【守田】06 スカートや下着に埋もれたバッグから

 現代人の身分証明書であるスマホはどこだ?

 シャワーを浴びている欅と名乗った少女が、疾風の妹である証拠を、守田は探していた。

 風呂場から音楽が聴こえてきた。防水のスマホを持ち込んでいるようだ。耳を澄ますと、誰の歌声か判断がつく。

 尾崎豊だ。疾風の大好きなアーティスト。これは、兄妹かもしれないぞ。

 まだ、かもしれないから抜け出せてはいない。決定的な証拠を目にしないと。


 小さいのに頑丈なボディバッグが、スカートや下着に埋もれていた。

 バッグの中から、財布を発見。

 運転免許証があれば、完璧だ。

 だが、みあたらない。

 疾風の妹といっても、免許がまだとれない年齢なのか。カード類は一枚しか持っていない。スーパーマーケットの電子マネー付きのカードだけだ。

 お札も持っておらず、同じスーパーマーケットのレシートで財布がパンパンになっている。

 大量のレシートに紛れて、学生証を発見する。


 ――レシートと一緒だと捨てちまうぞ。気をつけろよ、槻本中学校、二年一組の川島欅。


 心の中で個人情報を読み上げて、守田は注意を促した。

 槻本中学校は、槻本町の学校だ。疾風の出身校で――いや、そんなことはどうでもいい。なんだ、この写真。抜群に可愛い。写真審査なら、どこの芸能事務所のオーディションでも通るレベルだ。

 そんな子が、いま背後の風呂場でシャワーを浴びているのか。

 振り返ると、シャワーの流れる音しか聞こえなくなっている。

 さっきまで流れていた音楽は止まっていた。かわりに、なにかぶつぶつ言っているようだ。

 ラジオでも聴いていて、その中で流れた尾崎豊だったのだろうか。

 などと思いもしたが、耳をすませば喋っているのがラジオDJではなく、欅本人だとわかる。


「幸せは途切れながらも続く」


 シャワーを浴びながら、欅はドラマのセリフみたいなものを口にした。

 もしかして、芸能人並に可愛いのではなく、本当に芸能人なのではないか。

 それで、出演するドラマとか舞台の台詞の練習をしている。

 妹が芸能人だから、疾風は妹の存在を黙っていた。

 さすがに、飛躍しすぎた妄想か。

 とはいえ、単純に妹が大事だから、守田みたいな野郎どもには紹介しなかったとかの線は濃厚となってきた。

 守田と澄乃の年齢差ですら、あれだけ可愛がってしまうのだ。疾風と欅ほどの年齢差があれば、もっと可愛がっていてもおかしくない。


「寝室で待ってても、なかなかこないから来てみたんだけど、なにしてるの守田くん?」


「え? 光莉さんが寝室で待ってるって、なんかエッチな響きですね」


「疾風は私と二人きりのとき、もっとえげつない下ネタいうから、鍛えられてるはずなんだけどね。いまのはなかなかアレだったよ」


「それよか、光莉さん。疾風さんに妹がいるって知ってました?」


「妹みたいな人になら心当たりあるけど。もしかして名前に『き』がつく人のこと言ってる?」


「ええ。つきます、つきます。け、ど」


 歯切れが悪くなって答えたのは、こういう時って名前の頭文字を言うものだよなと思ったせいだ。

 欅、けや。お尻にではあるが『き』はついている。

 そもそも、妹みたいな人に心当たりがあるというのは、どういうことだ。結局、妹ではないの?

