【守田】17 だからといってつけあがるな

「まだ駄目なのか、そろそろボコりてーんだけど」


 血の気の多い勇次は、助手席でウズウズしながら、指の骨をポキポキと鳴らした。


「そーだな、ここまで来れば大丈夫かもな。ちょうど、車を停められるところもあるしよ」


 片道一斜線の峠道で、路肩に車を停められる場所があった。この場所を見逃せば、さらに車を走らせねばならなかったので、実にちょうどいいタイミングだ。

 守田は車を駐車して、ヘッドライトを消す。

 辺りは真っ暗になった。


「どうなることかと思ってたが、色々あってもうまくいくもんだな。さすがだ、守田。お前、天才だよ」


「ははは。半分以上、たまたまだけどな」


 本音としては、どこかで失敗してほしかった。うまくいってしまったがために、本当に引き返せなくなっている。

 この数時間で、守田は老け込んだ。

 アクション映画みたいな展開を生身で体験しても、寿命が縮むだけだ。ああいうハラハラドキドキの連続は、画面越しに見ているから面白いだけである。

 なんにせよ、勇次と二人ならば、どんな窮地でも乗り越えることが、

 危機に直面したときの勇次は、味方ならば本当に頼りになる。


「さ・て・と」


 缶コーヒーを飲みながら、勇次は後部座席に体を向ける。


「どんな気分だ? 答えろよ?」


 後部座席の同乗者には、最低限の自由を与えている。自らの意思でシートベルトを外しているのが、カチッという音でわかる。


「お前ら、おれの親父が誰かわかってんだろ?」


「もういいって、それは。だせぇ決め台詞でお腹いっぱいだ。ここまで来る間に、何回も言ってるのに、まだ気がすまねぇのか?」


「ここらで、やめておいたほうが身のためだって言ってんだろうが、クソガキども。後悔することになるぞ、お前らのためにいってんだぞ?」


 勇次は缶コーヒーを田宮に投げつける。

 中身が入っていたらしく、液体が舞った。

 コーヒーのにおいが車内に充満するよりも早く、勇次が助手席から飛び出す。

 助手席のドアが開きっぱなしで室内灯が光る。バックミラー越しに、後部座席のドアが開くのを守田は確認する。いまの勇次の表情を澄乃がひと目見たら、百年の恋もきっと覚めて、泣き出しただろう。


「おら、はやく出てこいよ。あ、そうか。車椅子がないんだったな。だったら、手伝ってやる。遠慮すんな。お前のドタマ、つかみやすそうだしな」


 顔面を鷲づかみにして、勇次は物を運ぶように、田宮を車外に引きずり出す。

 頭が胴体から外れるのではないかと心配になるぐらいに、首が伸びている。

 ボウリング球を投げる要領で、勇次は人間を投げ捨てる。

 宙に浮かんだまま、田宮はガードレールを飛び越えた。ゆるやかな斜面を転がる音のあと、一本の木が激しく揺れた。

 ボウリングのピンとはちがって、田宮がぶつかった程度で木は倒れない。

 勇次はガードレールをまたぎ、斜面をくだっていく。

 エンジンを切ってから車を降りた守田は、開けっ放しだった助手席と後部座席のドアを閉めていく。

 ばたん、ばたん、どごん。


「ドアをしめる音以上に、打撃音が響いてるぞ。あんまり無茶して。話きけなくなったら意味ねぇんだからな。加減しろよ、加減」


 車の室内灯が消えて、再び辺りは暗くなっていた。

 闇の中、風に吹かれて枝を揺らす木々の音が騒々しい。


「大丈夫だ。気絶したら、起きるまで蹴り続けりゃいいだろ」


 ガードレールの向こう側から、勇次は闇が似合う計画を口にする。

 二人を追いかけるべく、守田も斜面をくだる。目をこらすだけで、意外と普通に歩いていけるものだ。木の幹に背中を預けている田宮を、勇次と並んで見下ろす。


「さぁ、聞かせろよ。疾風の兄貴と優子の姉貴のことで知ってることを全部」


「え?」


 日本語が通じていないような田宮の反応に、勇次は田宮がもたれかかる木を蹴って威嚇する。


「はいはい。でもよ。さすがに全知全能のおれでも、全てを知ってる訳じゃねぇってことだけはわかっとけよ」


「はっきり喋れ! ミシミシって音に声が負けてるぞ、ボケ!」


「あ? ミシミシってなんだよ?」


「勇次が蹴った箇所から、木にヒビが入った音だな。もうすぐ折れるぞ――はい、折れた」


「なんも喋らねぇんだったら、お前も折る」


 折れた木を踏みつけながら、勇次はわかりやすい脅し文句を口にした。田宮はそれでもびびることはなく、どこかヘラヘラしたままだった。


「悲しいねぇ。おれは槻本山の木と同じ程度だと思われてんのか?」


「同じだとは思ってねぇよ」


「だよな。そりゃそうだろう。なんだ、わかってんじゃないか。救いようのない馬鹿って訳じゃないようで安心したぜ」


 あくまでも田宮は上から目線を崩さない。自分は不死だと思っているぐらいに、舐めた態度を続けている。


「守田頼む。オレを羽交い締めにしといてくれるか?」


 追い詰められているはずの田宮を、勇次と守田が協力して守っているという不思議な状況になった。怒りに任せてどうにかしないように、間違いが起こらないように、細心の注意をはらってあげている。そんなのだから、田宮はさらにつけあがる。


