第26話 異国の商人たち

「視察団のお迎えまで、あとどのくらいだ?」


俺は工房の窓から、早朝の街並みを眺めながら尋ねた。通りはすでに活気に満ちていて、市場に向かう商人たちの姿が目に入る。


「あと三時間ほどです」


ソフィアが手元の書類に目を落としながら答える。彼女の声には緊張感が漂っていた。当然だ。今日は近隣五カ国からの商人団、総勢20名が視察に訪れる。俺たちの事業にとって、重要な転換点となる可能性を秘めた日だった。


「サンプルの最終確認を」


「はい。Bランクの魔獣素材、全て準備できています」


机の上には、厳選された魔獣素材が並んでいる。グリフォンの羽、バジリスクの鱗、マンティコアの牙......どれもBランクの素材としては上質なものだ。しかし、これらはまだ「普通の」良品でしかない。


「じゃあ、始めるか」


俺は深く息を吸い、集中力を高める。昨日の実験で判明した通り、素材の質が良いほど、価値転換の効率は上がる。つまり、最初から良質な素材を使えば、より少ないエネルギーで、より高い価値を引き出せる。


「レオン、無理はしないでください」


ソフィアの心配そうな声が聞こえる。確かに、一度に多くの素材を扱うのは危険かもしれない。しかし......。


「大丈夫だ。これくらいなら」


俺は最初の素材、グリフォンの羽に手を伸ばした。触れた瞬間、素材の持つ可能性が見えてくる。その羽の中に眠る、まだ引き出されていない価値が。


「価値転換」


静かに力を込める。羽が淡い光を放ち、その輝きは徐々に強さを増していく。色合いが深まり、質感が変化していく。普通のグリフォンの羽なら、精々防具の装飾品程度にしか使えない。だが、これなら......。


「成功です!」


ソフィアが歓声を上げる。机の上で輝きを放つ羽は、もはや普通のグリフォンの羽ではない。王族の礼装にも使われるような、最高級の素材へと生まれ変わっていた。


「次だ」


一つの成功に気を良くすることなく、次の素材に取り掛かる。バジリスクの鱗、マンティコアの牙......一つ一つ丁寧に、しかし確実に価値転換を重ねていく。


「これで......最後」


額には汗が滲んでいた。予想以上に疲労が蓄積している。しかし、結果は上々だ。机の上には、どれも見事に価値転換を果たした魔獣素材が並んでいる。


「レオン、お茶を入れましょう」


ソフィアが心配そうに差し出してくれたお茶を一口飲む。温かい液体が喉を通り、少しずつ体力が戻っていくのを感じる。


「ありがとう。......で、スケジュールの確認を」


「はい」


ソフィアが手帳を開く。


「まず、工房での歓迎の挨拶と、サンプルの展示です。その後、加工場の見学、昼食を挟んで取引条件の協議、最後に......」


「待て」


俺は手を上げて遮った。


「歓迎の挨拶の前に、もう一度工房の清掃を。第一印象は重要だ」


「でも、昨日も......」


「念には念を。商人たちの目は誤魔化せない」


ソフィアは小さく笑った。


「分かりました。でも、お掃除は私に任せてください。レオンは少し休んで」


その言葉に反論はしなかった。確かに、この後の商談に向けて体力は温存しておくべきだ。


* * *


「こちらへどうぞ」


ソフィアの案内で、商人たちが工房に入ってくる。五カ国からの代表者たち。その表情からは、興味と警戒が入り混じっているのが読み取れる。


「ようこそ」


俺は丁寧に、しかし堂々と挨拶する。


「本日は、遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます」


商人たちは軽く会釈を返す。その中でも、一際存在感を放つ男性がいた。ルーメリア商会のヨハン・シュミットだ。大陸東部最大の商会の重鎮である彼が、この視察団の実質的なリーダーと見ていい。


