立秋

涼風至

 涼風至すずかぜいたる。現世ではお盆休みが目前に迫り、山の日という祝日でもある。多くの祝日の中でも、この日はまだ新しい部類だ。この国土の多くが山岳地帯であるという事実に加え、先月の海の日にも呼応する祝日として、良いところに収まっていると思う。

 かつて山岳地帯に住んでいた人々もいるが、今は多くが山を下りている。この頃合いには台風や大雨で土砂災害も起こりうるため、山には基本、近づくべきではない。山に棲んでいる友人たちも、連日てんやわんやしているだろう。折節の里でも、立秋の村は雨が多く大変だ。秋の区画にいる分、よく分かっている。

 折節の里は、少なからず現世の影響を受ける。この頃に豪雨があれば、立秋の里にも雨が増える。今もそうだ。春や梅雨の雨と違い、容赦のない雨音は恐怖を誘う。傘を差していても意味が無いほどだし、そもそも外出は推奨されていない。里を流れる川も増水しているから危険だ。


「起きないといいですね、土砂災害」

「そうだねぇ。この里は災害を排除しているが、土砂崩れと雪崩は避けられないから」


 この里に火事や洪水は起こらないけれど、大量の雨が降れば地面は崩れるし、春先の村では雪崩も起こる。どこかには箱庭のように整った世界もあるというが、折節の里はそこまで完璧に保たれてはいない。この里に掟を敷いたモノが管理をしていると言えはしても、維持するのは私たち里の住民だ。

 私と梓くんもその例に漏れない。雨後の掃除や、仮に土砂災害が起こった場合に備え、立秋の里の広いお堂で待機している。梓くんと同じ郵便局員の姿も多い。私たちは晩秋の方から来たが、初秋からも仲秋からも人手が集まっているので、お堂の中は結構な喋り声で満ちていた。


 折節の里に神社はあれども、お寺は無い。お寺を模した建物は存在し、このお堂もその一つだ。神社もそれほど大きなところが無いため、村を越えた集会など大人数を招集する場合は、こういう場所に建物が必要となる。

 雨戸は多くが締め切られているが、少しだけ開けられた隙間から、土砂降り模様が窺える。ひんやりと肌寒い、一足早い秋雨の風も吹き込んでくる。梓くん共々、上着は持ってきているので冷えすぎてしまうことはない。


「おお、ニシキさんに梓くん、どうもどうも」


 雨音と遠い話し声に耳を傾けていたら、明確にこちらへかかる声が突き抜けてきた。見やれば、立秋の村に住む顔見知りがいる。挨拶回りを兼ねて、せかせか動き回っている姿は見えていたから、いずれ来ると思っていた。


「やあ、どうも。これはもしかすると、今日は何もできずに終わるかもしれませんね」

「ええ、そうなんじゃないかって話し合ってるところです。そうなったら、ニシキさんたちは一旦お帰りになられますか。時刻も、酉の刻が迫ってきていますし……」

「ふむ。私はお堂に泊まり込んでも構わないが、梓くんは?」


 梓くんは私の従者ではない。彼には彼の意思がある。無理を言っているらしかったら止めようと思いつつ視線を向けたが、しっかり考えてくれるようだ。少し沈黙を挟んでいる。


「自分は……泊まれますが、姉さんを一人にするのは気が引けます」

「きみは相変わらず優しいね。アメリはそんなにやわじゃないが、きみが彼女のことを考えて戻ったと聞けば喜ぶだろう。あー、そういうところを想像すると、私も戻りたくなっちゃったな。すまない、私も今日は、時間になったら一旦戻るよ」

「いえいえ、ニシキさんたちの仲の良さは存じておりますから、お気になさらず。こちらこそ天気を見誤っていました。しかし……里にもこれだけの雨となると、現世ではとんでもない雨が降っている所もあるのでしょうね、お気の毒に」


 善良そうな男の姿をした住民は、降り続く外を見ながら呟く。現世でなら情報に溢れているので、豪雨に晒されている場所もすぐ分かるのだが、折節の里ではそうもいかない。その代わり、土砂崩れなどが起こった場合、何となくの場所が把握できる。自分が根付いている村に限ってという条件付きだが。


「ところで、今のところ土砂崩れは起こっているのかい?」

「まだ気配は感じないですが、何となく起こりそうな気はします。これから起こるのかもしれません。村の方々が行き来する道に危機は無さそうですが、お戻りになるなら早めにした方がいいかもしれませんね」

「ふむ。では、お言葉に甘えて早めに引き上げるか。では明日、また役立ちに来よう」

「はい。お二人とも、本日はご足労いただいてありがとうございました。また明日」


 手短に別れの挨拶を済ませ、梓くんと並び雨合羽を羽織る。他にも一旦帰宅を選択した者たちがいたので、一緒に帰ることとした。この里に洪水や浸水は起こらないし、先ほども危険な気配は無いと言われたけれど、何が起こるかは分からない。なるべく大人数で固まった方がいい。

 そんな動機でちょっとした一団となった我々が外へ出ると、雨はまだ降っていたものの、猛烈とはいかなくなっていた。次々に傘を開けば、そこへ打ち付けた雨音が変調をもたらす。

 晴れなさそうな空の下、色とりどりの傘が行進を始める。吹く風の冷たさを感じつつ、秋の村に住む我らは、各々の秋へと戻っていった。色褪せ始めた風が吹く、それぞれの秋が広がる村へ。

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