全ての道はローマに通ず

 2101年5月1日

 爽やかな風が頬を掠める5月のローマで、夜久昴はアマゾニカハッキングのための準備を開始した。ロンドン帰りの朝来野春は、成長の兆しを見せた霧靄霞を夜久に預け、来るべき日に備えていた。


 快晴の昼下がり、夜久はいつも通りヴァチカン庭園のベンチに座り、思索に耽っていた。この庭園は21世紀中頃まで一般の立入りが禁止されていたが、コビムサニア拡散以降にヴァチカン市国はローマ市に統合され、国立公園として整備されていた。


 夜久の傍らには次元立会人、霧靄霞ホムちゃんが鎮座していた。

「なあ、ホムちゃんよ、いろいろなことが分かったような分からないような、とりあえず何かが見えてきた感じはするんだがどうだい、何か思うところはあるかい?」

 夜久はヴァチカン庭園で霧靄霞に話しかけることを日課としていた。

 朝来野春がロンドンで鍛え上げたこのホムンクルスは、少しずつではあるが感情的言説を口にするようになっていた。

「アサキノシュンはおそらくアサキノハルの祖先と考えられる。11の符合については分からない。しかし、確率的にいえば必然性があると考えるのが妥当」

「だよな。とすると昼埜ってのはどうよ。それってもしかして俺と関係あったりしない? だってあいつもハッカーなんだろ?」

「可能性としては少なくない。しかし、それは問題解決に大きな影響を及ぼさない」

「なるほど……俺自身はちょっと興味あるんだけど、まあいいや。それより次元間通信とやらはどんな塩梅だ? リミッター解除についてはカスミくんから知らせを受けた。ホムちゃんにもそれは適用されるってことでいいのか?」

 夜久はカスミくんこと柊組の霧靄霞から、京都におけるリミッター解除の報を、個人メッセージによって受信していた。

「いい。同期できている。あとはリアクター。アマゾニカ」

「俺次第ってことね。了解だ。やるしかねえか、やはり」


 アマゾニカのバックアップがローマに存在することを掴んでいた夜久だったが、想像をはるかに超えるセキュリティによってハッキングは成功しなかった。そのため、実機に触れる機会をうかがっていた。木佐貫も昼埜も、そして朝来野シュンも共にいるであろう痕跡も完全ではないが掴んでいた。

「しかしホムちゃん、アマゾニカはどうして未来人の俺ですらハッキングできないんだと思う?」

「それは相手が上手だから」

「言っちゃう、はっきり言っちゃうわけ。それ軽くショックよ。まあ真実だけどね。でも合点がいかないね。どうしてこの時代に俺が知っている未来の技術らしきものが使われているんだ? 300年もの開きがあるんだぜ」

「それは、私にも分からない。木佐貫一が突出した天才なのか、それとも昼埜と朝来野シュンか。この状況を既に予測しているとしかいえない現象」

「……そうか……そうだよな。そうでないと俺の面子丸つぶれだしな。だがアマゾニカへのアクセスは俺にとって最重要課題だ。霧靄霞というデバイスの能力を最大限に引き出すためには必要なミッションだ。目星はついている。危険は承知だが潜入するしかない」

「アマゾニカの完全なハッキングを行うためにはそれが必須条件。確率は低いがゼロではない」

「オーケー。頼もしい答えだ」

 夜久と霧靄は潜入計画を練るためにヴァチカン庭園を後にした。


 霧靄霞がゼロではない、と分析したアマゾニカのハッキングを決意した夜久は、キリスト教カトリックの総本山、システィーナ礼拝堂へ潜入する計画を立てた。そのどこかにアマゾニカのバックアップがあり、木佐貫、もしくは昼埜、朝来野が潜伏していることはほぼ確実であったからだ。

 夜久はこの潜入計画を立てるにあたり、アマゾニカ関連機器へハッキングを試みた。それはこれまでよりも深い階層へ潜らなければならなかったが、必要なハッキングだった。


 一通り情報収集に成功した夜久は、システィーナ礼拝堂潜入計画について柊らに報告しようとホログラムキーボードに手を触れた。が、その瞬間、静寂を破る破壊の音が室内に響き渡った。

