第19話 ……それでも、一つ分かることがあるとすれば――

『あっ、ごめん。もうちょっと休憩してからの方が良いよね。さっき食べ終わったばかりだし』

『あ、いえそういうことでは……』



 すると、ポカンとする僕に朗らかな笑顔で話す舞衣まいさん。……いえ、そういうことではなく……その、お部屋に行くというのはいったい――


 ……ですが、彼女がそう仰る以上、お断りするわけにもいきません。それは、今しがた丁重にもてなしてくださったからというのもありますが――それ以上に、ここで僕がお断りすることでその話が社長さんの耳に入ろうものなら、万が一にも父に迷惑を掛ける結果となるかもしれないので。



『ほら、どうぞ入って玲里れいりくん』

『……あ、はい』


 その後ほどなく、舞衣さんの案内のもと彼女の部屋へと足を踏み入れる僕。……まあ、今になって驚くこともないのですが……うん、個人宅のお部屋ですよね? どこかの高級ホテルの一室とかでなく。……ただ、それはそれとして――


『……あの、舞衣さん。その……僕は、どこに腰を掛ければ良……あっ、いえ立ったままでも一向に構わないのですが!』

『ふふっ、なんでよ。大切なお客さんを、立たせたままにするわけないじゃん』



 慌てて加えた僕の言葉に、可笑しそうに微笑み答える舞衣さん。……いえ、その、つい確認してしまいましたが、よくよく考えれば他人様のお宅で座ることが前提なんて烏滸おこがましのではないかと思――



『――うん、さっそくだけどそこに入って?』

『…………へっ?』


 舞衣さんの言葉に、ポカンと声を洩らす僕。まあ、今日だけで何度ポカンとしているんだという話ではありますが……ですが、呆気に取られてしまうのも致し方ないかと。と言うのも、彼女が手で示したのは――


『……えっと、舞衣さん。その、僕はどちらへ……』

『ん? もちろん、そこのベッドだよ?』


 そう確認してみるも、あっけらかんとした笑顔で答える舞衣さん。……まあ、ですよね。どれほど視野を広げてみても、彼女の手の先がベッド以外を指しているようには思えませんし。……ですが、あちらに椅子は沢山あるのにどうして――


 ……いや、深く考えることでもないか。ただ、ふかふかな感触の上で話したいと思っただけかもしれないし。 


 そういうわけで、ほどなくベッドへ到着。そして、失礼しますと一礼しゆっくりとベッドへ入っ――


『――っ!?』


 直後、呼吸が止まる。何故なら――卒然、僕の両肩がぐっと掴まれ後ろへ倒されたから。そして、目と鼻の先には、ベッドで仰向けになる僕に覆い被さる舞衣さんの顔が。……えっと、なにが起こったの? なんで、こんな状況ことに――



『……ずっと、ずっとこの時を待ってたの……ねえ、あたしの可愛い可愛い玲里くん?』





『…………えっと、あの、まい、さん……?』


 そう、たどたどしく呟く僕。そして、自分でもはっきりと分かる……声が、抑え難いほどに酷く震えていることが。だって……眼前にある舞衣さんの顔が、さっきまでとまるで違うから。今の彼女は、さながら獲物を見据える狩人ハンターのような――


『……あ、あの、その、しゃちょう、さんは……』


 そう、どうにか声を絞り出し口にする。……うん、分かっている。こんな問いに、きっと意味なんてない。それでも……それでも、何か言わなきゃ――



『――うん、パパなら来ないよ? そもそも、流石に分かってると思うけど、パパが君に用事なんてあるわけないし。――あたしがパパにお願いして、今日ここに君を呼んでもらっただけだよ、玲里くん?』



 舞衣さんの言葉に、口を一文字に結ぶ僕。だけど、今度は驚かなかった。馬鹿な僕でも、流石にここまできたらそういった事情だとは察していたから。……まあ、理由はまるで見当も付かないけど。いったい、何のためにそんな――



『――初めて見た時から、心を奪われた。あぁ、なんて可愛い子なんだろうって』

『――っ!!』



 刹那、背筋が凍る。そう口にする彼女の声に、僕をまじましと見つめる彼女の目に……そっと僕の頬を撫でる彼女の手に、ゾッとするほどの恐怖を覚えたから。



『……あの、その、ぼく、かえり……』


 そう、震える声で呟く。……帰らなきゃ。今すぐ、ここを出なきゃ――



『――ねえ、玲里くん。どうして、君のパパが急に昇進なんて出来たと思う? それも、普通では考えられないレベルの昇進を』

『…………へっ? ……それは、父さんの頑張りを、社長さんが――』

『――ひょっとして、本気でそう思ってる? だとしたら……ふふっ、やっぱり可愛いなぁ玲里くん』



 恐怖に囚われた思考の最中なか、僕の目をじっと見つめたまま尋ねる舞衣さん。目を逸らしつつ覚束ない口調で答えると、何とも愉しそうな声音こえが耳元に届きゾワッとする。


 ……信じたくない。父さんの頑張りを、社長さんが認めてくれて昇進を……そう、信じたい。


 ……それでも、流石に分かる。それは、父さんのあの言葉と照らし合わせても、この推測と何ら矛盾するところはなくて。――果たして、彼女は満面に愉悦の笑みを湛えて告げた。



