ホテルニューさわにし:10、羽、命令
野村絽麻子
隣のあの子
昔からなんとなく、本当は見えてはいけないんだろうなぁというものが見えてしまう事があった。良くある話だと、子供の頃に不思議なお友達がいて成長するにつれて会えなくなる……というようなのを聞くんだけど、私に限って言えばそうではなかった。
ばっちりと成人して結構な年数が経過した今でもって、そういう存在を目にする機会は減らない。それどころか、気が付いたら普通に会話なんかが出来るようになっていたのだから、正直、自分でもどうかと思う。
*
ホテルの仕事の中でもフロント業務は特に好きだった。さぁ、これから観光するぞというわくわく顔のお客様をご案内する、なかなか素敵な仕事だと思う。
それに、ホテルニューさわにしのラウンジは悪くない。南側は一面のガラス張りになっていて、柔らかな日差しがたっぷりと注ぎ、見下ろせる町の様子は穏やかで、まぁ私にしたら程よい距離感で海が見えて。チェックアウトが落ち着いた平日の午後なんかは、ゆったりしてとても良いのだ。そして、それはだいたいそんな時間に訪れる事が多かった。
まず、ふと、目の端で何かが光を放った気がする。それを合図に顔を向ければ、フロントの前に人影が立っている。さっきまで誰もいなかったし、そもそも自動ドアの開閉音も、エレベーターのベルの音もしていない。そこの所からしてもこれは突如としてここへ現れた、つまりは例の、いやむしろ霊というか、そんな存在なのだ。
「いらっしゃいませ」
そう声をかけると相手が目をぱちくりと瞬かせるのがわかる。恐らくは状況を把握できていない。
「試験にいらしたんですよね?」
「……試験?」
「はい。ええと、こちらが試験を受けにいらしたお客様用のご案内となっておりまして」
言いながら、配布する用のアメニティとは別にノートや簡易的な筆記具の入った薄い布製の手提げセットを手渡す。最初のうち、よくわからない顔で立っていたフロントの前の相手は、説明が進むにつれて何かに納得したような顔つきに変わって来る。そうだった、自分は試験を受けにきたのだ、と。きっとそう思っている。
私にはひとりだけ「実は幽霊っぽい存在が見える」と打ち明けた相手がいて、それはその子も同じようにそういう存在が見えたり声が聴こえたりするタイプだったからだ。それで、今でも折に触れて連絡を取り合う彼女に相談した際、こう言われた。
「あのな、そういう存在は今自分がどこで何をしよるのか把握できとらんのよ。せやから、紙に日付と名前を書かせたらよろしい」
最上階の眺めの良い部屋を案内したいところだったけれど、それだとスイートルームになってしまうので、できるだけ上の方の空室を案内する。それからしばらくしてその部屋を訪れると、備え付けのビューローの上に渡したノートが開かれた状態で置いてあり、そこにはもう誰も居なくなっている。
*
アミちゃんもそんな風にして現れたお客様のひとりだった。だから、案内した部屋の戸を開けた時にまだそこに彼女の姿があって、正直とても驚いた。
「ちょうど良かったです」
とアミちゃんは言って、幾分ハッキリした輪郭で微笑んだ。こんな事ってあるんだなぁ、今度あの子に教えよう、なんて思う。
「相談なんですけど、もし良ければここで働かせて貰えませんか?」
アミちゃんは、一部の人にしかその姿を認識出来ない点を除けば、なかなか優秀な従業員だった。
私たちは一緒にテーブルナプキンを折り、朝食バイキングのお膳を下げ、玄関前を整え、ワゴンを使って新しいリネンを居室に届けた。食い尽くし系のお客様が現れた時には卵を調達して来てくれたし、私が休みを取って里帰りした日にはちゃんと留守番をしてくれていたようだった。……もっとも、アミちゃんの調達してくれた卵は妙に光る色合いで食べると透き通った羽が生えるおかしな代物だったし、休み中に対応してくれたお客様達は全て「試験を受けに来た」お客様だった訳だけれども。
アミちゃんはとても柔らかな声をしていて、私のことを「先輩」と呼んでくれた。逆に何と呼んだら良いか聞くと、ちょっと小首を傾げて考え込んでからこう言った。
「アミ、でお願いします。おかしな話なんですが、苗字を忘れてしまったようで」
「うん、うん、了解や。そしたらアミちゃんのことはこれからアミちゃんって呼ぶな? ええかな、アミちゃん」
「呼びすぎです、園田先輩」
くすくす笑って答えるアミちゃんが可愛らしくて、私の心の中を甘やかなそよ風が通り過ぎたような心持ちになったものだ。
だからあの時、つまりは、アミちゃんが中庭の祠について質問をしてきた時、私はイヤな予感がして早々に会話を切り上げた。あんな祠に仏舎利なんて大層なものが入ってる訳がない。あったとしてせいぜいが獣の骨あたりだろう。それよりも仕事だとばかりにわざとらしくリネン類を押し付けたりもしたけれど、アミちゃんはどこか上の空で、翌朝はとうとうフロントへ姿を見せることがなかった。
そうやっていつかぶりに開いた居室の中は人の気配がなくて、作り付けのビューローの上に広げられた紙には「アユミ」と書かれていた。パンプスのつま先を見た。アミちゃんはもう帰らないのだと思った。
「ほんまはアミやなくてアユミやってんなぁ」
呟いた感想には当然のことながら返事がなく、ビューローの隅に置かれた半分ほどに減った金平糖が、薄っぺらいセロファンの袋の中で、静かに身を寄せ合っていたのだった。
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