「早速ですが」


シュミットが口を開く。


「噂の『価値転換』、実物を拝見させていただけますか?」


「もちろんです」


俺は準備した展示台の覆いを外す。そこには先ほど価値転換を施した魔獣素材が、美しく並べられていた。


「これは......!」


商人たちから驚きの声が漏れる。Bランクの素材とは思えない輝きを放つそれらを、彼らは食い入るように観察し始めた。


「この輝き......通常のグリフォンの羽とは明らかに違う」


「バジリスクの鱗にしても、こんな青みがかった色合いは見たことがない」


「この牙の硬度......普通のマンティコアの牙の倍以上はありそうだ」


次々と専門的な意見が飛び交う。商人たちの目は確かだ。価値転換による変化を、一目で見抜いている。


「これらは全て、Bランクの素材を価値転換したものです」


俺は淡々と説明する。


「素材そのものの潜在的な可能性を引き出すことで、より高い価値を持つ素材へと変換しています」


「なるほど......」


シュミットが顎に手を当てる。


「つまり、原価を抑えながら、高品質な素材を安定供給できるということですな?」


「その通りです」


「しかし」


別の商人が口を挟む。


「これほどの変換には、相応のコストがかかるのではないですか?」


質問は鋭い。だが、この程度は想定内だ。


「確かに、価値転換には限界があります。一日に扱える量には制限がありますし、素材の質によっても効率は変わってきます」


俺は一呼吸置いて続ける。


「しかし、だからこそ」


商人たちの目を一人一人見つめる。


「私たちは量ではなく、質にこだわっています。厳選された素材だけを扱い、最高の変換効率を追求する。それこそが、私たちのビジネスモデルなのです」


シュミットの目が光った。


「なるほど......そういうことか」


「ご覧ください」


俺は展示台の隣に置かれた資料を示す。


「これは過去三ヶ月の取引実績です。数は限られていますが、品質の安定性はお分かりいただけるはずです」


商人たちは熱心に資料に目を通し始めた。時折、小声で意見を交わす様子が見える。


「取引条件については」


シュミットが再び口を開く。


「個別に協議させていただきたい案件がございます」


「承知しました」


俺は頷く。


「昼食後の商談で、ゆっくりとお話しさせていただければ」


* * *


夕暮れ時、最後の商人が工房を去っていった。


「お疲れ様でした」


ソフィアがお茶を差し出してくれる。心なしか、彼女の表情も晴れやかだ。


「ああ」


俺は椅子に深く腰掛けながら、お茶を受け取る。


「予想以上の手応えがあったな」


「はい。特にルーメリア商会との個別契約は、大きな一歩になりそうです」


そうだ。シュミットとの商談は、予想以上に具体的な内容に踏み込むことができた。高品質な魔獣素材の定期的な供給。それも、量は限定的でも、最高級の品質を求める。まさに、俺たちの目指す方向性と一致している。


「他の商会との取引も、順調に進みそうだ」


「ええ。特に、アルバーニア王国の商人たちが興味を示していました」


ソフィアが記録を確認しながら報告する。


「彼らの国では、魔獣素材の加工技術が発達しているそうです。私たちの高品質素材と、彼らの技術が組み合わされば...」


「大きな可能性が開けるな」


俺は窓の外を見る。夕陽に照らされた街並みが、黄金色に輝いている。


「ソフィア」


「はい?」


「今日の成功は、君の支えがあってこそだ。ありがとう」


照れたような咳払いの音が聞こえる。


「私は......当然のことをしただけです」


「いや」


俺は微笑む。


「君がいなければ、ここまでスムーズには進まなかった」


静かな夕暮れの中、二人で温かいお茶を飲む。昨日の実験での発見、今日の商談の成功。全てが、新たな扉を開く鍵となりそうだ。


「次は、契約書の準備だな」


「はい。早速、たたき台を作成します」


俺たちの前には、まだまだやるべきことが山積みだ。しかし、それは決して重荷には感じない。むしろ、新たな挑戦として、心が躍った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る