「んんーっ。悪くない態度だ。褒美をやってもいいかもしれんな。教えてくださいと、お前らが頭を下げるなら、知ってることを答えてやってもいい」


 全力で、体重をかけて勇次が動かないように守田はおさえつけている。勇次本人だって、暴れないようにしている中で、握りしめた拳はぷるぷると震えていた。


「そう興奮するなよ。川島疾風は生きてるぞ。いまもピンピンしてる。健康そのものだ」


 思ってもみなかった新情報に、勇次は面食らったのか、おとなしくなる。


「優子の姉貴は?」


「指一本触れてない。つーか、あんな鉄の女をどうこうしようなんて普通の神経だと考えやしない。それこそ、三上和樹みかみかずきぐらい狂ってねぇとな」


「関係ねぇ話はすんな?」


「あれれ? 声が震えてないか? もしかして、お姉ちゃんの元カレのこと知らなかったのかな?」


「お前こそ、三上さんのなにを知ってるってんだよ?」


「なんだ、つまんねぇな。大好きなお姉ちゃんが処女を捧げた男のことを、知らないわけじゃなかったんだな」


 優子ほどの気立てのいい女性が、疾風と付き合うまで恋人がいないなんてことは有り得ないと守田は思っていた。とはいえ、実際にその存在と名前を言われて現実感が帯びた瞬間に、守田はもやもやする。三上って誰だよ。あとで、教えろよ、勇次。


「で、二人はいまどこにいるんだ?」


「それは――おれにはわからない」


「おかしいだろ。わかんねーのに、なんでいまみたいなことが言えるんだよ! 二人が無事っていうのもデマカセか?」


 悲痛な叫び声は力が入りすぎており、ユウジの声は裏返っていた。

 自分の立場をまだ理解していない田宮は、下品にほくそ笑む。


「なぁ、いいこと教えてやろうか田宮くん?」


「お? なんだ、そろそろおれを解放してくれるのか。そいつは、助かるな」


「真実を話せ。でないと、殺されてもおかしくないぞ」


「ひでぇな。おれが嘘ついてるって決めつけるのか? そんな奴らに話すことはねぇなあ――謝ってくれないと、もう喋らねぇぞ? お?」


 勇次の息が荒くなっていた。

 疾風と優子のことを知っているならば、田宮は貴重な情報源だ。

 だが、田宮がなにも話さないのであれば、価値はなくなる。別の方法で知りたいことにたどり着けばいいだけだと、勇次は気づいたようだ。おさえつけて身体が密着しているから、言葉ではないところで理解ができた。


「おれが最後に川島疾風を見たのは、チャンさんのところだったな」


 それまでとは違い、田宮はようやく淡々と話しはじめた。これ以上、勇次をからかうべきではないと、ギリギリのところを見極めた。長生きする悪党特有の鼻がきくようだ。


「それは、いつの話だ?」


「おれが撃たれたあとだな。詳しくはわからん。こっちは、時間に縛られた生活をしてねぇからよ」


「だせぇ自慢はどうでもいいんだよ。こっからは、イエスかノーで答えられる質問だけを投げるから、もう、二、三発いっとくか?」


「調子よく啖呵を切るのはいいけど、余裕を見せすぎんなよ、勇次」


「わかってるっての。伊達に兄貴に鍛えられちゃいねぇからよ」


「いいこときいたね。てめぇをどうこうできたら、川島の顔に泥をぬれるってことになるわけか?」


 鼻歌まじりに、田宮が棒を使って立ち上がる。

 警戒しているはずの勇次が、棒で左脇腹をえぐられるように叩かれた。

 なかなかのダメージをくらったようで、勇次の顔は苦悶に歪んでいた。

 それにしても、不思議だった。

 あまりにも簡単に棒での攻撃を受けていた。どんなトリックがあったのだろう。


「ちっ、浅かったか。じゃあ、もう一発だ!」


 田宮が棒を振り上げる。手加減という言葉を知らないゆえに、大ぶりだ。しかも、狙いは躊躇いなく頭。

 守田は地面を蹴った。棒の軌道はわかっている。背中で受ける。痛みもあらかじめ覚悟していた。

 現実は想像よりも果てしない。

 地面に転がるほどの激痛。

 地獄のような苦しみは続く。そのまま横になっているだけなんて許されない。

 すごい力で、地面を引きずられる。

 猛スピードで登ったり下ったりが繰り返され、体中のあちこちが摩擦で熱を帯びていく。

 抵抗できなくても、月は頭上でいつもと変わらず輝いている。

 拷問を受けているものにとっても、平等に与えられる権利を守田は行使する。

 止まってくれと、念じる自由だけは残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る