麦秋至

 麦秋至むぎのときいたる。常に初夏を保つ――現世の暦に呼応して変動はするが――小満の村に、一足先に秋を迎える区画がある。芒種ぼうしゅの村と隣り合い、雨の気配も色濃いことが多い場所だが、涼風に波打つ黄金こがねの原が広がっている。各所の田園風景に勝るとも劣らない、麦畑の風景だ。

 今は現世の暦との合致で影響が出ていることもあり、曇天が多くなっている。麦穂の黄金も鈍っているが、夕景びいきの私からすれば、仕方のないことと容易く諦められる。黄色みの強くなった夕日にこそ、黄金の麦穂は映えると思うからだ。稲穂に対しても同じ意見である。

 そういえば、現世は新潟であれば、田圃も麦畑もあるのだったか。でもあそこ、今時期は天気がな……などと思い出しつつ、なだらかな丘を登っていく。多くは麦畑というと外国の方、西洋的な風景を思い出しがちかもしれないが、この国の風景としても案外馴染むものだ。


「ニシキ、ぼーっとしてると躓くわよ」

「私はそれなりに年を取っているが、耄碌はしていないんだ。足元が覚束ないなんてことはないさ」


 遠くの雑木林まで広がる麦畑を眺めていたら、先行していたアメリが戻ってきた。いつも通りのふんわりしたフリルブラウスに、茶色のショートパンツを着ているが、上に羽織っているのはラベンダー色のカーディガン。いわゆるガーリーで軽やかな風貌だが、足元の重たげなハイカットスニーカーが、彼女を地上に引き止めているように見える。アメリは何故か、天使の輪に似た謎の輪っかを頭に被せているので、なおさら。

 ベージュローゼっぽい彼女の髪、腰よりも下に届く長髪も、曇天では少しくすんで見える。その代わり、紫水晶そのままの瞳は、深みのある色を見せているが。


「君、一人でどんどん行ってしまっても良かったのに」

「あら。アメリは連れを置いていくなんて、ひどいことはしないのよ。そういう風に努めているの」

「褒めてほしいのかい」

「そんなこと一言も言っていないわ。アメリが勝手に努力をしているだけですもの。第一、褒めてほしかったらそう言うわ。美味しいお菓子の要求と合わせてね」

「それは失礼。あー、お菓子といえば、そろそろ紫陽花あじさいモチーフの和菓子とか出るかもしれないな。次に現世へ行った時は探してこよう」


 小満の村は、麦畑の区画でも紫陽花がまだ咲いていないが、もうそろそろといった風情の紫陽花ならある。雨の気配に誘われて、蝸牛かたつむりや蛙も活発だ。そんな生き物たちと同じく、「楽しみね!」とスキップしそうなアメリも、生き生きと笑っている。

 さて、アメリとこの区画に来た理由は、単に麦畑を眺めるだけではない。カンカン帽を買い付けに来たのだ。元は私だけで行く予定だったが、試しに訊いてみたらアメリもついて来た。どうせなら梓くんと葛籠にも買ってやろうとも計画して、意気揚々とやって来たわけである。葛籠はもしかしたら、カンカン帽の一つや二つ持っているかもしれないが。

 しかし、アメリは頭の輪っかを帽子へ変換でき、擬態に用いることができるため、本当は帽子の現物など必要ない。正確には観察しに行くのだ。写真でも見れば再現できるが、実際に手で持って、隅々まで観察することで、より詳細な再現が可能になる。彼女は単なるお洒落さんではないのだ。

 そんな目的を持って我々が向かった先には、丘の上、麦畑と隣り合う曲がり家がある。もちろん、木造の家屋だ。戸口も窓も解放されている屋内には、何やら作業をしている人影も見える。


「おーい、こんにちはー」


 縁側に向かいつつ声を掛ければ、家主も気づいた。「おー」という返事と共に、持っていた物を置いて、外へ出てくる。


「どうも、初めまして。ご連絡しましたニシキです。こちらは連れのアメリ」

「どうもどうも、お噂はかねがね。蒔田まきたと申します。この度はご依頼いただきまして、ありがとうございます」


 古き良き古民家の縁側に出てきたのは、簡素なシャツと七分丈のズボンを纏った素朴な好青年。この里には郵便局員を始めとした洋装の住民もいるが、和装に比べれば少ない方だ。おそらく、生まれは新しい方なのだろう。もちろん、長生きだけれど好んで洋装をしている、という事例もあるのだが。


「何か、作業の邪魔をしてしまいましたか」

「いえいえ、僕の手でやるのは仕上げくらいですから。どうぞ、上がってください。ここからでも大丈夫ですので」


 お言葉に甘えて、沓脱石に草履とハイカットスニーカーを並べ、上がらせてもらう。屋内も昔の家といった風体だが、厩の部分には馬ではなく黒々とした機械が並び、材料であるわらも積んであった。

 折節の里にも機械は存在している。が、明治時代や大正時代の物がほとんどだ。昭和時代の機械も見られるようになってきているため、これから増えることも予想されるが、普及と呼べるような一定数を超えることはない。こちら側の掟でそう決まっている。


「まあ、機械を使うの」

「はい。カンカン帽の頑丈さは、人の手ではなく、機械によって生み出されますので。アメリさんは、工程に機械が含まれると、拒否反応が出てしまう方ですか」

「大丈夫よ。ニシキから聞いているし、私はそもそも機械に負けないもの」

「そもそも、君はカンカン帽を観察しに来たわけだから、被る必要が無いしね」

「おや、残念です」

「ごめんなさいね。アメリったら色んな事ができてしまうから」


 堂々と、自慢げに振る舞ってみせるアメリだが、蒔田さんはにこにこ笑っていた。気分を害するような態度ではなかったらしい。まあ、アメリが力あるモノだということは、この里の住民であれば何となくでも察せられる。自慢するのも無理はないと思われたのだろう。


「では、見本をいくつかお渡ししますので、アメリさんは存分に観察していただければ。ニシキさんは何か要望などがございましたら、遠慮なくお申し付けください」

「ああ、ありがとう」

「ありがとう、私も遠慮なく見させてもらうわ」


 にこやかな蒔田さんから数個の帽子を渡され、アメリはくまなく観察を始め、私は実際に被ってみる。奥に置いてあった姿見も近くへ移動させてもらったため、どんな外見になるか見ることもできた。うん、なかなかいい感じだ。

 細かい打ち合わせの後、私好みのカンカン帽が形作られていく。もちろん、梓くんと葛籠のためのカンカン帽も。やはり、品物が作られていく工程というのは良いものだ。その成果と共に今年の夏を過ごせると思うと、心が躍る。気が早いが、被って出かけられるのが楽しみで、ついつい笑みがこぼれてしまった。

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