざす人事が最高であること、それを成さば、武内部長のいうように、優勝はおまけです! 優勝が全てではない所以だと思います。

 ようやっと気分は、阪大の会場が見えてきました。まだ試合前、我々には、一抹の不安と共に自信がみなぎっていたと思います。(四年目が十五人、何人か出れない者がいるでしょうが、留意してほしいのは全員に合格点は出ているのです)

 初戦は九大。一番やりたくない相手でしたが、自信の方が上でした。試合経過は、当方の思い通りに行きましたが、僕の計算違いは二つ露呈しました。一つは、吉田が二人目を抜けなかったこと。彼は次を考えてちゆうちよしたとみえました。さらには、甲斐君が三人抜いて中井まで引っ張り出されるとは思わなかったこと。彼の位置は安全対策でしたが、これが生きました。やはり相手をあなどってはいけないと、肝に銘じることとなりました。

 二戦目は東北大。ここでは、出ていない四年目を出したいという気持ちが正直働きましたが(何しろ合格点は出ている)、あなどりになることを恐れていました。

 この試合、僕は偵察(九大、名大戦)にまわっていたので、カヤの外でしたが、中井─中川戦にはビックリしました。アレは例年だったら取られていた。もしそうだとしても大局には影響ありません。本人もそれがわかっている中でのフンバリです。アレが優勝するための執念なんだ、アレが今回ウチにあるんだとうれしくなったのです。

 一方、九大─名大戦でおもしろいことに気が付きました。いつのまにか名大を応援している自分のことです。名大にも勝機はあったのですが……。

 よっぽど僕は甲斐君が恐いらしい。蛇足になりますが、何度か学生に聞かれたことがあります。

さんぼんまつと甲斐を比較してどうですか?」

 答はわからない。理由は、僕が三本松を見る目は、学生時代のそれであって、分け方が皆目わからない恐さであって、今会場であっても、気楽に話しかけれないほど、未だ影響している。しかし甲斐を見る目は、コーチのそれであって、方針は出るし、その為一年間やってきたという自負もある。従って、客観的冷静な判断はなし得ない。

 ともあれその九大を二度破らなければならない決勝戦を迎えました。

 気持ちの上では「中井の前に最低一人でも抜けばウチのものだ」と思っていましたが、なかなかどうして、緊迫した時間が続きました。

 ここでまた脱線。前年の部誌で、僕は対甲斐要員を四、五人は用意すると確か書きました。一人目で分けられる選手は、頭の中では、からくして三人いたのです。フタを開ければ初日の一回戦でその一角が崩れ、甲斐のくそったれめっ(これは甲斐君を賞賛しているのです)と思っていましたが、中井に対する信頼度は逆に増していたのです。

 均衡を破ったのは吉田でした。吉田─有田戦。よく有田君の猛攻を耐えてくれました。前段で彼をけなしたのも、この戦いを引き立たせるためです。

 次には松浦温存策の成功。全試合を通じて平均体重の劣る北大勢は猛暑大阪の地においてさえも、力負けしなかった。練習量だと思う。

 その中にあってただ一人、二人目を迎えた松浦はよれよれであった。そう彼一人、ケガのため練習不足であったのです。勝ち抜いた技、袖釣りは、十八年ぶりに再会した四十八年卒、中島さんのあの、独特の奴です。

 その本家の前でやったのですから、僕の喜びは尋常のものではありません。

 そしてやっぱり用意されていたクライマックス。

 あの大野がマサカッ! というのが僕の正直な気持ちです。監督は期するものがあったようですが、僕は作戦ミス、時間の問題だとみていました。……言葉が見つかりません。試合後、思いあまって大野に「お前の人生の最高頂点かも知れないぞ」とまで言ってしまいました。ちょっと後悔しています。

 急に、現実に戻りつつあります。すでに来年が始まっています。かつこの一年は僕のコーチ生命をかけた一年でもあります。

 北大柔道は、学生主体のそれですから、現役は、もっともっと僕を使わなくてはいけません。かつてますが、有無を言わさず僕を引っ張り込んだように、その伝統は守るべきと思います。

 最後に、自負としてはタブーとしていた学生の名を四人も出してしまいました。他の者よ許せ、学生を一人ずつほめるのは監督のなわばりのはずだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る