第4話
* *
乱取りが終わると岩井監督と城戸主将の総括があり、着替えてススキノへ移動した。
追いコン会場はグランド居酒屋
旧交会会長の
「今年は念願の最下位脱出を果たしてOBも一安心しております。京都大学に一点差まで詰め寄った諸君を誇りに思います。札幌開催となる来年の七帝戦では紫紺の大優勝旗を奪還し、文部大臣杯をぜひ我々OBにも抱かせてほしいと思っています」
三人ほどが話を終えると、現役たちは学生だけのコンパでは並ばない豪華な肉や魚を食って酒を酌み交わした。
小一時間たったころ岩井監督が立ち上がり、われわれ四年目に贈る言葉を粛々と話した。
「今年の四年目は最後までやり遂げた者は五人と少なかった。入部したときにはすでに七帝戦で二年連続最下位という状況で、一年目の
岩井監督が座ると、司会のOBが四年目に挨拶を促した。竜澤が立ち上がって引退の弁を述べる。最後の七帝戦の達成感と悔恨、両方を
「では次に、現役部員から卒業生に贈る言葉を」
司会の言葉で、主将の城戸から順に立ち上がって、私たち四年目が座るこちらを向き、感謝の言葉を述べたり笑いをとったりした。
「僕は……」
大きな声。しかしそのまま止まってしまった。大森一郎である。酒が弱いので顔を
そこで「僕は」とまた言った。五秒ほど黙った。しかし今度は続けて言葉を継いだ。
「一年目のとき大嫌いな先輩がいました。でも今はその先輩が一番大好きです」
早口で言って座った。
動作がぎくしゃくしていて緊張しているのがわかった。顔が赧いのは酒に酔ったからではなく恥ずかしかったのだろう。背中を丸めてコップ酒を手にし、喉仏を動かしながら何口か飲んだ。その動作からも緊張が伝わってきた。
私は彼の言葉に強く驚いていた。彼のまわりの三年目は今の挨拶の繊細さに気づいておらず、それぞれ次の者が立つのを見ている。
私は隣に座る竜澤をちらりと
私は離れた場所にいる大森に視線を戻した。大森もまたうつむいている。
唐突に竜澤が立ち上がった。
テーブルの一升瓶を握り、大森のところへ歩いていく。
大森の横に
大森が驚いて振り向いた。竜澤の語りかけに緊張しながら肯いている。しばらくするとコップを両手で持ち、頭を下げた。竜澤がそこに酒を注いだ。大森はひとくち飲んで何か言っている。竜澤が大森の背中を軽く叩いた。大森は真っ赤になって繰り返し頭を下げている。不器用なやつらだ。
竜澤と大森にはかつて小さないざこざのようなものがあった。竜澤の悪ふざけに大森がついていけなかったのだ。
そもそも大森は私と竜澤に憧れて柔道部に入った。そのときのいきさつを大森は現役部員とOBに配られる年刊誌『北大柔道』に綴っていた。
北大合格後、まだ札幌に来る前、大森は自宅に送られてきた北大体育会の冊子『
しかし入学後、大森は思い直し、普通の大学生活を送ることにした。その運命を変えたのが武道系合同演武会だ。柔道部の演武を見た大森は仰天して入部してしまう。そのときの心情を『北大柔道』にはっきりと書いていた。
《四月十五日、合同演武会があるということを聞き、一人でそれを見に体育館へ行きました。実を言うと私はその時、ある武道系の部に入ろうかなあと思っていました。入ろうかなあと思っていた部の人々の横に柔道部の二人がいました。他の部の人々と比べてなんとなく下品な感じがしました。
演武会が始まりました。
剣道部や少林寺拳法部はフロアの上で演武をしましたが、そういうものに興味がなかったので、私は、体育館の上手の方に敷かれた畳の所にすわっていました。
やがて、入ろうかなあと思っていたある武道系の部の演武が始まりました。失望しました。
そして最後に演武されたのが柔道部でした。払い腰等のポピュラーな技からとびつき腕十字固めなどのあまり見たことのないような技まで様々な演武が続きました。
スピードと力がありました。演武する二人の男たちの体は、他の部と比べると大人と子供でした。このとき私は、入ろうかなあと思っていたある部に入るのをやめました。そして、冷静な自分がやめろやめろと言っているのに、興奮している自分が足を動かし、柔道部に入部したのです》