「ヤドメスバルを拘束する!」

 鉄壁のセキュリティを施したはずのマンションは難なく突破され、重装備の特殊部隊が夜久のオペレーティングルームに侵入した。

 夜久と霧靄は抵抗する猶予もなく瞬時に拘束され、麻酔剤を打たれたが間一髪、夜久は端末に組み込んだ非常事態プログラムを稼働させることに成功した。

 隊員がその端末を回収しようと手を伸ばしたが、激しい熱暴走を起こした筐体に触れることはできず、内部破壊によって夜久専用の端末は最期を迎えた。

 意識が朦朧とする中、かろうじて手が届いたポケットの中の小型キーを操作し、ローマ滞在組が所持する端末からのヤドメクラウドアクセス権を停止させた。

「クソッ! 油断した……気づいてくれ……カスミくん……」

 消え入るような嘆願を漏らし、夜久は意識を失った。


 2101年5月2日

 夜久と霧靄は窓のない石造りの無機質な部屋に軟禁された。看守からは朝来野はるも拘束されたことを知らされる。

「俺としたことが……やはり足がつくハッキングにはリスクがあったな……すぐに嗅ぎ付けられちまった。なあホムちゃん、ここはどこだ? お前は眠らなかっただろ? 眠ったふりをしてくれたんだよな」

 ホムンクルスである霧靄霞に麻酔が効かないことは分かっている。

「そう。そのようにした。ここはサン・ピエトロ大聖堂の地下室」

「素晴らしい。春よ、よくぞホムちゃんをここまで育ててくれた。感謝する」

 朝来野春によるロンドン式教育が功を奏したのか、こちらの霧靄霞もまた、感情の発露を確認できるまでに成長していた。

「……しかしこれはある意味好都合かもしれない。ここは敵の本丸近くだ。とはいえ、問題はどうやってここから脱出するかだ。ホムちゃん、ここからアマゾニカへのアクセスはできそうか?」

「可能な範囲。でもその方法は分からない」

「それな。ま、考えよう。お前と一緒の部屋に放り込まれたのはラッキーだった」


 それから数日後、霧靄霞は別の部屋へと移されたが、夜久はそれを想定し、同居中にある仕込みをしていた。それは独房であっても双方向通信が可能なミクロデバイスを身体に埋め込むことであった。

 このデバイスは23世紀に開発されたテクノロジーを、夜久専用に改造を施したオリジナルガジェットであり、22世紀はおろかインフィニット・ワールドでも傍受する術はないが、通信可能な範囲は半径1キロメートルに限られた。

 夜久は緊急事態を想定し、このガジェットを忍ばせて『回想モード』へ飛んでいた。イレギュラーが連続する21世紀シナリオを警戒しての保険であった。そしてこの世界に到着した後、春と動作試験を行い、このガジェットが実用可能であることを確認していた。

 夜久はその後も機会を伺いながらアマゾニカへのアクセス方法を模索したが、シンギュラリティを宣言することになる天才たちの牙城を崩すにはまだ時間が必要だった。


 身柄拘束から3ヶ月が経過したころ、夜久は外部通信セキュリティに関する安全性が確保できたと判断し、看守の目を盗み、ミクロデバイスからヤドメクラウドにアクセスし、メッセージを送信した。


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 連絡が途絶えてしまい申し訳ない。

 俺と春、ホムちゃんは現在サン・ピエトロ大聖堂の地下にある独房に幽閉されている。詳細は省くが、ようやくこの通信が可能となった。

 木佐貫一、昼埜星、朝来野シュンはシスティーナ礼拝堂の半径500メートル以内に潜伏していると考える。なぜならアマゾニカのバックアップシステムがその礼拝堂にあるからだ。

 アマゾニカのハッキングを成功させるには、リミッターの外れたホムちゃんが持つ機能の一部を使う必要があると考える。遠隔操作のため、思ったより時間がかかるだろう。

 だが、間に合う。必ず戻る。11月11日までには。

 アマゾニカへのハッキングは命題の解に直接関係するのか、と問われればそれはないと考える。だが俺たちは既にいくつものイレギュラーを見てきた。できることは全てやっておく。アマゾニカへのアクセスを可能にしておくことが重要だと思う根拠は、それが木佐貫一に干渉できる、現状唯一の手段であると考えるからだ。

 君たちもおそらく解に近づいている頃だと信じる。

 俺は俺の使命を果たす。


 追伸

 カスミくん、こちらのホムちゃんも春の英才教育によって覚醒した。

 君みたいに敬語を使わないのはロンドン仕込みだからかな。

 そして好物はフィッシュアンドチップスだ。


 2101.8.20

 Subaru Yadome from Vatican

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