 などという疑問を守田が口に出さないせいで、光莉は一人で納得してしまう。


「ごめん、守田くん。私、帰るね。疾風の妹と名乗った人にもよろしく伝えといて。それじゃあ」


 光莉が慌てて帰ってしまって、疾風の妹の謎は深まるばかりだ。

 守田だって、欅と顔をあわせたときの第一印象が最低だったら、今後ことあるごとに欅から逃げ出すことになりかねない。

 逆に、とびきり美味いコーヒーでもてなせば、惚れられたりなんかしちゃって。

 もっとも、惚れられたら正直なところ、ちょっと困るのだ。

 仕事中も客に声をかけることがあっても、あんなのでうまくいくとは思っていない。

 光莉とのやり取りだって、ああやって軽く接することで本当の自分を見せないでいるだけだった。


 いつだって守田の中では、岩田屋高校を二年前に卒業した先輩・山崎千秋がナンバーワンなのだ。

 いまから美味いコーヒーを煎れるのだって、千秋を口説くのに地続きの行動である。

 他人の家の、それも男の一人暮らしの台所は、喫茶店の厨房とちがって条件が悪い。

 そんな状況でも、できる限り美味いコーヒーを完成させることが出来れば、急に千秋がコーヒーを飲みたい口になっても対応できるというものだ。


「へー、意外と道具と材料が揃ってるんだな」


 台所に守田が戻ってくると、澄乃がコーヒーを煎れるのに使えそうな道具を洗ってくれていた。


「疾風さんって、自分でコーヒーを煎れる甲斐性とかなさそうなのに意外だよね」


 もしかしたら、光莉あたりにコーヒーを煎れてもらっていたのかもしれない。ファミレスのフロアとして働くことが多いけれど、店で出している簡単な料理なら作れるという話をきいたことがあるから、コーヒーも光莉ならなんとかつくりそうだ。


「まぁ、どうでもいいか。コーヒーと向き合って集中すれば、大抵のことはどうでもよくなるからな」


 時間の感覚だって、いつもとは違うものとなる。


 一瞬で完成だ。


 あとはマグカップに注ぐだけというところまでの手順は終わった。


「あれ? 澄乃、どこにいる?」


 澄乃がそばにいないことに今頃になって気づくとは、集中しすぎていた。こんなことでは兄貴失格だ。

 慌てる兄の精神をすぐさま落ち着かせるべく、妹がひょこっと脱衣所から出てきた。

 リビングと脱衣所をつなげる扉を完全にしめてから、澄乃は鼻息を荒げる。


「きいてよ、お兄ちゃん。すごく可愛いお姉さんだよ。光莉さんといい、疾風さんってなんなの? 超能力疾患の主人公みたいに、女の子にモテモテだね」


 美少女ゲームの主人公みたいだねというのは、守田も同じ考えを持っていた。それはそうと、澄乃が脱衣所から出てきたところから察するに、無修正の欅と対面してきたようだ。


「優子さんより可愛いのか?」


「タイプがちがう。アイドルって感じ。どっちかって言うと、光莉さんよりかな? でも、スタイルもいいから、モデルもできるアイドルってところかな。光莉さんはほら、素朴な幼馴染系じゃん?」


