First Contact 「雪見の鍋」「つま先は自己同一性について懐疑を抱くか?」滝岡総合病院の愉快な仲間達

TSUKASA・T

滝岡総合病院の愉快な仲間達 「雪見の鍋」


 関家。

 既に関亭といっていいのではないかといわれるくらい料理人として腕を磨いている主が本格的な料理を出すことで知られている伝統的な和風建築の広い庭を前にした和室で。

 座卓に鍋が並べられて、実に美味しそうな料理が並んでいる。家主であり料理を出している関はいま忙しく厨房で仕事をしている為に、呼ばれて来た滝岡は、こうして鍋を囲むものたちの世話を少しばかりしていたのだが。

 ちなみに、この関の家にいま押しかけている面子は、いつもの面子――つまり、隣家に住む滝岡が勤める滝岡総合病院の面子と同じであり。

 つまりは、ほとんど病院関係者の慰安会に近くなってしまっているのが事実である。

 ――今度、関に謝って、いくらかまた食材の費用を出させてもらわないとな、…。

幼なじみでもある関ともお互いに関係者である連中しか、今宵も来てはいないのだが。その面子に、いまそう、――滝岡の右隣りに座る長身の老紳士――見栄えだけは本当にきちんとしている――がいるとなれば、これはほとんど本当に病院の慰安会であろう。

 そう、隣りにいるのは滝岡総合病院院長の橿原であるのだから。

滝岡自身も同じ病院の外科医長となれば、――どう考えても、考えなくても慰安会状態だ。斜め向かいに座る顔色の悪い無精ひげの医師――術後管理専門医師である永瀬が鍋から実にうれしそうに、美味しそうな大根と玉子を確保して食べていて。

 その隣りに黙々と同じく術後管理専門の看護師である瀬川――ちなみに男性だ――が、黙々と無表情に鍋から確保した麩と春菊を食べている。さらに、同じ病院でシステム管理を担い、さらに滝岡の医療秘書をしている西野が、しみじみと味のしみた大根と車海老につみれを確保し味わっている。

 ――すまん、関、…。

此処に病院関係者でない鷹城秀一が仕事関係でいないだけ、さらに滝岡総合病院関係者慰安会感が増している。

 いま厨房で次に出す料理を準備している関に心の内で謝って、滝岡はほとんど無意識に右となりの人物の為に、器にきれいに飾切りをされたにんじんや、実に味が染みて美味しい大根とお麩などを盛って渡していた。

 その後の衝撃をしらずに。

「あら、ありがとう。きみも、いつもこうして僕にやさしく接してくれればいいのですがねえ、…。こどもの頃は、自分が美味しいと思ったものは、必ず、僕にも差し出してくれましたものですのに」

橿原院長の何気なくくちにしたと聞こえる一言に、思わずも滝岡が固まる。

「…――――院長、…おじさん、…」

いまの発言は、と固まっている滝岡の左隣りで、不思議そうな声がした。

夜空が美しく硝子で仕切られた庭の向こうに見えている。暖房が効いている室内からみえる夜空と庭に、白く僅かに天から降りてくる雪はとても綺麗な景色なのだが。

 雪見の鍋を、こうして囲む夜なのだが。

「滝岡さんの小さい頃を院長はご存知なんですか?」

左隣りに座る神尾――同じく滝岡総合病院に勤める感染症専門医である――が、

不思議そうに質問するのを。

 にっこり、得体の知れない微笑みで歓迎して迎えて橿原院長が云う。

「そうなんですの。ぼくが、ちいさいころお預かりして育てていたときには、とてもかわいいお子さんでしたのにねえ、…。ちいさな指で、たべていたごはんをつまんで、…こう、ぼくに食べさせようと寄越してくれたりもしていたんですよ?腕にこう抱いてもまだちいさくて。あの頃のあなたは、本当に可愛らしかったですねえ」

あっさりという院長に、隣りで滝岡が畳にめり込みそうなくらいにがっくりと肩を落とす。その滝岡を気の毒そうに永瀬がみて、視線を逸らして鍋からしらたきをとるのに集中する。