『――あたしが、パパに言ってあげたのよ。君の無能なパパを、昇進させてあげてほしいって。だから、感謝してね玲里くん?』



 彼女の言葉に、ただただ言葉に詰まる僕。未だ恐怖は僕の全身を巡り、さながら金縛りにでもあったように動かない。……それでも――



『…………ていせい、してください』

『……へっ?』

『……父さんを、無能だと言ったこと……訂正、してください』



 そう、どうにか声を絞り出す。……うん、分かってるよ。僕が、弱くて臆病で情けないことくらい。……それでも、これだけは……これだけは、絶対に言わなきゃいけない。あんなに優しくて、いつも家族のために頑張ってくれてる大好きな父さんを侮辱する発言だけは、絶対に許しちゃいけな――


『――っ!!』


 刹那、呼吸いきが止まる。そんな僕の視界には、先ほどの愉悦を一変させた舞衣さんの顔……そして――



『――ふふっ、勇ましく反抗なんてしちゃって。ほんと可愛いなぁ、玲里くん。でも……あんまり調子に乗らないでね?』



 そんな彼女の言葉に……声に、ブルッと背筋が震える。先ほどの威勢はどこへやら、ほんの僅かな声すらも出ない情けない僕。……いや、威勢なんてたいそうなもの、さっきもなかっ――



『――パパがね、言ってたのよ。なんか、随分と嬉しそうだったんだって、君のパパ。こんな駄目な自分を支えてくれた奥さんと息子さんに、やっと少しずつでも恩返しが出来そうだって、随分と嬉しそうに話していたらしいの。ふふっ、健気よね』


 そんなみっともない思考の最中、何とも愉しそうな笑みで滔々と告げる舞衣さん。……ほんと、父さんらしいな。恩返しだなんて……むしろ、それは僕の台詞で――



『――さて、そんな健気で素敵な君のパパが、あたしのパパのでまた昇進前――ううん、それ以下の地位に下がっちゃったら……さて、どうなっちゃうんだろうね?』



 そう、ありありと愉悦を湛えた笑みで問い掛ける舞衣さん。彼女が何を言わんとしているか、流石に分からないはずもなかった。なので――


『……それで、僕は何をすれば良いのでしょう?』


 そう、じっと目を見て尋ねる。怖いけど……恐ろしいけど、それでも目を逸らさず尋ねる。すると、満足そうに笑う舞衣さん。そして――



『――っ!?』



 刹那、背筋が震える。……いや、背筋だけじゃなく全身が震える。何故なら……卒然、すっと伸びてきた彼女の手が、衣服越しに僕の陰部を掴んだか

ら。



『あれ、何を驚いてるの玲里くん? 女と男がベッドの上で二人きり――となれば、することは一つでしょ?』

『……いや、でも……その……』


 一人身を震わせる僕に、不思議そうに口を傾げ尋ねる舞衣さん。……いや、確かにそうなのだろう。こんな僕とて、全く知らないわけじゃない。


 ……だけど、それはあくまで知識として知っているだけ。当然のこと、実際に経験したことなどただの一度もなく――


 ……だけど、思考は進まない。思考が……身体が動けないでいる間にも、シャツを捲し上げられひ弱な上半身が露わに。その後、ズボンを……下着をさっと下げられ下半身――みっともない陰部までもが露わになって。すると、すぐさま鼻息荒く自身も服を脱ぎ去り一糸纏わぬ姿となる舞衣さん。そして――



『――ほら、お姉さんとキモチイイことしよ?』



 そう、喜悦の笑みで告げる。そんな彼女の手は、僕の陰茎を踊るように弄っていて。一方、僕はこれまで抱いた覚えがないほどの強烈な嫌悪――そして、底知れぬ恐怖の中、朦朧とした意識でどうにか思考を巡らせる。


 ……分からない。どうして、こうなったのか。どうして、彼女はこんなことを……もう、何も分からない。


 ……それでも、一つ分かることがあるとすれば――僕は、彼女の望むままにこの身体を差し出すしかないということで。



 ――この日、この後のことは……もう、ほとんど覚えていない。



 














 


 

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