 腰をくねくねさせて、澄乃がくびれを強調した矢先だった。

 脱衣所とリビングをつなぐ扉が開く。

 あらわれた美少女の顔の小ささに、守田は驚愕した。

 澄乃が可愛いとかアイドルとか言ってハードルを上げていたのに、それをいとも簡単に乗り越えてくる。学生証の静止画もいいが、動いていても美しい。


「本当にうらやましい。アイドルみたいに可愛い顔だよ。澄乃もそうなりたい」


 同姓が思わず憧れてしまう欅に、兄だからという理由で、疾風はなんかしていないよな。美少女ゲームには、妹ルートなるものがあるから、変に守田は疑ってしまった。


「澄乃さんは、あたしの見立てですとロリ顔の巨乳になると思いますよ」


「本当? 実は、そんな気がしてたんだよね」


 すぐに調子に乗る澄乃を見つめる欅の瞳には、憂いがある。守田の視線に気づくと、欅は頭を下げてきた。腰を起点にした丁寧な角度のお辞儀だ。


「申し訳ありません。色々と考えているうちに、長風呂となってしまったようで」


「いえいえ、ちょうどコーヒーが完成したところなんで。飲む?」


 相手が年下だとわかれば、守田の口調は丁寧語からタメ口に変化してしまう。


「はい、いただきます」


「砂糖とかミルクはセルフサービスですので」


「そうなんですね、澄乃さん。ちなみに、疾風は、いつもどうしていますか?」


 頭を拭いていたタオルを首にかけて、欅が澄乃にたずねる。どうやって疾風がコーヒーを飲んでいるのか知らない澄乃は、守田に助けを求めて振り返ってきた。


「最近はブラックだったかな。アイスでもホットでもブラックだったよ」


「じゃあ、あたしも同じでお願いします」


 風呂上がりの欅にコーヒーを提供するにあたって、澄乃が率先してお手伝いをしてくれる。お盆がないから、雑誌の上にマグカップを乗せて運ぶ。代用品になっておらず、どうみても運びづらそうだ。


「ありがとうございます」


 お礼をいってマグカップを受け取るが、澄乃相手にも欅は笑わない。

 無邪気な子供相手にも、クールな態度だ。

 でも、コーヒーをふーふーする姿は年相応な可愛らしさがあった。


「ところで、欅ちゃんは、お兄さんのことは好き?」


「澄乃はお兄ちゃんのこと好きだよ」


「勇次だけじゃなく、疾風さんのことまで好きなのか、澄乃?」


「ちがう。お兄ちゃんのことだって言ったでしょ? 澄乃のお兄ちゃんは、一人しかいないでしょ?」


「ああ、そういうことね。俺のことか。いまは、川島欅が川島疾風を好きかどうかを確認しているところだから、黙ってなさい」


 コーヒーふーふーをひと休みして、欅は手首を使ってマグカップをまわす。


「あたしは疾風のことが好きですよ。尊敬もしています」


「仲がいいのは素晴らしいことだ。お兄さんが結婚するってなると、認める?」


「相手によりますね」


「澄乃も同じ答えだね」


 頭を雑になでて、守田は澄乃にありがとうを伝える。嫌がっているのか喜んでいるのかわからないが、守田の腕を掴んで澄乃は暴れる。


「結婚相手を認められなかった場合、どうする?」


 愛情が裏返って、暴力に訴えるという答えが返ってこなければひと安心だ。

 勇次の携帯に送られてきた写真のようにするとか言ったらならば、完全にアウト。


「ボコボコにする」


「嘘だろ?」


  澄乃が危険予備軍だというのがわかり、守田は驚愕する。


「あたしは、話し合いますかね。疾風が誰かのものになる前に話しておきたいことは、山ほどありますよ」


「今日も、話したいことがあって、たずねてきたの?」


「自分じゃどうしようもないことにぶつかったら、お風呂の最中でも疾風に電話して話すようにはしています。だから、ここに来たのは猫ちゃんのお世話が目的です」


「猫の世話なら、光莉さんがしてたみたいだけど、知らなかったの?」


「光莉? もしかして、戸上光莉さんですか? 戸上晴彦さんの奥さんの?」


「え? 違う人じゃないかな。結婚はまだしてないと思うけど」


「ああ、まだですか。でも、光莉さんには会っておきたかったな。猫ちゃんの世話してたってことは、入れ違いになったのでしょうか?」


「さっきまでいたんだけど。なんか、君のこと話したら、逃げていったよ」


「あたしのこととは?」


「疾風さんの妹が来てるって話したんだけど。『き』がつく人ってわかった途端に、そそくさとね」


「おかしいですね。光莉さんは、あたしのことをまだ知らないはずなのに。となると勘違いしたのかもしれませんね。疾風が一人暮らしをはじめても、川島家に居候を続けて、槻本高校に通っていた妃輪那きさきりんださん――キリンさんと」


「なにその情報? 今日は、本当に疾風さんのことで知らないことのオンパレードだな」


「これも知りませんよね? 守田さんに会ったら伝えてほしいっていう伝言も預かってるんですけど」


「伝言?」

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