 事情を知る先輩医師に見捨てられたことも知らず、滝岡が額を押さえてうなるようにくちにする。

「…やめてください、院長、…おじさん」

「前から不思議だったんですけど、院長は滝岡さんのおじさんなんですか?」

「…神尾、――――」

好奇心できく神尾に、滝岡が肩を落としたままつぶやく。抑止力にはまったくならないようだが。

 夜の庭に、白い天使が綺麗に舞い降りていく。

橿原院長が、実ににこやかにうれしそうに応えている。

「そうなんですの。僕、この子のご両親の知り合いでしてね?正確にいうと、直接関係のある親戚とかではないんですけど、辿ればどこかで血はつながっているかもしれないんですって。この子のご両親はとても忙しくて、僕、まだこの子が赤ん坊の頃から、ときどきお預かりしていましたの。…あのころのきみは、ほんとうにかわいくて、…。ちいさなゆびでねえ、…」

「…い、院長、―――おじさん、やめてください、…」

唸るようにいう滝岡の声は、一顧だにされていないらしい。

 鍋が実に美味しそうにゆれている。葱が青々しく白菜に焼き豆腐が実に美味そうである。

「そうなんですか?そんな小さな頃から?」

「はい。実に可愛らしかったですよ?本当にねえ、…。僕がいないと泣いて、後をついてまわって、―――。まだはいはいもきちんとできないころなんて、もうほんとうに」

「…やめてください、―――院長、…」

小声で抗議している滝岡が畳に突っ伏す勢いなのに、永瀬が同情の視線を投げる。投げただけで、すぐに関自家製のつみれ――何と海老と摺下ろした白身魚に自然薯をあわせて蒸したものだ――をうれしそうに鍋から手に入れて、器にネギととって食べ始める。

「あのころはほんとうに愛らしかったですねえ、…」

「そうなんですか?」

好奇心できく神尾と、たのしそうにうれしそうに語る橿原院長を止めるものは誰もいない。

巻き込まれ事故は誰でも避けたいという実に切実な理由からだが――院長に話題を振られて困る過去をもっていない連中はいま此処にはいない、――。

あわれな滝岡一人を犠牲にして、実に美味しい鍋を永瀬他は食べていたりとするのだが。

「…確かに、おれがあなたに育てられたのは事実ですが、…―――。そういう話はですね、」

「あら、事実ならいいじゃない。実にかわいらしい赤ん坊でしたのですから、きみは」

「…―――」

無言で滝岡が畳の目と仲良くなる。喩え事実であろうとなんであろうと、充分成長してから、赤ん坊時代にしたことを話題に出されて、しかも、既に随分成長した成人男子をつかまえて、愛らしかっただのなんだのといわれて。

 地面にめり込みそうなくらい懐くことにならない人物がいるだろうか。

 ――滝岡、がんばれ。

無言で先輩医師である永瀬が、つみれを美味しくいただきつつ、心の内で合掌する。

神尾は、――最近、滝岡総合病院に勤めることになり、こどもの頃からつるんでいる滝岡や関、永瀬達が知っている事実を知らないためか、好奇心で質問をしていて。

 ――悪気ないんだよな、神尾ちゃん、…。

滝岡は、話題のあんまりさに強く止めることができないでいる。自身のおむつを替えた人物が持ち出す話題に、強気に出ることができる人間もそうはいないだろう。

 関家は、和風で実に見事な建築だが、庭も見事だ。

 庭を隔てる硝子戸は防犯にも良い造りだが、暖房を逃がさない二重構造で夜の庭を綺麗にみせている。障子戸の開けられて見渡せる夜の庭に儚く白い光を纏いながら、白雪が舞い降りるさまがしんしんと無音の響きを伝えるように。

 夜の雪を背景に、実に温かく美味しい雪見の鍋を。

 赤ん坊のときにしたことを持ち出されて沈没している滝岡を犠牲にして。

 雪見の鍋を、実に美味しく頂いている永瀬ほか、滝岡総合病院関係者一同である。


 雪見の宵を。―――

 夜に白く雪は淡くまぼろしのように舞い降りて。

 けして、積もることのなく儚く消える幻のように雪は舞い降りては消えて。

 夜の闇に、けして。

 残ることなく、―――――。


 夜の深い闇に、なにかが消えて。

 けして、それは残ることはなく、―――――。


「そうなんですよ。僕も不思議におもっていますのは、滝岡くんが、僕に育てられたというのに、こんなに真っ当に育ったことですかしらねえ、…。それが一番不思議なことになりますよ」

