【守田】15 俺、先輩のことが大好きです
山崎クリーニング店の営業時間は一〇時から一九時までだが、看板娘にお願いすれば、閉店後でも無茶な注文も受けてくれます。★★★★★★★★★★。
五段階評価を無視したレビューを守田は投稿したい気分だ。
だからといって、アダルトビデオ業界は、やって来るなよ。
看板娘を口説く、あのシリーズには出演しないから。
そもそも、山崎千秋が無茶な注文を受けてくれるのは、守田との関係があってこそだ。
預けていた喫茶店の制服と交換する形で、いま着ている服をクリーニングしてもらえないかと交渉してみた。
レジカウンター席に座って、閉店後の雑務をこなしていた山崎千秋は、笑顔で快諾してくれた。
千秋の表情が輝いてみえる分、守田の中で申し訳なさがつのる。
店舗付き住宅に住んでいる身からすれば、閉店後にやってくる客の面倒さは誰よりも知っているつもりだ。
守田はレジカウンターに両手をつける。
川を泳いでもずれなかったメガネが、頭を下げたらずれ落ちた。
「千秋先輩、本当にすみませんね。こんな汚いものをクリーニングに出しちゃって。においもすごいですし。なんつーか、その」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。うちの知る限りだと、これぐらいはまだまだよ。もっともっと、臭いや汚れのすごい服も綺麗にしてきたことがあるから」
まだまだ下がいるから大丈夫と言われても励みにはならない。守田のことをくさいとか、汚いとか思われたくないという話だからだ。
もっとも、川に飛び込んだ服を着ている以上、不潔という印象は持たれただろう。
勇次の前でいくら冷静ぶっていても、自らの不潔さに気づかない程度には、守田も熱を帯びていた。
一呼吸おけたことは重要だ。あのまま田宮が乗った車をどうにかしようとしても、うまくいっていたとは思えない。
ずれたメガネを直す冷静さを取り戻して、守田は少しでも千秋に嫌われないようにあがく。
「けど、閉店後なのに無理いって、非常識だし、その」
「気をつかわなくっていいよ。大丈夫、大丈夫。好きでしてるだけだから」
「いや、でも同じ客商売として、俺ならこんな神対応ができるかどうか」
「そういうの考えてる時点でいけるっしょ。やっぱり、出会ったときと変わらず、守田くんはいい子だね」
先輩も出会ったときから変わらず、優しいですね。
だめだ。
やっぱり、本命の前では軽口が叩けない。
千秋との出会いは、守田が高校一年生のときだ。高校の部室棟として使われている旧校舎から、高校三年生だった千秋は、槻本山を眺めていた。
――うちがドラムを叩く時に意識する音は、あのMR2の音なんだ。
そんな風に語っていた赤いMR2の運転手が疾風というのを、当時の千秋は知らなかったはずだ。顔も知らない相手を尊敬していたのだが、実際に会ってみたときどんな風に思ったのだろう。
現在の疾風が置かれている状況は憶測の域を出ないため、守田は余計なことを口にすべきではないと考えた。
すべては、先輩の理想であるいい子であり続けたいがために。
そのためならば、勇次が馬鹿でも怒鳴らない。
「ところで勇次。お前はなんで、ここで脱ごうとしてんだよ?」
しかも、ベルトを外してズボンからだ。アピールか、もっこりアピールなのか。千秋先輩に男根様を見せたいのか、この変態め。
「うるせぇな。これならいいのか?」
下からが駄目なら、上から脱ぎます。そういう順番の問題ではない。
なに、脱ぎたいの? 確かにすごいよ。 筋トレしているところを見たことがないのに、腹筋がばっきばきに割れているもんな。
「だから脱ぐなって! 美人の前なんだぞ。奥で着替えていいって言ってくれたの聞こえてなかったのか?」
「あ? 急いでるんだから、ここで着替えてもいいだろ?」
千秋は勇次の行動に困って、頭をかいた。
いつも前髪をきっちりとセットしていて、いまだに見たことがなかった眉毛が、まさかこんなところでお披露目されるとは。
高校時代の球技大会や眠る少女のライブでも眉毛を隠し続けた鉄壁を誇った千秋の前髪だ。激しい動きでは駄目だったのだ。北風と太陽に通じる逆転の発想が必要だった。千秋自身の手で髪を弄らせるように、困らせればよかったのだ。
想像よりも素晴らしい眉毛だ。ちょっと勇次に優しくなれそうだ。
「向こうで着替えようね。勇次くん。ね?」
守田はコーヒーショップ・香の制服を勇次に手渡す。クリーニングが終わったばかりで、透明の袋に包装されているので、勇次が受け取るとガサガサとやかましい音が出る。
「くん? ね? お、おう。わーったよ」
気味悪さに押されたかのように、勇次は渋々納得して店の奥に移動する。だが、歩きながらもズボンに触ろうとするので。
「おい、千秋先輩の視界に入ってるうちはズボンに触るなよ」