あの演武会、私と竜澤は当時の主将であった和泉さんに「僕たちが演武会に行ってきます」と申し出た。和泉さんは練習量をたとえ一日でも減らしたくなく「柔道部は合同演武会には出ない」と言っていた。しかし私と竜澤には他の武道系の部に対して柔道部の威厳を示せるのは俺たちしかいないという気持ちがあった。
演武会での二人の行動は、他の部から見ると失礼なものだっただろう。他の部の女子部員たちを「あの子が可愛い」と言い合い、床に落ちていたボールで二人でサッカーをやり、他部の男子部員を
柔道部が軽んじられているのが我慢ならなかったのだ。部員が少なく七帝戦で最下位を続ける柔道部は北大体育会内で廃部を囁かれていた。そのため練習後に道場を貸している拳制道部や合気道部に、師範の訓話中に乗り込まれ「早く練習終われよ」と言われたこともあった。そういったものが演武会でのあの態度に
私と竜澤は、柔道部の演武の番がくると一切の妥協なく投げあい、関節技をとりあい、絞め技をかけあった。他の部の連中はその迫力にどよめいた。演武を終えると、一人の少年が走ってきた。そして「柔道部に入りたいんです」と言った。それが大森だった。
「スポーツしたことないんですけど……経験者じゃなくてもできるんですよね……。『北溟』に書いてありました」
私はたしかに「白帯から始めても寝技中心の七帝柔道では必ず強くなれる」と書いたのだ。
私たちは大森をその場でかき口説いて入部させた。平凡な大森の大学生活を私と竜澤が変えてしまった。
大森はきつい練習に苦しみ続けた。それをわれわれ先輩は見ていることしかできなかった。手助けするといっても何を助けるのか。最終的には自分で強くなるしかないのだ。
そして入部してわずか三カ月後、竜澤と大森の関係がこじれる事件が起きた。私たちが二年目、大森が一年目のときのことだ。私はその場面を見ていた。大森はこれも『北大柔道』に書いていた。練習後に脱水症を起こして全身
《夏合宿二日目、朝練習のおわりの、つなのぼりの時、私は脱水症になりました。腹の中の筋肉がつりました。
思いっきり胸をひらいて空気を吸いこもうとしても空気が入って来ません。体中の筋肉が硬直しました。
意識ははっきりしていました。その時は自分が一体どうなったのか分かりませんでした。自分はこのまま死んでしまうのではないかと本気で思いましたが、「人工呼吸してやろうか。お前の好きなマウスツーマウスだ」とわけのわからないことを言う先輩もいました。
もうほとんどの部員はランニングに行っています。息苦しさはますますひどくなります。舌も硬直してうまく日本語もしゃべれません》
これを読んで、竜澤が怒った。
「『わけのわからない先輩』って何だよ」
しかしこの事件に関しては大森に分があった。朝練の寝技乱取りが終わってランニング用のジャージに着替えていると部室の片隅で大森が倒れていた。同期たちが道衣の胸をはだけさせてマッサージしていた。それを竜澤が覗き込み「おまえの好きなマウスツーマウスしてやろうか」とからかったのだ。大森が腹を立てたのは当然だろう。
しかしその後、主将となって部を引っ張る竜澤の必死のリーダーシップに大森が心を揺さぶられたのは間違いない。そして竜澤もまた大森の練習ぶりを見ていたのだ。
今年の七帝戦、最下位脱出をかけて宿敵東北大学と戦う前、北大は円陣を組んだ。そのとき竜澤主将が大森を指名した。
「おまえが『北大柔道部ファイト』と叫べ。それに続いて全員で叫ぶぞ。いいなみんな。他の大学に聞こえるように大声をあげろ」
竜澤はべつに大森に
思い出しながら、私は竜澤と大森を見ていた。
こういったことがたくさんあるから私は北大柔道部が好きなのだ。他のOBもそうであろう。成員であったことを皆誇りに思っている。
追いコンが終わるころには四年目はみな泥酔していた。
例年のように、これもまた不器用な老OBたちが「四年目のために」とその場でカンパを集め、二十万円近いお金を「好きなように使ってこい」と渡してくれた。私たちはクシャクシャになったその一万円札を適当に五等分し、ポケットにまとめて
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