「…――御自分でそれをいわれますか、…」

院長が不思議そうにいうのに、頭痛を堪えるようにして滝岡が額を押さえ疲れた声でいうのに。

神尾が、また不思議そうに首を傾げる。

「そうなんですか?院長に育てられると、まともには育たないんですか?」

真面目に問う神尾に、滝岡がとうとう座卓に突っ伏している。

其処へ、関が次の料理を運んで居間に現れて。

「何してるんだ?おまえ?」

関が運ぶ実に美味そうな料理に、くちを開きかけていた橿原が言葉をかえていう。

「あら、美味しそうなお造りですこと」

「ありがとうございます。良い鯛が入りましてね。それと、刺身にするだけだと芸がないので、すこしぬたを和えてみましてね。このままいただいてもらってもいいですし、鍋に潜らせてもいいですよ」

「あら、本当に美味しそう。いただきましょう」

「…――関、…たすかった、…」

「本当にどうしたんだ?おまえ?」

見事な鯛のお造りがひのきの一枚板に飾り物と一緒にぬたなども載せられたものを下ろすと、戻って陶製の片口とわけてとる器をいれた白木の箱を下げてきて、膳につく皆に配りながら関が滝岡に問う。

「おー、関ちゃん!ありがと!これ、だし?きれいだなー」

「ああ、永瀬、これに潜らせたあとつけて食べてもいいとおもってな。刺身のままでもいいが」

「もちろん!両方チャレンジするに決まってるだろ?うれしーな!これうまそう、…!」

「楽しんでくれ。久し振りに人数がいるから作り甲斐があってな。おまえたちは実に良く食べるから楽しくていい」

本気でいっている関に、うんうんと肯いて永瀬が鍋と刺身に突入する。

「うまー!出汁につけるとうまー!」

「刺身のままでも実に美味しいですね。ありがとうございます。」

騒いでいる永瀬を隣りに、実に冷静な表情で瀬川がいう。

「ありがとうございます。どうぞ、楽しんでください」

「ありがとうございます。」

関の進めにあらためて瀬川が礼を云うと鍋に刺身を潜らせて、片口から器にわけた出汁につけて食べることに挑戦する。

「…―――」

うまいですね、と小声でいうと、食べることに無言で集中する術後管理専門看護師瀬川と。

その隣りで、無言でしあわせを噛みしめる術後管理専門医師永瀬。

術後管理室コンビが実にしみじみと美味いしあわせを噛みしめているのだが。

 ぬたを取り、しみじみとうなずきながら食べているシステム管理兼滝岡の医療秘書である西野。

院長も実に美味しそうに黙々とお刺身を鍋に潜らせて、出汁をつけて、ゆっくりと半分眸を閉じながらいただいている。

 神尾も、日本以外では食べることのない刺身に挑戦していて。

 ―――実に、美味しいですねえ、…。

 しあわせになりながら、皆が無言でおいしさを噛みしめている。

 その中で。

 ようやく訪れた沈黙に、感謝して夜の天を仰ぐ滝岡がいるのだった。

 夜が深く、闇の濃くなる天に。

 白く舞い降りる雪の姿を眺める静けさに、いただく温かく美味しい雪見の鍋。

 ようやくに、しずかに箸を進めることが叶いつつ、しみじみと。

 ――関、いつもめしを作ってくれてありがとう、…。

料理が生き甲斐で、こうして多人数で押しかけてもよろこぶというか。今回も、実は関の方から鍋をしたいから、人数を集めてくれないかと頼まれて――実に奇特なことだが、或る程度の人数がいなくては作れない料理をしたい為に、こうして声を掛けてくることがこの幼なじみにはときどきある――珍しくも人数併せに今回院長まで来てしまうことになったのだが。

 それにしても、全員を無言にする威力のある幼なじみの料理に感謝して。

 夜の闇に白く儚く舞う雪を眺めながら、ようやくゆっくりと鍋に向き合い、実にしみじみと美味しさを味わうことができた滝岡であった。

 夜に白と舞う雪に。

 雪見の鍋と、普段は賑やかな連中と、ゆっくり鍋を。

 しんとしたしずけさは、雪の舞う夜の深さを現わすように無音を響かせている。―――




                    滝岡総合病院の愉快な仲間達

                               「雪見の鍋」

                                  了





  

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