拳銃を向けられても降伏しなかったくせに、守田に注意されると、勇次は両手をあげた。
「先輩。お見苦しいものを見せてしまい。すみません」
「ちょっと、びっくりしちゃった。けど、さすがって感じだね。守田くんならわかると思うけど、うちらって客商売だから色んな人に会うでしょ。けど、その中でも中谷くんって特別だよね」
「ええまぁ、特別ですよ。でも、俺にとっては先輩も特別で」
「え? あんな風に我が道をいってるように見えてたの? そうだよね。卒業してすぐに働いてる子って岩高だと少ないもんね」
「そうっすね。俺だって、大学進学をすすめられましたよ。かがみんにも言われました」
「おー、かがみんって懐かしい先生の名前だ。うちも、かがみんに進学をすすめられたよ。一緒だね」
「先輩と一緒って、それだけで実家で働く価値がありますよ」
「またまたー、得意の冗談が出てるよ」
「いえ、冗談じゃないです」
「え、どしたの?」
本当にどうしたのだろう。
この後、危険なことをするから、後悔しないように告げておこうとでもいうのか。それはそれでアリだな。
「実は俺、高校一年の、出会ったときからずっと」
「出会ったときから?」
「先輩のことが!」
「うちのことが?」
「おー、守田。次はお前が着替えろよ。ん? どうしたんだ? カウンターを挟んで顔を近づけて?」
着替えを終えた勇次が奥から出てきやがった。
あとちょっとで、コーヒーショップ・香と山崎クリーニング店が、いまよりも太いパイプで繋がれたかもしれないのに。
「あら、もう着替え終わったんだね」
なんだか残念そうな千秋の口ぶりに、守田は背中を押された気分になる。
勇次をいないものとして最後まで言うべきだ。やってやる。
「残念。中谷くんの裸で、みたいところあったんだけどな」
守田との距離だから聞こえるボソッとした声で、とんでもないことを千秋は口にした。
「千秋先輩? 勇次の裸なんて見たら目が腐りますよ」
「あ、そうだ。守田くんなら知ってるかな? 服着たら見えない位置に、女の子ならブラジャーで隠れるようなところだったかな。ホクロがあるらしいんだけど」
「え? そうだったかな。気にしたことなかったから知りませんね」
疾風のこともそうだが、守田は勇次のことですら、なにもかも知っている訳では無いのだ。
そもそもホクロの位置なんて、企画女優モノのアダルトビデオで別名義だけど同一人物だと確信を持つときぐらいにしか気にしないわけで。
考えてみると、口元や目尻のホクロにはセクシーさもあるし、ホクロって性的なにおいがあるようなないような。
「何故か、あずきちゃんがホクロあるの知ってたのよね」
「つまり、勇次とあずきちゃんには、裸の付き合いがあると」
「あずきの話してんのか?」
客商売で守田の地声が大きくなっているせいか、勇次に聞こえてしまったようだ。
「そりゃ、千秋先輩にしたら、同じバンドのメンバー。俺らからすれば、クラスメートなんだから、話題に出やすいだろ。なんか文句ありげだな?」
「文句っていうか、いまは話題に出してほしくねぇんだよ。あいつの顔がよぎったら、決意が鈍るじゃねぇか」
これから先、どのように安全に事件を終わらせて、日常に戻るべきか。
そういうことを考えるための時間稼ぎの意味合いもあって、ここを訪れたはずだった。
なのに、千秋と喋っていたら、そんなことほとんど考えていなかった。
その時点で、守田の中では血なまぐさいことをやるための決意が鈍っているのだろう。
むしろ、引き返すには遅いところまで突き進んでいたとしても、ここで止めるべきなのではないかという考えも浮かんでいる。
いまが最後の機会であり、それこそあずきと連絡がとれれば、なんとかなるかもしれない。
ずっと隣で、バカやってきた腐れ縁の勇次は、守田と一生の付き合いになったとしても、一生を添い遂げるわけではないのだ。
「行くぞ、守田。兄貴のところへ」
「俺はお前と違って、着替えそんなにはやくねぇぞ」
「そこは頑張れよ。兄貴の話だと、推してるアイドルのライブ早着替えは、こんなもんじゃねぇらしいぞ」
「こいつ、タイミングが悪いところで出てきただけでなく、なにをぶちこんでやがる」
疾風の話をしつこくするな。最近、どうしているのかと、千秋にたずねられたらどう答えるつもりだ。
「兄貴さんって、疾風さんのことだよね。推しのアイドルとかいたんだ」
実は、アイドルみたいな妹が疾風にいるのを知っていますかとか言って、お茶を濁すこともできた。
だが、守田は話を変えるよりも、千秋二人で話していた話題に戻すことにした。
タイミングが悪かったとしても、関係ない。
「俺、先輩のことが大好きです」
勇次も守田に続いて告白しろという思いはない。けれど、別にやりたければ、続いてもいいんだぜ。
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